◆第三話『淫魔のプリムたん』
チャロを一旦帰らせたあと、ワシはコガラシを伴って地下十階にやってきた。
十階にはワシの部屋のほか、ダンジョンパズル。あとは魔物召喚の間がある。
いまはその召喚の間へと向かっているところだ。
「奴はひっじょーに燃費が悪くてな」
「もしや大量の魔力を必要とするのでござるか?」
「魔力ではない。精力だ」
「ふむふむ、精力でござるか……って、なぁっ!?」
静かな通路にコガラシの声が響き渡る。
「そ、そそそそれはもちろん肉体的な意味ということでしょうかっ!?」
「いや、性欲的な意味だ」
「――せ、セイヨクっ!?」
ウブなコガラシのことだ。
こんな反応をすることはなんとなく読めていた。
恥ずかしさゆえか、ぎこちない歩き方をするコガラシ。
そんな奴へとこれから会うことになる魔物の種族名を伝えた。
「なにしろ奴は淫魔……サキュバスだからな」
◆◆◆◆◆
召喚の間に辿りついた。
部屋はボンバーが入っても余裕があるほど広い。
中央の床は少し盛り上がっており、五芒星の魔法陣が描かれている。
入口から向かって左手側の壁に面する格好で置かれた石造の机。
その上にチェスの駒のようなものが幾つも並んでいる。
「ラング様、それはいったい?」
「これはモンスターピースと言ってな。魔界から人間界に魔物を召喚するために必要なものだ。高かったのだぞ、これ。特に今から呼び出す奴はな」
ピースの一つを手に取った。
大きな翼を背から生やした以外は人間の女性と大差ない形状のものだ。
ワシはそのピースを魔法陣の手前にある台座に乗せる。
と、魔法陣がほんのりと青く光りだした。
燐光がちらつき、上方へと昇っていく。その間に台座に置いたモンスターピースと同じ形状のものが魔法陣上に現れた。
大きさはワシとコガラシのちょうど中間程度。
特徴的なのはやはり背から生えた翼。
こめかみから生えた一対の角だ。
あとは肌色も含めて人間の女性と変わらない。
強いてほかに特徴を挙げるなら腰まである長い紫の髪。肩やへそ、太腿があらわになった露出度の高い服や、しなやかな肢体だろうか。
こやつこそがワシが案内人に最適だと思った魔物。
淫魔のプリムだ。
魔法陣の光が止むと、プリムが気だるげに「んぅっ」と伸びをした。
豊満な胸がぷるりと揺れる。
「……だぁ~れ~? わたしを起こしたのは~」
「誰もなにもワシしかおらんだろう。超絶イケメンのラング・マ・オーベルだ。久しぶりだな、プリムよ。実に百年ぶりか」
「ううん、百年と二十三年よ。久しぶりね、ラ・ン・グ」
甘ったるくて耳にまとわりつくような声だった。
思わずぶるりと体を震わしてしまう。
そんなワシを見てプリムが愉快そうに笑んだ。
「それにしてもどうしたのぉ? わたしを呼び出すなんて」
「ちと頼みごとがあってな」
「なぁんだ。つまんないの~。久々にわたしが欲しくなったと思ったのに……」
「それは断じてない」
「えぇ~っ! ちょっとそれはないんじゃない!?」
「そもそもワシとお前、なにもしてないし」
「あら、なにもしてないってことはないでしょ……?」
言って、プリムは自身の唇に舌をぺろりと這わせた。
瑞々しい唇が誘うように艶を増す。
その蠱惑的なしぐさにワシは思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
し、静まれワシ。
奴は淫魔だ。
あんなしぐさはいつもと変わらん。
奴は淫乱。
奴は淫乱。
奴は淫乱。
そう心の中で何度も唱えるが、ワシは思わずプリムの唇に釘付けになってしまう。それが楽しくなったか、あやつはその細い腰を艶かしくくねらせた。さらに両腕で胸を寄せ上げ、見せつけるようにして強調してくる。
「ふふ……」
ワシが奴の体に魅了されていると、「ラング様っ!」とコガラシの声が部屋に響いた。
「このお方は、そのっ、ラング様の奥様なのでしょうかっ」
「な、なにをいっとるっ! こんな淫乱ワシに相応しくないわ! ワシは純情な奴が好きなのだっ!」
「ちょっと、その言い方ってひどくない? わたし、こう見えてラング一筋なんですけどぉ~!」
すっかり拗ねてしまったようだ。
プリムが唇を尖らせたながらそっぽを向いた。
「あ~もう今ので拗ねちゃったもんね~。頼みごとあるって言ってたけど、聞いてあげないもんね~」
「そう拗ねるな。今のはほんの冗談ではないか」
「つーん」
聞く耳持たずといった様子だ。
どうしたものかとワシが手をこまねいていると、プリムがコガラシのほうをちらりと見やった。なにやら眼光が鋭い。
「っていうか、ラング。その怪しいのなんなの? 人間のにおいがするんだけど」
「人間のにおいもなにも人間だ」
「なんでそばに置いてるの?」
「こやつは忍者という不思議な職業をしておってな。面白い上に優秀なのでそばにおいておるのだ」
「こ、コガラシと申します! 以後、お見知りおきをっ!」
ピンと気をつけをしたコガラシがそう叫んだ。
「ふ~~ん」
