僕は名前に縛られている
「兄上、……僕は誰なんだろうか」
アレクセイ・リビングスター、リビングスター侯爵家の嫡男として生を受けた私には、死産となった兄がいた。
「明日からは王都に行き、ゆくゆくは私の後任として宰相となるべく、しっかりと学ぶのだぞ。その為にも主に祈りを捧げねばな」
幼少より王都に程近い侯爵領にある領主の邸宅で過ごした私は、明日には王都に向けて出立し、父上の言うように王侯貴族の通う高等学院に在籍することになる。
その成功を願い、今日は家族揃って領都にある教会へと足を運んでいた。
正直に言えば、この教会に足を運ぶのは気が重い、しかし、敬虔な信徒である両親は何かにつけて、国内でも古く権威のあるこの教会に足繁く通っていたし、それに同行するのは義務のようなものだった。
王都での学院生活の安寧や私の健康を祈願し、神父様に祝詞を上げてもらい、これで一旦は帰宅かと思った時、父上が母上に話しかけた。
「今年は、このあとアレクセイの入学準備やらで此方には暫くは戻って来れんだろう。命日も近いが当日は王都にいることになるだろうし、墓参りをしていかないか? 」
提案している風ではあるが、ほぼ確定事項であるという空気が父上からは感じる。
「えぇ、そうね、そうしましょう」
そして、母上もまた、元からの予定であるかのように即応して答えていた。
私は、帰りたい気持ちを押し殺し、その場に立っていた。私や弟へは両親共に如何を問う言葉はない。当然に同行するものとして、2人は此方を見ることなく霊園へと足を運んで行った。
教会の霊園の中でも、貴人専用の区域は庭園のように花が溢れ、美しく整えられている。その中程、領主家専用の一画に、その墓はある。
墓碑には「アレクセイ・リビングスター」の名前が彫られている。
そう、私と同じ「アレクセイ・リビングスター」の名が、そこには刻まれている。
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兄の墓に始めて参った記憶は、まだ私が物心ついたばかりの数えで5歳を迎えた幼少の頃のことだった。その日、私は誕生日で、両親から夜には盛大にパーティーを開いてお祝いをして、たくさんの美味しいご馳走に、いっぱいのプレゼントもあると聞かされて朝から上機嫌だった。
はやく夜にならないかなと期待と興奮で燥いでいた私に、両親は5歳の誕生日を神父様に祝福してもらいに行こうと、教会へと連れ出した。始めて行く教会にも興味津々で、更に気持ちが高揚した私だったが、教会では静かにしていないといけないと父上に言われ、燥ぐ気持ちを抑えつけることで、少しばかり苛立っていたようにも思う。
神父様に5歳を迎えることの祝福と、ここまでの成長と今後の安寧を主へと祈願して貰う段階で、私は退屈で、早く帰りたいと思っていたように思う。
だからこそ、神父様の祝詞が終わると、私は父上に早く帰ろうとしがみついていた。しかし、両親と神父様は苦笑いしながらも、もう少し我慢してねと諭して来た。それから、霊園へと足を運び、そして、あの墓の前へと行ったのだ。
まだ、幼い子供だった私は霊園のことも、お墓のことも理解していなかった。文字を習い始めたばかりの私は石に刻まれた文字が習ったばかりの自分の名前だったことに興奮して、読めることを誇らし気に、自慢するように。
「おとーさま、これはボクの名前が書いてあります。アレクセイ・リビングスターと書いてあります。そうでしょっ」
そう、舌足らずに胸を張ったと記憶している。
そして、その瞬間、神父様の顔がすこし困ったような顔になったことも、はっきりと覚えている。
「アレクセイ、正解だ。でもこれはお前のお兄様のお墓なんだ」
しゃがみ込み、目線を合わせた父上から言われた言葉を当事の私は理解出来なかった。
「おとーさま、ボクにお兄様はいないよ。それにお墓ってなに? これはボクの名前なんだよね」
両親は顔を見合わせてから、言葉を選んでは何度も私に、私がわかるまで説明を繰り返した。
私の5歳の誕生日は、私にとって忘れられないものとなったのだ。あの墓に私と同名の文字が刻まれている理由、それは死産となった兄の名前と私の名前が同じだからという、実に単純にして、私にとっては理不尽な理由のためだった。
「なんで、ボクの名前がお兄様と一緒なの」
その疑問に両親は明確な答えは返せなかった。幼かった私には、理由はわからないまま、それがひどく悲しく、そしてモヤモヤとした鬱屈した想いとなって心に淀んだのだ。
