01.失われた縁と新たな縁
「私が誰かって? そうね、あなたたちの言うところの神様ってところかしら」
記憶の中の彼女は、可憐に笑ってそう言った。少女と女性の狭間にいるようなひとだった。その幻想的な雰囲気が、彼女の言葉に信憑性をもたせていた。
地面に座り込んで大木に背を預けている少年の顔を覗き込んで、きらきらと瞳を輝かせていた。
「あなたたちの運命の糸を織り込んで、永遠の命を与えている神様。あなたたちが狂わないよう、忘却の死を与えている神様」
親指、人差し指とひとつひとつ指折り数えていた彼女は、少年に向かって誇らしげに中指を折った手を見せてきた。
「そして、この国で唯一忘却できなかったあなたを迎えに来た神様!」
朗らかにそう言い放った彼女に少し眉を顰めて、気分を害しました、と分かりやすく態度に表したことを覚えている。全てを忘れられなかった少年はさんざん社会で気狂いと後ろ指をさされ、心がささくれ立っていたのだ。人間不信に陥っていた当時の彼がそうしてしまうのも無理はないと思うけれど、今となっては何をやっていると頬を張り倒したいくらいである。
有難いことに彼女がその無礼な振る舞いを気にせず少年を連れて帰ってくれたからよかったものの、彼女がその辺りを気にする性質だったらどうなっていたことか。
とりあえず、かつてのその少年がいま、彼女の墓の前でぼろぼろになって横たわっているなんてことはなかっただろう。
「あれっ人がいる。アーシェラ! 人が倒れてる!」
「待って、そんなにずんずん先に行かないでってば……」
二人分の声と足音。一人は少年、一人は少女。
この地にやってくる人間にしては珍しく堂々とこの場に姿を現した二人が、墓前で倒れている見知らぬ青年に警戒心もなく近づいてくるのを感じて、ああ、なんて不用心なんだとひとりごちた。
「たくさん死んでる……」
「みんな事切れたばっかりみたい」
「まだ生きてる人がいるかもしれないってこと?」
「かもね」
少しばかり二人が黙り込んで、そしてアーシェラと呼ばれていた少女がおもむろに口を開いた。
「……あそこの、墓の前のひと。まだ心臓が動いてる」
「ほんとか!? 助けなきゃ!」
「分かってる」
少女が物静かに同意して、二人が一目散に駆けてくる気配がした。
走馬灯に似たものを見ていた青年は、重たい瞼をゆっくりと開いて、気合で口を開いた。
「……何をしている」
「しゃべった!」
「リオネルうるさい。……あなたを助けてる」
前半部分はリオネルと呼ばれた少年に、後半部分は倒れている青年に。
どうやって、と青年が口にするより早く、彼の体がじんわりと温かくなる。先程までの、冷たくにじり寄ってきていた死の気配が霧散していた。今回はもう、駄目だと思っていたのに。
「ふふん、アーシェラの治癒魔法はこの国一番だからな! おにーさん安心していいぞ、絶対助かる!」
「国一番じゃなくて村一番、でしょ」
「いや、俺まだアーシェラを越える治癒士見たことないし」
「五日前まで村から出たことなかったからね」
ことごとく少年が言い負かされ、しょんぼりと項垂れている様子がはっきりと見えるほどにはすでに青年は回復していた。どうやら本当に腕の利く治癒士らしい。
自分の血で濡れてしまった衣服を見下ろしてそっとついた溜息を耳聡く拾った少女が、ちらりと青年に視線を向けた。
「あなたこそ何をしていたの? ……まさか、巫女の墓荒らしをしていたなんてこと——」
「あるはずないよ、アーシェラ。だってこのおにーさん、墓に背中向けてたんだぞ」
少女の言葉を遮ってそう力強く言った少年は、しっかりと青年の目を見ていた。少年の瞳の奥にはそうあってほしいという願望でも希望でもなく、ただひとつ、確信があった。
「な、おにーさん」
「……ああ」
そんなことは自分も分かっていたとでも言いたげな視線で少年を射貫く少女の表情に、しかし彼は気が付かない。いつものことなのか、諦めたように少年から視線を外した少女が、青年を通り越して墓に視線を向ける。
「守っているの? このお墓を」
「ああ。……俺の大事な人の墓だからな」
傍らに落ちている槍の柄にそっと触れて、青年はなおも口を開く。
「だから、お前たちがこの墓を掘り返しに来たというのなら、俺はお前たちを倒す。例え刺し違えてでも、お前たちが俺を助けてくれたという事実があったとしても」
その言葉にぱちぱちと二人分の瞳が瞬いて、そして少年がニッと笑った。
「大丈夫、俺たちは最近の流行りとは一風変わった二人組だぜ。かつて永命の都の名を冠した栄光を取り戻そうと、その時代の奴らの寿命を織り続けた巫女の墓を掘り起こすような真似はしない。普通に罰当たりだろ」
「私たちは、生命に永遠の命なんて要らないと思っているから。終わりがあるから生命は輝けるってことにみんな気が付いてないんだよ」
青年は思わず目を見開いた。
年端もいかない目の前の少年少女がそこまで生死について考えていることに、純粋な驚きを得たのである。
そうとは知らない少年が次第に不安そうな顔つきになり、おずおずと青年を窺った。
「おにーさんは、そうは思わない?」
「いや……俺も同意見だ」
それを聞いて、少年がにこにこと笑みを深めた。隣の少女は表情を変えぬまま、じっと青年を見つめていた。
「よかった! 俺はリオネル! お前は?」
名乗り返してくれることを信じて疑わない少年の瞳が、まっすぐと青年を見据える。
しばらくの間それをじっと見つめ返して、そしてとうとう青年は根負けして口を開いた。
「……ルーヴァス。お前はもっと、他人を疑うことを覚えた方がいいんじゃないか」
「リオネルが信じる分、私が疑うから大丈夫。私はアーシェラ。よろしくルーヴァス」
「おう! 同じ志をもつ者同士、これからもよろしくな!」
「よろしく……?」
いつの間にか、少年少女——リオネルとアーシェラの中では末永い関係を築くことが決まっていたらしい。
よく分からないままに小首を傾げたルーヴァスが面白かったのか、アーシェラまでもが僅かに笑みをこぼしていた。
この日から、今は亡き人の墓を守るだけだったルーヴァスの日々は様変わりしていくこととなる。




