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第四十三話 最適解


 迎えの馬車に乗り込んでから、ディアーヌは気づかぬ内に眠ってしまっていたようだ。しかも横になってリュカの膝枕で、である。

 それを見越していたのかブランケットまで用意されていて、起きて状況把握した後、恥ずかしさに両手で顔を覆ったのは言うまでもない。


 そんなディアーヌを温かい眼差しで見つめながら微笑むミエラは正面に座っており、リュカがディアーヌの頭を撫でていようとも何も言わないことがまた羞恥心を煽った。


「……これではまるで子供ですわ」

「お疲れ様でした、お嬢様。ゆっくりお休みになることができて安心いたしました」

「そうそう。疲れた時は寝るに限る」

「……お邪魔いたしました。ぐっすり眠ってしまって……」

「またいつでもどうぞ」


 随分とご機嫌なリュカにもう一度お礼を言って起き上がり、ブランケットはそのまま膝掛けに使った。


 馬車の小窓から外を覗くと、家と屋敷の中央地点あたりだった。こんなに寝るなんて……と思ったが、オレンジの夕日が随分と綺麗に見えて、なんだかもうどうだって良くなってしまう。


 しばらく無言で流れゆく景色を眺めていたが、喉は渇きませんか、というミエラの言葉に、彼女の方を向いて大丈夫だと返事をした。

 また外を……と思ったのだが、ふいにリュカに顔を覗き込まれてばっちりと目が合う。


「スッキリした?」


 と尋ねられ、ええ、と返す。


「じゃあ、ちょっと意地悪な質問をしてもいい?」

「……どうぞ」

「ディアーヌは、マチルドがどのくらい持つと思ってる?」


 言葉通り意地悪な質問に、ディアーヌは少しだけ目を細めた。


 しかしながら、リュカがわざわざこんなことを訊いてきたということは、ディアーヌの心の内を全部曝け出せという意味が込められているのだろう。

 ……わだかまりを残さずに、リュカの世界に行くため。


 ディアーヌとしても吐き出せるものは吐き出しておこうと思えたので、誰を気遣うでもなく自身の考えを述べた。


「持って一年半、といったところでしょうか」

「そっか。俺はもっと短いかと思ってた」

「学生の間は……というより、学園にいれば殿下は優しいでしょうし、しばらくは学生たちの支持もありますからモチベーションは上がると思います。その期間を過ぎてからは自分が選んだ道なのだと気合を入れて取り組んでほしい……という期待を込めての一年半です」

「なるほど」

「こうあることが最適解でしたから、期待は大いに込めてますけれど」


 やや苦笑気味に言ったディアーヌに、リュカも同じような顔をして二度、三度と頷いた。


 サミュエルは自分で理解し、マチルドにはディアーヌから言ったが、魔法の存在を明かせない以上、サミュエルとマチルドの婚約関係は簡単に解消はできない。

 陛下が認めてしまっているのはもちろん、学園内での二人の行動やディアーヌの評判、ロッドマンのディアーヌへの対応もすべて、魔法ではない理由をつけて覆すことは不可能である。


 だから、これが最適解。


 そこに不満はない。ディアーヌも悪役令嬢の名を利用して好きに行動したのだから、納得の上で、だ。


 しかしながら。


 彼女にとっては、最適解ではないかもしれない。

 その”彼女“とは、当然──


「私はマチルドに、殿下に”認められたいなら“努力をするように、と言いましたわ。“愛されたいなら”とは言っておりません。申し訳ないけれど、今後も殿下がマチルドを心から愛することはないと思っておりますの」

「……それはそうだろうね。殿下からすればマチルドは愛する者(ディアーヌ)を奪った相手なんだし」

「マチルドが努力をすれば、殿下は私情を挟むことなく、正しく彼女を評価すると思います。けれど努力だけではなく、成果が求められますから。そうなるとマチルドには圧倒的に時間が足りません」


 ディアーヌの話にリュカもミエラも賛同の意を示すように首を縦に振る。


「肩書が変われば、望まれることも変わります。それが”殿下の友人“から”正式な婚約者“となれば、彼女を見る目も優しいだけではすまなくなりますわ。おまけに国の中枢の方々は事実を知っている分、対面する際のことを考えると……」


