第3話:遭遇
「くそッ!なんで俺がこんな目に合わなきゃいけねぇんだ!」
悲鳴に近い悪態が口から溢れ、過ぎ去っていく景色に溶ける。
草木によって肌を切り裂かれようとも気にすることなく、唯々、無我夢中に走った。
後ろから迫る【死】そのものから逃げるために。
ーーーーーーーーーー時は僅かに遡るーーーーーーーーー
「頭領!あそこに小屋がありやすぜ!」
小汚い格好をしたスキンヘッドの男が暗い森の中で木々の隙間から見える光を指しながら声を上げる。
俺たちの中で特に目がいいこいつは逃げ出した奴らを捕まえるときにかなり役に立つ。
もともと冒険者でスカウトととして生計を立てていたこいつを引き抜いたのは今でもいい判断だと自分でも思う。
「あぁ見えてる。お前ら、分かってるな?今度こそ逃すんじゃねぇぞ」
だが、あの白髪に逃げられたのは今回で2度目。
珍しい白髪だからとっておきの[隷属の首輪]をつけたというのに、不良品をつかまされたのか首輪は簡単に壊れ、あれは逃げ出した。
逃げ出したあとすぐに捕まえたあれの前で、見せしめに両親を殺した時の悲鳴はいい気味だったが、その後に狂いやがったのか素手で鉄の鎖を引きちぎって再び逃げ出しやがったのだ。
その時何人か手下が足止めしようとして死んだが、あれを捕まえて売り捌くことができたら手下が何人死んだとしてもどうってことない。
あれにはそれほどの価値がある。
「あのガキは珍しい白髪だ。傷物でも高く売れるはずだ…」
例え片足が潰れようが、片腕が捥げていようが、顔さえ綺麗に残っているなら必ず高値がつく。
俺が合図を出したながらゆっくりとこやに近づく。その歩みに合わせて、周囲の男達も散開していき、俺が小屋の前に立っている時にはすでにドアの前に立つ俺の後ろに2人、左右の窓に1人づつ、そして俺の反対側の壁に1人立っており、完全に小屋を包囲していた。
「居なかったら、金目のもん全部奪って火つけるぞ。どうせ空き家だろう」
頭領の言葉にニヤリと笑って、男達は頭領が腕を振り下ろすと同時に、窓を蹴破り中へと入っていく。
ドタバタと小屋の中から聞こえてくる音に、頭領は顔を喜楽の表情に歪めているが、不意にピタリとその音が止んだ。
醜悪に歪んでいた頭領の顔に疑問と不満が満ちる。
「…見てこいカルロ」
自分の後ろに立っている男の内の1人に声をかける。もちろんだが拒否権はない。
「……(コクリ)」
カルロと呼ばれた男は、一瞬嫌な顔をしたが、頭領から無言の圧力を受けて仕方なく頷く。
カルロと呼ばれた男は、足音を出さずに割れた窓から侵入する。
そして、自分の足元にある灰の山に首を傾げるが、危険はないと判断し、玄関へと向かう。
予め決められている[安全]を表すリズムでドアを小さく叩き、外にいる2人に合図する。
「…ニャー」
「ッ!?」
が、先ほどまでだれも居なかったはずの部屋の中から、突如として猫らしき鳴き声が響く。
その鳴き声からなんとも言えない寒気を感じたカルロは、腰から武器を抜き放ちながら素早く振り向き…ソレを見て硬直する。
この世界において、誰でも、子供でも知っているお伽話。それに出てくる【死神の使い魔】、それを彷彿とさせる。いや、それ自体であるとすら思われる姿をしているヤツがそこに居た。
「…グリムリーパー」
そう呟いた瞬間、何かがカルロの心臓へと突き立ち、カルロは痛みを感じる前にその鼓動を止め。文字通りに塵と化した。
カルロからの信号を受け。頭領は、ドアを開く。その時に、微かにカルロの声を聴いた気がした。
「ッ!?ゴボッゴボッ!!!なんだこりゃあ!?」
だが、突如として目の前が真っ白になる程の埃が舞い上がってきたため、頭領は盛大にそれを吸い込んでしまった。
「お、おい!カルロ!何処だ!?」
多少噎せながらもカルロの名を呼ぶが、返ってくるのは家の壁に反響する“自分の咳”だけだった。
1番最初に乗り込んだはずの2人の声、足音だけでなく、カルロの声も聞こえない。
