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98.茶木

 


1553年 7月(天文二十二年 文月)



 京で過ごす初めての夏。


 また、あの()けつくような季節がやってきた。日中は蝉たちの鳴き声が絶えることなく、わんわんと響いている。


 これぞ夏の音色である。


 ひぐらしの鳴く頃に、ようやく天井知らずの暑さも勢いを弱めて、ほっとする。


 ここは盆地だからだろうか。土佐のからりとしたものとは違って、じめじめした空気が肌にまとわりつく。その暑さたるや凄まじいものがある。しばらくは、これが続くと考えるに早く土佐へ帰りたいと思う今日この頃。


 草木や花が織りなす風景が、どことなく懐かしいと感じるのも望郷の念からかもしれない。




 一閑斎と初めて出会ったのは、ひときわ暑い日の連歌会だった。夏の暑さをものともせず、風情のある歌を詠むお人が居るものだと、ひどく感心したのを覚えている。


 それもそのはず。

 あとから聞いた話では、かの有名な三条西(さんじょうにし)実隆(さねたか)の教えを受けていたとか。


 一閑斎の名は朝廷でも知られている。

 朝廷へ寄進するなどの功績により、今では従五位下因幡守に叙されている。もちろん、寄進だけで官職を賜わったわけじゃないのだが。まぁ言ってみれば、昇殿はできなくとも諸大夫と肩を並べ、同じ官位である大名ならば、当然のこと等しい扱いを受ける。個人として官職を有している数少ない内のひとりだ。


 今日で会うのが二度目となる。



「いや、先日お譲り頂いた熊は見事な大きさでありましたなぁ」

「大黒さんには良くしてもろうて、ありがたいこと」



 堂々たる鬚髯(しゅぜん)をたくわえた口で、にこりと笑った。

 髪と髭は白くなっている部分が目立つ。だが、これまで見た中でも一、二を争うほど立派な髭だ。背筋をまっすぐ伸ばし、気力に溢れていた。年配者というよりも壮年と言う方がしっくりくる。


 元々は毛皮を主に取り扱う商いをしていたようで、子に店を継がせてからというもの、今では日々、茶や連歌を味わう楽隠居らしい。いつぞや豊後で手に入れた熊の毛皮を買い取ってもらったところだ。


 寺を巡るうちに想定していた銭を使い果たし手持ちが無くなってしまった。土佐から取寄せるにしても日がかかる。どうしようかと悩まされていた。


 と、丁度そこへ一閑斎から御用があればと声を掛けられた。


 向こうにしてみれば口先だけの挨拶みたいなもので、よもや本当に商いをしようなどとは思っていなかったのだろう。売りたい物があると言ったら驚いていた。聞けば、公家や武家の者が表立って売ることはしないと。身分を隠すか、家中の者へ売りに行かせるそうだ。少し恥ずかしい行いだったかと反省した。だが、元々商いをしていたとあって一閑斎は顔には出さず話を聞いてくれたのだ。



 皆からは大黒庵主と呼ばれているようで、それにならい大黒と呼んでいる。しかし、これも後から知ったことだが、この一閑斎とは詫び茶を創りあげた武野紹鴎(じょうおう)その人だった。



「あれほどまでに商いの話を堂々と仰られるお公家さまは、後にも先にも左少将さまお一人にござりましょうな」

「いや、良きお代で引き取ってもろうて恩に着る」

「良き商いをさせてもろうたのはこちらも同じ。恩に着て頂くことはございませぬ」



 また、にこりと笑った。

 その顔があまりに自然で嘘や世辞を言っているようには見えない。



「それはそうと、お寺さんを回って茶をお求めになられたそうで」

「…… はて、そうであったか」



 なぜ、それを。

 寺を回っていたこともさることながら、茶を求めていることは家中の者も含めて口外していないはず。



「お寺さんと懇意にして頂いておりまして、そこで左少将さまのことを伺ったのでございます」



 あぁ、そうか。

 茶で有名なお人ならば、茶を求めて寺と繋がりがあってもそう不思議なことではない。こちらが訝しそうにしていたためか、説明をしてくれたようだ。この気遣い、さすが元商人。


