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第四十八話 新たな家族と仲間に囲まれて


「……ちちおや……ぼたい……新しい……おにいちゃん?」


 言葉が出ないディアーヌの横で、ライオノアが確かめるように単語を口にして…………


「ディアーヌ、愛してる!! エクレール、ありがとう!!」


 勢いは良いのにとてつもなく優しくライオノアに抱きしめられた。

 それと同時に仲間たちからは拍手が起こる。


「すご〜い! 動き止めちゃうなんてエクレールさすが〜」

「弟妹想いの兄がいてくれると心強いですね」

「それはめでたいが、ディアーヌさん、こっち座ってくれ。おい、ライオノア、ひざ掛けかなんか持って来い。妊婦が体冷やしたらだめだろ」

「分かった!」


 返事をするなり光の速さで駆けていったライオノアは、ひざ掛けではなく大きいブランケットを持って帰ってきた。

 ディアーヌはあっという間に丸ごと包みこまれ、そうっと抱き上げられてソファへと座らされる。恐らくこの間、五回も瞬きをしていなかったように思う。


 ライオノアはディアーヌの隣に座ると、何かいるものがないか、気分は悪くないかと一頻りの質問をしてくれたが、それにはいる、いらないの返事しかできなかった。

 しかしそんなディアーヌに呆れることなく、ほとんど顔だけしか出していない状態の彼女の頬を撫で、再び感謝を伝える。そのお礼がディアーヌと、ディアーヌの中にいる二人へと贈られた言葉だと分かった途端に、視界が徐々にぼやけだした。


 振り返って夫とは反対隣に座るアレッシアを見ると、彼女はブランケット越しにディアーヌのお腹のあたりを見つめていた。


「……アレッシアさん、私……本当に?」

「ええ、あなたの魔力がお腹を守るように渦巻いているわ。すごいわね、よっぽど大事にしてるのね」


 ディアーヌの中の魔力。

 それはつまり、魔王であったエクレールの魔力の欠片だ。


「もう少しお腹の子が成長したら、皆も分かると思うわ」

「そりゃあ、日に日に楽しみが増えるな」

「私も定期的に来ますね。何かあったらすぐにライオノアをよこしてください」

「明日の買い物はこの子のおもちゃ選びもしよーね!」


 皆からのお祝いの言葉にお礼を言っていたライオノアだが、急に何かを閃いたかのように、もしかして、と呟く。


「俺が今日、エクレールに呼ばれた気がしたのって……?」

「間違いなく、これでしょうね。あなたに教えるつもりだったのか……もしくはあなたがディアーヌを抱きしめたように、嬉しさでそういう反応になったのかもしれないわね。どちらにせよ、おめでとう、ディアーヌ。あなたは世界一の魔法使いに守られているし、私たちもいる。安心して、お腹の子を産みなさい」


 そう言って笑ったアレッシアが、ソランジュと重なった。年齢も見た目もまったく違うのに、向けられる愛情は母親からのそれに似ていると思った。

 言葉も出ず、喉の奥も目頭も熱くなったディアーヌを後ろからそっと抱きしめ直すのは、最愛の夫だ。


 大事に大事に、妻も二人の子も慈しむ手のひらがブランケット越しにお腹に添えられる。


「皆で幸せになろう、ディアーヌ。君もお腹の子もエクレールも、俺が守るから」

「……はい……っ!」

「愛してる。俺を選んでくれてありがとう」


 はい、と涙声でディアーヌが頷いたところで、小さな声でアレッシアが魔法を唱え、二人を包むように光の壁が現れた。恥ずかしがり屋のディアーヌのために、目隠しをしてくれたのだろう。


「私も愛しておりますわ……リュカ様、ライオノア」


 久しぶりに呼んだ名に、勇者の口角が上がった。


「世界一の幸せ者にしてくれる?」

「ええ、もちろん」


 ブランケットから抜け出したディアーヌは、両手を伸ばしてライオノアを抱きしめる。胸いっぱいに広がる喜びに、ディアーヌは小さく息を吐いた。


「……やっぱり、私は元悪役令嬢なだけありますわね。あなたを世界一の幸せ者にすると言いながら、私の方が幸せをもらっておりますもの」

「それじゃあ子どもたちと四人で、同率一位ということだね」

「世界一幸せな家族ですわ」


 抱きしめ合って笑い合って、愛していると囁き合って、二人は穏やかなキスをした。


 そうして少しだけ顔を離し、鼻と鼻が触れ合う距離からライオノアと見つめ合う。母国では出会えない紫の瞳があまりにも美しく、思わず彼の頬へと手を添えていた。


 ディアーヌはこれからも、ライオノアと共に歩み続ける。

 二人でいれば明るい未来が広がって……その先の未来で生まれ変わったエクレールとも正真正銘の家族となるだろう。たとえ何年、何百年、何千年と先でも、その時をずっと待っている。


