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番外編 村人の僕と賢王だった僕


 遠い遠い、昔の記憶だ。

 その記憶が蘇ったのは、十五歳の誕生日だった。


 ただの村人でしかない僕にはもったいないほどの記憶に、ちょっと前世の自分を恨むことになるだなんて思ってもみなかった。

 だって前世の僕は、こことは別世界に生きる、国民からも他国の王族からも賢王と呼ばれるほどに頭も性格も良い、何だってできる男だったのだ。あまりにできすぎて、完璧なる王子と自他ともに認めるぐらいに非の打ち所がなかった。

 平民生まれ平民育ちの僕とは大違いだ。


 けれど前世の僕には、深すぎる後悔が常に心の中にあった。


 それは、異世界からきた魔法使いによって、幼い頃から愛してきた人を裏切ってしまったこと。

 しかもそれはほぼ不可抗力で、目が覚めた時には彼女は別の男性の腕の中にいた。あの時の衝撃は計り知れない。たぶん、前世の僕が唯一、取り乱した瞬間だった。

 いっそそんな悪夢から目覚めなければ良かったのに、と今の僕なら言える。けれどかつての僕はそんな甘えを言える立場ではなかった。


 だから彼女と約束した通り、立派な国王になった。僕の功績を称える文献が何冊も発行され、他国の王族からも勉強のために国の者を預けたいと言われていたのだから、賢王の名に相応しいだろう。


 それにきちんと結婚もして、子供へと正しい歴史を繋いだ。

 ……二人目の婚約者は、途中でその役割を果たす能力はないと判断し、世間には病気ということにして遠い地へと送った。『君には無理だ』と告げた時にホッとした表情を浮かべた彼女とは結局死ぬまで会わず終いだったが、彼女はひたすらに謝罪と後悔を繰り返していたと見張りの者から報告を受けていた。


 前世の僕の妻──王妃となったのは三人目の婚約者で、今の僕の両親のように男女の愛情で結ばれたというよりは、協力者同士の友愛に近かったように思う。けれど互いに知識を高め合う存在で、国をより良くするために思考を止めず、様々な政策を打ち立てた。

 二人三脚で歩んだ歴史は子供たちへと引き継がれ、子供たちもまた国のために生きる人間へと育ったことに安心して、僕は国王ではなくなった。

 余生は妻と二人、ゆったりとした時間を過ごし、妻が老衰で亡くなった後、すぐに後を追うように僕の命の灯火も消えていった。


 ……こうして色々と思い出し、整理してみて思う。

 確かに後悔はしていたが、かつて愛した女性との約束は守れたはずだ。できることはすべてやりきった。


 しかも前世の記憶があったところで、今の僕が活かせるものなんてない。賢く回転の速い頭が僕にもたらされることはなかったし、僕は僕のままだ。


 ではなぜ、前世の記憶が今、僕に蘇ったのだろう?


 しばらく考えてはみたが、考えても分からないし、誰に聞くこともできない。つまりは謎でしかないという結論に至る。

 まぁ邪魔になるものでもないし、そんなに気にしすぎることはないのかもしれない。僕は僕のまま、時折脳裏をかすめる記憶とともに過ごせばいいのかな、なんて、僕はのんきにもそう思っていた。



