少年少女は、出会う。 ①
どこにでもあるような何の変哲もない普通かの高校『私立富士見平高校』の2年生となった俺の日常は、「平凡」で始まり「平凡」で終わる毎日だった。
俺は、退屈していた。
「ぞ、なむ、や、か、こそ……これらが係り結びだとは1年生で習ったな――」
退屈しているのは、今リアルタイムで行われている古典の授業のことでもあり、俺の人生を評価したものでもある。
春。桜の花は既に散り始め、少しだけ太陽が夏に近づき始めたGW明けの5月の教室。窓側の席という絶好のポジションにある俺、桜井祐助は、教師にバレないように小さく欠伸をした。
この古典の授業が終われば、少年少女は勉学漬けの1日から開放される。昔に書かれた書物、または転じて、いつの世にも読まれるべき価値・評価の高い書物のことを総称して『古典』と呼ぶらしいのだが、それは現代人の俺から言わせてもらうと嘘っぱちにしか聞こえてこない。少なくとも俺は、昔の話に興味も好奇心も寄せちゃいない。
「では復習がてら例文で係り結びをおさらいするぞ――」
カッ、カッと濃い緑色の黒板に白チョークがあちらこちらと踊りだす。そのチョークが作り上げていく文章の羅列が、俺を夢の世界へと誘っていく。
「……っ」
半目になり、ついには目蓋を閉じて――――。
「平凡」で始まり「平凡」で終わる毎日。それは、毎日が平和ということを表すシンボルになる。
言い換えれば、特に優れたところがない「普通」の日々。
そこには、血湧き肉踊る何かしらの「刺激」が欠乏していた。
◆
「んん……」
1日蓄積した疲労を思い切り伸びをすることで吹き飛ばす。
結局何もないまま、俺は放課後を迎えた。いやいや、高校生こそ放課後からむしろ1日がスタートしても過言ではない部活動があるじゃないか!
用意するもの、帰る支度を済ませた通学カバン、自分の足。以上。
準備ができれば、後は黙っておうちへGO! ――とどのつまり、帰宅部に所属している桜井くんなのであった。自分で言うと何だかすごい惨めになってくる。
と、いうことで。やることもないのでここで自己紹介でもするとしよう。俺の名前は桜井祐助。高校2年生。7月に17歳になる。
父を幼い頃に亡くし、今の今ままで俺を育てたのは母と言ってもあながち間違いではない。
恋をしていますか? ――いいえ。
部活に入っていますか? ――入っていません。
と、高校生活の中での「青春」の代名詞、恋愛も部活動もしていない。生徒会に所属しているわけでもなければ勇者になって世界を救ったこともない。救う予定もない。何もかも平凡――「普通」なのだ。もうそれで全ての説明がついてしまう、そんな人生を送ってきた。
そんなことをしているうち、階段を下りて自分の靴のある下駄箱にまでやって来た。そこで、俺の目にはいつもの日常が映る。
「よう、今日も遅かったな」
「俺たちのクラスの担任はHRが長いんだよ」
夢も希望も見ていない目を持つ俺とは180度変わって、チャラチャラチャラチャラという効果音が似合いそうな男が右手を挙げながら棒読みの文句を垂れてきたので、とりあえず遅れた理由をうちの担任のせいにしておく。合掌。アーメン。ナムサダン。
ついでなので紹介しておくと、コイツは俺の古くからの友人である、榊原勇治という。俺とはクラスが違うが同級生である。女が好き。俺の中では「勇治」という名前を「遊女」という名前に改名した方がいいと思っている。
「お前、寝癖ぐらい直せよ」
「いや、これワックスだから」
顔はイケメンと呼べるものに分類されるとは思うのだが、何せ恋愛に「(笑)」がついてしまう俺と幼なじみがあるがゆえに女子からはモテていない。御愁傷様で候ふ(←今日の古典で習った表現を引用)。いや、と言うか頑張り次第ではモテるんだろうけど、