その日のパーティーは楽しかったと思う。日中の出来事など、忘れてしまう程、両親や祖父母たち、使用人たちに囲まれて、プレゼントを抱えきれないほど貰って嬉しかった筈だ。
ただ、事あるごとに目にすることになる兄の墓に、あの日の記憶は、陰鬱なものに塗り替えられていった。
〜〜〜〜〜
私の生まれた丁度1年前の同じ日、兄は死産となった。私の誕生日は兄の誕生日であり、そして命日だった。私は誕生日が来ることを呪うようになっていったと思う。お祝いのパーティーは夜にある。愛されていると感じられるが、昼は必ず、教会へと行き、兄の墓を清めるのだ。その事が、私が兄の生まれ変わりとして、兄の身代わりとして生かされているという錯誤を加速させていく。
そうでは無いと思う自分もいる。だが、アレクセイの名前が、否応無しに、お前は兄の代替品だと告げているようで、私は自分の名前に縛られていった。
兄の墓を清める両親を眺めながら、そこから這い出た魂が私に向かって「返せ」と叫んでいるように感じ一歩後ず去る。兄が得るはずだったものを享受する自分は一体なにものなのか、その問いだけが私の中に積み上がっていく。
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王都へと出立してからはバタバタと忙しく、新天地での生活への不安で気持ちが沈む。王都にある侯爵家のタウンハウスで、両親と共に過ごすことになる。
これまでは領都の邸宅で使用人と共に過ごし、家庭教師により勉学を進めていたが、高級官僚へと士官し、いずれは父上の後任として宰相となるべく、名門と名高い聖クロト学院へと通うこと、そして、生涯の多くを過ごす王都に馴染むため、これからの人生の人脈つくりのため、数えで15歳となった私は王都へと来たのだった。
領政は代官が執り行っている。私が侯爵家を継ぐ頃には弟が代官の監督として領都に常駐することになり、紳士階級として生きることになる。
もし、兄が死産でなければ、それは私の役割だった筈で、そして弟は他家に婿にでるか、騎士爵を得るべく鍛錬し、軍役に就いたのだろうか。
貴族家の子息として、生まれつき与えられた役割に殉じて生きる。その事が、更に私が兄の身代わりとして育てられているのだという思いを深めていく。
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入学を控えた1週間前程のこと、私の婚約者が訪ねて来た。勿論、事前に予定の擦り合わせと、訪問に際しての先触れあってのもので、唐突な訪問ではない。
ルルティエラ・フェルトール伯爵令嬢、フェルトール伯爵家の2番目の息女であり、同い年の令嬢だが、可憐で淑やかな、美しい少女であり、そして、優秀な頭脳を持ちあわせた才媛でもある。
国内では最難関を誇り、最も権威ある聖クロト学院にも彼女は合格し、私と共に入学することになっている。
元々狭き門だが、女性の志願者は少なく、更に合格者は輪を掛けて少ないため、彼女が如何に優れた女性であるかの証明になっている。
「お久しぶりです、ルルティエラ嬢。学院への入学、おめでとうございます。試験合格を疑ってはおりませんでしたが、改めて、優秀なのですね。私など、合格できるか、不安でしたが」
偽りない本音として、彼女の優秀さと、それに引き換えた自身の凡庸さを自虐気味にジョークとしてみたが。
「お久しぶりです。アレクセイ様こそ、御入学おめでとうございます。あまり卑下されては、むしろ不遜と言うものですわ。共に首席とはまいりませんでしたが、試験の成績は上位だったようですから、それでは同期の方を貶めることになりますわよ」
言葉こそ、やや検があるものの、表情は柔和で声も棘が無い。あまり、謙虚過ぎても驕りに聴こえると窘めてくれているだけで、私の発言を悪意あるものとは捉えていないようで安心する。
「そうだね。胸を張って、堂々と学びに邁進しよう」
そう、少し声を強めて返すと、そうですわねと、微笑み返してくれた。
自分には勿体ない女性だと思う程に、兄の影が心に帳を降ろしていくのを感じた。
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学院に入学すれば、そこからも暫くは忙しい日々だった。ルルティエラ嬢とは専攻が違うため、そこまで顔を合わせる機会は実は少なかった。
