101.薄墨
入道親王 = 伏見宮 貞敦 (親王、お祖母様の異母兄妹)
兼冬 = 一条 兼冬 (関白、義兄、房通の嫡子)
1553年 8月(天文二十二年 葉月)
夏の病が流行り始めていると聞き、生薬を持って曲直瀬のもとを訪れた。
屋敷の中に入ると、まるでいくさ場のようだった。
あわただしく行き交う人。
あちこちからは呻く声と鼻をつく悪臭。
病の深刻さをうかがわせる。
どうやら嘔吐や下痢が主な症状らしい。
この暑さだ、疑わしいのは食中毒か。
それらを和らげる漢方として烏梅、五苓散がある。しかし、いの一番にすべきは腹にあるものを全て出してしまうこと。それが、何よりも快復への近道だ。
様子を見ている間にも、戸板に乗せられた人が運ばれて来た。
戸の上で横たわっている者は症状が違う。
顔が火照りめまいや吐き気を訴え、手が軽くけいれんしていた。
外で作業をしていて倒れたらしい。となれば熱中症か。
曲直瀬が水を飲ませ、脈を確かめている。
さすがに、ここで師事している者らは手馴れていた。
漢方は黄連解毒湯、五苓散、苓桂朮甘湯のいずれかを処方しているのだろう。
大して役には立ちそうもないが、炒り麦茶を事前に用意した。少しにがりと塩を混ぜてあり、ミネラルと塩分を吸収でき脱水症状を避けられる。味が付いている分、飲みやすく喉を通りやすいのもいい。
手伝い手として薬を煎じていたら、にわかに外で騒ぐ声が。物見窓からは様子をうかがうと、あわただしく牛車から女性が降ろされている。担ぎ込まれたのは見るからに大切にされていそうな姫だった。
姫の脇には、はらはらとしきりに声をかける公家の姿。顔には見覚えがあった。
あれは、山科言継だ。
ということは、運ばれたのは山科家の姫か。
額には珠の汗を湧かせ、顔は土気色。
見たところ、養生所に臥せっている者らと同じ症状が出ている。相当に苦しいのだろう、こらえきれずに呻いていた。
「他の者と同じ薬では手遅れとなるやもしれませぬ」
「な、何とかならぬか?」
水分さえも受け付けないほどの、あまりにひどい症状に曲直瀬がぽつりと言った。それを聞き、さらに言継がうろたえる。
「霊薬であれば…… 」
「ならばそれを」
「高価なものを使いますれば。なにより薬には麒麟の血が要りまする。これは、なかなか手に入る品ではありませぬゆえ」
「そこをどうにかならぬのか?」
「滅多にないもので…… 」
原材料を持ち合わせていないのか。
しかし、一条家にあるのを聞いた。
お父様が麒麟に授かったと言って大事にされていた朱色のさざれ石。お守りとして屋敷に置いてある。
「銭が要るならば持ってこさせるゆえ」
「銭だけではいかんともし難く」
「なんと」
その場に崩れ落ちるようにひざをついて項垂れた。
曲直瀬も眉間にしわを寄せ口惜しそうに両目をつむる。人の命がかかっているならば仕方がないな。
「麒麟の血ならば麿の屋敷にありますゆえ、持ってこさせよう」
話に割って入ると、言継が振り返り目をみはった。
一目で公家だと分かったのだろう。
袍の紋様を確かめて、さらに目を大きくした。
「そは、まことでありましゃりまするか?」
「はい」
すぐさま立ち直った言継の問いに答えてやると、頻りに礼を言われた。急ぎ、一条の屋敷から他の薬草と一緒に持ってこさせ曲直瀬へ手渡した。さざれ石をつまみ上げ色と大きさをまじまじと見た。薬研ですり潰し、指の腹でつまむと匂いを確かめてから口に含んだ。
おお、ここまで入念に調べてもらえるのなら言継も安心だろう。悪くない品だったのか、ひとつ頷くと他の薬草も確かめて調合したものを姫に服用させた。
言継の願いで、反魂香も焚いている。
それにしても、さすがは曲直瀬の見立て。
日が暮れるころには、症状も落ち着き顔に生気が戻っていた。
「左少将さんと曲直瀬殿には娘の命をお救い頂いた。麿はここでお誓いいたしましょう。この先々で如何なることであろうと、お頼みされたとあらば決して否とは申しませぬ。二つ返事で承知してみせましょう。ただし、他人のお命に関わることでなければ、にござりまするが。何ぞ、お困りのことがありますれば、どうぞ麿のことを思い出して、声をお掛けくださりませ」
「ええ、その折にはどうぞ宜しゅうに」