そして、自分の後ろにいた男も灰を吸い込んでいるはずなのに、その咳どころか息遣いすら聞こえて来ないことに、頭領は気が付いた。
家の中から漏れる光に照らさせる頭領の顔からすーっと血の気が引いて行く。
噎せた時の赤い顔色から青へ、終いには顔全体が白っぽくなってしまった。
「く、くそっ!こんなところに居られるかっ!!!」
気が動転した頭領は、一目散にここから逃げ出そうとするが、
「く、くそっ!?なんでだっ!動けねぇ!?」
まるで杭で打ち付けられたように片足がピクリとも動けないのだ。
「…ニャア」
恐怖によって自分の意志では下を見ることすらできなかった頭領だったが、体が急に足元から聞こえた鳴き声に反応し、下を向いてしまう。
その瞬間、いや、正確に言うなら、ソレが視界に入った瞬間。
頭領は、微かに聞こえていたカルロの声が何と言っていたのか、ハッキリと理解した。
「ひっひぃい!!!」
先ほどまで荒くれ者どもを率いていた人間が発するにしては、あまりにも非力な声を出しながら、頭領は身体を引きずるように這いずってでもこの場から逃げようともがき始める。
指が傷つき、爪が割れようとも、逃げたいという意志のみが頭領の脳内を支配する。
身体をねじり、足を動かす。腕を振り回し、声を上げる。
無我夢中でもがいていると、急に足が自由になった。
血が滴る手を地面につき、何度も転びそうになりながらも、一目散に走りだす。
その頭の中は、もう既に逃げることしか考えられなくなっていた。
”何故、逃げれるようになったのか”
などは、一切考えようとすら出来なかった。
自分の姿を見てからというもの、女の子を追いかけているらしい男どもが、まるで化物でも見たかのような反応をしてくることに、少なからず怒りを覚える。
ただの黒猫だぞ?大の大人がびびるなよ。
最後の一人となった男に、いたいけな少女を傷つけたことに対する怒りをも込めて、今ある全ての不満をぶつけることに決めた。
『そのためにも…今しばらく、遊ばせてもらおうか』
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そして、時は始まりへと戻る。
時折、耳元を掠めるように透明の何かが後方より飛翔し、近くにある物を切り裂いていく。
当たるようで当たらないギリギリのところを飛翔するソレに、頭領の心はドンドンと確実にすり減らされる。
次第に正気を失っていった頭領は、
「クソッ!クッッソォオオオ!!!来るな!俺の傍に近寄るなぁあああ!!!」
と、狂ったように叫び声をあげると、背後に向けて魔術を無差別に放ち始める。
頭領の放った火の魔術は、辺りの木々にぶつかると、大きな音を立ててはじけ飛び、周囲を紅蓮に染め始める。
炎は辺りの木々を燃料に、ドンドン勢いを増していく。
もはや、一人の人間でどうこう出来るレベルを超えていた。それは、この現象を引き起こした頭領も同じであった。
「はっ、ははっ…これで、全部終わりだ」
酸欠によって意識が遠のいていくとともに、冷静さを取り戻した頭領の口から、微かな笑みとともに後悔するように小さく声が漏れる。
自分の死を確信した頭領は、おもむろに懐から淡く光る液体の入った瓶を取り出して飲み干す。
そして、震える両手で剣を手に取り、後ろから近づいてくる相手に対峙する。
「最後の足掻きだ…一太刀くらい入れてから死んでやらぁ」
先ほどまで傷だらけだったはずの体にはどこにも傷が見あたらない。
それどころか、頭領の筋肉はボコボコと泡立つように膨れ上がっていき、次第に彼の体は人の形を超えつつあった。
目は血走って方向が定まらず、ピクピクと痙攣する口角からは人のものとは思えない牙が顔を覗かせている。
まるで魔物であるオーガのような姿になった頭領は、先ほどまで両手で持っていた大剣を片手で振り回す。
その風圧だけで周囲の木々は薙ぎ倒され、その場に空間が出来上がった。
「さぁこい!俺は逃げも隠れもしないぞ!」
怪物は咆哮をあげる。
そこには人とも魔物とも違う、断りから外れた何かが立っていた。