彼女は、体験する。 ②
2
「ふむむむ……な、なかなか重い……ですね」
顔を真っ赤にさせ、両手でパンパンに物が詰まった一つのビニール袋を持つ片桐さんと俺は、夜の帰り道を歩いていた。
さらに通学カバンを肩にかけており、片桐さんのカバンの中には今朝、胡桃さんから受け取った荷物が丸々入っていることもあり、それも余計な負担になってしまっているはずだ。
「だから、俺が持つって。大変そうだし」
買い物が終わってすぐ、俺が二つの袋を持っていると、「私も持ちます」と言ってほぼ強引に持って行かれてしまった。
「だ、だいじょうぶ、れす……んんっ」
息み声に強いエロスを感じます。しかし、彼女はどうやら相当な負けず嫌いのようだ。
「しっかし、もう19時過ぎちゃったか……」
いつもよりは手早く買い物を済ませたつもりだったのだが、やはりこれぐらいはかかってしまうのか。片桐さんと二人で雑談しながらの買い物だったこともあって遅れたのかもしれない。
(まぁ一番は……あの切符のせいだけどな……)
むっ、と顔をしかめてあの忌々しい出来事を思い出す。今度からはICカードを使おうか……。そして、一生自分はスマートフォンには出来ないということを思った。
それから3分ほど歩いて、俺の自宅まで到着。ふう、とついついため息をつく。
「片桐さん、お疲れ様。ありがとう」
彼女を少しでも楽にしてやりたい俺は片桐さんからビニール袋を回収する。
「あっ!」
それをやられてどこか悔しげな片桐さんの声。
「ここまででも助かったよ。これ、相当重いでしょ?」
男の俺が持ってもずっしりとした重さを感じるぐらいだ。女の子が持てば余計に重く感じるに違いない。逆に、ここまでビニール袋を持って運んだ片桐さんは褒め称えられるべきだと思う。
「お、重くなんかなかったです……よ」
さっき重いって自分で言ってたじゃないっスか。
「まぁまぁ」
片桐さんの気持ちを宥めさせて、左手に持った先程まで片桐さんの持っていた袋を右手に回す。二つの袋を片手で持つと、高熱で倦怠感が出た時の体の重みぐらいの重さが右手を襲う。
解放された左手は、学生ズボンの左ポケットに突っ込まれた。がさごそと中を探して、取り出したのは小さな鍵。
「そんなところに鍵を入れておいて危なくないですか?」
「そうかな。俺はいつもこんな感じでポケットの中に入れちゃうけど」
「そういう軽い気持ちがのちのち後悔を招くことになるんですからね」
「片桐さん、何かあった?」
「うっ……」
目が泳いでます、完璧に。
「その……あぁっ! これだけは言えない!!」
顔に両手を当て、声を張り上げる片桐さん。
(ポケットで一体何が……!?)
気になりはしたが、それに話を突っ込むのは彼女のためにならないということを思い、取り出した鍵を家のドアの鍵穴に挿入した。挿入、という言葉がエロく聞こえてくるのはそういうお年頃だからです。青年とはそういうお年頃なわけですよ。今の言葉は忘れてよし。
続いて鍵を左へ捻るように回す。これでロックは解除されたはずだったが――
「……ん?」
俺は、ここでちぐはぐした何か――違和感を覚えた。
その正体は、ドアノブを回し、ドアを開けることで解決した。
「……えっ」
「どうしたんですか?」
「いや、鍵を開けたはずなのにドアが開かなくて」
ガチャガチャ。何度ドアノブを回してもドアは一向に開こうとしない。
「もしかして、最初から鍵が開いていたんじゃないですか? それを桜井くんが鍵を使って閉めてしまったとか」
「あー、なるほど。じゃあ鍵をもう一回挿して……」
左へ回す。ガチャりという音がしてから再びドアを開けようと試みる。今度は、いとも簡単に、すんなりと、そのドアは開いた。
「ホントだ。やっぱり最初から鍵が開いていたみたいだ」
「解決して良かったですね」
「うんうん。じゃあ早速入ろう……って」
――ちょっと待て。
「これ、おかしくないか……?」
「何がです? ドアはちゃんと開いたじゃないですか」
「そうじゃなくて、俺……朝は確かに鍵を閉めたはずなんだ。それなのに何で鍵が開いていたんだろう、って」
「閉め忘れだったんじゃないんですか?」
「いや、今日は絶対戸締りをしたのは覚えてるんだ」
俺の深刻な表情を見て、片桐さんが背筋に悪寒が走ったかのように体を震わせた。
「要するに、これは……」
「桜井くんが閉めたはずのドアを、誰かが開けた……」
俺は言葉にせず、深く頷く。何者かが、俺たちの外出している間に家へと侵入した恐れがある。
「もしかして、泥棒とか!?」
「うーん、どうだろう……? 俺の家に金目のものがあるとは思えないし……」
「だから、そのような軽率な考え方が命取りになるんですよっ! ここは警察を呼んで――」
「ちょっ! ストップ! 落ち着いて片桐さん!」
「これが落ち着いていられますか……!」
片桐さんは通学カバンを降ろし、小さめの収納スペースから桃色の携帯電話を取り出す。片桐さんは全体的にピンクのものが多い。って、そんなことを考察している場合じゃない!