 それがまさか、こんなことになるなんて。


 この日は、記憶が蘇ってから一ヶ月程経過した、よく晴れた日の昼下がりだった。


 買い物帰りに歩いていたら、大型馬車の通り道に子供が飛びだし、しかもその子供が道の割れ目に足を取られて動けなくなっている現場を目撃して、咄嗟に体が動いていたのだ。

 普段の僕ならありえないと思った。

 こんな反射神経も運動神経もないし、自分が怪我するかもしれない状況に体を投げ出す勇気だってない。こんな時に使える魔法も覚えてはいない。


 それなのに、僕は子供へと手を伸ばし、絶対に離しはしないと言うように両腕に抱き込んでいた。

 完全に無意識で、子供の体温をこの腕に感じてやっと、自分が飛び出したということに気づいた。


 そしてその時に、頭の中で微かに声が聞こえたんだ。



 ──ル様……行かない、で。



 ……ああ、前世の僕はこの声に応えたかったんだ。

 この手で、守りたかったんだ。

 すべてをやりきって、これ以上ないほどの成果を残したけれど……たった一人を守り抜けなかった自身を、僕はずっと恨んで悔やんで、悲しんでいたんだ。

 負けず嫌いで、泣いても悔し泣きで。本気の本気で、僕に挑んできてくれた最愛の人を、何もできないまま他の男に渡すことになった自分の愚かさに身を焦がしながら、生き抜いたんだ。


 何が完璧な王子だ。何が賢王だ。

 ただの初恋を忘れられないバカな男じゃないか。


 それでもたくましく生きたんだ。生き恥などさらしてたまるかと……異世界で輝く彼女に、彼女を託した男に負けてたまるかと、ずっとずっと戦ってきたんだ。


 その結末が、僕の記憶で。これからの僕ならば。


 僕はまだ、こんなところで死ぬわけにはいかない!!



「お兄ちゃんにしがみついてて!」



 僕を動かすだけの勇気は、前世の僕からもらった。

 子供を腕に抱きながら、片手で子供の足を割れ目から慎重に、でも素早く引き抜く。そうして抱え直して走り抜けようとした僕の足は、死が迫る恐怖に震えて思っていたより上手く走れなかった。


 すぐそこに迫る、大型馬車。御者が慌てふためいて手綱を操作しているようだけれど、馬は止まらない。

 人々の悲鳴や怒号がする。止まれ、曲がれ、走れ。

 様々な音が聞こえたけれど、馬が大声で鳴き、前足を振りあげた。


 間に合わない! と僕は子供をかばうように抱き込んだ。

 僕は死んでもいい! この子供だけは!


 そう願った僕の耳に、はっきりと届いたのは──



「我が身に宿りし純然たる力よ。我が声に応え、強固なる風となれ、風防壁(ウィンドシールド)!」



 ゴワッと音がして、髪の毛や服が浮いた。

 その後に続くだろうと思っていた衝撃はなく……騒がしかった周辺もシンと静まり返っている。


 恐る恐る顔を上げた。すると同い年くらいの青年が、僕を背中に守るようにして立ち、馬車の方へと手を掲げていた。


 ……彼は誰だ。僕は助かったのか。子供は無事か。

 次から次へと疑問が頭を過る中で、こちらを振り向くことなく僕たちを守ってくれたであろう青年が背中越しに僕に問いかける。


「ごめん、すぐに立てる? ちょっとそこから移動できるかな?」

「え……あ、はい……!」

「ごめんね! 馬車はこのまま降ろした方が安全そうなんだ。あ、すみませーん! どなたか動ける方、彼を助けてもらえませんか?」


 彼の呼びかけに何人かが走ってきて、その中に子供の母親もいたようで母も子も大泣きで抱き合いながら移動した。

 移動した先、母親は顔をぐしゃぐしゃにして僕にお礼を言ってくる。


「いや……僕は、何もして──」

「君がその子を助けたんだ。すごく勇敢なんだね、すごいよ!」


 溌剌とした声はすぐ隣から。

 びくりと肩を揺らせば、背中しか見えなかった青年が、にっこりと笑って僕たちの輪の中に入ってきた。青年の瞳は片目ずつ異なる色合いで、それがどこか懐かしくもあり、ずっと会いたかったものでもあり……


