彼女は、体験する。 ①
休みの日は寝るだけで午前中が完全に消失します。
1
「祐助は知ってるか?」
「うん?」
「噂だよ、噂」
昼休み、屋上でいつも通り勇治と昼食をとっている最中に勇治が問いかけてくる。俺は耳を傾けたもののそれが噂話だと聞いてどうでもよくなる。
そのままお茶の入ったペットボトルを口にくわえて流し込む。俺は、噂話が嫌いだった。
――いや、嫌いは言いすぎなのかもしれない。それでも、嘘か本当かも分からない話を聞くのは、何だか時間を無駄に使っているような気がしてどうも好きになれない。
(大抵はでたらめが多いしな……)
「実は今日の朝なんだけど……」
勇治が話し始めたが聞く耳を一切持たず、俺は言葉を受け流すように飲み物を飲み続ける。
「――校門の前にメイドが居たんだって」
「ぶはっ!!」
お茶吹いた。さらにお茶が変な気管に入って激しく咽せこんだ。その反射で涙が出てくる。
「げほっ……へ、へー、そうなんだぁ……」
とりあえず何も知らないふりをしてここを誤魔化すしかない。勇治に片桐さんのことがバレると確実にとんでもないことになる(主に俺が)のは目に見えている。
勇治は話を続けた。
「凄いよなー、メイドだぜメイド! 俺、見たことねえわ」
「そ、そんなめったに崇めるものでもないからな……」
「さらに、そのメイドはやっぱりうちの生徒のメイドさんだったらしいんだよ! 確か女の子だったかな」
「マジかぁー(棒読み)」
もうそこまで伝わってるのか……。これじゃ人物特定されるのは時間の問題かもしれない。
「しかもその女子生徒、彼氏持ちなんだそうだ。美人で可愛いらしくて、それに加えてメイドさんがいるお嬢様なんて、どんだけ充実した人生送ってるんだよって感じで」
「うーん……まぁ確かにそう思う人もいるけど、そうとは限らないんじゃね?」
手に持っているペットボトルを置いて、勇治の言葉に反論する。
「そういう見た目や人の評価では充実しそうな人生を送っているのかもしれないけど、それが本当はその人にとって辛いことかもしれないだろ」
「いや、その人に会ったことないし知らないけど……お前、会ったことあんの?」
「えっ」
やばい。つい口が滑って……! 冷や汗を額に浮かべて誤魔化す術を考える。
ガチャ。すると、ドアノブを捻って扉が開くような音が聞こえた。その音は恐らく、屋上の出入り口のためのドアからだろう。
――ドアが、開いた? 誰かが入ってくる。この屋上は俺と勇治と一部の生徒しか知らないはずなのだが……最近では俺ら二人だけで使っているし、俺たち以外でここを訪れるのは珍しいことだった。
「桜井くーん!」 、、、、、、、
しかもそれは俺の名を呼んだ。最近俺が一番聴いているであろう『高いソプラノ声』で。
(もしかして……)
もしかしなくても、それは。俺は顔を下に向けた。恐ろしくて顔を上げれない。
「桜井くん?」
「……」
そしてその声の主は俺と勇治の目の前にまでやって来ていた。
「お、おい祐助……? 呼んでる、ぞ……?」
「……」
最悪である。よりによって勇治が居る中で「それ」――片桐さんと出会ってしまうなんて。
「その、次の時間が古典でして……そろそろ私のノートを返してくれるとありがたいのですが……」
「…………………………どうして俺がここに居るって分かったの?」
ぼそっ、と呟くようにして片桐さんに問うた。もちろん顔は上げられないままで。
「桜井くんのクラスに行ってみたんですが、桜井くんが居なくて、そのクラスの方に聞いてみたんです。そうしたら『アイツならいつも屋上で昼飯食ってるよ』と教えてくださいまして、それでここまで来たんです」
「うん……分かりやすい説明をどうもありがとう」
屋上で俺が昼休みを勇治と過ごしているのはクラスの男子ならほとんどが知っている。それが仇となったか……!
