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102.凶報

 


1553年 8月下旬(天文二十二年 葉月)



 船首に波がぶつかり、しぶきを上げる。

 慌ただしく漕ぎ手が櫂をあやつり水を掻いていく。千尋の海の波を乗り越え、早舟は一路帰郷の途についた。

 


 津野(つの)基高(もとたか)が世を去ったと報せを受けたのは、御所から戻った次の日だった。


 方々へ使いの者を出しつつ、土佐へ帰るための支度を急いだ。伏見宮家、一条宗家など次々と返し文が届き、最後に後宮から帝の意を汲んだ文が返ってきた。それらには帰郷を差し許す旨が一様にしたためられている。取るものもとりあえずといった具合で京を立ったのは、報せを受けてから二日後。



 諸々のことを京に残る者たちへ指図して、房通にもあとを頼んだので大事はないだろう。あだやおろそかに出来ないのは、尼寺への便りを届けること。


 尼御前にお目通りが叶うほどの官位を有して礼節をわきまえている者。京へ赴いた中では飛鳥井曽衣、ただひとりしかいない。


 舟に乗っている者は二十人は下らないが二十五には届かないほど。この少人数で、津野家へ赴いて侮られたりはしないか、要らぬもめごとを招きはしないか、と不安になる。来たときと違って曽衣も左近もいないから。


 ほんとうに大丈夫だろうか。

 



 ■■■




 五月の末には津野基高の正室として嫁いだ一条家の姫が亡くなった。(しん)(じゅ)を患っていたらしい。享年四十六。


 お祖父さまや房通の異母兄妹であり、俺からみて大叔母にあたる人だ。


 悪い報せというのは続くもので、八月に入ってすぐ基高が後を追うようにして亡くなった。享年五十一。


 正室との死別による喪失感からか、次第に元気をなくしていたらしい。


 一条家にとって、津野家は重い存在だ。

 土佐の西部にある一条家領の幡多郡。その隣、中西部へ位置する高岡郡に領地を持つ一大勢力、津野家。


 一条家の姫が嫁いだ津野国高は、お父さまより諱を与えられ基高と名を改めている。しばらくの間は良好な関係を築けていたかに見えた。しかし、十一年前に基高が謀叛を起こし争うこととなる。


 津野家の重臣に中平兵庫助元忠という者がいた。この者は敵勢が攻め寄せたと聞けば兵を率いてたちまちこれを撃退し、ことごとく退け続けた。


 元忠の奮闘は目覚ましかった。津野家をして尚よくその命脈をつなぎとめたるは、ひとえにその誠忠に依るものに他ならない。しかし、昔日の勢いを失っていた津野家は、一条家の猛攻に耐えかね、ついには降伏に至った。


 つまり、今ある一条家の領地は半分ほどが治めはじめてから七年と経っておらず、今だ予断の許されない状況にあるのだ。


 当然、五年前に起きた大内家の謀叛では、いくさの後始末がようやく終わり、日常が戻り始めていた頃。兵をかり出すなど到底出来なかったし、高岡郡へ備えるだけで手いっぱいだったはずだ。にも関わらず、三百もの兵を集められた一条家の家臣はさすがと言える。


 一条家が置かれている状況を鑑みて、反対した房通。それでも尚、どうにか兵を集めた家臣たち。何も知らずに大内家へ助けを出そうとした俺。


 さまでは言わずもがな、あまりと言えばあまりに愚かな当主である。



 津野家とのいくさがきっかけで仁井田五人衆も一条方へ降った。

 どうしても、直に槍でたたきあった者らは苦々しい思いからしこりが残りやすい。


 だからこそ、次の世代ではその遺恨がなくなるようにと配慮が必要で、それは共に生活してこそ培われる。志和家と佐竹家の者を同時に近習としたのも、いくさの最前線で槍を突き合った家同士の仲を取り持つ目的もあってのことだ。



 お父さまの代で急速に領地を広めてきた一条家。津野家を降伏させ、大平家の居城である蓮池城まで攻め取り領地を拡大した。


 だからこそ、家臣が一条の名の下に一丸となっているわけではないのだ。


 それは家中を見れば明らかで、一門衆、譜代衆、外様衆の三つに分けられる。それらの間には大なり小なり隔たりがあって、中でも一番扱いが難しいのは、やはり外様だろう。


 何世代にも渡って一条家に仕えている一門衆や譜代衆であれば、よほどの事がない限り意趣返しをすることはないと言える。だが、外様の身であれば心が離反しやすく気を配る必要があった。そこで、結束を強めるために婚姻が行われ、その血を濃くして絆を強めてゆくのだ。



