第四話 勇者への宣言
距離を開けたディアーヌに苦笑したリュカだったが、二人の話はまだ続いていた。
「この魔石は二年程前に引き出しにあった、と言ったよね? 俺もちょうど二年前に、魔王を倒したんだよ。その時になくしたから、たぶん時間経過としては同じくらいだ」
「リュカ様は今おくつなのですか?」
「二十二歳だよ」
そうなると、二十歳で魔王討伐を果たしたのか、と計算する。
「魔族は人間と敵対する位置づけにいる、という認識で問題ないでしょうか? それと、魔王は何人もいらっしゃるのですか? この世界では各国に王がおります。そのように、魔王も何人かいたりしますか?」
「魔族は人間を滅ぼそうとしていて、魔王はその魔族の頂点。これまでの歴史上、そう呼ばれるのは一人だけだったよ」
「一人だけ!?」
「約千年に及ぶ魔族と人間の戦いが、二年前に終わったんだ。しばらくはお祭り騒ぎだったけど、やっと落ち着いてきてね。今は復興と発展に力を入れているよ」
さらっと言ってのけるけれど。
とんでもないことを成し遂げているではないか、この緩急激しい男性は……! とディアーヌは衝撃を受けた。
間違いなく、時の人だ。
きっとあちらの国では彼を称えるための建物や銅像や伝記や歌劇なんかがあちらこちらで作られるだろう。未来永劫、その名は語り継がれる。
……ここまですごい人だと認識してしまうと、このまま訊きたいことをのんびりと訊いていて良いのかという疑問が湧いてくる。
リュカはリュカで、勇者と言い当てただけのディアーヌの何がお気に召したのか、楽しそうに受け答えをしてくれてはいるが。
これは早々にお帰りいただかないと、それこそあちらの国がパニックに陥るのでは……? と、そこまで考えてディアーヌは根本的な問題に気がついた。
「……その、魔石があなたを呼び寄せて、力を失ったのなら…………あなたは、どうやって……」
帰るつもりなの、という言葉は続けられなかった。
人間が、魔王を討ち取るために千年という時間を要し、そうしてやっと討ち取った勇者が、こんなところにいていいはずがない。
彼は彼の世界で、絶対になくてはならない存在だ。簡単に替えがきくものでは絶対にない。きっと彼は存在するだけで民に勇気を与え、明るい未来への活力となるだろう。
そのぐらいのことは、世界の違うディアーヌにだって分かる。
けれど転移の起点となった魔石は、彼が言うならば今やただの石となった。
そして彼の魔力では、転移魔法が使えない。もちろんそれはディアーヌもだ。ディアーヌは魔法すら使えない。
となるとリュカには、自分の世界に帰るための手段が残されていないではないか……!
そう結論づいたディアーヌは、自身の顔色が悪くなっていくのを自覚した。それと同時に、頭の中に思い浮かんでいた質問の数々も消え失せた。
「どうしたの?」
呆然としながらリュカを見つめるディアーヌに対し、彼女の異変をすぐに感じ取ったリュカは、心配そうにディアーヌの顔を覗き込む。
ディアーヌとしても初対面の人に心配はかけなくないのに、掠れた声で返すしかできなかった。
「……私が……」
「え?」
「私が、動かしてしまったから……?」
石を二年間保管していたのはディアーヌだ。
しかもこの二年間引き出しからだすことなんてほとんどなかったのに、今日に限って何を思ったのか本棚に置いてしまったばかりに、転移魔法が発動するきっかけを作ってしまったのかもしれない、とディアーヌは考えた。
「私がこの石に変化を与えたことで、こんなことになってしまった、とは考えられませんか? あのまま引き出しに入れておけば、あなたはここに呼ばれなかったかもしれません。もしくは、あの引き出しの中が特殊な空間になっていて、外気に長く触れさせたから、とか? 何にせよ、私が迂闊にも動かしたから、勇者であるあなたをここに呼び出してしまったのかもしれません。そう考えると……今回の転移の責任は私にあります」
息継ぎなく言ったディアーヌに、リュカは少し驚いたような表情をした。けれどすぐに、首を横に振る。
「君の責任ではないよ」
その言葉は、彼の優しさだ。
しかしながら、ディアーヌはそうですね、とは頷けない。
「少なくとも、この石にとっての環境を変えたのは私です。絶対にそれが関係ないとは、あなたでも言いきれないでしょう?」
「さすがに考えすぎだと思う。場所を変えなくても、発動する時はきっと発動していた」
考え込むのを制止するような声色に、やはりリュカは信用できる人だと思った。彼からすれば知らない世界にいきなりやってきて、大切な魔石をただの石扱いした失礼な娘なのに。
彼は一度だって、それを責めてはこなかった。
ディアーヌは黙り込んで考える。
今、異世界の勇者がここにいるという現状を作り出したのは……あの、魔石だ。
魔石は、魔族が倒された後に遺すもの。
魔族の核。ある意味でそれは、魔族自身だ。
……今回のことを、魔族がリュカを呼び出した、と考えたらどうだろう?