互いに新生活の中で、日々のルーティンの構築、新しい人間関係への順応、必要な生活の手順の模索と、それらの最適解を割り出すため、バタバタと流されつつも、積み上げていくこと、半月程が過ぎ、校内のサロンでやっと顔を合わせる事が出来た時は、中々会えないものですねと、笑いあった程だった。
休日などは事前に連絡を取り合い、交流を深める予定だが、取り敢えず、もう暫くはお互いに時間を割く余裕は無さそうだと、何処か安堵する自分に言い難い罪悪感が湧く。
そんな学院生活で、知己を得た人物がいた。
ロジャー・ミッドレイ、同期で専攻も同じ学生の彼は、特待生であり、数年前から導入された準貴族階級出身者枠で入学した男だ。
特別枠といって、成績が低い訳でなく、むしろ高いのだ。というのも、特別枠の数が少ない上に本来なら貴族王族の子女のための学院に準貴族家の子女を入学させるのだ、となれば、優遇されて入ったとなれば、やっかみを受けるのは必定ということで、試験内容はそのままに、合格のラインのみ引き上げられている。
簡単にいえば、通常の合格者の平均点を上回り、上位数%の中に入る得点を叩き出して、合格が認められるのだ。
なので、結果は公表された上で、特待生として入学する。といって、学費の免除や助成はない。この歪な制度には理由がある。
難関の試験を突破し、合格した彼であるが、実は数年前から導入された制度と言いつつ、今まで試験を合格できた者がいなかったため、彼は学院の長い歴史の中で初の紳士階級出身、それも庶民から成り上がったジェントリの子供だった。
彼が入学できた背景には学院の財政難がある。国内屈指の名門校であるのだが、今や、王族も貴族もその財政は傾いている所が多い。対して、台頭した庶民の富裕層たちは荘園統治に失敗した貴族から土地を買い、工場を建て、銀行や貸金業を幅広く営み、どんどんと私財を積み上げていく。
爵位を継げない貴族子女のため、親が国に金を払って買い与える紳士の階級を、庶民が金に困った貴族から買い取るようになった。
そんな状況で王立の学院も財政が厳しく、そこに通う子女の親達もかつてのような寄付をしてくれる見込みが無くなってしまったのだ。
だからこそ、成金と蔑みながらも、庶民層出身のジェントリたちに門戸を開いたということになる。
とはいえ、彼はすこしばかり、目立ち過ぎてしまった。初のジェントリ出身、そして、首席合格、もうすでに悪い意味で同期はじめ、学内の生徒たちに敵視されていたのだが。
「いやー、アレクセイ様って、本当に素晴らしいです。もう、嫌がらせばっかりで、早々に父親に支援打ち切って、さっさと退学させてくれって言うとこだったんですよ、アレクセイ様がいなければ」
いくら財政が厳しいといえ、早晩、運営が成り立たなくなる程に悪化している訳ではない。だからといって、いずれは立ち行かなくなる可能性を潰すための救済措置としての特待生制度という名の出資者の拡充なのだ。
はっきり言えば、準貴族階級向けにもっと門戸を開き、手っ取り早く金を集めたいところを、権威の維持や、格や質を担保するため、そして、既存の貴族子女たちとの軋轢を防ぐためと、チグハグな制度設計のままに運用を開始したのだが、モデルケースとして、やっと入学を果たした初めての特待生を、他の生徒たちはおろか、一部の教師まで冷遇し、悪質な行為をしていた。
何も自分がという思いもあったが、誇り高い名門に泥を塗る行為を見過ごすことも、そして、その名門の存続維持の為にも、それが先の自分、ひいて家門の名誉を守ることになると、道義心や義憤ではなく、実に冷静な利害で、彼を助け、周囲に対して忠言を行った。
それは、現状、実家の家格的にも自分がトップに位置していることもあっての判断だった。
王族に連なる王家や公爵家の子女は今、学院に在籍しておらず、リビングスター侯爵家は貴族としては国内の貴族の中でも5指の内に数えられる名家なのだ。
「感謝される謂れはありませんよ。私は貴人の血を引く者として、それに相応しい行いがあると、当たり前のことを説いたに過ぎませんし、制度によって私の通う学び舎に多額の支援をしてくださる方や、ご自身の優秀さと努力で、立派に席を勝ち取られた方を蔑む事は損失でしかないと、そう思ったまでです」
思ったことを、包み隠すこともなく、吐き捨てるように吐露しただけの、感謝に対して温度の低い返答になったのは、事実として褒められる謂れも無いと罪悪感が勝ったからだったのだが。
同年代に比べるとやや背が高く、がっしりとしていて、それでいて、牧羊犬を思わせるような穏やかで人当たりの柔らかい笑顔のロジャーは顔中を綻ばせて私の手をにぎると。