「わ! どうしたの、痛いところがあった!?」

「……え、あれ? 僕……泣いてる?」

「お兄ちゃん、ごめんなさーい」

「すみません、うちの子のために! どうかうちで休んでいってください!」

「怪我したかな!? それとも体の中が痛む!?」

「え、いや、あの……」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、泣かないで!」


 と、なんとも混沌とする会話の中で、この涙は前世の僕が流したものだと理解して、僕はまた泣けてきて……

 しばらくわぁわぁと言われながら泣いた僕だったが、あまり心配をかけたくなくてつっかえながらも三人に頭を下げた。


「大丈夫、です。心配、かけちゃって、すみません」

「お兄ちゃん、ごめんなさい。ぼくのせいで、まだいたいんだよね?」


 何ともないのに僕があまりに泣くものだから、僕の服の裾を握っていた子供までまた泣きそうになっていて、慌ててしゃがみこんで子供と目線を合わせた。


「ううん、君のせいじゃないよ。大丈夫。ごめんね、君が元気だから安心しちゃった」


 これは僕の本音だ。

 片手で涙を拭いながら子供の頭を撫でて、もう飛び出さないでね、と約束をした。母親からは家で休むことを勧められたが丁重にお断りをして、二人とはお別れとなった。


 そうして僕は……勇者の末裔の彼と、正面から向き直る。


「大丈夫? どこか痛むなら、回復魔法をかけようか?」

「いえ、大丈夫です。ちょっと感極まっちゃって」

「感極まった?」

「はい。僕はずっと、あなたに会いたかったので」


 そう言うと、少し驚いたように瞬きを数回した。その顔が、記憶の中にある忘れられない女性の顔と重なる。


 青年は彼女によく似ていた。手入れされた薔薇の花のように美しかった彼女の面影がありながら、けれど棘はなく、親しみやすさがある。それは別れ際に『殿下もご武運を』と握手をした彼と似ていて、悔しくもあったが嬉しさの方が勝った。

 彼女は異世界で、勇者の妻となり、確かに幸せになったのだ。


 その証しが目の前にいる、片方が薄紫、片方が緑の瞳をした青年だ。


 人を守ることにためらうことなく自身を差し出せる勇敢さと、それを叶えるだけの実力と、人々を気遣える優しさと。すべてが詰め込まれた青年の存在こそが、彼女が勇者とともに最高の人生を生きた証拠だった。


「勇者の末裔と呼ばれるあなたに、会いたかったんです」


 落ち着いてきた心境で最後の涙を拭って言えば、青年は困ったように片方の頬を指でかいた。


「あー……俺、確かに勇者の末裔ではあるんだけど、探検家を目指してるんだ。だからそんな仰々しいことはできなくて……」

「探検家?」

「そう。この世界には俺の知らないものがたくさんある。食べ物も植物も、土地も人も文化も、魔法だってそう! 俺はそのすべてをこの目で見たい。この手で触れて、体験して、この世界の素晴らしさを家族に話したいんだ」

