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第四十二話 悪役令嬢の幕引き


 窓から見える景色は穏やかな昼下がりで、本来ならば模擬訓練日和だと思えただろう。

 その予定を台無しにされた挙げ句、たった一人追い詰められるなんて弱り目に祟り目でしかない。こんな状況では塞ぎ込みたくもなる。

 けれどそうさせるほど、ディアーヌは優しくはなかった。


 泣きに泣いて、青いドレスを涙で濡らす幼馴染の腕を掴み、無理矢理に立ち上がらせる。


「いい加減、泣き止みなさい! あなたはサミュエル殿下の婚約者となったのでしょう!」


 廊下にも響いたディアーヌの怒声は影の耳にも届いており、すべてが記録されて王妃に報告されるはずだ。

 しかしこの屋敷内においてディアーヌは何を言っても許される。わざわざ王妃にその許可を取ったのだから、気遣いも何もする気はなかった。


「ヴァンズィになんと言われて唆されたのか知らないけれど、証拠が何も残っていない以上、私は悪役令嬢で、あなたとサミュエル殿下は愛し合う婚約者であることは変えられないわ。だからこうなる前のように、なんて希望はさっさと捨てて、切り替えて考えてちょうだい」


 ディアーヌの言葉に、マチルドはまたぶわりと涙を溢れさせ、ひたすらに謝るだけだった。


 そんなことが聞きたいのではない。そんなことで、その立場が務まると本気で思っているのか、とディアーヌはより一層、厳しい視線をマチルドへと向ける。


「今回のことは決して、マチルド一人に責任があったとは思わないわ。魔法なんてこの世界にありもしない、対抗手段すら分からないものに恐怖を感じ、動けなくなるのは当然よ。それに陛下や父も操られていたにせよ、彼らの指示に疑問を持ちながら見ているだけだった周囲にも大きな責任はある。けれどマチルドが私の立場を奪った以上、私はあなたの覚悟を聞かなければならないの」


 そう言って、ロランに飲ませたものとは違う色の小瓶を取り出し、マチルドの目前に突き出した。

 

「今ここで、私以上の王太子妃になると誓えないのなら、これを飲みなさい」

「……これ、は……?」

「神経毒よ。これを飲んで、二年ほどあなたは表舞台から姿を消すの」

「毒!?」

「治療薬もちゃんとあるし、後遺症が残るものではないわ。あなたが病を治している間に、サミュエル殿下の新しい婚約者が決まるだけ」


 マチルドは言葉を失った。そこまでかけねばならない立場になったのだと、今やっと理解したのだろう。

 誰もそのことを彼女に教えなかったにせよ、あまりに殿下の婚約者という立場が軽んじられ、ディアーヌは沸々と怒りが湧いていた。


「ご、ごめんなさい、ディアーヌ、私……っ」

「切り替えろと言ったのは、謝れば許されると思っている甘い考えも捨てろということよ。私は謝罪されたい訳ではないの。マチルドの覚悟が知りたいだけ」

「覚悟って……?」

「今回、マチルドだけの責任ではなかったにせよ、あなたの判断によってこの国も世界もヴァンズィに乗っ取られていたかもしれなかったの。その責任をどう取るのか。今後、王太子妃としてどうあるべきか。マチルドの考えを聞かせて」

「……せ、世界って……そんな、大げさなことじゃ……」

「私とヴァンズィのやりとりを見た上で大げさだと思っているのなら、あまりにも能天気だわ。その考えのまま過ごそうと思っているのなら、問答無用でこれを飲ませるから。いつまでも甘い考えで謝罪しかできない人間が、王太子妃になるなんて到底許せないもの」


 涙も流れなくなったマチルドは、真っ白な顔で小瓶越しにディアーヌを見ている。

 ここまで辛辣な言葉を彼女に放ったことなどないために相当のショックを与えているのは分かったが、ディアーヌとて譲れるはずはなかった。


 ぎりっと睨めばマチルドの体は強張り、視線は床へと伏せられる。そんな彼女にディアーヌも男性二人も声をかけることはしない。


 少しの沈黙が流れた後、三人が見つめる中で部屋の静寂を破ったのは、マチルドのか細い声だった。


「……じゃあ、どうすれば良かったの? あんなの恐いよ……恐いに決まってるじゃない!」


 強くなった語尾の勢いのままに、顔を上げたマチルドはディアーヌへと感情をぶつける。 


「あんな力にどうやって対抗すれば良かったって言うの!? サミュエルもロランも変わっていって、二人みたいになりたくなければ言うことを聞けと脅されて! そうしている内にサミュエルが好きなことを見抜かれて……もう、頭の中が……ぐしゃぐしゃで……!」