プリムが気のない声を漏らすと、品定めでもするかのようにコガラシを間近で観察しはじめた。すんすんと匂いを嗅いだり、つんつんと肉の感触をたしかめている。
その間、コガラシは緊張からかガチガチに固まっていた。
満足したのか、プリムがコガラシから離れた。
「ね、ラング。頼みごと聞いてあげてもいいけど。こっちの要求ももちろんのんでくれるのよね?」
「要求とは、まさかアレではないだろうな」
「そのまさかよ」
によによとプリムが笑う。
アレとは……。
言うなれば、すごくいかがわしいことだ。
コガラシが首を傾げる中、ワシとプリムの交渉がはじまる。
「……週一だ」
「だーめ。毎日」
「無理だ。ワシの体がもたん!」
「毎日じゃないとしんどくなっちゃうし、それにお肌の艶だって保てないもの」
「動いてないときは寝ておけばいいだろう」
「そんなのつまんないじゃない。どうせ起きるならラングと一緒にいたいのっ」
甘えたような声で訴えてくる。
慕われた上での言葉だ。
悪い気はしない。
だが、プリムに関して言えば手放しで喜べはしない。
代償が大きすぎるのだ。
「ぬぅ……五日」
「毎日じゃなきゃやーだ」
「三日だ。これ以上は本当に譲れん」
「むぅ……まぁ、しょうがないか。それで許してあげる」
はぁとため息をついたものの、プリムは見るからにご機嫌だ。
「ラングは相変わらず部下に甘々なのね。そういうところ大好きよ」
「お前がわがままなだけだ」
「ふふ、照れちゃって」
ワシは部下に甘いのではない。
器が大きいだけだ。
そんなことを心の中で思っていると、プリムがゆっくりと近づいてきた。
なんの前触れもなく正面からしなだれかかってくる。
押しつけられたたわわな胸がふにゃりと崩れる中、プリムが背伸びをして口を突き出してきた。ぷるんとした唇が動き、言葉を発する。
「それじゃ早速、いただきまぁ~~す」
「ま、待て。まだ心の準備が――」
「あぁ~む」
プリムの柔らかな唇がむにゅっと押しつけられた。
ワシは思わず「むぉっ」と変な声を出してしまうが、プリムによってすぐに遮られた。口を離すことを許さない。そんな心意気さえ感じるほど口に吸いついてくる。
時折、唇が離れるたびに甘い吐息が鼻腔をくすぐってきた。
淫魔の吐息は相手を惑わす匂いを持っている。
それもあってワシは頭がくらくらした。
プリムを離そうとしても体に力が上手く入らない。
「な、ななななぁ~~~~っ!?」
驚愕するコガラシの声が召喚の間に響き渡る中、さらにプリムによるキスが続いた。それは恋愛感情からくるようなものとはとても言いがたい。貪るといったほうがしっくりくるものだった。
口の中がプリムの唾液の味で一杯になった頃――。
ようやくワシはプリムから解放され、ぐったりと床に倒れ込んだ。
「ぷはぁっ……ごちそうさまでした」
プリムが満足そうに自身の唇を舌でぺろりと舐める。
オスであれば誰でも欲情しそうなほど艶かしい姿だったが、ワシはいっさい欲情しなかった。というか今は立ち上がる気力すらない。
「ほげぇ……」
ワシ、干乾びた。
プリムに大半の精力を奪われたのだ。
あやつを稼動させるためには精気を注入する必要がある。
その手段としてキスをしているのだが、何度体験しても慣れなかった。
プリムのような美しい魔物とキスできるなんて最高ではないか。そんな風にワシも初めてのときは喜んでいたものだが、今は恐怖でしかない。
もう今日は頑張らない。
明日から頑張る。
そんなことを思いながら、ワシが床に横たわっていると、顔を両手で押さえたコガラシの姿が映った。しかし、はっきり見てましたとばかりに指の間から目が覗いている。
「な、なにをしていらっしゃるのですかっ!?」
「なにってキスに決まってるじゃない。キ・ス」
「き、キスぅっ!! そ、それは愛し合う二人にだけ許されたものでしょうっ」
「あら、じゃあ問題ないわね。わたしとラングは愛し合ってるもの」
「ぬぁああっ!?」
コガラシが奇声をあげる中、プリムがワシにウインクをしてくる。
もう突っ込む気力すらない。
「それにしてもやっぱりラングの精気は濃厚だわぁ。上だけでもこれなんだから……」
プリムが頬を上気させ、恍惚の笑みを浮かべた。
その視線の先にいるのはもちろんワシ。
ついに食べられてしまうのかと思ったが、コガラシが短刀を構えながらワシをかばうように立った。
「こ、コガラシが御守りするでござるっ」
「冗談よ、冗談。わたしだってそっちはちゃんと気持ちが欲しいもの」
おどけた風にそう零すと、プリムが改めて伸びをした。
「ん~~っ……精気ももらったし、最高の気分っ。あ、そうだ。ラング、さっき言ってた頼み事ってなんだったの?」
そう訊いてくるが、ワシは「ほげぇ~」と変な声を漏らすしかできなかった。
プリムが嘆息する。
「ちょっと休憩したほうが良さそうね」
「ラング様、お気をたしかに! ラング様ぁ~~っ!」
コガラシの喧しい声が聞こえる中、ワシは睡眠という名の精力充電に入った。