 元とはいえ商人とは隠居の身でありながらも、なんと耳聡いことか。もしや、近衛家とつながりがあるのではないかと、一瞬ひやりとした。だが、茶を好み寺と繋がりがあるということならば頷ける。



 茶は、商い品としてかなり値が張るものだ。

 一番は砂糖であり、次いで茶、酒、油と順を追うにしたがい値が下がって行き、砂糖と油では実に六倍もの差となる。つまり、砂糖や茶がそれだけ贅沢な品という証。


 砂糖は交易品として手に入れるものだが、茶は内国で作られている。しかし、庶民が手に入れるのはやや難しい。というのも、茶は一部の荘園かあるいは寺領でのみ作られているからだ。



 茶の歴史は古く、平安時代より栽培が行われてきた。当時は薬として用いられていたが、いつしか許された者のみが楽しむものとなった。


 茶木を育てるのも容易ではない。

 土壌や気候、肥料など条件があるらしい。


 そうして育てること三年、一杯分の茶葉がようやく取れる。民に茶の栽培が広がらない理由もそこにあるのだ。育つかも分からないものに手間暇をかけて、仮に育ったとしても三年で取れるのは茶一杯分。であるならば、畑や田で腹を満たすことが出来る作物を育てた方がよほど堅実だ。ゆえに市場に出回る量が限られたものとなり、結果として値が高くなる。



 そんな中で、大きな茶木畑を持ち商いで儲けている公家がいる。それが近衛家。


 摂家として揺るがないのは、茶という品で儲けた大きな財源があるためだ。しかも、黙っていても茶を好む者が寄ってくるのも、世の噂や出来事を多く耳にし、必然と情勢に詳しくなるという利点がある。



 では、一条家が商い品にするつもりの線香とろうそくはといえば茶よりも上、砂糖より下に位置する。もし、上手くいけば近衛家に並ぶほどの財源が生まれるだろう。


 まぁ、それでも砂糖はろうそくの倍ほどの値であり、いかに砂糖が高いか窺い知れる。




 ■■■




 一閑斎に茶をたててもらった。

 公家の茶と違い、こちらは一言でいえば質素。


 枯淡な表装で飾られた白鷺が描かれた掛け軸が一幅のみ。対となるものはない。掛け軸は三幅で一揃いが基本となるが、二幅で一対となっているものも多い。しかし、そこを敢えて一幅のみというところに詫びしさを感じる。


 花入れも無骨な陶器に薄花色の朝顔が一輪だけ挿され、なんとも味わい深い。



 座敷には先約がいた。

 茶の席へ同伴させてほしいと頼まれ、承知したのだ。

 その者を入れて三人だけの茶会。

 

 それぞれが持ち寄った茶器で茶を頂く。

 一碗をみんなで回し呑むことはしないようだ。

 作法にも寛容である。客同士が話しをすることで、それがかえって直心の交わりを生む。それら全てが侘び茶の良いところであるらしい。


 場の雰囲気を壊さないように自然と声が小さくなり、互いの距離も近くなる。心通わすお茶というのは、こういうことなのかもしれない。


 同席した者は、いたくひょうげた男であった。

 名を曽呂利(そろり)新左衛門という。

 聞きなれないと感じるのもそのはず、この男が自らつけた名なのだから。



鞘師(さやし)生業(なりわい)にしておりましてな。こう見えて腕が良いとこの辺りでは評判でありまして、鞘に刀がそろりと合うと。ええ、そこから曽呂利と名乗るようになりまして」



 思いきりが良いというか何というか。

 しかし、話を聞けば聞くほどに、何ともこの男に相応しい名であるような気がしてくるから不思議なものだ。


 ただ、笑いすぎである。

 今も、自分の話をしながら引き笑いを起こしている。話に花が咲くというよりも、曽呂利がひとりでしゃべり続けていた。



 


茶は寺院の財源にもなっており、寺社勢力が強い理由のひとつでもあります。

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