 マチルドが自身の髪をぐしゃりと握ったことで、整えていた髪が乱れた。ディアーヌの目に映ったのは不規則に揺れるブルーサファイアのイヤリング。

 あの時と今とでこんなにも見え方が変わるのかとディアーヌは心の中で思った。本物と思えた輝きは、光源を失って寂しげに揺れる。


「ディアーヌも魔法をかけられてるってことは、後から教えられたの。でも……サミュエルやロランと違って、ディアーヌは弱る一方だったから……! 間違えているところも、私たちが謝ることも増えて、全然、立派な王太子妃になんてなれないでしょって思うようになって!」


 斜め後ろあたりから、深い溜め息が聞こえた。恐らくはサミュエルだ。そこで止めてくれれば、と思ったのだろう。

 しかし止められなかったから、ここまで来てしまったのだ。


「それなら私でもサミュエルの婚約者になれるって……ずっとずっと好きだったんだもん! 五歳で騎士団に連れて行かれた時、一目惚れしたの! 私の方がディアーヌより先に好きになったのに……ずるいよ! ディアーヌは可愛いドレスも着れて、当たり前みたいにサミュエルの隣に立てて! 私はどう頑張ったって、騎士としてしか見てもらえなくて……」 


 ──私も好きだけど。もったいないなぁと思っちゃう。それにサミュエル殿下も可愛いディアーヌのことを好きになるんじゃない?


 ふと、幼い頃の会話が思い出された。あの頃からマチルドはサミュエルを想っていたという。


 あの時、彼女の言葉に自分は何と返しただろう。


「ちょうどよく、悪役令嬢なんて言葉があるからそれに乗っかれって言われて……学園の皆も、私のことを認めてくれたから……」


 もしもディアーヌがあの頃にマチルドの本心に気づけていたら……今はもっと違った未来があったのだろうか。

 しかし考えれば考えるほど、出てきた答えは一つだけだった。


「……マチルドにずっと我慢させていたのは、私が力不足だったからなのね」


 大きく胸を上下させて息をするマチルドとは正反対に、ディアーヌは凪いだ眼差しで彼女を見つめ返した。ディアーヌの真意を汲み取れていないのか、続く言葉を待つマチルドにディアーヌは飾ることのない思いを告げる。


「もっと早くマチルドの気持ちに気づいて、諦めるように諭さなければならなかったわ。もしくは圧倒的な実力差をもって、諦めざるを得ない状況にしなければならなかった」


 え、と溢したマチルドはディアーヌが何を言ったのかよく分からないといった表情だ。けれどきっと、後ろにいるサミュエルはそれが当然だという顔をしているだろう。


 この反応の違いが、自分たちとマチルドの“立場ある者”への認識の違いである。


「驚くことではないわ。貴族の責任を果たすために、非情にならなければいけないところだもの。そもそも、この婚約に私や殿下の感情なんて関係ないの。私とサミュエル殿下は運良く想い合えたけれど、そうでなくても私と殿下の婚約は続いていた。それが一番、国のためになるから。そうやって私は選ばれたのだから」


 覚醒した後に同じ話を学生たちの前でも言ったことを思い出しながら、ディアーヌは話を続ける。


「皆の前でも言ったわよね? 殿下の気持ちが私になくとも、国のためなら殿下を受け入れる、と。それに私よりも王太子妃になるための準備が整っている者はいない、とも言ったわ。あれは間違いなく、私の本心。こんなことにならなければ、私はこの立場を譲る気はさらさらなかった。だって覚悟も何も決まっていない人に、この重責は負わせられないもの。きっと代わったところで、潰れてしまうから」

「潰れる……」

「王太子妃が潰れて被害を受けるのはその周囲だけじゃない。最悪の場合、国民にも被害が及ぶ可能性だってある」

「…………」

「私の存在は、国や民のためにある。そのために、この国のことも他国のことも学ぶの。少しでも国を危険から守り、民が幸せに暮らせるように。それだけを願って、そんな未来を叶えるために努力するの。だから……愛情だけで務まるものではないし、簡単になれるものでもないのよ」


 ディアーヌが王太子妃となるべく費やした時間と、どれほどの覚悟を持ってこの立場にいたのか、マチルドは理解してくれただろうか。

 薄く息を吐き出してから、答え合わせをするべく、ディアーヌはマチルドにかけてきた中で一際優しい声色で問いかけた。


「マチルド、あなたはヴァンズィを前にどうすればいいのか分からなかったと言ったわね。けれど今、私の話を聞いてどうすれば良かったか、思い浮かんだ?」

「…………もっと……周りのことを、考えなきゃいけなかった」

「ええ、そうね。これだけの期間があったのだから、ヴァンズィが誰に魔法をかけているのかを見極めることも、誰かに頼ることもできたかもしれない。そうすれば打開策も見つけられたかもしれないものね」