「いえいえっ」
片桐さんは笑っている。もちろん彼女に一切の罪はないのだが、その笑いは俺に精神的ダメージを与える原因になりかねない。
「こ、古典のノートだったよね……それならここに」
持ってきたカバンを手に伸ばして、こちらへ取り寄せてからチャックを開ける。カバンの中で一積みされている教科書類のテキストの山の一番上に目的の古典のノートはあった。それを取り出して、
「はい」
「ありがとうございます。でもちゃんと宿題は計画的にやらなきゃダメですからね」
「はい」
「それじゃ、私はこれで。お食事中失礼しました」
「……はい」
礼儀よくぺこりと頭を下げてから、片桐さんは駆け足で屋上を去っていく。風と共に去るような、一瞬の出来事だった。ガチャン、と再びドアが閉まる。
「……」
「……」
「……今のは?」
「……忘れてくれ」
「……」
「……」
「……いやふざけんなよお前ぇ!!」
「ぐえっ!」
忘れてくれる――とは行かず、勇治に両肩を掴まれてぶんぶんと上下に振り回される。
「何だ!? 誰だ今の子!? お前、あんな可愛い子と知り合いだったのかよ!」
「し、知らないヨー? は、初めて話したし」
「嘘つけよお前! 知らない奴の古典のノートなんて借りるか普通!」
「巷ではそういうのが流行ってるんだぜ?」
てへぺろ。したを出してウインクとかしてみる。うん。我ながらキモイ。
この状況をどう切り抜けるか――ここで片桐さんとの関係を暴露するしかないのか、と追い詰められていた時、俺を救うかのように昼休み終了のチャイムが流れた。
これより10分後には5時間目の授業がスタートする。
「ほほほほほらっ! チャイム鳴った! 次の授業始まっちゃうだろ!」
「あと10分あるだろ」
「その10分を大切にしろって! 次の時間、小テストとあるかもしれないだろ?」
「次は家庭科だが」
「くっ」
顔をしかめて勇治から視線をそらす。と、勇治が俺の首を持って無理やり回転させられた。
「こっちを見ろ。人と話す時は目と目を見るのが常識だろ?」
「……あの、もしかして怒っていらっしゃる?」
「怒ってないぞ? 見ろ、この顔。笑っているだろう?」
「あの、その……目が笑っていないんですけど」
そう。勇治は笑っていた。――とんでもない殺意と怒りを加えて。
「それで? あの子とお前の関係は?」
「……い、いや、その……今日の朝に廊下でたまたま会って……」
何を言ってるんだ俺は。
「それで、向こうが困っていたからどうしたんだ、って声をかけたら数学の教科書を忘れたらしくて、俺がちょうど持ってたから逆に俺が今日忘れた古典のノートと交換してもらったんだよ」
嘘も嘘、大嘘だが、「嘘も方便」という昔からのことわざがある。目的のためなら嘘をつくことを神様は許してくださるだろう。
「それだけか? 本当に?」
うんうんうんうん。両肩を再び掴まれて逃げられない俺は、凄い勢いでぶんぶんと首を縦に振り続けた。
「なるほど。まぁ、それなら『アリ』か……」
と、ここで話を信じてくれたらしく、俺はようやく勇治から解放され、言葉の通り自由となる。
「いやぁ、焦ったぜ。祐助に彼女なんて出来るわけないし何かと思ったけど……なんだそんなことか! アッハッハッ」
アッハッハッじゃねえよ。何気お前失礼な。
「って、5時間目!」
「お、おーそうか……急がないとな」
1時間目のように遅刻することは許されまいと気づいた俺が屋上に設置されている時計を見て叫ぶ。それに刺激されて勇治が弁当やら何やらを自分のカバンに突っ込んで準備を済ませる。「よしっ」と満足そうな勇治の呟き声を聞いてから、俺たちは走り出す。
「そういえばさ」
「あん?」
屋上からの階段を下りながら俺がそこで思いついたことを口にする。
「――お前って何組だっけ?」
「なにが?」
「……クラス」
「1組、だけど?」
「そっか……」
片桐さんは確か2組だと言っていた。勇治とは違うクラスのようでひとまず安心だろう。同じクラスだった時のことを思い浮かべるだけで悪寒が背筋を走る。
「んじゃ俺、そのまま家庭科室に行くわ」
「あ、ああ……ってカバン持ったままか?」
「何とかなるって! んじゃ、また放課後なー」
背中を見せて左手を大きく挙げながら適当な決め台詞を残し、勇治はやがて見えなくなる。
やれやれ。何だか今日はまだ昼なのに疲れた。そんな疲労感を感じつつ、自分の教室まではダッシュを続けよう。そう思った。
◆
また放課後、と勇治は言ったが、俺から「今日は用事があるから先に帰ってる」とメールを送り、片桐さんと一緒に制服のまま隣町のデパートに買い物に向かうべく、「富士見平高校前」の駅のホームで二人ベンチに腰掛け、電車を待っていた。
オレンジ色の夕焼けが目に眩しい。あと一時間もしないうちに日が沈んでしまうのがどうも悲しく感じる綺麗な情景だった。
(でも、まさか……)
俺は驚愕を隠せずにいた。
それの要因となったものは、数十分前の出来事にある。
電車に普段から乗るわけではないので、定期もICカードも持っていないために切符を購入しなければならなかった。幸いなことに切符売り場には一人も人は居ない。
「えっと、一駅だから……130円かな」
財布からじゃらじゃらと小銭が触れ合って音が鳴る。小銭を覗き込むが、俺に関しては細かいものがないのでお札で払わざるを得ないようだ。
