第51話 恋&ツン&デレ
「は〜い、ここから先は一本道だからぁ〜、私がこの広場で止めないとなのよねぇ」
エースから王の間にたどり着くまでもう少しと言われて、大きな広間に出ると、そこにはエイトが待ち構えていた。
初めから羽も尻尾も生えていて、まさにサキュバスという姿に近かった。立ちはだかるエイトを抜けて後ろの扉へと行かなければならないのだが、抜かせる気はないようだ。
「侑季君」
「…わかった」
エリルが俺の名前を呼ぶ、それだけでやることは十分に理解した。すまないなエリル、ここは任せたぞ。
「それじゃあ〜ここで死んでもらうしかぁ…あら?」
エイトの話を無視して俺たちは4人揃って一斉にエイトに向かって走る。
「そう簡単に通したらぁ、怒られるんだけどぉ〜」
「そうですか、ではたっぷりと怒られてください」
エリルが先陣を切ってレイピアによる素早い一線をエイトへと狙い澄ます。
「あら?」
自分への攻撃を優先してきたエリルにエイトは一瞬驚くが、ギリギリのところで躱す。しかし、エリルはそのままエイトへの攻撃を止めずに連撃を繰り出す。
「…あぁ、そういうことねぇ」
エイトはエリルの攻撃を躱すだけで、逃げて行く侑季達を止めることができなかった。やがて侑季達の姿が完全に見えなくなるとエリルは一度距離をとって体制を整える。
「予想はしてたけどぉ、私相手に1人しか残さないのはぁ、自殺志願者かしら?」
「残念ですが、まだまだ私、死にたくはないですね」
エリルは手に持っていたレイピアを顔の前に持ってきて、深呼吸を一度する。
エルトリア王国の兵士たちは皆このまじないじみたルーティンを様々な時に行う。剣先をしっかりと見つめ、どんな時でも鈍ることのないよう。この行動はこれで終わりではない。物事の始まりにこれを一回、終わりには剣先を下げてもう一度深呼吸して1セットとなる。つまり、これはエリルなりの生きるという意思の表明だ。
「たぶん〜サキュバスには女の子なら勝てるって思われたのよねぇ」
エイトは尻尾をフリフリと動かして挑発するように喋る。サキュバスは別名淫魔と呼ばれ、男性を拐かす魔物として有名だ。しかし、サキュバスとはそれだけではない強さを持っている。仮にもしサキュバスの特技がそれだけなのだとしたら女の討伐隊を編成すれば一瞬にして全滅してしまうだろう。それができない理由は、サキュバスのもうひとつの特技にある。
「申し訳ありませんが、時間がないのですぐに終わらせていただきます」
エリルは一歩大きく踏み込むと素手のエイトに近づかれないようにレイピアがギリギリ当たる距離を維持しながら一方的に攻撃を叩き込む。
しかし、先ほどとは違ってエイトはその攻撃を難なくひらりひらりと簡単に躱していく。
「ほら、貴方でもサキュバスには勝てない」
掠める気配すらなくまるで攻撃を先読みされて避けられているような感覚にエリルは違和感を覚える。
「安心してね〜。貴方はちゃ〜んと私よりも強いから」
「何を言って」
「焦りも違和感もぜ〜んぶ私のせいだから」
エリルの攻撃を避けながらエイトは精神を揺さぶるような言葉をかけてくる。エリルは意に介さないようにして攻撃を続けるが、
「ふ〜ん、貴方、恋してるんだぁ」
「!?」
「ん〜いい動揺、ごめんなさいね」
エリルの体がエイトの言葉に反応して一瞬ピクッと動いたのを見逃さなかった。エイトは尻尾を鞭のようにしならせてエリルに当てる。
(しまった!油断を)
すぐさま防御をしようとしたが、エイトの攻撃の方がわずかに早い。エリルはもろに攻撃を食らってしまった。
「これも勝負だからぁ〜、油断する方が悪いのよねぇ」
エイトは不敵な笑みを浮かべている。サキュバスはなぜ淫魔と呼ばれるのか?見た目の妖艶さや男性を虜にするテクニックも確かに魅力的である。しかし、それだけで全員を虜にできるほどの魅力を手に入れられるのかというとそうではない。
サキュバスが最も重要視すること、それは相手の心を掌握することだ。
