第5話 羽根の重さ、風の軽さ
王都トリマーギルドの朝は、いつも賑やかだ。石造りのロビーには、モンスターと飼い主たちが順番を待っている。今日は特に、羽根を持つモンスターが多い。窓辺で翼を広げるハーピー、柱に止まるグリフィンの幼獣、そして――天井近くをふわふわ漂う、謎のふわふわした何か。
「颯真さん、今日の依頼です!」
ミュリアが受付カウンターから、いつもの笑顔で依頼票を差し出す。木の板に刻まれた文字を読み上げると、俺の目が思わず点になる。
『依頼:風霊鳥フェニックスの羽根ケア ~暴風を抑える緊急処置~』
「フェニックス!? あの、炎の鳥?」
「はい! でもこの子はちょっと特殊で……風霊鳥フェニックス、つまり風属性の亜種なんです。羽根に溜まった魔力が暴走すると、街に突風を巻き起こすんですよ」
ミュリアが少し困ったように笑う。隣にいたベテラントリマーが、肩をすくめて付け加えた。
「正直、厄介な依頼だ。新人には荷が重いぜ。羽根はデリケートだし、風霊鳥は気まぐれでな。触らせてくれねぇんだ」
「でも、颯真さんなら! ケルベロスもバジリスクも完璧でしたから!」
ミュリアの信頼の眼差しに、俺の胸がまた熱くなる。……いや、でもフェニックスって! 日本じゃ神話の生き物だぞ!
「よ、よし……挑戦してみるか」
腰の《切羅刃》が、かすかに震えて応えた。『羽根もまた、毛の延長。風を整え、魂を解き放て』
「お前、ほんと前向きだな……」
ポケットのスライムが「ピィ!」と励ますように鳴き、俺は覚悟を決めて依頼場所へ向かった。
王都郊外、風の丘
依頼場所は、王都を見下ろす丘陵地帯。青々とした草が風に揺れ、遠くで雲が流れる。空気が澄んでいて、どこか懐かしい匂いがした。――日本で、子犬を連れて公園に行ったときの匂いだ。
「ここが……フェニックスの住処か」
丘の頂上に、巨大な古木が立っている。枝には光る羽根が散らばり、まるで星屑をまぶしたみたいだ。木の根元には、鳥の巣のような円形のくぼみ。そこに、問題の風霊鳥フェニックスがいた。
全長は3メートルほど。青と白の羽根が、風をまとってきらきらと輝く。だが、その羽根はところどころ絡まり、くすんだ色に淀んでいる。尾羽は特にひどく、まるで重い布のように垂れ下がっていた。魔力の暴走で、空気がビリビリと震えている。
「クゥゥゥ……!」
鋭い鳴き声が響き、突風が俺を襲う。思わず腕で顔を庇うが、スライムが「ぷるっ」とポケットで縮こまる。
「うわっ、めっちゃ気難しい子だな!」
「颯真さん、気をつけて! この子、触られるのを嫌がるんです!」
ミュリアが丘の下から叫ぶ。彼女は安全のため、少し離れた場所で待機だ。……つまり、ここからは俺一人。
「よし、まずは様子見から……」
俺はツールロールを広げ、羽根専用の柔らかコームと、魔力を整えるための細いピンを取り出す。《切羅刃》は鞘に納めたまま、まずは手に持たず近づく。フェニックスの鋭い目が、俺をじっと睨む。
「なあ、ちょっとだけ話そう。俺、颯真。トリマーだ。君の羽根、めっちゃ綺麗だけど、ちょっと重そうに見えるんだよね」
「クゥ!」
また突風。だが、今度は少しだけ風が柔らかい。……話しかけるのは、悪くないみたいだ。
「日本じゃ、フェニックスは復活の象徴なんだ。君もそんな感じ? でもさ、重い羽根じゃ飛ぶのつらいだろ? 俺、軽くしてあげたいんだけど……いい?」
フェニックスの目が、ほんの一瞬、細まった。まるで「試してみなよ」と言っているみたいだ。
羽根との対話
俺は深呼吸し、ゆっくり近づく。フェニックスの羽根は、毛とは違う。表面は滑らかだが、魔力が絡み合って硬く結びついている。絡まった羽根は、まるで濡れた絹糸のようだ。
「まずは、絡みをほぐすところから……」
柔らかコームを手に、尾羽の端からそっと滑らせる。ゴシゴシは厳禁。羽根は折れやすく、魔力の流れを乱すと暴走が加速する。ゆっくり、ゆっくり。まるで子猫の毛を梳くように。
「クゥ……」
フェニックスの体がピクリと動く。だが、逃げない。俺はコームを進め、絡まった羽根を一本ずつほどいていく。抜けた羽根がふわりと舞い、風に乗って光る。
「お、いい感じ! 次はここだな」
尾羽の根元に、大きな絡みがある。魔力が特に強く渦巻いていて、触るとビリッと電気が走る。俺はピンを手に、慎重に絡みを解く。すると――
パァン!
