二
名前を教えてもらったのは、楽屋だった。
プロデューサーに引き合わされて、「篠崎朔子です、よろしくお願いします」と言ったとき、花音は少し驚いた顔をした。
「担当、変わるんですか」
「はい。来月から。よろしくお願いします」
花音はわたしの顔を見た。長く見た。値踏みするというより、何かを確かめるような目だった。鏡の前で座っていたから、わたしには鏡の中の花音も見えた。正面と鏡越し、二人分の花音がわたしを見ていた。
「歌、聴きましたか」
「はい」
「どうでしたか」
正直に言おうと思った。
「消えるような声だと思いました」
花音は少し黙った。それから、笑った。笑い方が独特だった。口角だけが上がって、目が笑わない。感情とは少しずれたところで動いている顔だと思った。
「消えるような、か」
「褒め言葉のつもりで言いました」
「わかってます」と花音は言った。「そう聴こえるのは、実際に消えかかってるからだと思います。喉が」
そこで一度、口を閉じた。鏡の中の自分ではなく、わたしを見た。
「前のマネージャーには、それを言わなかった」
少し間があった。
「たぶん、言ったら止められると思ったから。でも止まりたくなかった。止まる理由がなかった」
楽屋の蛍光灯が、白く冷たい光を落としていた。鏡に並んだ電球が、花音の輪郭を縁取っていた。汗でほつれた後れ毛が、首の横に貼りついていた。
「話してくれてありがとうございます」とわたしは言った。
「信用したわけじゃないです」と花音は言った。「ただ、あなたに嘘をついても意味がない気がした。声で嘘がわかる人に嘘をついても、すぐバレるから」
「また聴きに来ます」とわたしは言った。
「どうぞ」と花音は言って、鏡に向き直った。
会話が終わったのだということは、背中を見てわかった。わたしは楽屋を出た。廊下に出ると、隣のグループのメンバーがヘアアイロンのコンセントを取り合って言い争っていた。その声は大きく、でもわたしの耳には届かなかった。
花音の「どうぞ」という一言が、まだ皮膚の上にあった。