サキュバスは生得の能力で他者の心理を正確に読み取ることができる。緊張や焦り、油断や余裕など、感情はすべてサキュバスへと筒抜けになる。これが、サキュバスが女性でも討伐に苦労する所以である。
「ご心配なく…こちらの不手際ですから」
「ん〜心が揺れてるわね。思ったより貴方は脆いのかしら?」
エイトはエリルの心をあえて揺さぶるように挑発をかけるが、自分からは攻撃をしない。
「私はここで足止めできるだけでいい、貴方はここで早く私のことを倒したい…残念ながらカウンター主体の貴方には最悪の状況ね?」
エイトのいうとおり、エリルにとって今の状況は決していいものではなかった。一刻も早く倒したいはずだが、エリルの攻撃は相手の攻撃に対して反撃を食らわせる待ちの姿勢が多い。それを狙ってるのをエイトに見抜かれてるとなってはこちらから攻撃をしなければならない。
(こちらから攻めるしかありませんか…)
エリルは攻撃を受けて少し痛む身体に鞭打ってエイトを見据える。心を読まれるということは相手に攻撃が筒抜けということ。それならば下手な小細工は通じない。
「そうね、貴方が取れる行動はただ一つ。読まれる前に何撃も打ち込むこと」
当然エイトにも作戦はバレているが、御構い無しにエリルは身体を動かす。
エリルのレイピアは女性用にカスタマイズされており、一撃一撃の威力は劣るが素早さは折り紙つきだ。
「ん〜…あ、そうだ。ねぇ、面白いこと教えてあげましょうか」
(耳は貸さなくていい…攻撃に集中を)
エリルは自身の攻撃が鈍ることのないようにエイトの話を無視しようとする。
「貴方の一番好きな人は、貴方の一番の親友のことが好きみたいよ」
「っ!?」
「ほら、また隙ができた」
エイトの右翼がエリルの右肩に突き刺さる。エイトは的確に、そしていやらしく相手を揺さぶる。
「くっ!」
「鈍った?そうよねぇ〜、心臓の鼓動が今までにないほど速くなってるわ」
(ま、さっきのは嘘なんだけど)
(考えるな…考えるな)
エリルは必死に動揺を隠そうとする。狼狽えてはいけない、そもそも自分が誰のことを好きかなんて自分にもわかっていない。
「いいわよねぇ〜恋って。どこまでも人を狂わせれる」
「…そろそろ黙っていただけますか」
「あら?恋バナはお嫌い?私はもっと喋っていたいのだけれど」
仕方ないわね、と言いながらエイトはくるりと一回転して後ろの尻尾でエリルを薙ぎ払う。
「っ…!」
腹部に完璧に入った攻撃はエリルの表情を苦痛に歪ませる。耐えきれずにエリルはそのまま地面に膝をつく。
「残念だけど相性が悪いかしら?ミーシャちゃん、だっけ。あの子なら私に勝てたかもね」
エイトはそれでもなおエリルへ言葉をかける。エリルは痛みを我慢して息を整えるのに必死だ。
「サキュバスにとって〜簡単なのは、心の弱い人。貴方、一番弱いんじゃないかしら?」
エイトは最後にとどめと言わんばかりの言葉をエリルに投げかけた。これで、彼女の戦意はほぼ間違いなく喪失するだろうと。
______しかし、思惑は大きく外れた
(……おかしいわね、むしろ心が乱れなくなった)
彼女の性格を分析すれば、自分が弱い、必要とされない、そんな言葉を投げかければ落ちるだろうと思っていた。しかし、むしろ逆だ。その言葉を投げかけた瞬間エリルは冷静になって落ち着きを取り戻した。
「…そうですね、私は弱い。ですが、それが何か?」
「…ふ〜ん、認めたくないけどどうやら私が読み間違えたみたいね」
エリルの心中はこの戦いの中で一番穏やかになっていた。自分が弱いと言われることはエリルにとって苦ではない。
それを受け止めることが大事だと気づかせてくれた人がいるからだ。
(もう、迷うのも悩むのもやめにしましょう)
「…認めました」
「は?」
「私が弱いのも、私が侑季君を好きなのも、侑季君がミーシャを好きなのも…全部認めましょう。これは全部、貴方には関係のない話ですから」
