五
毎週月曜、花音はデモ音源をわたしに送ってきた。「この曲、どうしても最後のフレーズが決まらない」「Bメロが全部嘘くさい気がして三回書き直した」。わたしは必ず聴いて、必ず返した。「Bメロは嘘くさくない。ただ、Aメロと温度が違うかもしれない」「最後のフレーズは、今のままのほうが好きです。決まっていないように聴こえるところが、合っていると思う」。
ある夜、珍しく長いメッセージが来た。
「今日声が出なかった。朝から全然出なくて、リハーサルで少し戻ったけど、夜のライブで三曲目から完全に出なくなった。誰にも言えなかった。言えなかったことを、なんとなく朔子さんに言いたくなった。意味はないけど」
わたしはすぐに返した。「意味があります。ありがとう」
しばらく経って、花音から「おやすみ」と来た。
その夜からわたしたちは少し変わった気がした。何かを言わなければならない夜に、わたしに言ってくれる、ということ。
五月の連休、ライブがない日に花音から連絡が来た。「今日、会えますか。仕事じゃなくていいです」
指定された場所は、下北沢の古書店だった。花音は先に来ていた。文庫本のコーナーで、背表紙を指でなぞりながら立っていた。普段着の花音だった。舞台でも、楽屋でも見たことのない、生活の中の花音だった。
「声を使わなくていい場所が好きです」と花音は言った。
わたしたちは一時間ほど、その古書店にいた。花音は三冊選んで買った。その中の一冊、萩原朔太郎の詩集を表紙を見せながら「これ、読みますか」と言った。
「読んだことあります」とわたしは言った。
「好きですか」
「怖いと思いました。読むたびに」
「わたしも怖い。でも好き。怖いものが好きなんだと思う」
「なぜ怖いものが好きなんですか」
「怖い、と感じることは、自分がまだ生きてる証拠だから」
店を出て、近くの公園のベンチに座った。五月の光が、若い葉の間から細く落ちていた。
「朔子さんは」と花音は言った。「わたしのこと、好きですか」
わたしは少し驚いた。
「好きです」とわたしは言った。「声が、という意味で言えば、最初の夜から好きでした」
「声だけじゃなくて、というのは?」
「……まだわかりません」
花音は空を見たまま言った。「正直ですね」
「わたしは」と花音は続けた。「朔子さんがいるとき、声がよく出る気がする。それがなんなのかは、わかりません。でも、そういうことを伝えておきたかった」
帰り道、わたしたちは横に並んで歩いた。意識してそうしたわけではなかったが、気がつくとそうなっていた。