「アレクセイ様は本物の貴族令息です。高潔で偏見が無く、私のような成り上がりにも目を掛けてくださる。不肖、このロジャー、このご恩を一生かけても返してまいります」
満面の笑顔で言われては断りづらく、何かと世話を焼いてくれる彼を側に置いている内に、同年代の気安さと、ロジャーの人柄もあって、彼とはすっかり友人となってしまった。
環境の変化、思春期から成人へと成長していく内面の変化、そして、ロジャーという、領地での私を、そして兄の存在を知らない友人の存在、それは、私の中で淀み堆積した自己の喪失、その不安と鬱屈を取払う風であったのだと思う。
勉学だけでなく、人間関係の新たな構築や、学院の中で交流を深めるために始めた趣味と、その集い。多くの考えに触れると共に、自分を見つめる時間よりも、慌ただしく他者との時間に身を置く中で、あれ程に蟠っていた兄の影が、いつしか薄ぼんやりとした輪郭を残して、消えているような気持ちになった時、私は嬉しさよりも、何か言い知れぬ恐怖と寂しさを感じたのだ。
「どう思うかな」
2年もの時を経て、すっかり気心の知れる親友となったロジャーに、幼い頃からの悩みがあったこと、それが気付かぬ内に解消していたこと、それなのに、喜ばしいと思うよりも、結局はまだ、陽炎のようにぼやけた輪郭を残す兄の残像に怯えている情けない自分を打ち明けた。
悩んだし、何度もやめようと思った。恥を晒すことへの羞恥もあったし、何より、こんな訳のわからない悩みに巻き込んでも、仕方ないと思っていた。
ロジャーはやや俯いたまま、軽く曲げた人差し指を上唇に押し当てるようにして、軽い唸り声を出して薄目を閉じて考えていた。
悪かったね、くだらないことを言って、そう、切り上げて、話題を変えよう、そう思った瞬間だった。
姿勢はそのままに、唇に当てていた手だけを離して、開いた掌を私に向けたロジャーのその仕草は、もう少し待ってと押し留めているようだった。
無言のまま、私とロジャーの間の空気が固まっている。前に出された掌を見ながら、私はロジャーを待った。
顔を上げたロジャーは少し難しい顔から、柔らかな笑みへと雪解けのように変化しながら私に語りかけてくれた。
「アレク。……僕がここへ来て、迫害されて逃げ出そうと思っていた時、助けてくれたのはアレクだった。そのあと、上級貴族の子息と、庶民上がりの準貴族の息子、従者のように振舞って、周りから、上手く取り入ったと蔑まれた僕を思い、大切な友人を侮辱するなと怒ってくれたのも、アレクだ。友人とは利害の外で価値観を共有したいと、そう言って、ただの友達として喧嘩したり、遊んだり、教え合ったのは、全部、アレクだ。……僕はアレクセイ・リビングスターの兄を知らない、知ってるのはアレクだけだ」
泣いていたと思う。何故かはわからなかった。けれども、私は、やっと全ての妄執を払うことが出来たような気がしていたのだ。
「きっと、アレクのお兄さんはアレクの守り神だよ。優しくて、繊細で、ホントは寂しがりなアレクが、立派な貴族家の嫡男になれたのは、お兄様のかわりになるって使命感だったんだから、ご両親の期待とお兄様の使命を背負って頑張ったんだから、アレクは、間違いなく、誰でもない、アレクだよ」
そうか、そう考えれば良かったのかもしれない。
愛情とともに期待をされている。その重圧があったんだ。兄の影に鬱屈した思いを抱えていたけれど、兄の変わりと思うことで、其処に救いを見ていた自分が何処かにいたんだ。
リビングスター侯爵家の嫡男になる、そのことの責務と自己の消失を嘆くことを、見たことも会ったこともない兄に押し付けて、心の拠り所にしていたのかも知れない。
だからなんだ、重圧を受け入れる器もでき始めた。友との語らいで、自分のことを受け入れられるようになった。
「お兄様、私はずっと、貴方の影に守られて生きてきたのですね。……さようならお兄様、もう、私はアレクセイとして私を生きていけます」
仰ぎ見た夕日は滲んでいたが、それでも口にした言葉に。
思いっきり背中を叩いてくれる友がいる人生を、私は幸いだと思ったのだ。
感想お待ちしておりますm(_ _)m
щ(゜д゜щ)カモーン
フィンセント・ファン・ゴッホの実際のエピソードを元に、死産となった兄と同じ名をつけられた子供を主人公とした話でした。
楽しんで頂けたなら幸いです。
宜しければ、感想頂けたなら嬉しいです。




