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1回生:5月ー②

 オーケストラの正式な練習日は火・木・土の週3日なのだが、大学会館は日曜以外いつでも使えるので、俺は用事の無い日は毎日練習に来ていた。

 大学に入るまで楽器なんてロクに触ったことのない俺だ。少しでも長く練習して遅れを取り戻さないと。


「ほんで、チューリップは吹けるようになったんか?」


 俺の少し後に練習場所に姿を現したボスさんは開口一番で聞かれたくないことに触れてきた。


「ま、まあ……多少は?」


「ほう。そんなら聴いたるから吹いてみろや」


 腕組みするボスさんの前でおそるおそる『チューリップ』を吹いてみせた。もう最初のフレーズでボスさんは渋い顔をしていたが、見ないふりをしてとりあえず最後まで吹いてみたが……


「できてへんやんけ!」


「うっ……」


 ダメなことはわかっていたが、正面から否定されるとちょっとつらい。まあ、曲の演奏よりロングトーンやタンギングの練習の方が面白くてそっちにかまけていたのは事実なのだ。

 「基礎練は大事だけど、それを言い訳に曲練習から逃げちゃダメよ」とははっすんの言葉。まったくおっしゃる通りだ。


「お前なあ……このままやったら冬の演奏会に間に合わんぞ」


「えっ!? 出れるんすか!?」


「曲目と……あとはお前の進捗次第やけどな」


 演奏会……自分が出る場面なんて想像したこともなかった。今からだと半年以上あるけど、実際間に合うのだろうか。

 というか、何をもって「間に合った」になるのか、その基準もよくわからない。

 仮に楽譜どおり吹けるようになっても、半年くらいじゃ「ド下手」が「下手」に変わるくらいの変化しかないだろうし。

 先輩の楽譜をチラッと見せてもらった限り、そもそも楽譜どおり吹けるのかもだいぶ怪しい。 


「まあ1曲だけしか楽譜渡してなかった俺も悪いわ。『赤とんぼ』とか『ふるさと』も渡そう。日替わりで練習してもええしな」


「やっぱり童謡なんすね……」


「あーもー……やかましいな。シュトラウスの楽譜も渡したるわ。吹けんでも楽譜読む練習にはなるやろ」


 なんやかんやと言いながら世話を焼いてくれるボスさんには感謝しかない。霧亜さんにせよボスさんにせよ厳しい口調ではあるが、逆にそれが癖になってくる。

 ミミ先輩は甘いと思うほど優しいが、それでは少し物足りなくなっている自分がいる。

 ちなみにこれは断じてマゾヒスティックな感性ではない。むしろ厳しい修行で己を追い込む、漢らしい魂の在り方なのだ。


「なにニヤニヤしとんねん、キショいな……」


「ふへっ……そんなことないっすよ……へへ」


 ボスさんが半歩ほど俺から離れた気がするが、きっと俺の見間違いだろう。たぶん。


「とりあえず、近々演奏会聴きに行こか。よその大学の演奏会やったらそんなチケットも高ないし」


「どこの大学っすか?」


「京大や。関西の大学では一番上手いんちゃうかな」


「へー……」


 勉強ができるうえに楽器もできるのか。そう思うとなんだかズルい気がしてきた。


「まあ全員京大生ってわけでもなく、色んな大学から団員は集まってるみたいやけどな。とにかく行ってみよか。初めてやろ、コンサート聴くの」


 ボスさんの言うとおり、俺はこれまでクラシックのコンサートに行ったことは無かった。ずっと興味はあったのだが、何から聴けばいいのかわからないし、海外の有名なコンサートとなれば万単位で金が飛ぶし……

 しかし初めての演奏会か。だんだん楽しみになってきた。





 そして演奏会当日。ホルンパートの先輩とコンサートに行くことにはなっていたのだが……

 

「なんで誘ってくれたボスさんが来てないんすかね……」


「彼女とデートだって。ヒトデはメッセージ見てない?」


「いや、見てますけど……そういう問題ではなく」


 来れなくなったのは仕方ないのだが、なんとなく置き去りにされた感があって寂しい。

 しかもよりによってメンバーが口下手なめるめるさんと、もう一人があんまり話したことのない先輩となれば変に緊張してしまう。


「あの、どうも、よろしくっす」


「あー……ヒトデくんだっけ。うん、よろしく」


 彼女は「モナコ」さん。霧亜さんやクリンさんと同じ3回生ではあるが、あんまり自主練に来るタイプではなく、正規の練習日に何度か顔を合わせたことがあるレベルである。

 多弁な方でも無さそうだし、いまいちキャラが掴みきれてない。


 ホルンパートのメンバーを総括すると、

 1回生:俺、はっすん

 2回生:めるめるさん、茜さん

 3回生:霧亜さん、クリンさん、モナコさん

 4回生:ボスさん、ミミ先輩


 となるわけだが、断トツで一番話したことがないのがこのモナコさんになるのだ。

 だからこそ、ボスさんはこのメンバーでコンサートに行けと命じたのかもしれないが。


 先輩たちとは駅で待ち合わせしていたのだが、改札口で挨拶をしてから駅舎を出るまで一言もしゃべっていない。

 無口の化身めるめるさんが場を盛り上げてくれるはずもないので、ここは俺が頑張るしかないか。


「あの、モナコさんは他の大学のコンサートとかよく行くんすか」


「いや、あんまり」


「そっすか」


「……」


「……」


 5秒で会話が終わってしまった。俺の話の振り方が悪かったのか? いや、でもいくらでも話は膨らませられたのではないのかと思うのだが……しかし……

 不安になってモナコさんの顔色を伺うと、彼女は機嫌よく路上を行くハトを目で追っていた。めるめるさんと違って無表情でないのはありがたいが。


「ヒトデくんはさー」


「えっ!? ひゃい!」


「裏返ってるよ、声」


 モナコさんが突然振り返って話しかけてきたせいで思わず変な声が漏れてしまった。クスクス笑われて恥ずかしいが、別に俺をバカにしているわけでもないらしく、俺が落ち着くまで待ってくれているようだ。


「なんでやろうと思ったの、楽器」


「えっと、まあ、色々あって」


「そっか。色々か」


 俺の曖昧な返事に気を悪くするでもなく、モナコさんはすっかり桜の散った木の枝に触れた。

 マイペースだけどそれが不快感を与えない、どうにも不思議な人だ。ナチュラルで透明感のあるミディアムショートの髪が余計にそれを際立たせている。


「ね、めるめるちゃんは色々って何だと思う」


「さあ」


「わかんないか、だよね」


「はい」


「ふふっ、そうだよね。ふふふ」


 やけに楽しそうなモナコさんにつられてめるめるさんも口元を緩めた。

 何ともまったりした雰囲気のまま俺たちはコンサートホールにたどり着いた。今日は14時開場で、ちょうどの時間に着いたのだが、かなり混雑しているようだ。



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