「いやー、今日小テストでひっでー点数とったから明日補習が入っちまってさー」
まずは馬鹿を治せ。薬はドロップいたしません。とりあえずコイツの「明日補習なんです報告」は耳がタコになるどころかイカに突然変異するんじゃないかというほど聞いたことなので、「へー」とだけ言葉を返しておく。
「勇治は女の子が好きなんだろ?」
「おうっ!」
答えるの速ッ!? チーターも顔負けしたんじゃないだろうか。
「ホント、お前ってモテそうな顔つきしてるのにな」
「そうなんだけどなー」
いや、そこは否定しろイケメンとして。しかし世の中の女子たちは馬鹿なイケメン(逝けメンと書く)など欲してはいないのだ。現実は辛い。
我が校のシンボルである名前も知らない銅像が近くに置かれている校門を出て、のこのこと歩く俺と勇治。この富士見平に入学したのも「家が近いから」という至極単純な理由であって、特にここに来たかったわけでもない。
「それにしても俺たち――なーんもしないで高校生活の1年間を終わらせちまったな」
「……あぁ」
セーブもロードもリセットもできないZ軸まで求められる三次元であるこの世界から、時間からの解放は一切許されない。戻りたくても戻れない。無情に、そして無常に、時は今も進み続けている。
貴重な高校生活を、青春を謳歌するとはとても言えない状態のまま1年間ダラダラと送ってしまったことを後悔しないわけではない。
「俺さ、高校って三股くらいかけれると思ってた」
「お前の頭の中だと高校はホストか何かか?」
そんなあなたは桜欄高校へどうぞ。
「――テストも全部100点で」
「今時、進研ゼ●の漫画でもそんなこと起こらねえよ」
つーかお前、赤点取りまくってんじゃねえか。付言しようと思っていたことは心で唱えておきました。
「俺も赤ペンギン先生のお弟子さんになろうかな……なぁ祐助はどう思う?」
「赤ペンに弟子入りする前に赤点を無くせ、常習犯」
「勉強はしたら負けだと思ってる」
「そんなクソみたいなモットー掲げてる奴に赤ペン先生に弟子入りする資格はねえ」
俺も勉強は嫌いな方ではあるが。
「つーか祐助! お前が勉強を俺に教えてくれないから俺が赤点を取るんだぞ!」
「知らんがな」
「いつも教えてーってメールしても【できない】の一点張りだし」
「別に【ダメ】って言ってるわけじゃねえだろ?」
えっ……? 私の成績低すぎ……? と両手を口に当て、顔を青白くして困り果てるほど俺の成績は悪くないが、要領が悪い俺は他人に勉強を教えるスキルを身に付けていない。
「人に教えるほど頭が良くねえってことだよ」
「チッ」
ちなみに勇治は要領よりもタチが悪い。成績も悪い。それなのに顔は良い。よくわからない奴である。
「まぁ、俺も何かしらの刺激は欲しいかな」
「え゛っ」
目を見開いた逝けメン。今の「えっ」の「え」には濁点が付いている感じだったぞ。
「何だよ……?」
「刺激が欲しいのか……?」
◆
ほらっ! ほらほらほらほらっ! これか! これがええんかいな!
ムチの威力はどうや! これでもか!
おらおら! おらおらおら!
痛いか!? 気持ち良いか!?
◆
「……お前、いつからそんなドMに目覚め……」
「何考えていたのか大体予想できるけど、絶対違ぇからな」
そしてなぜ関西弁。
「え? ムチで叩く側?」
「Sでもねえよ!」
ちなみに服のサイズはMです。
「刺激ってのはアレだよ、こう括弧がつきそうな感じのそういう『刺激』だよ」
「あぁー、海草の」
「それ『ひじき』な」
「じゃあ食べ物を恵んでもらって――」
「『乞食』!? おい待て! どんどん遠ざかってるぞ!」
まずは落ち着いて素数を数えるんだ!