「ちょっ、まだ通報するのは早いって!」
でも……と、片桐さんはそれでも意志を曲げなかった。俺は困り果てながらも、突然ピーン、と頭の上で豆電球が点灯した。
「そうだ、だったらこうしよう。家の中を見て明らかに何者かが侵入していた形跡があったら警察を呼ぶ。これでどう?」
我ながら名案である。今警察を呼んで勘違いだったとすれば、逆に今度は警察官がこちらを疑うはずだ。――君たちは高校生の男女で二人で暮らしているのか……? と。
詰まるところ、俺と片桐さんが二人で暮らしているという全てがバレてしまうのだ。それだけは避けたい。否、避けなければならない。俺の為にも、そして、片桐さんの為にも。
ちらっ、と片桐さんに視線を送る。彼女は、左手を顎に当てしばらくうんうん唸っていたが、やがて口元に微笑を浮かべて「それなら、それで」と俺の提案を呑んでくれた。物分りのいい子で本当に助かる。
「じゃあ、俺が様子を見てくるから、片桐さんはここで待ってて」
「一人で大丈夫ですか? 私も……」
言うと思った。その言葉を予想していたからこそ、それに対応した台詞を用意しておいたのだ!
「――ダメ」
まずはきっぱりと断りを入れる。恐らく、このあと、片桐さんはそれでも反抗してくるはずだ。それに対してさらに言葉を返す。それが俺の戦術である。戦術と言うのは大袈裟か。
「どうしてですか!? 私だって……」
「忘れてない? 俺は男で片桐さんは女の子なんだよ? 仮に結婚した夫婦が居たとして、妻を守るのは誰だと思う?」
「……妻自身?」
「自分の身は自分で守るタイプも居るだろうけど! 単純に考えてみてよ」
「……子供?」
「まだ子供は生まれてない設定で!」
手強いなこの子!
「片桐さんは『普通』を知りたいんだよね?」
「ふぇ?」
唐突過ぎた質問に、片桐さんが声を高くする。
「それだったら教えてあげるよ。男の人が女の人を守るということは――男の人にとって『普通』のことなんだ。だから、もっと俺を頼ってよ。片桐さんは可愛い女の子なんだから」
「……『普通』――そうですか。私、本当に『普通』を知らないみたいですね」
「それを知るためにここに来てるんだから、ここでたくさんそれを吸収していけばいいんだよ。――ってことだから、俺に任せてくれないかな?」
もう一度、それを尋ねる。
「……分かりました。お願いしますっ。でも、本当に気を付けて下さいね?」
心配しながらも答えは「YES」だった。
「――がってん承知の助!」
グッ! と右手の親指を立てて片桐さんに背中を見せる。ドアは開いたまま。廊下は真っ暗闇である。俺は靴を脱いでから抜き足、差し足、忍び足の盗人の技を使って――って、これじゃ俺が泥棒みたいじゃないか。ここは俺の家。俺が堂々としないでどうするよ!
きょろきょろと慎重になって周りを見るが、今のところ何も怪しいと思えるものはない。――と、思っていた矢先のことだった。遠き前方で、うっすらと光が漏れているのだ。
(あそこは……リビング?)
恐らく、リビングの電気が付いている。うっすらとした光は、扉を閉めていたつもりでも完全に閉まりきっておらず、その隙間から漏れたものだろう。
これで、何者かが自宅に侵入していることが確定した。よりによって俺の家に泥棒に入るとは思いもしなかった。ごくり、と唾を飲み込み、緊張感をほぐしていく。
俺は、そうしてからリビングの入口近くまで進んだ。扉の隙間近くで中の状況を知るために耳を傾ける。
「……」
まず最初に耳に入ってきたのは――音だった。笑い声のような音が聞こえてくる。これはテレビに間違いない。
(……テレビ?)
