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第四十一話 正しい別れ


 結果としては、やはり、というところか。

 しかし残念だと思うところも当然あって、ディアーヌは複雑な気持ちを抱えたまま、ヴァンズィの正面に立つ。


「……あなたが善良な方であれば……なんて、たられば論をしていても仕方はないのですが」

「た……助けて、くれ! 違うんだ、誤解だ! 私も操られていて、仕方なく、本当はこんなことをしたくはなかったんだ!」


 後退りながら言い訳を口にするヴァンズィは、その視界にマチルドを入れた。すると分かりやすく矛先を変える。


「マチルド! 何をしているんだ! お前の望みを叶えてやったのは誰だ! ここで私の役に立たなければ、お前なんてただの惨めな女だったんだぞ!」


 マチルドが唇を噛み締める。

 それと同じく青いドレスを握る手は、力を入れすぎて白くなっていた。


「王太子には相手にされず、自分よりも弱い者にへりくだらなければならないお前の人生をすくい上げてやったのは私だ! モニクまで使って、散々あの娘の評価を下げてやっただろう!  お前をその立場にしたのは私なんだ! サミュエルから愛され、学生たちの反応にも満足しただろう!」


 ヴァンズィの叫びを、マチルドは大きく首を振って否定する。


「違う! 私はこんなこと望んでなんか……っ!」

「今さら綺麗事を言うな! この女が追い詰められ、衰弱していた時には何もせず見過ごしていただろう! いいか、マチルド、私がいなければお前など何の価値も──」

「リュカ様」


 二人の間に割って入るように、ディアーヌの一言でリュカがヴァンズィの喉元に剣を突き立てた。

 ひ、っと聞こえた悲鳴は、ヴァンズィのものかマチルドのものか分からないが、どちらにせよこれ以上言い争いを耳にしたくなかった。


「私とマチルドの問題に口を挟まないでくださいませ」

「あ……あ……助け、て」

「最初からそうやって懇願していれば、容赦される部分もあったかもしれませんのに」


 もう何もかも手遅れだ。


 ディアーヌは一息つい溢すと、ヴァンズィと目線を合わせた。


「あなたは……あなた方一族は人々の愛情を軽んじ、踏みにじってきた過去を償うべきですわ」

「……いやだ……死にたくない。殺さないで……!」

「それを決めるのは私ではありませんから」


 ディアーヌの言葉が終わると、リュカが剣を収め、ディアーヌへと無言で右手を差し出した。


 その手を強く握り、彼との約束を果たすために彼を呼び出す魔法を唱える。


「勇者の中に宿りし、魔王の魂よ。我が声に応え、そなたの望みを叶えよ」


 詠唱の直後、リュカの足元から真っ黒な影が天井へと伸びた。


 そこに実体はなく、リュカの髪がなびいたり、服がめくれ上がることもない。ただ、影が何本もの蔦のような黒い線となり、蠢きながら広がっていく。

 その中の一本が、リュカとディアーヌが繋いだ手に巻きついてキラキラとした光となって消えていった。さらにもう一本、ディアーヌの首元へと回り、頬に擦り寄るようにしてから輝きを消す。


 そうして残った数十本もの黒い蔦。

 そのすべてが意思を持つようにヴァンズィへと這い寄り、巻きつき、ヴァンズィは音もなくのみこまれていく。こちらへと助けを求め伸ばされる手も体も真っ暗な闇の中に。


 リュカが討伐した魔王は、黒い竜だった。


 ディアーヌが会話した魔王は、勇者の姿だった。


 ヴァンズィをのみこむ魔王は、深淵だ。


 深い深い闇。

 それらは塊ごと地面に埋もれていくように影の中へと消えていく。もしかするとこれと同じくして、あちらの世界に残るヴァンズィの一族たちものみこまれているのかもしれない。