小さな爆発音。溜まっていた魔力が解放され、青い光が空に散った。フェニックスの体が軽く震え、初めて「クゥゥ」と柔らかい声で鳴いた。
「よしよし、楽になってきただろ?」
ポケットのスライムが「ピィ!」と跳ねて応援する。俺は調子に乗って、翼の付け根に手を伸ばす。だが――
「クオオオ!」
突然の突風。フェニックスの翼がバサリと広がり、俺は後ろに吹っ飛ばされた。
「うわっ!」
草の上に転がり、なんとか体勢を立て直す。フェニックスの目が再び鋭く光る。しまった、調子に乗って敏感な部分に触っちまった!
「ご、ごめん! 急ぎすぎた! もう一回、ゆっくりやらせて!」
だが、フェニックスは翼を広げたまま、飛び立つ気配。丘全体がビュウと風に包まれる。このままじゃ、街に突風が直撃する!
「颯真、頼む!」
《切羅刃》が鞘の中で震え、俺の手を熱くする。――よし、行くぞ。
ハサミの舞
俺は立ち上がり、フェニックスの正面に立つ。風が髪を揺らし、視界が揺れる。だが、俺の目は《切羅刃》と繋がっている。刃が、風の流れを教えてくれる。
「君の羽根は、風そのものだ。絡みを取れば、自由に飛べる」
俺はハサミを抜き、半分だけ開く。刃文が青く光り、風の渦を捉える。――そこだ。
チョキ!
一閃。絡まった羽根の塊を、正確に切り離す。刃は皮膚に触れず、魔力の結び目だけを断つ。青い光が弾け、風が一瞬止まる。
「クゥゥ……!」
フェニックスの目が、驚きに揺れる。俺は一気に畳みかける。
「次はここ!」
チョキ、チョキ。翼の付け根、胸の羽根、首元の細かい羽毛。リズムに乗って、刃が舞う。コームで整え、ピンで固定し、ハサミで形作る。風の道を作るように、羽根の流れを整える。
「ピィピィ!」
スライムがポケットで跳ね、まるでリズムに合わせて応援しているみたいだ。
最後に、尾羽の大きな絡みを一気にカット。――パァン!
青い光が空に広がり、フェニックスの全身が輝いた。羽根がふわりと広がり、まるで水面のような滑らかな動き。暴風は消え、代わりに柔らかいそよ風が丘を撫でた。
「クゥゥゥ……!」
フェニックスが大きく翼を広げ、一回転。空に青い光の軌跡が残り、まるでオーロラのようだ。やがて、ゆっくりと俺の前に降り立つ。
「……楽になっただろ?」
俺はハサミを鞘に戻し、そっとフェニックスの首元に触れる。羽根は柔らかく、風そのもののような手触り。フェニックスは目を細め、クゥと小さく鳴いた。
丘の上の約束
「颯真さん、すごい! 街が救われました!」
丘の下から駆け上がってきたミュリアが、目をキラキラさせて拍手する。フェニックスは俺の横で翼を畳み、静かに佇んでいる。まるで「ありがとう」と言っているみたいだ。
「これ、報酬の一部です」
ミュリアが差し出したのは、青く光る一本の羽根。触ると、そよ風が指先を撫でるような感触。
「風霊鳥の羽根は、風除けのお守りになります。持っていれば、どんな嵐でも安全に旅ができるんですよ」
「へえ……ありがとな、フェニックス」
俺が礼を言うと、フェニックスは首を振って一枚の羽根をさらに落とした。――まるで「また来いよ」と言っているみたいだ。
「ピィ!」
スライムが羽根に飛びつき、ぷるぷると抱きつく。……お前、ほんと物好きだな。
ギルドへの帰還
王都に戻ると、ギルドのロビーは拍手で迎えてくれた。
「新人、すげえ! 風霊鳥を一発で!」
「次のランクアップ、確定だな!」
ミュリアが受付で俺の身分板を更新する。【D】から【C】へ。たった数日で、だ。
「颯真さん、すごい勢いですよ。この調子なら、すぐに王都のトップトリマーに!」
「いやいや、トップはまだ早いって。……でも、なんか楽しいな、この仕事」
俺は笑いながら、ポケットのスライムと羽根を撫でる。《切羅刃》が腰で小さく震え、まるで「次もやろうぜ」と囃している。
新たな依頼の予感
その夜、ギルドの掲示板に新しい依頼票が貼られた。
『依頼:湖の水竜の鱗ケア ~水流の暴走を鎮める~』
「水竜……!? またデカいのが来たぞ!」
スライムが「ピィ!」と鳴き、俺の胸が高鳴る。ケルベロス、バジリスク、フェニックス――そして次は水竜。ハサミ片手に、俺のトリマー人生はどこまで広がるんだ?
「よし、明日も整えるぞ!」
夕陽がギルドの窓を染め、《切羅刃》が静かに光った。この世界で、俺の刃はまだまだ必要とされている。