――そう言いたいのだが、この馬鹿のことだ。「1!」と言って場を冷たくするに決まっている。1を素数に入れてしまう間違いは定番ではあるのだが。
「むっ、何か馬鹿にされた気がするぞ……」
「馬鹿じゃないなら素数を低い数から順に言ってみろ」
「1」
「テンプレ通りすぎて笑えない」
俺の顔から笑いという笑いが消える。勇治が「むぅ……」と悔しげに唸る。
「でもまぁ、そう簡単に『刺激』なんて手に入らないか……」
「100均で売ってればいいのにな」
「便利そうだな。お前の脳内100円ショップ」
俺、勇治の後ろには夕焼けでできた俺たちの影だけが追う。
「せめて俺たちにもう一人女の子の幼なじみがいれば『刺激』も手に入るんじゃねえか?」
勇治がそんなことを提案する。
「いや、居ただろ。女の子の幼なじみ」
「え?」
女の子の幼なじみがいるというのは妄言に終わるのだが、正しく言えば「居た」。英語で言う動詞に「~ed」がつく、つまり過去形である。
「……小学校、中学校までは一緒だったろ」
「…………恵美のことか……。もういっそのこと恵美でもいいから女の子と学校帰りてえよ!」
「だから昔まで帰ってたじゃん」
俺が放課後居なかった時は勇治と恵美は二人きりでもよく帰ってたしな。
「――それは過去の女だろう?」
「その言い方何か気分悪いから止めろ」
中学校までは俺と勇治と一緒だった『恵美』だが、俺たちの適当な理由の受験とは次元が違う彼女は、頭もそこそこ良かったこともあって、有名な進学校に合格し、今はそれぞれ違う生活を送っているのだ。
「恵美も俺たちと一緒に来れば良かったのになァ」
「勇治の言うことも分からなくはないけど、アイツは家族を養う仕事に将来就きたいらしくて、今はその勉強をしたいんだと」
家族への恩返しをしたいそうだ。まだ高校生なのにそう思える恵美は家族思いのいい女の子なんだと思う。
「ふ――ん……」
まだどこか不満足気な勇治の応答の声。
「それなら、しゃーないのかもな」
「あぁ、しゃーねえよ」
こうして古くからの腐れ縁の勇治とべちゃべちゃどうでもいい話を駄弁り、俺たちは帰路につく。
こんな毎日の繰り返し。反復しているのに、時間だけは過ぎ去っていく普遍的な毎日。
その「普通」を変える「刺激」の足音が近づいていることに、俺はまだ気づかない。
◆
「ただいま」
その挨拶に対する返事は返ってこない。靴を乱雑に脱いで、まずは自分の部屋に通学カバンを置きに行く。お世辞でも広いとは言えないこの家に、今は俺一人しか居ない。
制服を脱ぎ、ジャージに着替えてからリビングへ。テーブルの上に置かれていたテレビリモコンを手に取り、主電源の赤いボタンを押す。プツッという音の後、テレビ画面に光が灯る。
「何かいい番組は……」
適当に1~12まであるだけのチャンネルを見てみるが夕方の番組というものはつまらないものばかり。古典の授業でたくさん睡眠をとったはずなのにまた眠気が俺を襲ってくる。
今こうして眠くなるのは、夜ぐっすり寝ても、徹夜をしても、朝はどちらにせよ眠いと個人的に思うがゆえに後者の方が人生の時間を有効に使えるのではないか、と考え夜寝るのはいつも遅めの方だからかもしれない。
「ふあぁ……」
大きく欠伸をして、目尻にうっすらと涙を浮かべる。
このリビングはどちらかというと洋風にできている。母が前に「セレブっぽことしてみたい」というくだらない理由だけで大金をはたいて購入した赤いソファにどさっと倒れるように寝転がって、何の抵抗もせずに目を閉じる。
今日の夕飯はどうしようか。何を食べようか――そんなことを薄れていく意識の中で確認しつつ、俺は再び眠りの世界へと墜ちていった。
「マジですか……」
目を覚まし、夕飯の準備をしようと冷蔵を開け、絶望したのは30分ほど前のことだ。寝惚け眼をこすって俺はコンビニにやって来ていた。
「ありやとうございやしたー」
バイトの若者の気怠そうな挨拶を聞いて、俺はコンビニを後にする。さっきまで夕焼けこやけとなっていた空は、すっかり暗く闇に包まれてしまっている。もうすぐ夏だと思っていたが、もう少し先のようだ。
右手には少し重くパンパンに今にも敗れそうなコンビニの袋。この中には野菜やらパンやら冷凍食品やらが入っている。これが俺の今日の夕飯と明日の朝飯になる。
ここのコンビニは俺の家から少し離れた場所にある。そもそもうちの周りに何もなさすぎるんだよな。このコンビニがもう少し近ければ――
「チャリの鍵、チャリの鍵ーっと……」
こうして自転車で来る必要も無かったろうに。夕飯が家から遠いけどチャリで一番近いコンビニへ。情けなく惨めな境遇にある自分を弱々しく、とほほ、と嘆いてみる。利益はもちろん生まれてこない。むしろ盗られた!