「家族に……」

「そう思って旅を始めたんだけどね。予定より随分と遅れてしまってて。そんなに進んでないなら一度帰ってきて顔を出せと言われていて……」


 言いながら腕を組んで、眉を下げた青年が苦笑する。

 妹が怒ると恐いから、帰らないといけないらしい。


「妹さんはなぜそんなに怒っているんですか?」

「妹は魔法マニアなんだ。俺が手紙に書いた珍しい魔法を知りたいそうなんだけど、まだ一人旅を許してもらえる年齢じゃなくてね。だから帰ってきて見せろ、と」

「妹さんはおいくつで?」

「七歳」

「七歳で魔法マニア!?」

「うん。すごいんだよ、妹は。弟もすごいんだけどね。弟は弓を持たせたらそんじょそこらの弓使いにも負けないよ」


 青年は、純粋に弟妹自慢をする兄の顔となった。この短い時間に色々な表情を見せる彼に親近感を抱き、僕はつい、ありえないお願いを口にしてしまう。


「あの……僕もあなたの里帰りに同行させてもらえませんか?」


 言っておきながら、自分が一番驚いていた。

 これも無意識だ。無意識に、会いたい気持ちが強かった。


「俺の里帰りに?」

「あ、いや、無理ですよね」

「ううん。君の家の方が良いなら俺は良いよ」

「え? 良いんですか?」

「うん、良いよ」

「……不用心すぎませんか?」


 さっき会って、まだ名前すらも教え合っていない人を里帰りに同行させるなんて、不用心この上ない。

 自分でお願いしておきながら、生意気なことを言う僕に彼はカラリと笑った。


「大丈夫。俺もそれなりに鍛えてるし、両親はもっとすごいから。家に呼んでもよっぽどの人じゃなければあの家のものは奪えないよ」

「……ご両親も鍛えておられるんですか?」

「父は勇者そのものだよ。俺はいつまで経ってもあの人に勝てる気がしない。でも一番強いのは母だね」


 母親の登場に、僕の胸は不覚にもドキリと鳴った。

 しかしこれは恋心などではない。その強さの秘訣を知りたいという、好奇心と確信。


「母は相当負けず嫌いなんだ。勝つまでやる、がモットーの人で、小さい頃からそこかしこで勝負を挑んでは勝ち上がってきたから。もうね、猛者だよ、猛者」


 目に浮かびます、とは言えなかった。

 前世の僕が知る彼女の一番のライバルは自分だった。けれど今の彼女には、たくさんのライバルがいたようだ。


 ……そして、再び勇者の資質を持った男と出会い、惹かれあったのだろう。

 彼女は、前世の僕が愛した人とは違うけれど似ているところもある。それを悲しいとは思わなくて、こんなにも立派な息子を育てた彼女が誇らしくすらあった。


「おまけに体術は父親仕込みだし、魔法は元々すごいし。最強。あの夫婦が本気で喧嘩したら、国の二つ三つは軽く吹っ飛ぶと思う」

「そんなにですか」

「父が母にメロメロだから喧嘩にはならないけどね。毎朝毎朝惚気られて、弟妹はその鬱憤を俺で晴らしたいのもあるんだろうな。だから、遊び相手がいてくれると俺としてもありがたいんだよ」


 それまで家族の話だったのに、矛先がいきなり僕へと向いて、僕は少し肩を上げた。

 かつての想い人に思いを馳せている暇なんてないかのように、青年は笑って、期待しているよ、なんて言ってくる。


「いや、僕、運動も魔法も全然で……」

「じゃあ、帰りながら護身術を俺が教えるよ。とりあえず、さっきの風の防壁は全方位に張れないと、弟妹とは遊べないからね」

「いや、遊ぶのが目的じゃ……」

「大丈夫大丈夫。まぁ、楽しくいこうよ。これからよろしくね」


 人の話をたいして聞かずに差し出された手は、カサついていて分厚くて、鍛えている人の手をしていた。

 同年代なのに、平民だからとのらりくらりしていた僕の手とは大違い。


 道端で、男二人が握手するなんて変に思われないかな、と頭の片隅で思ったが……まぁ、いいか。これから仲良くしていきたいは間違いないのだし、と開き直る。


「よろしくお願いします。僕はサミーといいます」

「よろしくね、サミー! 俺は──」


 こうして、ただの村人だった僕は勇者の末裔である彼の里帰りに同行して、ご家族とも仲良くなって、そのまま一緒に旅を続けることになるのだが……



 僕の前世の記憶が一度だって役に立つことはなかった。異世界の常識なんて役に立つか! と心の中で何度か愚痴を吐いたが、それでも楽しさは前世の僕と合わせて二倍になる気がしていた。

 親友となった彼は、なぜここまで、と思うぐらいに困った人々の中に首を突っ込んだり巻き込まれたりして、付き合う僕も大変ではあった。けれど多くの人に感謝され、毎日大きな口を開けて笑い合っている。


 それが何よりの幸福なのだと、今の僕は思う。



END

読んでいただき、ありがとうございました。

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