それだけ娘を大事にしているということか。いい父親なのだろう。あぁ、言継を見ているとお父さまを思い出す。そんなことある筈がないとは分かっていても、お父さまが今でも生きているような気がして涙がこぼれてしまいそうだ。
まぁ、薬の対価にしては、やけに大げさではあるのだが。曲直瀬も苦笑いしていた。
公家は荘園からの収入が少なくなったと言っても無くなったわけではない。山科家などは、京の七口のひとつに関所を構えていた。都にある七つの入り口、それぞれで民や商人から税や公事銭を徴収しているのだ。奈良の米は関所を超えて京洛へ引き入れると値が吊り上がると、よく耳にする。
いつか関所を超えるときには関銭でも免除してもらうとしようか。
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未の刻さがり、日中で最も暑くなるときに呼び出された。謁見の許しを受け常御所へと立ち入る。帝は見目麗しき桐竹鳳凰の紋様があしらわれた山鳩色の袍をまとっておられた。
その場には夏の直衣を召した入道親王と関白である兼冬も座している。一通り挨拶を済ますと、さっそくとばかりに入道親王から問いかけられた。
「して金はいかにして用立てる?」
「いかにとは?」
「…… 何ぞ策があるゆえ、申したのであろう?」
聞き返すと、なじるように言われた。
あぁ、そうか。
朝廷にも金を集めるだけの当てがないのか、それとも、伝手はあっても借りは作りたくないのか。確かに、言うだけなら誰でもできるし、集めるだけの手立てや策もなしに具申するのは愚かだよな。何か考えがあると思うのも当然。
もちろん当てはあるけど、裏付けがあってのことじゃない。半年前、土佐を発つ前にある仕掛けを託してきた。
土佐ではガーゴと共に訪れた職人より南蛮絞りの教えを受けているはず。それによって、金銀銅の精製が出来る…… 出来てほしい。
他力本願的な希望。
なんとも心もとない。
仮に金をかき集めるにしても、それほど採れるのか甚だ疑問だ。
少しの間、考え込んでいたらしい。入道親王は目を光らせ、こちらをじっと見つめている。最悪、金が足りなかったとしてもどうということはない。諦めればいい、ただそれだけだ。
あ、だめだ。
多くの寺へ行って開眼供養の話をしたんだった。
ここで止めるとなれば、天下のもの笑いとなってしまう。
寺社に行くのは早まったか。しまったなぁ。
ここまで来ると、もう後戻りはできないんだろう。自分で自分の首を絞めてしまった。先々のことを考えて行動したつもりが、裏目に出た。俺って本当にダメだな、くそっ。
「当てはありまするが…… 」
「さようなことでは困るであろうが」
「そうは申されましても、こればかりは安請け合いを致しかねまする。一度、土佐へ舞い戻り確かめねばなりませぬゆえ」
「当てが外れたらば、何とする?」
それは、どこからか調達するしかないだろう。
どこだと問われても困るけど。
金、金…… 金と言えば甲州金か。
となれば甲斐の武田家。
…… おぉ、そうだ。
「甲斐では黄金がぎょうさん採れるとか。そこから手に入れるほかありますまい」
「甲斐か。甲斐と申すは、武田家か」
「さようにござります。幸いにも三条家の姫さんが武田へ嫁いでおりやりますれば、力添えをお頼みしてみるが宜しかろうかと」
「ふむ、悪くはない」
入道親王に変わり返事をした兼冬は賛成のようだ。物優しいこの男は、さすが頼りになる。
三条公頼には、大内家で起きた謀叛のおりに助けた貸しがある。何よりも帝のご内意でもあるのだ。否はないだろう。
何よりも先立って、南蛮絞りの状況を知ることが第一。すぐにでも土佐へ帰ることが決まって、この話は終わった。
「上皇さんには、治天の君に御なり頂こうと思うておる」
左手に持った数珠を繰りながら、入道親王がそうおっしゃられた。
この百二十年あまりの間、上皇が治天の君になられたことはない。何が変わるわけでもないが、帝のご威光が増すことは確実。あるいは政治体制をより強くする腹積もりもあるのだろう。
朝廷が朝廷であるために、実を伴う存在として再び力を取り戻すことが目的か。ゆくゆくは、それが天下の安寧に繋がっていく。もし、朝廷の力を高めたいというのならば、他にも考えがある。
「さでありますならば、武家にお与えになられる京職は右京のみになさるが宜しかりましょう」