ガシャッ、と自転車の鍵を使いロックを外す。この自転車も見れば随分と古い。いつも世話んなってます。自転車を開発してくれたドイツのドライスさん、どうもありがとう。
相棒に跨って、ペダルを踏んで走り出す。カラカラカラ、とタイヤの音がやけにうるさい。この闇の中を進みにはあまりにも頼りない小さなライトがうっすらと前を照らす。正直何も見えない。未来も見えない。
「ッ……」
冷たい夜風をもろに浴びて、俺の短い髪がぼさぼさに揺れる。夜はまだ涼しい。むしろ寒い。誰だ夏に少しずつ近づいているとモノローグで言った奴は。ハイ、俺です。くだらない主演「俺」のモノドラマはここで打ち切られる。第二期はありません。
じとじととした目でぼーっと自転車を運転させること早数分。約100メートル先に俺の家の前、最後の四角をライトが捉えた。ここを左に曲がれば自分の家はすぐそこだ。
その時。
一瞬、今は何時なんだろうと腕時計を見てよそ見をしてしまったからであろう。時刻は20時を回っていたことは分かったが、目の前の交差点で人影が見えたことに気づくのに遅れてしまった。
「――――うおッ!?」
そして、気づく。まずい。どうする。いや止まれよ、いや止めろよ! 暴走する思考回路より早く、俺の手はブレーキを力強く握っていた。こういうのを反射と言う。わりと今はどうでもいい。
キィィィィ――ッ、と金属独特の嫌な音が耳障りに響く。この鳥肌の立つ音にはいつまでも慣れない。その音のあと、自転車のタイヤを火花でも起こすんじゃないかと言うほどコンクリートを凄い勢いで擦って速度を落としていく。
間に合うか!? 相手は避けれるか!?
「危なぁぁぁあああ―――い!」
とりあえず叫んでみた。するとぼーっとしていた人ははっ、と我に返り、よくは見えないが、恐らく俺の方を向いた。
「きゃっ、きゃああああああ!」
「ああああああああぁあああああ―――!」
そしてブレーキに負けない2つの金切り声。自転車はその人と接触するまで残り数センチという所で静止した。
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ……」
ハンドルに腕を預け俯いて、荒くなった息を整える俺を尻目に、その人はどすんっ、と目を見開いたまま尻餅をついた。手に持っていたパンパンに詰まったエコバックのようなものがとぶ。立ち上がる気力を無くし、腰を抜かしてしまったのだ。否、抜かせてしまった。俺が。
「すっ、すいません! 大丈夫ですか!?」
自転車を乗り捨てて道端に座り込んでしまったその人の元へと駆け寄る。駆け寄るっていうかもう目の前なんだけどね。
どれだけ俺の自転車に付いていたライトは威力が弱かったのか。ここで相手が俺より少し小さい背丈の――女の子だということに気づいた。
――薄い茶色の長髪に、ウェーブパーマのかかっている女の子である。
「は、はい……」
彼女は声を出した。
「で、でも……大丈夫なんですけど……その、びっくりしてしまって……」
「俺がよそ見しちゃってて! 本当ごめんなさい!」
謝れ。言い訳せずに謝れ。深く頭を下げると、「いえいえっ」と慌てながら胸の前で手の平を左右に揺らす女の子。
「私もぼーっとしていましたし、それに気にしてないから大丈夫ですっ」
ガタガタガタガタ。いやめっさ足震えてますけど。
「全然大丈夫そうに見えないけど!? 気にしちゃってるよね!? ああああ、何てことを――!」
両手を頭に抱えて甚だしく困り果てる俺は、ここでもう1つ気づいてしまう。
「あ、手の平……」
彼女の両手の平は、痛々しく外皮が剥けてしまい、赤い血がたらたらと流れていた。尻餅を思い切りついた際にコンクリートに手の平をつけてしまい、擦りむいてしまったのだろう。
「えッ……!?」
その傷にも驚いたのだが、他にもその彼女の格好に対して俺は目を丸くした。ピンク色のふわふわとした、いや、俺の中でボキャブラリーが無いせいでうまく言い表せないのだが、その姿はどのような姿かは分かる。
――寝巻き。パジャマだ。少なくとも普段着として出歩けるような服ではないが、可愛らしくて似合っていた。そんなことを言ってる場合じゃないだろ!
しかし、もしかしたらここらの近所に住んでいて、少し自販機でジュースでも買ってくるー、とパジャマのまま外に出たのかもしれない。
――However「しかしながら」である。顔を見てもここら近所では見たことがない。小さくて、可愛らしい顔つきだった。
近所ではない=遠くから来た。しかもパジャマ。これは何か訳ありの女の子なのかもしれない。もちろん、そうだとい決めつける根拠はまるでないのだが。
怪我の手当てもしたいし――俺はごくりと生唾を一度呑んでから、言う。
「とりあえず俺の家、すぐそこなんだ。―――上がっていってよ」