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100.一粒

市正  = 源 市正(いちまさ)    (兼定の側近、康政の嫡子)

孫太郎 = 土居 孫太郎  (兼定の側近、宗珊の二男)

曽呂利そろり = 曽呂利 新左衛門(鞘師)

 


1553年 7月(天文二十二年 文月)



 数日経ち、曾呂利へ使いの者を出した。

 こちらが出向くつもりだったが、一条家の屋敷まで足を運んでくれるようだ。無理に大勢で押しかけられても迷惑なのかも。


 それから、二日の後に屋敷へと訪ねてきた。

 房通に知れたら揉めのもととなるため、座敷へ通すのは内々に。謁見の間では、曾呂利が諸手をついて頭を低くしている。


 すぐに顔を上げさせた。



「さように、かしこまらずともよい。呼び立てたのは麿ぞ」

「はっ」



 一条家とは知っていたはず…… なぜ急に背筋を正す?


 ひょっとすると、一条家の子弟とでも思い違いしていたのやも。であれば、誰かに公卿であると聞き及びでもしたか。先日の態度とは打って変わって行儀が良い。その様を見ているだけで、なぜだか笑いを誘われる。



「先のことでの力添え、あらためて礼を言う。ありがとう」

「いやいや、さようにおっしゃって頂くほどのことではござりませぬ」

「なれど、一条家としても礼を失することなどできまいよ」

「ほんに、お気遣いは無用にござります。ええ、無用のことで、ええ、そうですとも」


 

 自分の言葉に相づちを打つような話し方だが、(いた)くまじめである。


 同じような押し問答を二度ほど繰り返した後に、やっとこ礼物(れいもつ)を受け取ることを承知させた。



「望みの物があらば聞くが?」

「思わぬことでありますゆえ…… これといってすぐには浮かびませぬなぁ」

「それは困ったこと。こちらで決めても良いが、そちの意に沿うものかどうか。何ぞ、思い当たる物を試しに言うてみやれ」



 まだ、与えるとは言っていない。

 望むものによっては、無理かもしれない。しかし、曽呂利の人となり、その欲深さを確かめることが出来る。


 どのような情報であっても手に入れるよう行動すべきだ。情報があるほど迷いも生ずると言うが、用心するに越したことはない。己が判断に迷いさえしなければ良いのだ。もしかしたら、似た嗜好の者へ対する備えにならんとも限らないし。


 礼を提示してしまえば、逆にこちらが推し量られてしまう。万が一にも器が小さいなどと思われたくない。


 それだけは避けたい。

 こんな考えをすること自体が、器が小さい証ではあろうが。自覚はある。が、だからと言ってそれを人から突き付けられたくないというのが人情だ。



「そこまでおっしゃられるのでありましたら」



 屋敷まで来たということは褒美をもらいにきたのが明白なのに。もったいつけた曾呂利と目線がぶつかれば、咳払いをひとつして切り出してきた。



「しからば、今日は米一粒、明くる日には米二粒、その次の日には四粒と量を増やしていき、それを百日の間たまわることが叶うのであれば、これに勝る喜びはございませぬ」



 百日…… か。

 そういえば、孫太郎が持っていた書物に鼠算が記されていたな。


 つがいの鼠がひと月に二匹の子を生み次の月には二組のつがいから二匹ずつ子が生まれ八匹となる。それが月を追うごとに増えていくというもの。


 算木にも同じものがあった。

 手本とした『四元玉鑑(しげんぎょくかん)』には古法七乗方図があり、俵算と冪算を掛け合わせたような図形をしている。



 これらは二の(べき)と言われるもの。


 図形でも、二の五十乗までは確かめた。

 それだけで、途方もない数字になる。

 これが、九十九乗となれば聞き覚えのない桁にまで達するのは明らか。


 二の冪が恐ろしいのは、倍々に増えていくところだろう。


 始まりは米一粒であっても茶碗一杯分の量が計上されるあたりから、瞬く間に米一俵となり、それがいつしか百俵になる。そうなれば最後、この国に住まう民が一生食べて暮らせるほど…… いや、それ以上の米の量となろう。まさに『塵も積もれば山となる』の典型である。



 孫太郎に耳打ちされた市正がしきりに首を振っている。やはりか。


 当人も、そこまでの米を貰えるなどとは思っていないだろう。だが、こちらが一度了承した後に変えるよう申し出れば、相応の物でなければ示しがつかない。それが分かっているはずだ。