「……ごめん……っ! ディアーヌ、私、本当に……っ!」

「私に謝る必要はないわ。たくさん反省すべきところはあるけれど……もう終わったことだし、マチルドがちゃんとその立場を理解してくれるなら、もういいの」


 そう言って、ディアーヌはマチルドの肩に手を置いた。


「これからは毎日毎日、この国と民のために自分はどうすべきかを考えて行動して。それとたくさんの知識をつけるの。サミュエル殿下は生粋の挑戦者であり為政者だから、彼に認められたいのなら、どんな苦難も乗り越えて」


 ディアーヌの言葉を激励ととったか、容赦ととったか。もしくはサミュエルに愛される未来もありえると希望を持ったのか。


 マチルドの涙腺が再び緩み、じわじわと濃緑の瞳に涙が溜まっていく。

 しかしそれは流れることなく、目に力を込めて顔を引き締めたマチルドは、ディアーヌへ深々と頭を下げた。


「……ごめん、ディアーヌ。何度も裏切って、ごめんなさい」

「お互い様にしましょう。それと……今までありがとう。これから頑張ってね」


 二人の会話はそこで終わったと判断されたようで、背後から二人分の足音が近寄ってくる。

 顔を上げたマチルドにはそれがしっかりと見えているだろう。どことなく複雑そうな表情でディアーヌとその背後を交互に視線が往復している。


「ディアーヌ……その、余計なお世話だと思うんだけど、これからどうするの?」


 ちょうど、サミュエルがディアーヌとマチルドの間に立ち、リュカがディアーヌの隣に来たところでの質問だった。

 ディアーヌは態度でも分かりやすくするために、リュカの腕に手を添えて、少しだけそちらへと体を寄せる。


「私はリュカ様と、リュカ様の世界に行くわ。この世界にいるには魔法に関わりすぎたから」


 答えたディアーヌに、すかさずサミュエルが尋ねる。


「リュカ殿、無礼を承知で訊きたいのだが、貴殿が勇者であるということは、あちらの世界でも有名なことなのですか?」

「ええ、魔王討伐後に世界中を回って祝賀パレードなんかをしたので、ほとんどの人は知っていると思います」


 そうですか、と言って小さく笑ったサミュエルは目を閉じて微かに首を横に振った。次に目を開けた時には、いつも皆が頼りにしている王太子殿下の顔つきとなっていた。


「ディアーヌ嬢、あちらに渡るために必要なものはすべて私が用意する。遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます。それでしたら、一年は働かずとも困らないだけの宝石をお願いいたします。加工していないものがいいですわ」

「そんなものでいいのか。明日には届けよう」

「ありがとうございます」


 ちょうどディアーヌがお礼を言った後、窓から差し込む光がサミュエルを明るく映した。その光景に自分たちは王族と貴族というだけの関係になったのだな、と実感する。

 ディアーヌがそう思ったと同じくして、サミュエルもまた王族らしい優雅な笑みを浮かべた。


 その笑みに退出を望まれていると分かり、ディアーヌは少しだけリュカの腕を引く。リュカはちらっとディアーヌを見ると了承の相槌を打った。


「それでは殿下、私たちはお先に失礼させていただきますわ。この後、王妃陛下の使いの方がやってくるはずですので、ご対応ください」

「分かった。何から何まで迷惑をかけてしまったな。本当にありがとう」

「十年来の戦友ですもの。このぐらいさせてくださいませ」

「ああ。それと……リュカ殿、彼女ならば勇者であるあなたの妻となっても、立派にその役割を果たせるでしょう」

「ええ、俺もそう思います」

「その点について心配は何もしていないのだが……彼女の負けず嫌いは私の想像を何度も越えてきた。きっと勇者であるあなたに対してそれを発揮してしまうと、本気で何日も徹夜をしてしまうだろうから、気をつけてあげてほしい」

「……余計なお世話ですわ、殿下」

「きっと君のご家族も同じことを言う」

「ははは! それは確かに。俺もですけど、俺の仲間に会わせる時にも気をつけないとですね」

「我が友人を、よろしくお願いします」

「はい。殿下も、ご武運を」


 リュカとサミュエルはがっしりと握手を交わし、微笑み合う。

 もう一度挨拶をして、ディアーヌとリュカは部屋を出て屋敷をあとにした。



 残ったサミュエルとマチルドがどんな会話をするのかは知らない。知るつもりもない。

 きっと何事も完璧にこなしてみせる王太子が上手いことやるのだろう。そういう信頼はある。


「お疲れ様、ディアーヌ」

「リュカ様もお疲れ様でした。今日はゆっくり休みましょうね」


 そうだね、と笑ったリュカと門を出たところで、ウェーナーが駆けてきた。馬車での迎えをお願いしていたが、彼の後ろにはミエラもいて、既に泣きそうな顔をしてこちらを見ている。

 ウェーナーから、目覚めたロランがひたすらにディアーヌに謝っていることと、ロッドマンと陛下も正気に戻り、王妃と緊急会議を始めたという報告を受けて、ディアーヌはやっと心から笑えたのだった。



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