生きるために
ここでポイントなのが力の使い方だ。走りに緩急をつけ相手を惑わす時、前方に出す脚をそのまま勢いよく前には出さず、足が引っかかってコケてしまうような動作を故意に行う。爪先にグッと力を入れ、体重負荷により掛かる力を沈んでいく踵、曲がった膝に順番良く流していき瞬時に前方へ飛び出す。しかし、ここでもそのまま大きく出てしまっては意味が無い。この動作を続けていき歩幅を小さく保ち、スピードは乗っているが相手の予想より遅く対峙することが出来る。また、二歩目を大きく出すことにより加速させより早く向かうこともできる。
ただ、難点なのが多用しすぎると膝を壊すという所か。
その他にも様々な動きを事細かに繰り返していき、改善点が見られれば普通の走りに切り替え分析し、実践してみる事を繰り返し行う。
「おー、朝から大層なことで。張り切ってるねー」
その言葉を耳にする頃には五周目に差し掛かっていた。開始時とは比べられない程スムーズに身体が動き、この短時間でも成長が見られる事に顔が綻んでしまう。
しかし、これは自称神様に貰ったスキルの“成長速度レベルMAX”によるものだと思われるので、素直には喜んでいられない。
「あ、お疲れ様です」
「日に日に動きが良くなってるな。俺でもあそこまでの低空移動は骨が折れるぞ」
「でも出来はするんですね」
当たり前だろ、という言葉を聞き、母親が言っていた事を思い出した。今日からもう一人増えると聞いていたが、サタンさんの周囲には誰も居ない。単なる母親の戯言なのか、将又サタンさんが忘れてきただけなのか。
「サタンさん、そういえばもう一人修行に加わる人が居ると聞いたんですけど、その人は何処に?」
「ん?・・・・おお、そうだったな。彼奴は少し遅れて来るそうだ。ここへの入り方は教えてあるから問題ないぞ」
今の間は何だったのか問質したいが、今回は見送ろう。ここで変に突っ込んでは修行内容がもっと悲惨なことになるだけだ。目が尋常じゃなく泳いでいて、唇が真っ青になっているが見なかったことにしておこう。
遅れて来るのであれば仕方がない。来るまで待っているという訳にはいかないので、先に修行を始めることに。
「身体は出来上がってるみたいだな。なら一先ず休憩がてら魔力循環の練習でもするかっ。どうせ走ってる時忘れてただろ」
忘れてた!
額から顔の側面に冷や汗がタラリと流れていく。三年程前から魔力増加と魔力操作の訓練が始まった。その時から魔力を流すスピードや効率を良くする為に、常に身体全体に循環させておくようにとヘルさんに言われていたのだ。
それは修行を付けてくれている他の三人にも知れ渡っており、これを忘れてしまうと修行内容が激化してしまうのだ。以前あった例で言うと、全身に二十倍の重力を掛けられ、そのまま五時間鬼ごっこというものだった。当然鬼はサタンさんであり、開始一時間で襤褸切れのようになってしまった。その後も瞬時に回復させられ同じことを繰り返した。
これは完全にトラウマになっており、知らず知らずのうちに顎が音を鳴らす。
サタンさんがニヤニヤと此方に寄って来て、俺の両肩に手を乗せる。
「ビビりすぎだ。さっき言った通り休憩がてらだ、休憩がてらっ」
そう告げると、少し離れたところまで歩いていき腰を下ろした。その体勢のままくるりと全身此方に向き直り、無邪気な笑顔を浮かべながら隣を叩いている。
こっちに座れという合図だろう。その表情に緊張が幾らか解けた俺は、駆け足気味で近づいて行き、一礼した後に隣に腰を下ろす。
サタンさんと同じく胡坐をかき、脱力した両腕の手の甲を膝側面に乗せる。背筋をピンと伸ばし深く深呼吸をする。
「よし、じゃあ俺が合図するまで瞑想だ。魔力循環の練習だが、周囲の警戒を常に怠らないように」
それ以降口を閉ざし、サタンさんも瞑想に入る。鼻から吸い口から吐く。そんな当たり前の呼吸を何分もかけて繰り返し、魔力の流れを静寂化し流れをより滑らかにする。まだ数分と経っていないのにも関わらずサタンさんの魔力の流動は線と化している。
血管すらも上回り、身体中にびっしりと張り巡らされた魔力管。美しいの一言に尽きるだろう。しかし、他に修行を付けてくれる――師匠に当たる他の三人は更に研ぎ澄まされた魔力を保持している。だからサタンさんは今こうして一緒になって瞑想をしている。
魔力を瞳に集中させサタンさんを観察していて瞑想することを忘れていた。
バレてはまた怒られてしまう為、隣を真似て静かに息を吐いていく。
少しずつ感覚が研ぎ澄まされていき、今までさざ波程度ではあったが穏やかでは無かった魔力が、だんだん波を消していく。まずはそれを徐々に体内に張り巡らせていき、血管達と同化させていく。
体感だが、二十分程経っただろうか。身体に馴染んだ魔力は意識せずとも緩やかな流動を保つことが出来る。無を意識する必要も無くなったので、ここで本日二度目の記憶の整理を行うことに。
俺はまだこの家を出たことが無い為、殆ど聞いた話や本で読んだ知識だ。
まず、ここは地球とは別の世界だ。世界全体を総称した固有名詞は特に存在しなかった。何かあれば“世界が――”という感じで、何処となく向こうと似たような感じだろう。