 その時を想像して、ディアーヌはぶるりと体が震えた。両手で自身を抱き込むようにして、自らの腕を擦る。

 国にとって危険をもたらしかけた者、という冷酷な視線を向けられて、マチルドはどう感じるだろうか。その度に自身の罪に目を向けさせられるのだ。

 できる限りで会いたくないとは思っても、殿下の婚約者である身としては会わずにはいられない場面もある。


 そうやって少しずつ逃れられない罪悪感や、簡単に弱音を吐けない現状がマチルドを追い詰めていくことも……申し訳ないが、容易に想像はついた。


「マチルドにとっては、まるで遅効性の毒を飲まされたような状況ですわね。最初は期待に満ちていても、徐々に周囲からの視線も声も厳しくなる。実力がつかなければあからさまに落胆されたりもしますから……苦しい日々を迎える時が来るでしょう」

「確かにねぇ……まぁでも、あの立場でいることを選んだのはマチルドだしね。自業自得でもあり、自己責任でもあると俺は思うよ。あ、そういえば、あの瓶の中身。ネタバラシしてなかったね」


 リュカが気づいたあの瓶とは、マチルドに飲めと言った小瓶のことであった。


「そういえば、そうでしたわね。でも、殿下はお気づきでしょうから、よろしいのではないかと」

「やっぱり気づいてたかな。何も言わずに見守ってるから、殿下としても判断材料にしてるのかと思ってたんだ」


 リュカが話題を出したことで思い出し、ディアーヌは例の小瓶を取り出した。ディアーヌの手の中で、馬車の揺れに合わせて中身の液体も揺れて跳ねて、としている。


 実はこの小瓶の中身は、ただの水である。


 マチルドを脅すように言った効力のある神経毒など、いくら国一番の薬師を訪ねようとも準備できるはずがない。しかもそんな犯罪まがいのことをするなんて言語道断である。

 そういうおかしなところに気づいて何か言い返してくるか、もしくはそんな危険なものは使わせないと、ディアーヌの手から奪い取るぐらいはするか。

 ディアーヌとしては脅しのための一手に過ぎなかったが、サミュエルからすればマチルドの危機管理への意識はどんなものなのか、あれで少しは分かったのではないだろうか。


 結論としては、まだまだ足りない、という状態であったが。


「お嬢様、そちらの瓶は私がお預かりします」


 それまで黙っていたミエラの申し出に、ディアーヌはお礼を言ってから小瓶をミエラへと預けた。ミエラはハンカチで小瓶を大切に包むと、そっとカバンにしまいこむ。

 またこれで一つ、綺麗に片付いたな、とディアーヌは思った。


「リュカ様もおっしゃったように、ここから先はマチルドに責任がありますわ。それに王子妃になるために必要な能力等々は、両陛下や殿下、教育係の先生が叩き込むでしょう。私は王子妃を目指す者としての志をマチルドに引き継いだつもりです。それをどこまでマチルドが真剣に捉え、実力をつけていくかですが……そこはもう私の知ったこっちゃないことですわ」


 言い終わって、ディアーヌは両の手の平を合わせると腕をまっすぐ前に伸ばし、ストレッチをした。リュカに回復はしてもらってはいたが、それとこれとは別なようで、腕を元に戻すとやけに肩の荷が下りたようにスッキリとした心地となった。


「正式に王子妃が決まった際、その方に渡してもらうよう手紙を王妃陛下に預けましたし。私としてはできることは全部やりきったと思っております。ここまで私を育ててくれた国への義理も果たせたのではないかな、とも思いますわ」


 にこりと笑ったディアーヌにリュカの腕が伸びてきて、ディアーヌの肩へと回ると優しく彼の方へと引き寄せられる。


「ディアーヌがスッキリしたならいいんだ。今日は本当にお疲れ様。かっこよかったよ」

「ありがとうございます。もう綺麗さっぱり、この件に関しては心残りもなくなりましたわ」


 もう一度ディアーヌがお礼を言えば、俺は何もしてないよ、とリュカから返答があった。

 ディアーヌにとって、あの場にリュカがいてくれたことがどれだけ心強いことだったか、と思うが……それは今後、色々な形で感謝の気持ちを彼に返していこうと決める。


 リュカに体重を預けて馬車に揺られながら、ディアーヌは世界を渡るとはいえ自分の意志で未来を決められるのだから、なんとも素晴らしいことだと思った。

 あちらに行ったら行ったで大変なことはあるだろうが、リュカという心強いパートナーもいる。おまけに彼の仲間たちも紹介してもらえるとなれば、色々と意欲を刺激されて楽しい日々となるだろう。


