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1回生:4月ー④

 黙ってめるめるさんの次の言葉を待っていると、あろうことか彼女はぽろぽろと涙をこぼし始めた。こぶしをギュッと握りしめたまま小さく震えている。


「ちょっ……」


 この反応はあまりに予想外だった。思わず誰かに見られていないか不安で周りを見渡すが、幸い人から見られる心配はなさそうだ。

 この練習場所はオープンスペースではあるものの、あまり人が通らない絶妙な立地にあるのだ。


 あとはめるめるさんを泣き止ませたいところだが、なぜ彼女が泣いているのやらよくわからない。


「あの、すみません……俺の方こそ察しが悪くて。なんでめるめるさんが泣いてるのかわかんないんす」


「嬉しくって……」


「嬉しい?」


「後輩が……ヒトデくん……」


「え、俺っすか?」


 やべえ。マジで何を言ってるのかわからん……が、わかろうとする努力はすべきだろう。

 死ぬほど口下手な彼女ではあったが、これまでの経過だけを考えれば初心者である俺にも不器用ながら教えようとはしてくれてたように思う。

 そこから導き出される彼女の心情は……


「つまり、めるめるさんは、俺という後輩ができたことが嬉しかった……?」


 黙って頷く彼女。不謹慎ながら、しおらしい感情を見せてくれた彼女は愛らしくも思えた。何を考えているかわからない存在よりは、不器用でも感情を吐露してくれた方がまだ付き合いやすいものだ。


「でも口下手でうまく指導ができず、申し訳なくなって泣いてしまった、と」


「……天才?」


 どうも俺の読みは的中していたらしい。潤んだ目のままでめるめるさんは俺の顔をまじまじと見つめた。

 たまたま予想が当たっただけなのだが、彼女はまるでタネのわからないマジックでも見たかのように大きな瞳でこちらを見てくる。





 ややあって、ようやくめるめるさんが目元のハンカチをリュックサックにしまった。登山用みたいな無骨なデザインだが、だからこそ彼女には似合っているように見えた。


「ごめんね、取り乱して」


「いえ、こちらこそ……こんなド素人の指導なんて大変ですよね」


「うん、まあまあ大変」


 そこは気をつかって否定とかはしないんだな……まあ、この人のそんなバカ正直なところもだんだん好ましく思えてきたのだが。


「気を取り直して……チューニングしてみる?」


「さっきも聞いたんですけどチューニングってどういう意味っすか?」


「……調律?」


 日本語で言われてもわからん。いっそ自分のスマホで調べてみるか。

 ……検索してもやっぱり「楽器を調律すること」とか書いててさっぱりわからん。

 ピアノやギターの調律ならなんとなくわからんでもないが、ホルンでチューニング? なんか管をいじくったら音が合うのか?


「吹いて」


 また突然の指示が飛んできた。たぶん何か深い意味があるだろうし、ひとまず従ってみる。

 チューナーにはアルファベットの「F」の文字と、なんかメーターみたいな線が左右にぐらぐらしている。


「このぐらぐらを安定させる。それがチューニング」


「安定……」


 息を一定に吹けば安定させられるのだろうか。あるいは他にコツが? しかし考えないといけないことが多すぎる。姿勢を正し、楽器を構えて、唇を震わせて、息を一定に吹き込んで……たぶん他にも意識しないといけないことはまだまだあるんだろうけど、初心者の俺にはこれでもいっぱいいっぱいだ。

 とにかくもう一度吹いてみて、感覚を覚えないと。いくぞ……


 再度ホルンを鳴らそうとした瞬間、めるめるさんにおでこをつつかれた。

 なんだ? また俺の吹き方に何かおかしいところでも…… 


「もう21時だから」


 いつの間にそんな時間に……言われてみればあたりが暗くなってからだいぶ経つように思える。

 大学が山の上にあるとはいえ、金管楽器は遠くまで響くだろうからこれ以上は近所迷惑か。

 クソッ……やっと楽器を鳴らせるようになってきたのに。例の期限が一週間ってことは残り6日。1日のうち3時間は練習できるとしても、残り18時間か。

 今日の3時間でどうにか楽器は鳴らせるようになったが、あまりにも遅すぎる歩みだ。


「こんな調子で、俺音階なんて吹けるようになるんすかね……」


「無理だと思うけど、やれるだけやった方がいい。今後のために」


 今後……たとえオーケストラに入れなくても人生勉強になるだろうという意味だろうか。

 そんな慰めを言われてもあまり嬉しくはないが、現実を見据えた言葉ではある。何時間も面倒を見てくれためるめるさんに反論する気も起きなかった。


「楽器片付けて、行こっか」


「行くって……どこにっすか?」


「ラーメン」





 めるめるさんに連れられて来たのは大学からしばらく歩いたところにあるラーメン屋。豚骨の匂いを嗅ぐまで忘れていたが、どうも俺は相当に腹が減っているらしい。急に胃がぐるぐると唸り声を上げ始めた。


「好き?」


 店外に置いてあるメニュー表をめくっていると、めるめるさんが俺の顔を覗き込んできた。

 彼女の背は俺よりだいぶ低いので必然上目遣いになるわけだが、その言葉の響きにドキリとしてしまう。


「え、な、何がっすか?」


「ラーメン」


「……嫌いな奴いないでしょ」


 しかし店の前で聞かれても今さら別の選択肢なんてないだろうに。彼女なりの気遣いなのか?

 無口なだけじゃなくどっかズレてるよなこの先輩。まあ俺もあんまり人のことは言えないが……


 店に入ると香ばしい湯気が俺たちを迎え入れた。ムワッとした感触があるのに案外不快感は無い。

 店内では同じ大学の学生らが数名ラーメンを啜っている。俺たちと同じ、サークル帰りの学生だろう。

 俺も大学生になったんだなあ、と変なタイミングで感慨が湧いてきた。一人暮らしだから親に連絡とかしなくてもいいしな。


「そういやめるめるさんってどこ出身すか? 俺は豊岡なんすけど」


「福知山」


「マジっすか! 北近畿仲間っすね」


「そっか。あそこ変わり者多いしね」


 トマトラーメンの真っ赤なスープを飲みながらめるめるさんがぽつりとこぼした。

 今のは俺に対する罵倒かちょっとした自虐なのか、あるいはその両方か……真顔のめるめるさんからはイマイチ感情が読み取れなかった。

 もし入部できたらこの人が一番学年の近い先輩になるのか、と思うと先行き不安ではあった。


「明日はオーケストラ全体の練習日なんすよね?」


「うん」


「皆さん合奏とかしてるんすよね? その間俺は自主練ってことでいいすか?」


「ん、霧亜さんが教えてくれるらしい」


「えっ……」


 いきなりラスボス戦じゃねえか。絶対罵倒されるだろソレ……

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