大陸図は地球とは大きく異なり、ユーラシア大陸規模のものが三つ存在する。東のラナヴィア大陸、西のアーチェス大陸、最後に南のグラシィア大陸だ。三大陸はそれぞれ異なる生態系が形成されており、それに伴った代表的な種族がある。
ラナヴィア大陸には大きな山脈が一つ通っており、多くのダンジョンが存在する。山脈により幾多もの川が存在し、其処を拠点に人間族が多く繁栄したそうだ。山脈沿いには小柄で力があり、鍛冶を得意とするドワーフ族が足を延ばしていき、人間族との交易により文化の進歩を遂げている。内陸には大国が三つ存在するようだが、まだ調べている最中なので何とも言えない。
アーチェス大陸には多くの森林が残されており、大陸全体がなだらかな山のようになっている。上空から見ると人の字型に大陸を分ける巨大な川が存在し、耳が大きく尖り色白で、美形揃いであるエルフ族が暮らしている。しかし、大陸中央部にはエルフ族の肌を褐色化したダークエルフという特殊な種族が追いやられており、エルフ族から酷い差別を受けているようだ。此方は国というものは無く、幾つかの集落があるだけだ。
グラシィア大陸は俺の住んでいる所である。アーチェス大陸と同じく多くの森林に囲まれ、大陸中央部に巨大な国が一つ存在している。名前は大陸名をとったグラシィア国だ。基本人間族以外何でも住んでおり、その中でも多い種族が悪魔族と獣族であろうか。その二つでさえ多種多様な身体的特徴を持つ者が居る為、一概にこれだ!と説明は出来ない。
グラシィアでは力が全てであり、国王やその他側近や貴族等は凄まじい武力を保持しているとか。国王は常に“魔王”と呼ばれ、多種多様な種族をひっくるめた魔族を束ねる頭脳と武力を持ち合わせる者、というのが語源になっているらしい。
因みに俺の母親である魔王は九代目であり、かれこれ五百年は務めていると言っていた。それを聞き驚いていた俺を見て、エルフ族や悪魔族は寿命が極めて長いのだ、と説明してくれていた。
何気に俺の師匠である四人、サタンさん、マモンさん、ルシファーさん、ヘルさんは“四極星”と言われる魔王の次に強い人らしく、初め聞いた時は嘘だと信じなかったが、その次の日に近くの無人島を一つ消滅させたのを見せられて信じることにした。
その後母親にこっ酷く叱られていたのは言うまでもないだろう。
人間族の王と魔王は常に敵対していて、つい二百年前までは戦争の真っ只中だったらしい。しかし、戦争に飽きてしまった母親が人間族の城に一人で殴り込みに行き降伏勧告を下しに行ったそうだ。初めは抵抗したものの、余りの力の差に愕然としそれを飲んだと。別段人間族側に何か求めるということも無く“戦争飽きた”と言っただけのようなので、あちらさんはホッとしただろう。
いつもマモンさんに修行の前座としてこの話を聞かされている為、嫌でも暗記してしまう。恍惚とした表情で話すその姿は犯罪者を想起させるには充分で、いつ見ても吐き気がしてしまう。初対面では一番まともそうだったのに、蓋を開ければ一番酷かった。
そうこう考えていると、不意に魔力が揺らいでしまった。しまったと再び無の境地に陥るが、少し遅かったようだ。背中から腹部を貫くような痛みが走り、全身の体温が一気に上昇する。あまりの痛みに蹲ってしまい、その隙に後頭部に重みが加わる。
抵抗できずに床に顔がめり込んでしまい、出ている耳に声が届く。
「休憩がてらとは言ったが、遊べとは言ってないぞ。魔力循環すら真面にできんのか」
言葉を発する度に俺の頭を踏みしめるサタンさん。しかし、頭に痛みは全く感じず、腹部の痛みが増していく。恐らく貫手でヤられたのだろう、周囲には微量の魔力痕も発見できない。
次第にサタンさんの声も遠くなっていき、身体から体温が奪われていくのが分かる。力のなくなった俺を見て焦ったであろうサタンさんは、声を荒げながら何かを言っている。
それが助けようとしてなのか、不甲斐ない弟子を持ってしまった的な事なのかは分からないが、前者であれ後者であれ、とりあえず頭から足を退かして貰えないだろうか。
それから時間が経たずに強制的に起こされた。ここは血液不足で倒れてしまった弟子を安全な場所へ運んで介抱してくれるのがテンプレートではないのか。
不満顔の俺を見てサタンさんは鼻を鳴らす。
「阿呆が。修行開始もしてないのに休ませるかよ。これからが本番だ。さっきみたいに少しでも気を抜いてみろ、次は貫通だけじゃ済まないぞ」
厭らしい笑みを浮かべて言われる脅しは、ある意味最も怖い脅し方に入るのではないだろうか。
色んな意味で震えあがり、裏返った声で返事をして立ち上がる。
屈んでいたサタンさんも勢いよく立ち上がると、肩を鳴らしながら全身に魔力を流していく。
これは先程やった魔力循環の応用というか、実践編のようなもので“身体強化”と呼ばれるものだ。全身に隈なく流した魔力により身体能力を爆発的に伸ばす効果がある。その他にも“部分強化”というものもあり、これは先程の魔力循環の時に俺がサタンさんを視ていたものに当たる。簡単に言うと目を強化し視力を上げる、脚に強化して速く走れるようにする等だ。