 会話はなく、ガラガラと回る車輪の音が聞こえるくらいに車内は静かになったけれど、それがやけに心地良かった。

 空いた方のリュカの手が、ディアーヌの膝に置かれた両手に重なる。

 触れた部分から伝わる温かさと馬車の揺れに、再び眠気がやってきたディアーヌは、迷うことなくリュカに肩を借りて眠ることを選んだ。


「……また眠くなってしまったので……少し、肩をお借りしますね」

「肩でも膝でも。なんなら膝の上で抱っこしてもいっ……痛い痛い。つねらないで」

「ご冗談がお好きみたいですから」


 冗談じゃないけど、という声は無視をしてディアーヌが力を抜くと、クスクスと笑うミエラの声が耳に届いた。


「リュカさん、あまりに不埒なことをおっしゃるようなら奥様に申しつけますからね」

「それはご勘弁を」


 二人の会話に、ディアーヌもつい小さく笑ってしまって、困ったなぁ、と全然困ってなさそうにリュカがぼやく。

 ……ここで、ミエラには随分と心配も苦労もかけてしまったのに、まだちゃんとお礼を伝えていなかったと思い至る。


「……ミエラ、お礼が遅くなってしまってごめんなさい。これまで、私を支えてくれて本当にありがとう」


 これまで、の部分を強調するように言えば、ミエラの目に涙の膜が張った。


 実はミエラは、バトン公爵家で働く前はロッドマンの従兄弟が当主を務める伯爵家で働いていた。それがディアーヌとサミュエルの婚約を機に、ロッドマンが伯爵とミエラに頼み込み、公爵家で働いてもらうようになった人材だ。

 それもこれも、王太子妃教育が始まると寝食の時間を削って課題に取り組むディアーヌの体調管理のためである。

 専属侍女ではなかったが、間違いなく、ディアーヌを一番見てきた使用人はミエラだ。

 今回のことで危険な目に遭わせてしまったことすらあったのに、どんな時でも冷静に対応してくれたミエラには、どれだけ感謝を伝えても足りなかった。


「……とんでもございません、お嬢様。私はこれまで、何度もディアーヌお嬢様に勇気づけられてきました。お嬢様と過ごした時間は私にとって宝物であり、本当に楽しい思い出ばかりです」

「ありがとう。本当に……私が言えた義理じゃないけれど、ミエラには絶対に幸せになってほしいの。だから……」


 こく、とミエラの喉が上下するのを見て、ディアーヌは決意を固める。


「家で落ち込んでる次期当主には、しっかりと喝を入れて前を向かせるから。安心してね」


 フッ、と空気で笑ったのはリュカだ。

 ミエラは口元に手を当てて、まぁ、と一言。


「お嬢様がそうおっしゃるのであれば、私には何も心配することはございません。それにしてもお嬢様、喝を入れるためにはしっかりとお休みになっておかれませんと。疲れがあると、お腹から声は出せませんよ」

「そうね。ありがとう。お言葉に甘えて、眠らせてもらうわ」


 はい、というミエラの返事を聞いた後、ゆっくりと閉じていく視界に自身が着ている紫紺のドレスが入り込む。その前面は床に倒れていたため汚れてしまっているが、この汚れが今は勲章のように思えた。


 それに満足感を覚えて完全に目を閉じると、瞼の裏にエクレールの最後の姿が映し出された。


 黒い蔦がディアーヌとリュカに触れ、光って消えていった姿だ。美しい光だったな……と思ったところで、そういえばエクレールがいなくなったのにリュカとは話ができているな、と夢見心地で考える。


 ……エクレールは最後、光となって消えた。


 ということは……きっと優しいエクレールのことだから、ディアーヌがリュカとともに生きやすいよう、魔力を分けてくれたのだろう。そう考えると、ディアーヌの口元は自然と笑みの形を作っていた。


