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灰になるまで歌っていた  作者: 倉本大
5/7

春が来て、花音は歌い続けた。


グループの活動は、冬のうちに終わっていた。理由は聞かなかった。花音も話さなかった。


週に三本のライブ。月に一本のワンマン。合間に楽曲制作。朝のリハーサル、夜の特典会。わたしは花音の一日のほぼすべてを把握するようになった。起きる時間、食べるもの、眠れない夜に流すアルバムの名前。首にカイロを当てる癖。リハーサル前に必ずコップ一杯の白湯を飲むこと。高音が出なくなってきたとき、気づかれないように息継ぎの位置を変えること。


担当になって二ヶ月が経った頃、わたしは花音のリハーサルに毎回立ち会うようになっていた。最初はスケジュール管理のためだった。それが次第に、ただ聴くためになっていた。リハーサル室の端に立って、花音が同じフレーズを何度も繰り返すのを聴いた。花音は自分の声を常に試していた。今日はどこまで出るか、どこから出なくなるか。声域の境界線を、毎日少しずつ確認していた。


ある日のリハーサル後、花音がわたしに言った。


「朔子さん、毎回来ますね」


「来てはいけませんか」


「いけなくはないですけど。何を見てるんですか」


「聴いています」


「何を」


「変化を」


花音はわたしを見た。「変化、わかりますか」


「少しずつ。でも、確かに聴こえます」


花音はそれ以上何も言わなかった。次の日も、その次の日も、わたしはリハーサル室の端に立った。花音も何も言わなかった。ただ、わたしが入ってきたとき、一度だけ目線を向けるようになった。来た、という確認。それだけだったが、それはわたしにとって何かだった。


三月の下旬、花音がライブの後にわたしを呼び止めた。


「今日、時間ありますか。来ますか」


連れて行かれたのは、会場から歩いて十分の古い喫茶店だった。昭和の内装がそのまま残っていた。花音はホットミルクを頼んだ。わたしはコーヒーを頼んだ。


二人で座ったまま、しばらく何も言わなかった。


「ここ、よく来るんですか」とわたしは聞いた。


「声がよく出た日は、ここに来ることにしてた」


「今日は、よく出ましたか」


「まあまあ。先週よりは」


ホットミルクが来た。花音は両手でカップを包んだ。白湯のコップを包む癖と、同じ仕草だった。


しばらく、窓の外を見ていた。それからわたしのほうに目を戻して、言った。


「朔子さんが来ると、わかる。声で。空気が変わる、という感じ。聴いてる人がいる、とわかると、もう少し出る気がする。声が。根拠はないけど、そういう気がする」


「それは、いいことだと思いますか」


「わかりません」と花音は言った。「自分のために歌いたいのか、誰かに聴かれたいのか。考えるほど、わからなくなる」


その言葉をわたしはノートにも手帳にも書かなかったが、今でも正確に覚えている。


わたし自身もそうだったからだ。花音の声を聴きに来ているのか、花音を見ていたいのか。考えるほど、わからなくなる。その言葉を、花音は先に口にしていた。


帰り道、わたしたちは駅まで同じ方向を歩いた。花音が先を歩き、わたしが半歩後ろについた。桜がもう少しで咲きそうな並木道だった。街灯の下、花音の影が伸びた。わたしの影が、その隣に伸びた。

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