「ライオノア……今も、これからも、来世でも共にありましょうね」


 ディアーヌの言葉にライオノアは大きく頷いて、返事代わりに愛する妻の頬に誓いのキスを贈る。


「その時はエクレールとディアーヌの取り合いをしようかな」

「ライバルになるおつもりで?」

「ある意味ね。子供とお母さんの取り合いになるのはよく聞く話でしょ?」


 よく聞くかしら、と首を傾げると壁の向こうから仲間たちの声が聞こえてきた。こちらの声は聞こえていないようだが、奇しくも話題は似たようなものである。


「ライオノアのことだから、我が子相手にも大人気ないことしそうだよな」

「ライオノアに似た子ならディアーヌの取り合いになって大変だね〜。親子喧嘩なんかになったら国が吹っ飛んじゃうよ」

「ディアーヌに似ても大変よ。ライオノア相手に負けず嫌いを発揮してみなさいな。それこそ国がいくつも吹っ飛ぶ親子喧嘩になるわ」

「そこはライオノアも父親になるのですから、多少の心の余裕を持ってもらいたいものですね」


 四人の会話に、ディアーヌもライオノアも苦笑いになる。まったくもう、と言いつつも気を取り直したライオノアがディアーヌを呼ぶ。


「俺はどんな姿になっても、どんな時代を生きても、君に出会って君に惹かれて君を愛する。たとえ世界が違ってもディアーヌとは出会えると思うから。だから、俺が君を見つけるまで待っていてね」


 嬉しい、なんて言葉だけでは表せられない感情が身体中に溢れてくる。

 こんな夢のような話でも、ライオノアだったら信じられる。そしてそれを実現してみせようと思える。



 ……しかし。

 それだけでは足りないのが、ディアーヌである。



「……それは無理なお話ですわね」


 ライオノアの言葉を否定したはずなのに、ライオノアは少しも嫌な顔をしない。むしろ待ってましたと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべて最愛の妻の言葉を期待している。

 ディアーヌもにっこりと笑うと、堂々とした面持ちで胸を張った。


「私はどんな時でも、たとえライオノアが相手でも負けませんわ。私が先にあなたを見つけますの。そして、もう一度恋をしましょうとお誘いして、口説き落として見せますわ」


 その宣言の後、ガラスが割れるような音を立てて光の壁が弾けた。その光は破片となり、辺り一面をキラキラと輝く空間へと変える。

 バルドリックとイナはこれに感嘆の声を上げ、アレッシアとエアカドは和らいだ表情で見上げているため、これは四人の誰かがしたことではないとすぐに分かった。


 ディアーヌとライオノアもその輝きに目を奪われていたが、光の破片は意思を持つように舞い始め、幾筋かが二人の周りを取り囲む。まるで踊るようように煌めく光に、ディアーヌは思わずふふ、と声を出して笑ってしまった。


「かわいいですね」

「うん。それにしても、エクレールはディアーヌが大好きだなぁ」

「ライオノアのことも大好きですよ」

「でもなぁ、俺、色々と言い合いもしちゃったし」

「それもきっと楽しかったと思いますわ」


 ディアーヌがそう言うと二人を包みこんでいた光が動きを変え、ソファの前に集まってはっきりとした形を成していく。

 それが誰なのかなんて、確認せずとも分かるものだ。


 ライオノアもディアーヌも、まったく同じタイミングで手を伸ばした。抱きしめるのは、ずっと自分たちを守ってくれている愛しい子。

 温度は感じられないが確かに触れる感触がして、三人はしっかりと抱きしめ合った。


 ──僕は、二人とも大好きだよ。


「俺も二人のことが大好きだよ」

「私もですわ。ライオノアもエクレール様も、大好きです」


 ──嬉しいなぁ。ありがとう、二人とも。愛し愛されることってこんなにも幸せなんだね。


 十五歳のエクレールの頭身をした光は、眩しくて顔も見えなかった。もう一度、大好きだよ、と言って彼は二人の中に溶け込んでいった。


 そうして元の状態に戻った部屋で、第一声を発したのはライオノアだ。


「うーん……あんなにかわいいことを言われちゃったら、親子喧嘩なんかできないな」

「エクレールの方が一枚上手だったな」


 そこで笑いが起きて、ディアーヌはどんなことが起きてもどっしりと構えてすべてを受け入れてくれる頼もしい勇者一行とともに、この世界で生きていくのだと実感していた。



 幼い頃に描いていた未来とはまったく異なる未来でも、ディアーヌは心から幸せだった。

 そして、これからはもっと幸せになる。


 なにせ生粋の負けず嫌いだ。

 一度そうなると決めたことに対して、何が、誰が、ディアーヌの前に立ち塞がろうとも負けるつもりはないし、負けたままでは終わらせない。

 必ずこの手で未来を掴み取る。


「私たちはやっぱり、世界一の幸せ者になるしかありませんわね」


 決意を込めてライオノアへと言えば、


「そうだね。それじゃあその第一歩として……」


 と同意してくれたと思ったのに、仲間たちが見ている前で正面から抱きしめられ、耳元では愛していると囁かれた。艷やかな夫の声は二人きりの時にだけ聞くもので、ディアーヌはすぐに耳も首も真っ赤になる。