「……おやすみなさい、リュカ様、ミエラ」


 おやすみというリュカの柔らかい声と、おやすみなさいというミエラの優しい声がして、二人にありがとうと返してから、ディアーヌは眠りに就いた。



 家に帰り着けば、ジルとジャコブを先頭に使用人たちが出迎えてくれて、ディアーヌはいつも以上にホッと息をついた。


 それから案内されたのはソランジュの部屋で、ドアを開けた瞬間に目に飛び込んできたのは見るも無残なまでにげっそりとしたロランだった。反省を突き抜け、青い顔で虚ろな目をしながら床に座り込み、ひたすらにディアーヌへの謝罪の言葉を呟いている。

 部屋の主であるソランジュはといえば、ソファに座ってロランを見ているだけで、基本的には彼の好きにさせているようだった。


 サミュエルの魔法が解けた瞬間と違いすぎて、これはまだ闇魔法にでもかけられているのでは、と思ってしまう様子に戸惑いつつ、ロランにただいま、と声をかける。


 するとバッと顔を上げたロランは、悲しいのか悔しいのか眉を寄せたり上げたり、それに合わせて口も開いたり歪んだりさせて、とにかく表情が忙しなかった。

 弟のその様子に彼が話し出すまで無表情を決めこもうと思っていたディアーヌだが、フッ、と思わずふきだしてしまう。


 口元に手を当てて隠そうとしたが隠しきれず、そんなディアーヌに震える声でロランが言葉を発した。


「あ……姉上、僕……僕は一体、何てことを……」


 サミュエルやマチルドとはまた違った思いを抱えたロランを、ディアーヌは両腕でしっかりと抱きしめる。


「あれはあなたの本心ではないのね?」

「ありえません! あんなの……っ! あんなの、僕の本心なわけがないっ! 僕は、僕はずっと! 王太子妃になる姉上を支えたくて……!」


 ほとんど叫ぶようにして苦しいほどにすがられ、ディアーヌの目頭が熱くなる。

 込み上げてきたのは安堵だ。

 ディアーヌからすればいつまでもかわいい弟だ。どんなことをされてもそれは覆らず、ディアーヌの中にあった。


「良かった……もう大丈夫よ。だからね、ロラン──」


 一度ギュッと抱きしめてから、首をそって後ろのリュカに目で訴えればリュカがこちらまで歩いてきて、ベリっとディアーヌとロランを引き剥がす。


「え?」

「ロラン!」


 呆けるロランに喝を入れるため名前を呼び、バチンッと両頬を両手で挟む。小さく開いた口が可愛いが、それはそれ。

 ディアーヌは目を細めてロランを見る。今のロランからすれば睨まれていると感じてもおかしくないのは承知の上だ。


「しっかりなさい! いつまでもめそめそめそめそして! 過ぎたことを悔やんで立ち上がれないなんて情けないわ! 私の弟ならば、二度とあんな卑怯者に負けないために力をつけます、ぐらい宣言なさい!」

「そうね、せめてその一言はほしいわね」


 ソランジュからの援護射撃もあり、ディアーヌはより一層、眼差しを強めてロランを叱る。


「操られたあなたが言った言葉なんて、もうどうだっていいの。これからは誠心誠意、公爵領と国を良くするために努めなさい。私に悪いことをしたと思うのなら、私を安心させて」


 下唇をぐっと噛んで、ロランはじわじわと翡翠の瞳に涙を溜めた。それでも涙は流さない。

 ここで泣いていては、ディアーヌを安心させられない。


 ゆっくりと右手を上げたロランは、自身の頬を掴むディアーヌの手を掴んで離させた。

 そうしてまっすぐに彼女の目を見て、堂々とした口調で宣言する。


「僕は、領民たちから慕われる立派な領主となります。そして王家の方々をお支えし、この国がより良い国となるよう尽力します」

「ええ。サミュエル殿下はもちろんだけれど……マチルドのこともお願いね」

「はい。僕が一番近くで姉上の努力をみてきました。姉上の努力は、僕が必ず果たします」

「ありがとう。ずっと期待しているし、ロランなら大丈夫だと信じているわ」


 はい、と強く返事をして笑った弟はやっぱり可愛い弟だった。

 ソファから腰を上げ、すぐ近くまで来ていたソランジュに二人まとめて抱きしめられ、三人で声を出して笑う。


 その光景を見守っていたリュカも、ジルやミエラ、ウェーナーにジャコブも嬉しそうに微笑んでくれていて、ディアーヌは心から嬉しくなった。



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