第3話 三つ首ケルベロスの大騒ぎ
ギルドの依頼票に名前が載った翌日。
俺は再び、ケルベロスの元へと向かっていた。昨日の暴走事件をきっかけに、どうやら正式に「定期ケア」を任されたらしい。
「……まさか、初依頼が三つ首ケルベロスとはな」
胸ポケットでスライムが「ぷるん」と震える。ミュリアが隣で微笑んだ。
「大丈夫です。昨日のあの子たち、すっかりあなたを気に入ってましたから。――あ、来ましたよ」
石造りの広場に、どっしり腰を下ろす影。三つの首を左右に揺らし、三対の瞳が俺を見つめた。
「おお、来たなトリマー!」
「ぼ、ぼく、昨日はありがと……」
「来訪は必然。世は毛刈りを欲している」
……やっぱり三者三様だな。
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「じゃ、今日は定期ケアだから、全身整えていこうか。まずはブラッシングから」
俺はスリッカーを手に取り、左の短気そうな頭に近づく。
「おい、本当に痛くないだろうな? 前の奴はガシガシやって血が出たぞ!」
「大丈夫。俺は毛先からゆっくりほぐす。――ちょっと首貸して」
「……貸すけどよ。もし血が出たら、噛むからな!」
脅しながらも、素直に顎を差し出す。ブラシを滑らせると、ぱらぱらと抜け毛が舞った。毛の根本にたまっていた熱も少しずつ散っていく。
「……あ、なんだこれ……気持ちいい……」
「ほらな?」
短気な顔がだんだんととろけていく。――意外とチョロい。
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次は真ん中の臆病な頭。
耳の付け根がガチガチに固まっている。昨日は怯えてばかりだったけど、今日は俺の手をじっと見て――
「……こ、怖くないかな?」
「大丈夫。耳の奥をほぐすと、すっごく楽になるよ。いくぞ」
指で耳の中の毛を優しく広げ、ブラシで根本を流す。コームを通すたびに、ビクッと震えていた体が、やがてストンと力を抜いた。
「……きもち……いい……」
「よかった」
胸が少しあたたかくなる。こうやって信じてもらえるのが、何より嬉しい。
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最後は右の哲学者風の頭だ。
目を細め、俺の動きをじっと観察している。
「毛は魂の外殻なり。整えることは、心を映すこと。――その心得、あるか?」
「あるよ。俺にとってトリミングは、命を撫でることだから」
「……答え、合格」
右の頭はすんなりと首を傾け、俺に作業を委ねた。毛流れを読み、風の通り道を作るようにカットしていく。切羅刃がきらりと光り、余分な毛だけを吸い取るように落とした。
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「よし、全身終わった。仕上げは――三者三様スタイルだな」
俺は考える。
左の短気な子には、首周りをすっきりさせてクールなスポーツカット。
真ん中の臆病な子には、丸みを残して安心感のあるベアスタイル。
右の哲学者には、流れるような毛並みを整えて知性派ライン。
チョキ、チョキ。刃のリズムに合わせ、三つの顔がそれぞれ表情を変えていく。
「お、おれイケメンになった気がする!」
「ぼ、ぼく可愛い……?」
「内より外を整え、外より心が整う。理に適う」
三首三様、だけど――全部一つのケルベロスだ。
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そのとき、広場に歓声が上がった。
「うわぁ! ケルベロスが……かっこいい!」
「昨日まで怖かったのに、すっかり大人しくなってる!」
子供たちが駆け寄ってくる。ケルベロスは一瞬たじろいだが、俺が「大丈夫」と声をかけると、素直に尻尾を振った。三本の尻尾が、同じテンポで――ぶんぶん。
「な、撫でてもいい?」
「……おう、毛は整った。触れるがいい」
子供たちの手が毛並みに沈み、歓声が弾けた。
――そうだ。俺がやりたいのはこれなんだ。恐れられていた子が、愛される姿に変わる瞬間。
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「颯真さん!」
ミュリアが駆け寄ってきて、報酬袋を差し出す。
中には金貨が数枚と、つやつやの毛玉が小袋にまとめられていた。
「これは……?」
「ケルベロスの毛です。魔力が宿っているので、お守りや魔道具の素材になります。依頼報酬の一部として、トリマーが受け取るのが慣例なんですよ」
「なるほど……“毛まで価値になる”世界か」
俺は思わず笑った。まさか犬の抜け毛が、ここでは金になるなんて。
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「――今日から君は、俺たちの専属だ!」
三つ首が同時に宣言する。
「ぼ、ぼくも毎回楽しみにしてるから!」
「次の整えは、さらなる理を求む」
「いやいや、俺まだ新人だから……」
けれど胸の奥で、確かに芽生えていた。
――この世界で、自分の仕事が必要とされている。
「よし。次の予約も、ちゃんと空けとくよ」
三つの頭が同時ににっこり笑う。尻尾がぶんぶん、ふわふわ。
俺はハサミをそっと鞘に戻し、夕陽に照らされる広場を見上げた。
――“モンスタートリマー”としての物語が、今始まったばかりだ。