 彼女のその反応に満足し、ライオノアはにこにことしながら体を離したのだが……


 直後、今度は真っ赤な顔をしたディアーヌが、普段、人前では絶対に自分からはしないキスをライオノアの頬にしてみせた。


「……っ!」

「愛しておりますわ、ライオノア。私があなたを世界一の幸せ者にしますから」


 強気に出たディアーヌを前に、ライオノアは即降参の姿勢を取る。


「……負けました」

「言ったでしょう? あなたにも負けない、と」

「惚れ直しました。愛しています」

「私も、愛しておりますわ」


 恥ずかしがって両手で顔を隠すライオノアに、頬を朱に染めながらもふふんと勝者の笑みを浮かべるディアーヌ。そんな夫婦のやりとりを、仲間たちは呆れる者楽しむ者それぞれだったが、ディアーヌに送られたのは賛辞ではなかった。


「ディアーヌ、あなた、そこまでその男を惚れさせたのだから途中で張り合いがなくなってつまらないからポイッなんて、捨てちゃだめよ」

「そうそう。こいつに飽きてもそこはよろしく頼むよ」

「面倒くさくなったらうちにおいで〜季節のフルーツでおもてなしします!」

「ライオノア、最近私が作った光魔法でもお教えしましょうか? まだディアーヌさんに教えていないので、少しの間は追いかけてもらえますよ」


 口々に言いながら帰り支度をして、テーブルの上も片付けてくれる彼ら。

 部屋がきれいになったところで、立ち上がったアレッシアの左腕にイナが掴まり、バルドリックとエアカドはそれぞれアレッシアのすぐそばに立った。


「今日はこの辺でお開きだな」

「またね〜」

「また来ますね」

「それじゃあ、またね。おやすみ」


 手を振ったディアーヌにおやすみ〜と声がしたと同時に皆の姿はなくなった。アレッシアの転移魔法でそれぞれの家へと帰るのだろう。

 いや、もしかすると別の場所で飲み直しになっているかもしれない。主役はいないが祝い酒だと、アレッシアとバルドリックあたりは言って楽しみそうだ。

 それに恐らく、明日の朝にはまた四人で来てくれるだろう。エアカドはこれから定期的に来るための日程なんかも考えて来てくれそうだし、イナは朝食を作ると張り切ってくれそうだ。


 確信に近い予想を立てて、まだ顔を覆っている夫の手をつつく。せっかく二人きりにしてもらえたのだ。顔が見えないのは寂しい。


「ライオノア、お顔を見せてくださいませ」


 ね、と言えば、ライオノアは渋々というように顔から手を離した。見慣れない眉間のシワにディアーヌは小さくふきだす。


「悔しそうですわね」

「……俺は一生、ディアーヌに敵わない気がする」

「出会った頃の私も、同じことを言っておりましたわ」

「出会った頃? あー……あれか、勘違いで殺気向けちゃった時に」

「ええ、あの時は本当に。真の敗北を味わいましたわ。だから今、ちょうど良くなったということですわね。お互いに勝てない部分があるけれど、負けたくないとも思っている。負けず嫌いな夫婦としては、とても理想的な関係ですわ」


 向かい合っていた姿勢から横並びになるように座り直して、腰の周りにあるブランケットをライオノアの足にもかけ、その肩に頭を乗せた。ディアーヌは案外、こうやって隣に座りライオノアの肩を借りて話をする時間が好きだった。

 ライオノアもディアーヌにもたれるようになると、二人で支え合って座っているように思えて、なお良いなと思う。


「本当に、最愛の妻になっちゃうんだもんなぁ。人生って分かんないものだね」

「勇者が魔法のない世界に転移されるというのも、なかなかに信じられないことですわよね」

「なんだか懐かしいね」

「そうですわね。もうあれから三年も経つのですね」

「そうだねぇ……あ、あの頃といえば、一つ心残りがあるんだった」

「心残り?」


 聞き返すなり、ライオノアはディアーヌの顔を覗き込むような体勢になって、彼女を見上げながら挑発的に笑う。


「添い寝に失敗したことが心残りでね。リベンジしたい」

「さすがにもう、旦那様を突き飛ばしたりはしませんわ」

「突き飛ばされても、わざと落ちないしね」

「まぁ! あの時はわざと落ちましたのね?」

「ちゃんと遠慮したってことだよ」

「そう考えると悔しくなってきましたわ」

「ディアーヌが気づいてないだけで、まだまだそういうことがあるかもよ?」

「意地悪な勇者様ですわね!」


 まだまだの部分をすべて白状してくださいませ、と詰め寄るディアーヌに、ライオノアはひと笑いした後で穏やかなキスを返答とした。


 誤魔化されるのは癪だが、自分たちには明日がある。そのまた明日もあって、さらに未来も来世もある。

 だから急がなくてもいいか、と肩の力を抜いた。


「絶対に負けませんからね」

「そういうところを愛してるよ」

「私だって、どんなライオノアだって愛してますわ」


 ディアーヌがディアーヌらしく、ライオノアがライオノアらしくあれば、二人の幸福な時間は続く。

 合わさった手の温度がもうすっかり馴染みあるものになったことも、夫婦にとって幸せのひとつなのだった。



次話は最終話です!

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