 一度口にしたことを違えるような主となれば、家臣への面目も立たない。それこそ、器の小ささが露わとなってしまう。その後に向けられるであろう、失望の眼差し。


 うぅ、想像するだに恐ろしいわ。



 ゆえに、この返答には慎重を要する。

 礼をするという名目で呼び立てた上で尋ねた。

 望みはあるのか、と。


 曾呂利から出てきた答えは一見、どうということはない。

 誰に聞いても、欲がないと口々に言うだろう。

 それこそ、断りでもすれば器が小さいと言われるような。


 いや、間違いなく言われる。

 そこが厄介なところ。


 この者、ひょうげて見えるが本質は違う。

 ひょうげた(おもて)の下には、(したた)かさを併せ持った切れ者という顔が隠されている。


 返答を間違えれば、こちらが損をすること請け合いだ。

 手のひらに汗がにじむ。

 面倒な。何とか上手いこと切り抜けたいが。



「よかろう。されど、礼として百日ではいささか気が咎める…… そうや、これにある紙を折った数だけというのはいかがかの?」

「折った数だけ頂けますので?」

「さよう、十であれば十日、百であれば百日、それが千や万であれば、その長きにわたって与えてくれようぞ」



 口元がゆるんだ。

 あまりの嬉しさに、思わず感情を抑えきれなかったか。


 勝ったと思っているのだろう。

 愚かな公家だと。

 だが、そうはいかぬ。



「まことに、よろしいので?」

「うむ、よい」

「その儀、お引き受けいたしまする」

「おお、さようか」



 久左衛門に目配せし、用紙が載せられた台座を曽呂利の前へ置かせた。



「ひとつ、言うておくが紙は半分となるように折って給れ」

「はっ、承知(つかまつ)りました」



 すぐ紙を手に取って折り始めたが、何度か折ると徐々に焦りの表情が見て取れた。


 それはそうだろう。

 なんせ、まだ五度しか折れてないのだから。

 それでも、なんとか折ってやろうと指先が白くなるまで力を込めに込めている。七度目の折り曲げに挑んでいたようだが、明らかに無理なのが分かる。



「もそっと大きな紙で試してみるかえ?」

「…… そ、そう願いたく」

「持ってまいれ」



 差し出された一回り大きな紙を折っていくが、やはり五度目から厳しくなりだし、かろうじて七度折れたかといった様子。折れたというよりは少し曲げたという程度だが…… あきらかに八度目は無理だろう。


 記憶が確かなら、人の手で紙を半分に折り続けられる回数は八度が限界だったはず。



「何度、折りやった?」

「…… 七度にございまする」

「さようか。七度いうことは…… 」

「六十四粒にございます」



 みなまで言うな。

 少ないというのは分かっていた。

 俺でも計算できる範囲なのだから。

 横から孫太郎が答え、満面の笑みを浮かべている。

 ひとつ肯くことで答えた。



 螺鈿(らでん)が施され艶めく黒と鮮やかな赤に彩られた高台が、曽呂利の前へと運ばれた。知らぬ者がみれば黄金でも乗っていると思わせる豪奢なものだ。しかし、載せられているのは白い和紙の上に一粒の米のみ。もうひとつの高台に銭と扇が載せられている。



「約した米一粒に加え、先にもらい受けておった鞘のお代、それと面白き話を聞かせてくれた礼に心ばかりの品を与えることとしよう」



 さすがに折り砕いてしまったものを返すわけにもいかず、もらい受けた鞘の分だ。曾呂利は、呆けたように高台へ見入っている。


 まぁ、これは仕方がない。

 こちらの好意に対して、先に(たばか)ろうとしたのは向こうなのだから。まぁ、今となっては面白い話を聞かせてくれたと思えるが。さらに上乗せした鞘の代金を贈ることにした。値が張る鞘であろうとも損をすることはないはずだ。



「面白き男よ。またぞろ楽しげなる話がありやれば、聞かせて給れ」

「…… はっ」



 最後に目と目が合った時、少し哀れになった。


 恨んでくれるなよ。

 こたびの一件で学んでくれ。

 たとえ誰であろうとも(たぶら)かされしることがあり得るのだと。今度ばかりは騙す相手が悪かったな。




 外を見れば、空には斉雲が縫衣のごとく冪冪(べきべき)としていた。




この話は、曽呂利新左衛門が豊臣秀吉から褒美を賜ったという逸話が元になっています。


大きな紙では重機を使って11回折った記録もあるようですが、人が紙を折れる限界は一般的に8回と言われています。計算上では26回折ることで富士山の高さを超え、31回で宇宙に到達する厚みになるそうです。もし12回折れたらギネス記録になりますので、時間があれば挑戦してみてください。

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