108.悪
1553年 10月(天文二十二年 神無月)
季節は秋を過ぎ、冬になろうとしていた。
山茶花が咲き、ひと足早くまひわが鳴いている。
普段は、せいぜい獣が通るだけの道。そんな人が通ることのない道とも言えない獣道を進む一団がいた。枝木を掻き分け、茨のとげが肌を突き刺す痛みに耐え先を急いでいく。
源康政が率いる軍勢である。
兼定と別れた後、荻森城から元城、元城から宇和の地へと歩んでいく最中。道案内に、宇都宮家の兵を数人連れ立っていた。
先は急げども、怠ることなく細心の注意を払っている。人目を避け、わざわざ険しい道なき道を行く念の入れようだ。
元城から東へいったところに宇和という地がある。そこは宇都宮家の鴇ヶ森城から西園寺家の黒瀬城まで行く途中にあった。
大洲城から鴇ヶ森城を経て黒瀬城へ至る道はふたつ。そのどちらであっても通る地こそ宇和であり、兵を伏すと決めた場でもある。
むろん敵方が険しい山中を突き進むのであればいざ知らず、退くのに時が掛かるような危険は冒すまいと思われた。ましてや徒歩の兵ばかりではなく、馬に乗っている将も多いとなれば尚更のこと。
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荻森城を発って三日目の昼に、康政らは宇和に着く。
だが、伏せる将兵らには疑いの心があった。
果たして、西園寺の大将がここまで落ち延びて来るのだろうか、と。
兼定に大洲城へ駆けつけると聞かされたときは、全兵を挙げて行くものだと誰しもが思った。しかし、若き大将は軍を分けることを選んだ。むろん、皆に諮った上で。
確かに敵勢をここまで追いやり逃れた兵が少なければ、ここにいる千の兵で以って敵大将を捉えることができるだろう。よしんば逃れてきた敵兵が多ければこれを逃し、本陣で残された兵をさんざんに討ち取ることができる。机上ではそうであろうとも、最後まで聞いていた将兵の目には危うい策にしか映らなかった。
そんな中で、悪い策ではないと小島政春は思っていた。敵大将にいつまでもいくさ場へ留まられていては勝てるものも勝てなくなる。
数が多き側が勝ちを得やすいのは道理。
だが、大将が退いたとなれば兵はこぞって我も我もと逃げ始める。
ひとつ気掛かりであったのは、裏を返せば首尾よく事が運ぶほどに兼定ら本陣は寡兵でもって敵勢に当たらねばならぬということ。あとは、どれだけ西園寺勢の不意を突けるか、ひとつの賭けであろうなと考え、政春はあごひげを撫でつけた。
それでも、当初の策謀が崩れてから捻り出したにしては良くできている。逃げた先こそ死地になろうとは、敵方も夢思うまい。もしや、先代に並ぶほどのいくさ上手ということもあるやもしれぬ、とも思う。房基の血を引いているのだ。驚くことではない。
そうなれば、この合戦で得るものは大きい。
兼定に従わぬ家臣らも靡くであろうことは明々白々。
その未だ見ぬ先を思い、ふっと笑みがこぼれた。
だが、笑っていたのは束の間で息を吸って吐いたころには眉間を寄せていた。
小島政春。
またの名を悪七兵衛政春。
一条家の家臣である。
人柄は寡黙であったが、ひとたび合戦となれば率いる軍兵の苛烈さは一条家随一であった。
悪の一字は、善悪の意を示すものではない。
強さと、頑なさを意味する悪である。
幼き頃より同じ歳の子と比べ背は高く、力も強かった。それが十を過ぎた頃には大人でも敵わないほどになっていた。
皆から鬼の子と言われるほどの大男。
その体に似つかわしい怪力。
いつしか畏敬を込めて悪七兵衛と呼ばれていた。
恐れの色を見せなかったのは、親兄弟を除いてこれまでにただ一人。一条房基、兼定の父その人である。
見つめる目には一切の恐れや媚びがなく、ただただ政春を一個の人として接した。それが政春にとって、どれほどに嬉しいことだったか。
それからというもの、政春は房基について回るようになった。その人柄、知識、優雅さに触れ、自然と政春の荒々しい行いも和らいでいった。
心に余裕が生まれたからか周りにも少しずつ優しくなると、政春を慕う者がどんどんと増えていった。それもこれも、御所様のおかげと益々房基に心酔していく政春。
房基が命を落としたと聞いたとき、その場にいた者は暴れる悪七兵衛を止めるため二十人からのけが人を出している。寡黙な政春が泣き叫んだのは、後にも先にもこの時のみであった。