 それでも七年の歳月をかけ、わだかまりは徐々に溶けてきている。まだまだ安定しているとは言い難いが。


 大叔母が亡くなったときは、基高のもとへ名代として源康政に赴いてもらった。基高の子である国勝には、お父さまの養子とした康政の娘を嫁がせていて浅からぬ関係がある。



 しかし、今度ばかりは一条家の当主として、すぐにも駆けつけなければならない事態なのだ。




 ■■■




 幸いだったのは、基高は家督を譲り嫡男の国勝が津野家を取り仕切っていたことだ。



 生前、基高に会ったのはお父さまの喪に服していたときと官位を賜ったときの二回。

 目を爛々とさせ圧するような雰囲気を持った人だった。正妻とは仲むつまじく、一条家にも恨みは残っていなかったらしい。



 見たところ、国勝はどちらかと言うと良い男の部類に入る。精悍な顔つきと厚い唇。切れ長で力強いその目は、父である基高によく似ていた。


 京では、毎日のように数多くの人に会ってきた。自然、人を見抜く目も鋭くなった気がする。その目で見るに悪い性質(たち)には見えない。



「こたびは急なことであった」

「恐れいりまする」

()うたのは二度ほどであったか。教わることの多い御仁でありゃれたわ」

「さであられましたか」

「ゆるりと話をする機に恵まれず、事ここに至っては、無理を押してでもたずねるべきであったと思うておる」

「さように言うて頂けますれば、亡き父も草葉のかげで喜んでおることにござりましょう」



 悲嘆の涙にくれているわけでもなさそうだ。すでに八月も下旬となり、夏場は特に虫や臭いが湧きやすく早めに葬られとあって、埋葬後の片づけと共にその死を悼む気持ちの整理もついているのかもしれない。


 同席している両家の者が思い思いに、あれやこれやと語っては故人を偲んだ。



 鐘が聞こえ、それほどに刻が経ったかと思っていると、国勝が居住まいを正し板間へ手をついた。それを見て、津野家の者が一様に習って手をついていく。



「これよりは、より一層ご当家との仲を密にすべきと心得ますれば、なにとぞ御名の一字を賜りたく存じまする」



 偏諱(かたいみな)か。

 いや、これは一存で決められることではない。

 房通と兼冬、それから家臣の承知もいるだろう。

 それに、初めて偏諱を授けることになる。

 こればかりはどうすればいいか全くわからんな。

 どちらにせよ、ここで即答できるものじゃない。



「そちの申すことは分こうた。されど、兼定の名は一のお人より賜ったもの。麿の勝手にはできぬ」

「一のお人…… ?」

「関白さんのことや」

「関白…… さま」

「さよう。それゆえ、すぐに決することは能わぬ」

「関白さま…… 」

「この儀については追って沙汰いたすとしたいが、良いかえ?」

「関…… あ、いや、いえ、否ではなく…… ははっ、宜しく、お取り計らいの儀、御願い申し上げ奉りまする」

「うむ」



 まだ、うわ言のように関白さまと呟いている。

 よほどの衝撃だったのか。

 遠い存在である関白が急に間近になった。うわの空になるのも無理ないか。


 

 諱によって一条家とのつながりを更に強めようとする姿勢はありがたい。


 それだけで信用しろというのは難しいが、内外へ両家の仲が良いことを示せるという点では悪くない申し出だ。あぁ、いや、先代はお父さまから偏諱を受けていても謀叛を起こしていたな。


 腹に一物あるようには見えないが、ひょっとするとこの男もその類かもしれない。かといって、息子も同じと見なし疑いの目で見るのも哀れというものだし。どうするべきか。




 ■■■




 また、凶報が届いた。

 続くときは続くものだ。

 西園寺家が宇都宮家の領地へ攻め込んだようだ。あぁ、頭が痛くなる。どうして次から次へと問題が起きるのか。


 ふた月ほど前から、どうも西園寺家がいくさ支度をしているのではないかと噂があったらしい。宇都宮家の姫、それと一条家からの文でも知らされてはいた。よもや、本当にやるとは思わなかったが。


 攻めるとすれば、一条家か宇都宮家のどちらかなのは明白で、いざとなれば互いの助力を誓い合っていた。それでなくとも、縁戚となった家の一大事。助けぬわけにはいかない。


 これまで他の家からの侵攻を受けずにいたのは運がよかったということを改めて思い知らされた。それにしても、厄介な男が厄介なときにいくさを仕掛けて来たものだ。


 いくさに負ければ宇都宮家が滅びてしまう可能性もある。それだけではなく、一条家もそれと同じ道を辿らないとも限らない。


 滅亡という文字が頭をよぎる。言い知れぬ不安に胸がざわつく。もしかしたら、一条家にとっても兼定にとっても、ここが大事な局面なのかもしれない。


 もし、いま立っているのが運命の岐路であれば…… 絶対に失敗できないわけで。うっ、息が詰まりそうだ。



 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] のんびり次はどうなるのか気になりつつ読んでます。 これからも更新楽しみにしてます。 (本編と関係ないですが。 たまーに本編読んでると宇都宮氏について思うことが。 宇都宮氏は複数あったと思い…
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