同じ職でも左右によって上下が決まる。
それが左上右下の思想だ。
左が上位として尊ばれており、武家が望む官職に右京ではなく左京大夫などが多いのもこのためである。
だからこそ、武家には右の付く職を与えることにすればいい。同じ左が付く職に公家を据えれば争いの種となるため、空席で。だが、左上位の意識は自然、公家を尊ぶことになるだろう。
それと、もうひとつ、銭を作る。
貨幣を作る機関は、銭を造ることもさることながら、その存在自体が重要な役割を担う。万民が認める貨幣を造るということは天下を手中にしたと言っても過言ではないのだ。
なにも、始めから皆が認めずともいい。
まずは畿内、中国、四国、九州の一部で共通の貨幣として使うようにしていけば、いずれ取引をする上で広まっていくだろう。
では、どのように新造した銅銭を貨幣として認めさせるか。それには興福寺の力が必要になる。興福寺に貨幣を認めるよう表明してもらうのだ。
過去には興福寺が撰銭令を発布したこともある。
これまでも、銅銭の価値を巡って興福寺がその度に説いてきた。
朝廷の肝いりで公布する撰銭令。あまねく全ての者が知るところとなろう。
銅貨の価値は新造する貨幣と現存する貨幣に差がでるのは仕方ない。東国から反発があるかもしれんが、上手くすれば大名の力を削ぐこともできる。
徐々に浸透していったとき、堺はどうだろうか。この危うさにすぐ気がつくかもしれない。
これまでは、内国で貨幣を作る者がいなかったからこそ、その権威に屈することはなかった。しかし、新たな貨幣を作る存在が現れたら。それが、誰しも認める存在であったのならば、いくら抗おうとも世の流れは相手方へ傾くは必定。いずれは膝を屈することとなる。
その考えまでたどりつく者は必ずいる。
そして、早い段階で何らかの行動を起こすはずだ。取り入ろうとするのか、妨害するのかは分からないが、何らかの行動には出るはずだ。
直接であろうが、間接的であろうが、邪魔立てする者があれば、その者らへことごとく裁きを下す。
そうまでしてやっと、朝廷が力を取り戻すときが来ると言えるだろう。
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常御所を立ち退くと、御湯殿の上から出てきた侍女に呼び止められた。後宮の女房衆に仕えているだけあって目鼻立ちは醜くない。
「かような紙でありますこと憚り多いとは存じまするが、お許しくださりませ」
「さように謝らずともよい『善書は紙筆を択ばず』という。後宮からの文であらば、この兼定、些かも気にはいたさぬ。これより先も薄墨の紙にて下されよと伝えてたもれ」
「は、はい」
言付けの紙を受け取ると、侍女は相好を崩した。良き人と印象付けるこういった地道な行いがいつしか実を結んで、思わぬ結果をもたらすかもしれない。眉をしかめたところで紙は変わらないのだ。であれば、良い印象を与えた方が得だろう。
紙に使われる楮は、土佐物が有名で品質も良い。年に何度か紙を献上するほどだ。
その良質な紙の産地である土佐の公家に対して、覚書ならばいざ知らず、雁皮も混ぜられていない使用済みの紙を濾しなおした薄墨紙を、公卿への言付けに用いるのは、いささか配慮が欠けた行為と言える。
だからこそ謝っているのだが。
濾しなおした紙を使っているのは倹約のためであり、むしろいい。
帝のご叡慮を記した女房奉書でもなく、度合いは文字が読めないほどの紙でもないから気にはならない。
いや、待てよ。もし、これが嫌がらせであったのならば話は変わってくる。そこは確かめておく必要があるか。
ふたつ折りにされた言付けの紙を開き見る。
…… 後宮の女房衆からだった。
庚申待ちに参加せよとのお達しだ。
悪い予感しかしない。
あぁ、受け取らなければよかった。
侍女の口ぶりから、急ぎの用ではなさそうだ。
嫌なことは後回しにして、先に土佐へ帰ってしまおうか。
この年の夏に言継の子が食中毒で医者に罹っています。
昔は使用後の紙を濾しなおして再生紙として利用していました。墨は消えることがありませんので雁皮を混ぜて濾しなおしてもグレー地に黒い斑模様が残る紙となっています。覚書き用の紙は、雁皮を混ぜずに濾しなおすので、濾す前の文字が見えるほど粗いものもありました。