軍議に出ても口にする言葉は承知か不承知かのみ。家中には、声を聞いたこともないという者がいるほどに言葉少ない。それほどに寡黙であるにもかかわらず誰からも一目置かれているのは、ひとたび合戦ともなれば一番首、一番槍を搔っ攫っていくからであろう。
ともあれかくもあれ、生き死にがかかっている場に悪七兵衛政春と共にいることが、兵だけでなく将らにとっても心の拠り所となっている。
その男が今、康政に連れ立たれ胡床を立った。
政春にそっと近づいた康政は声を小さくした。
「呼び立てたのは他でもない。西園寺のことじゃ」
やはり、そう思った。
この状況で他にはないということもあるが。
「御所様は生かして捉えよとの仰せであったが、そなたはいかが思う?」
「御意に承知した」
「いやいや、それだけでは他を従えぬであろう?」
康政の目が妖しく光った。
「何が言いたいか、それがしには計りかねるが」
「一条家のためには西園寺の首は取らねばならぬ。今、逃がせばまたふたたび争いとなるは明らかぞ」
政春は戸惑っていた。
生かして捉えよとの兼定の下知。
だが、侍大将たる康政は従わずに討つべしと言う。
…… 康政の言ったことは間違いではない。
ここで西園寺を飲み込まねば、いつの日か必ずいくさとなるは必定。それはこれまでのあらゆる歴史が物語っている。
こちらにそのつもりがなくとも、相手がその気になればいくさは起こるものなのだ。人の欲とは底が知れない。もはや、世は戦国となり領地を接する者同士が結束するという時代ではなくなっていた。
「何をせよと?」
「知れたこと。西園寺を討つのじゃ」
「討つ?」
「さよう」
「御曹司の御下知に背くこととなるが」
「いや、それは違う。ゆくゆくは御所様にも分こうて頂けようぞ」
「…… 」
下知に背くは、重き罪とされている。
例え、その始末が良き出来となろうとも死罪を申し渡されても異を唱えることができないのだ。
「これは我の一存で行ったこと。お主らにも面倒は掛けぬ」
「…… 」
「いざともなれば、この康政が命に代えて、お主らのご寛恕を乞う」
「…… 」
罪に問われることが恐ろしいのではない。
これまで仕えてきた主家に疑いの目を向けられると考えるだけで口惜しいのだ。
だが、その思いを差し引いても西園寺を討たぬのが一条家のためにならぬことも分かる。例え命を落とすことになろうとも泉下の房基へ会いにいくだけのこと。その時に、御子のために成し遂げた自慢のひとつもなくては笑われよう、と政春は考えていた。
それもこれも先代の御為か、と、長く思案していた政春であったが、ついには答えを出す。
「承知した」
「おお、承知してくれるか! 良いか? 自害だけはいかぬぞ。首は取っても取らなくてもどうとでもなるが、自害だけはさせてはならぬ。さようなことになれば厄介ぞ。西園寺の兵を根絶やしにするまでいくさが続くことになるでな」
確かに、自害をさせてしまっては生き残った兵、領地に残った将、周辺大名の態度でさえも変えさせてしまう危うさがある。
「承知」
ごちゃごちゃ考えても仕方がない。
それもこれもこの合戦に勝たねばならぬのだ。
討てるかどうかは、運を天に任せるほかはない。
それが一条家のためになることは百も承知。
果たして、西園寺の首を目の当たりにした大将はどのような顔をするのか。
──── そうであろうとも。
そうであろうとも、一条家のためを思い自ら泥をかぶるより他なかろうよ、と思う政春であった。
和井舎人佑は、康政がちとよいか、と政春を誘い胡床から立ち上がったのを不審に思い篝火の明かりを避けて、こそっと後をつけ陰に潜んだ。
そこで耳にしたのは西園寺を討つとの話であった。これは兼定の意に反するもの。
眉を寄せて、どういうことかと伺っていれば、それが後々の一条家のためになるのだと康政が言い切った。兼定に逆らうは不忠。これは危ういことよ、と思うと同時に、一条家のためになるのは間違いないと思われた。事実、兼定の下知がなくば舎人佑はこれを機に西園寺を討ち滅ぼしてしまうのが良いと思っていたからだ。
それを進言しなかったのは、やはり兼定に異を唱えることとなるためだった。己のほかにも同じことを考える者がいたか、と、家中に見所のある人物が多いことにどこか安堵した。
康政と政春が陣へと戻った後も、舎人佑は暗がりのなかでどうしたものかと考え込むのであった。