魔族はその一度の転移で力を使い切った。
では、ディアーヌは?
ディアーヌはまだ、何もできていない。そしてこのままでは何もできないディアーヌのままだ。
それはつまり……現時点で、ディアーヌは魔族に負けている、ということでは?
「…………そんなこと、許せないわ」
その呟きとともに自分の中で出た結論に、ディアーヌは血が沸き立つような感覚がしていた。
そしてその結論に至ることが自分らしいとも思えて、少しばかり嬉しくなった。
「……リュカ様」
自分がつけた彼の名を呼び、勇者の手の上にある石を睨むようにして見つめる。
魔族に、魔石に。
ただの、こぶし大の石に。
負けたままでは、いられない!
「私が必ず……あなたを元の世界に帰してみせますわ」
「え?」
「この石にできて、私ができないなんて許せませんもの!」
ディアーヌはリュカの手元の石を見ていた顔を上げた。そうして視線がぶつかった紫の瞳を、じっと見据える。
先ほどまでとは逆になったかのように、困惑するリュカを前にしてもディアーヌに迷いが生まれることはなかった。やけにクリアになった思考が、ディアーヌのすべきことを口に出せと命令しているようだった。
「魔石は、元は魔族だったのでしょう?」
「……うん」
「今回の転移がその魔石によるものなら、それは魔族によるものだと私は考えました。私は魔族のなんたるかを知りませんが、このまま魔族にやられっぱなしなんてのは受け入れられません」
考えれば考えるほど。
やる気も闘志も気合も漲ってくる。
「だから魔族がしたことを、私も実現します。あなたを無事に、あなたの世界に送り返す。これは私と魔族の勝負なのですわ!」
これが本来のディアーヌ・バトンだ。
負けず嫌いで、自分が勝つと決めた相手に勝つまでは、絶対に諦めない。相手が王太子だろうと魔族だろうと変わらない。
ディアーヌは前のめりになって、はつらつとした表情でリュカへと宣言する。
「私は負けませんわよ! リュカ様、時間はかかるかもしれませんが、絶対にあなたを元の世界に送り届けます! そのために、私は何だってやりますわ! だからご安心を!」
言いきったディアーヌに、たっぷり数十秒固まったリュカ。
目は真ん丸に見開き、口はぽかんと開いている。
けれどもそんな彼を気にせず、ディアーヌは勢い良く立ち上がると、やってやりますわよー! とこぶしを天に掲げた。
それらの動作で肩にかけていた羽織が落ちるのと同じように、リュカがぐったりとソファに身を沈める。それは横目に映っていたので、ディアーヌは慌ててこぶしを引っ込めて座り直した。
「リュカ様? 大丈夫ですか?」
「……大丈夫。君が俺の想像を超えすぎてて、なんだか力が抜けちゃった」
「そうでしたか。すみません、驚かせましたね。私、生粋の負けず嫌いなんですの」
「すごいな。すごいよ。君はすごい」
「ありがとうございます。けれどまだ何もなし得ておりませんので、褒めるのはお早いですわ」
「……そう」
会話が終わると、リュカは一度目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。そして再び目を開けると、まずは羽織をディアーヌの肩にかけ直してから口を開く。
「ねぇ、ディアーヌ」
リュカに初めて名を呼ばれ、ディアーヌは、はい、と返事をする。
「……話したくなければ、話さなくても良いんだけど」
その前置きの後、リュカはおずおずとディアーヌへと一つの質問を投げかける。
「君はなぜ、婚約を破棄されたんだい?」
飾ることのない、直球の質問だった。
しかしそれが好奇心からではなく、きっとリュカの中で納得がいかないからこそされたものだということは、すぐに分かった。
少しだって、リュカは笑っていない。本気の本気で、理解できないという表情である。
「俺からすれば、君のように困難な状況でも前向きに考えられる人は、上に立つ素質があると思うんだ。特に俺のいた世界で君みたいな人がいてくれたら、きっと皆、どんな時でも勇気づけられたと思う。それに君はちゃんと状況把握もして、無茶苦茶なことは言っていない。君の婚約者は、君のその勢いについてこれなかったのかい?」
……リュカの世界では、これまでずっと魔族に怯えて生きてきたのかもしれない。そんな中で、負けてたまるかと立ち上がれる人は、どれだけいたのか。
間違いなく、ディアーヌは立ち上がって駆けていく方だ。
そんな彼女を、リュカは高く評価してくれたのだろう。
ディアーヌの中で温かな気持ちが広がっていくようで、自然と口元は笑みの形となっていた。
「最初に申しましたが、話せば長くなりますよ?」
「聞かせてほしい」
まだまだ、夜明までは時間がある。
こんな時にやってくる眠気は二人になく、ディアーヌは婚約破棄に至るまでの話をリュカに聞かせることとなった。