「片桐さんは130円ある?」
「えっ、130円ですか? えっと……」
俺に言われてから小さく可愛らしいピンク色の財布を片桐さんが取り出して、その中を覗く。
「多分……あると思います」
「じゃあ切符を買おうか。130円のものを買ってね」
そう言うが、片桐さんはそわそわとするだけで動こうとはしない。
「……どうしたの? 買っていいんだよ?」
彼女を心配して声をかけると、片桐さんは「えっと……」とまごついているようだった。
「その、私……電車にこうやって乗るの初めてで……買い方がよく分からなくて」
「えっ、そうなの!?」
「お恥ずかしい……」
片桐さんが頬を赤く染めて両手でそれを隠す。
「いや全然いいんだけど、普段はどうやって出かけてるの? どこか行くことってない?」
「うーん……自家用ジェット機でよくイタリアなんかに行きますかね」
「規模が違いましたごめんなさい」
自家用ジェット機って実在するものだったのか、と感心してしまう。
「――ぷっ」
そうしているうち、俺は堪えきれずに吹き出してしまう。
「私、何かおかしいこと言いましたか?」
波形に縮れた片桐さんの長い髪が彼女の動きと同時にふわっと揺れる。
「なんかイタリアに行くような子が電車で隣町で行けないって、そういうギャップがおかしくって、つい……さ」
「もうっ、からかわないで下さいっ」
「ごめんごめん。やり方教えるからやってみなよ。簡単だからさ」
ぶうっ、と子供のように頬を膨らませて怒る片桐さん。
(何だか木の実を口に無理矢理入れて膨らませているリスみたいだな……)
何だか可愛らしいなぁ。苦笑して俺は切符の飼い方をレクチャーする。
……と言ってもお金を入れて画面をタッチするだけなんだけど。
俺が言ったとおりに130円を小銭で投入して画面に表示された金額の「130円」を彼女の小さな人差し指が触れた。そうしてから、ぴー、ぴーとけたましいサイレンのような音と一緒に切符が出てくる。
「か、買えたぁ!」
嬉しそうに無邪気そうに笑って、切符を手に取る彼女の表情はどこか満足気だ。
「ね? 簡単だったでしょ? これで帰りは一人で買えるね」
「はいっ」
手にした切符に目を輝かせる片桐さん。それは何か珍しいものを見ているような感じがした。
「さて、じゃあ俺も買っちゃうか」
ちょっと待ってて、と片桐さんに伝え、(この時もまだ切符を崇めるように見ていた)俺が1000札を財布から出して投入口へ。ウィーンという機械音のあと、野口は吸い込まれていった。
「さーて130円――っと」
俺は笑顔で「130円」と表示されて光っている部分を指でタッチする。
――すると、なぜか「130円」の下の「960円」が反応して、切符と一緒に40円のお釣りが吐き出された。
「……?」
ひきつった笑いをして首を傾げる。切符を手にしてみると、それにはやはり130円でなく「960円」と書かれている。
『お前ってさ、タッチパネルに嫌われてるよな』
頭の中で腐れ縁の友人の声が再生された。
「なぜだぁあああああああああ―――!!」
「?」
切符を地面に叩きつけて叫ぶ俺を、不思議そうに様子を伺うように見つめる片桐さん。
――駅員に「130円」の切符と取り替えてもらえばいいんじゃね?
どこからか聞こえてきたそれは、天使のささやき。
(そうだ、その手があるじゃん!)
らんらんらーん、と救われた気持ちで足取りは軽く、スキップで「駅事務室」へ。
「すみませーん、切符間違って買っちゃったんですけど、取り替えてもらえますかー!」
……。
…………返事が無い。ただの屍のようだ。そんな有名な文章が思い浮かんだ。
「すみませーん……」
やはり反応はない。そして、その代わりに俺の目が事務室の入口に「夕食中です」と書かれたプレートが立ちたれているのを捉えた。
「いやふざけんなよ! 働けゴラァ!」
そして夕飯早すぎんだろ! まだ17時過ぎだぞ!
そんなもんで給料貰えると思うなよ! ゆとり舐めんじゃねえぞ! とゆとり教育を受けてきた17歳の男子高校生は必死に訴えるのだった。
――結局、駅員に切符を取り替えてもらうのに30分ほど時間を要し、今に至る。
『まもなく1番線に電車がまいります。黄色い線の内側まで――』
先程のことを思い出しているうちに、電車到着のアナウンスが駅構内に流れる。おかしいな、時刻表を見るにまだ電車が来る時間帯ではないのだが。
「来ましたね!」
それを疑わない片桐さんがベンチから腰を上げた。アナウンスの指示通り、黄色い線の内側で舞い上がって右手を挙げる。すっかり興奮しているようだ。
「さぁ! 乗りましょ――』
プァアアアアアアアン! ガタンゴトン――!!
「……」
「……」
彼女の声は、到着した「通過電車」にかき消された。片桐さんは電車が駅から遠ざかって見えなくなっていった後も、固まって動かない。
「……桜井くん」
「はい」
ポーズは同じまま、片桐さんの声が聞こえてくる。
「人は皆、あんな速いものに乗り込むんですか……?」
「……大丈夫。それに乗れるのは超人だけだから」
「……そうですか」
「……うん」
5分後、俺たちは駅に停車した「各駅停車」に乗り込んだ。
僕もタッチパネルには嫌われていまして、駅の切符売り場で同じような状況になってリアルに引きつった笑い「(´^ω^`)←こんな感じ」になりました。
俺が何をしたんだ……ッ。