エイトは誤算だったと内心舌打ちをする。心を揺さぶるエイトにとって一番嫌なことは開き直られることだ。
エイトがエリルに投げかけた言葉は、全てエリルの言う通り、エイトには関係のない話だ。今、目の前の自分だけを見られた時に、エイトは心を揺さぶることが格段に難しくなる。
「…でも、忘れてないかしら?貴方の攻撃、私に届くかしら」
少しふらつきながらも立ち上がったエリルに対して距離を取って回避ができるようにする。たとえ心を揺さ振れなくとも相手の攻撃がどこに来るのかさえ分かっていれば避けれる。そうエイトは確信している。
「届くまで続けるだけです」
エリルはレイピアを構えると一番素早さの出る突きの構えを取る。当然エイトもそれは予想済みだ。
エリルはまっすぐエイトに対して突撃をする。最大のリーチでエイトを仕留めるため。
エリルのレイピアが腕から伸ばされエイトを狙う。
(狙いはまっすぐ…それなら右に避ければ)
「[速鳥]」
______エリルの放った攻撃は、たしかにエイトの心臓を貫いた
「な…んで」
エイトは理解が追いついていない、なぜ今自分は攻撃を食らった?避けれるタイミングだったはずなのに?
(いや、それよりも…なんで一番驚いてるのが…)
エイトの体を貫いた攻撃に対して、一番目を見開いて驚いていたのは、他でもないエリルだった。
(通った…?)
なぜ今の自分の攻撃が通ったのか、いやそれよりも。今の攻撃はおかしい。エリルが出せる速度の限界をたやすく超えてレイピアの突きは繰り出された。
(何がどうなって…)
「サキュバスが一番弱い攻撃は不意打ち、ごめんなさいね。その子は私の大事な子だから、手加減できないわ」
「…オウカ、さん?」
エリルとエイトから少し離れたところ、そこに立っていたのはオウカとモラグの2人だった。
「あぁ、そういうことねぇ。なっと…く」
エイトはそのまま地面へばたりと倒れ込んで動かなくなった。
「無茶し過ぎよエリル、サキュバスに1人で挑んでどうするの」
「俺たちがいなかったらそのまま死んでたかも知んねえぞ」
エリルはようやく理解した、さっきの攻撃がエイトに通った理由を。
[速鳥]は、魔法をかけた相手の敏捷性を高める魔法。使えるのは、エリルが知っている中ではオウカただ1人である。
「…助けられたのですね、ありがとうございます」
「間一髪だったけれどね、間に合わなければどうなっていたか」
「ったく、せめて俺らが来るまで待つとかだなぁ……おい、どうした?」
「え?」
エリルはモラグに声をかけられてようやく気づいた。自身の意思と関係なしに頬を伝っていた雫について。
「エリル、貴方が泣くなんて珍しいわね」
思えば自分が泣いたことなどないのかも、いやもしかしたら一度侑季の前ではあったかもしれない。少なくとも記憶にあるのはそれくらいだ。
ホッとした安心からだろうか?もちろん、そうでないことはわかっている。
(やっぱり、弱いんですね私は)
涙の理由は言われずともわかっている。今回は迷うことも悩むこともない。受け入れろと言ってくれた言葉がこういう形でも関わって来るとは思っていなかったが、それもまた仕方のないことなのかもしれない。
「そうですね、失恋しましたので」
「…はぁ?」
モラグが素っ頓狂な声を出す。当然説明不足であることは重々承知の上だが、一から全て説明する気もない。そもそも今はそんなことをしている場合でもない。
「何でもないです、速く皆んなを追いかけましょう」
足早にエリルは侑季たちを追っていこうとする。オウカは何かを察したような顔つきをしながら、モラグはイマイチよくわからないと言った顔でエリルについていく。
(失恋…にしては少し早すぎますかね?)
エリルにとっての恋の始まりをあの時認めた時だとすれば、エリルの恋は始まるどころか既に終わっていたものになる。
(…まぁ、どうでもいいですか)
今更考えても仕方のない、そう結論づけてエリルは考えるのをやめた。