テレビがついていることが分かったが――なぜテレビをつけている? あなたさん仮にも泥棒さんでしょ? うちに侵入したんでしょ?
不思議になりつつ、さらに耳をすませると、今度は、「パリッ、パリッ」といった固い何かが削れる音とでも表現しようか。そのような音が耳に入った。
リビングにあるものでそのような音を出せるものといえば……
(もしかして……せんべい?)
一昨日、コンビニで購入した未開封のせんべいを、リビングのテーブルの上に置いていた。そのせんべいを口で噛み砕けば、似た音を出すことができる。
話を整理しよう。今、誰もいないはずの俺の自宅のリビングの電気がついていて、忍び込んだその人は、せんべいをかじりながらテレビを観ている。
(もしもーし、泥棒さーん! やる気あるんですかー!)
そう言いたくなってくる。
(いや、泥棒すんならちゃんと泥棒の仕事を全うしろって!)
もしかして、これは俺でも勝てるんじゃないか? いや、そもそも相手は本当に泥棒なのか? 人んち侵入しておいて俺があとで食べようとしていたせんべい食ってテレビ観てるだけの侵入者なんかに負ける気というものが微塵も感じられない。
(……よし)
突入、してみるか。俺は心の中でそう決心する。問題はタイミングだ。相手が偶然こちらの見ている時に――
(――そういえばテレビ観てるし関係ねえじゃん)
結論。相手は完全に隙だらけである。これなら行ける。俺は犯人に気づかれないようにして、まずは脱衣所へと向かった。
「これでよし」
俺がそこで手にしたのは洗面器だった。何というか、今回はこれで勝てる気がすると俺の中で判断したからだと思う。俺は暗闇の中、不気味に笑った。
――何か、やっぱり俺の方が悪役っぽくね? そんなことを頭で感じつつ再びリビングの入口へ。
「……」
後はタイミングを決めて扉を開け、この主人公最強の武器「洗面器」で犯人を攻撃して追い払うだけだ。一体俺は何と戦っているんだ。
それでもやるしかない。俺を待っている人が居るから……! 何言ってんだ俺。とにかく覚悟は決まった。
――5、4、3……口には出さずカウントを刻み込む。
そして。
「0っ!」
そのカウントが「0」を告げたと同時にリビングの扉を開け放つと、
「おい! そこで何をしてい……る……」
目が、点になる光景がそこにはあった。
「んー? って、祐助! お前遅いじゃねえか! どこ行ってたんだよ!?」
「……ゆう、じ?」
もう犯人の正体を隠す必要もない。榊原勇治。榊原勇治である。その榊原勇治が、俺の家でテレビを観ながらだるそうに寝転がりながらせんべいをかじっていたのだ。
「……う」
「……う?」
「――うわあああああああああああああああっ!!」
シャウト。そして洗面器を勇治に向かって躊躇なく投げ飛ばす。
「ぐほっ!?」
勇治の顔面にそれは命中し、そのまま彼は仰向けの状態になる。手に持っていたせんべいが床に落ちた。
「何してんだよお前!」
勇治を指差して俺が怒気を発すると、
「い……いや、うちの親が今日は出かけておりまして……その、夕飯がないからお前の家でご馳走になろうと……っ」
「これで」、と奴の手には俺の家の鍵――もとい合鍵があった。
「そうか……」
コイツには俺の家の合鍵を渡していたのをすっかり忘れていた……。俺は額近くに手を当てた。それは「頭が痛い」と言わんばかりのポーズだった。
「つーか一言ぐらい連絡入れろよ! いきなり来られても困るんだよ!」
「どう困るんだよ。いつも暇なくせに」
「そ、それは……」
言葉に困る。片桐さんのことを話すタイミングではないし。
「……あ」
「うん? 祐助?」
勇治が不思議そうな表情を浮かべる。
「忘れてた!」
この家には、昨日から勇治以外にも来客者が居ることを。
「何だよ、そんなにポテンシャル上げて……」
「桜井くーん! どうしたんですか、さっきの叫び声!」
どたどた廊下を走りながら聞こえてくるその声も、問題のお方である。
「ちょっ! ストップ! 止まっ――」
慌てて止めに入るも、既に時遅し。
俺、勇治の目の前に、その子は姿を見せてしまった。
「桜井く――――――――」
時間が、止まった。