 リュカがポケットから取り出した魔石を足元に置くと、その魔石も一緒に闇に溶ける。その魔石は、かつてディアーヌの友人として過ごした魔族のものだ。

 そして……ヴァンズィの犠牲となってしまった本物のアダルベルト学園長。

 二人には心の中でお別れをして、どうか安らかに眠ってほしいの祈り、ディアーヌは再び、闇を見つめる。


 消えていく暗闇がもう半分ほどの大きさとなった頃、リュカの声でディアーヌを“お姉さん”と呼ぶ彼の言葉が蘇った。


 ──ありがとう、お姉さん。愛し愛されることが良いことだって思えたよ。


 それを言ってくれた彼の笑顔は、いつものリュカより少し幼かった。


 本当の彼の笑顔が見たかったと思うと、魔法を詠唱する時から我慢していた涙が流れた。それでも、この約束は笑顔で伝えたい。


「……ちゃんと私たちを探し出してくださいね。待っていますから。きっとあなたのご両親もすぐ近くにいますわ」


 ゆらりゆらり。最後の一筋が揺らめいて、消えていく。


「エクレール様、いつかまた、必ずお会いしましょう」


 手を振るように消えていったエクレールを、ディアーヌは瞬きをせずに見守った。



 目の前には何も残っていなかった。

 この世界には、何も残さず、消えていった。



「……最後に、ありがとうって言っていたよ」

「リュカ様に直接話しかけてくるのは初めてではないですか?」

「そうか……そうだね。魔法が解ける直前だったから、もっと話せたら良かったのにな」

「それはまた、来世の私たちに託しましょう」


 そうだね、と返したリュカは、ディアーヌが自身で拭おうとした涙をそっと彼の指で拭う。


「もう大丈夫ですわ。きっと私たちの想いは、エクレール様が叶えてくれますもの」


 リュカが労るようにディアーヌの頬にキスをした直後、二人から離れた位置でドンッと何かがぶつかった音がした。


 音の方へと目をやると、顔面蒼白となったサミュエルが片手で頭を抱え、狼狽えていた。

 先ほどの音は、彼が後ろの壁にぶつかったものだろう。


 サミュエルを振り返るマチルドの表情は分からないが、彼らが動き出すより早くリュカの手がディアーヌから離れ、彼はサミュエルとマチルドの間に立っていた。

 マチルドを背に、手を広げて彼女を守るように立つリュカをサミュエルが怒鳴りつける。


「そこをどけ!」

「できません」

「私は……私は、こんなことを望んでいない……! 私が愛するのはディアーヌだけだ!!」


 響く怒号に、見たこともないほど怒りを顕にする姿に、サミュエルへの闇魔法が解けたのだと分かった。


 それはヴァンズィがいなくなったからではあるが、魔法について二人がどこまで説明を聞いているかは知らない。少なくとも今、マチルドが受けた衝撃はとてつもないものだろう。


「マチルド……! 自分が一体何をしたのか分かっているのか!」

「わ……私は、ただ……サミュエル、あなたを──」

「気安く名を呼ぶな! 立場をわきまえろ!!」


 サミュエルの剣幕にマチルドは怯え、よろけた足で数歩後退るとドレスの裾にヒールを引っ掛けてコケてしまった。

 完璧なる王太子のこのような姿を、マチルドは想像できなかったのだ。


 だから選択を間違えた。


「君が私の婚約者だと? 愛情さえあれば民はついてくると、君は本気で思っているのか?」

「それは……!」

「王太子妃となるために、ディアーヌがどれほどの努力をしてきたのか、君はそばで見てきて理解していたんじゃなかったのか!」

「あ……違う、違うのっ! 分かってる、ディアーヌの努力は、ちゃんと分かってる!」

「分かっていないからこんな愚かなことができたんだ! ディアーヌの努力を知っているのなら、どうして君は今、ここにいる!」

「……え、どうしてって、模擬訓練で……」

「私の婚約者となった君に、模擬訓練に参加している暇などない! 君の持ちうる知識が王太子妃に足るものだと? この国の内政を問われて意見を述べられるのか? 各国との会話に参加できるのか? マナー一つ間違えれば国の恥と言われ、発言一つ間違えれば国を揺るがすんだ。君にそれをこなせるだけの実力はあるか? なければどうしてすぐにでも学び、身につけようとしていないんだ!」


 ディアーヌの言うべきことはすべてサミュエルが言ってしまった。


 まったくもってその通りだ。

 王太子妃が愛情だけで務まるのならば、王太子妃教育なんて存在しない。


 いつぞやも言ったことではあるが、ディアーヌとサミュエルの婚約は陛下が決めた、国のための政略結婚である。

 臣下との関係や、諸外国との交易も含めて国にとって有利となる立場の者。そして常に国の代表として矢面に立つ度量と知識を兼ね備えた者。

 後者についてディアーヌのスタートは随分と低評価であったが、それをこの十年で覆し、王太子妃として自信を持って振る舞えるだけの実力をつけてきた。


「ディアーヌの努力を踏みにじっておきながら、その立場にあぐらをかいて違うだなんだと言い訳ばかりする者を、私は愛せるとは思えない。今すぐにでも婚約を解消したいぐらいだ」

「そ、そんな……」


 サミュエルが闇魔法にかけられなければ、という点を除いても、マチルドにはヴァンズィを止められる場面が一度はあったはずだ。

 ……その一度は、ヴァンズィがサミュエルに魅了の魔法を使うタイミング。そこで止めず、現状を受け入れてしまった。


 きっと喜びを感じただろう。

 ずっと秘めておかなければならない愛情を口にできるようになり、相手からも大切にされ、あのような愛情いっぱいの眼差しを向けられたら……夢のような時間だとディアーヌですら思う。

 そんな未来を、マチルドは望んでいたということだ。


 ここでとうとう、マチルドは床にうずくまって泣き始めてしまった。


 リュカは変わらずに二人の間に立っているが、剣を抜こうとはしていない。サミュエルもどれだけ怒っていようとも、剣に手が伸びないのはさすがである。それでこそディアーヌの知るサミュエルだ。


 ごめんなさい、ごめんなさいと何度も繰り返すマチルドの謝罪は誰に向けたものか。


 ……誰に向けたものであれ、未来は変わらない。


 それをサミュエルも分かっているからこそ……四人以外がこの場にいない今、ありったけの怒りをぶつけているのだろう。


「マチルド、君が新たな婚約者だという話を学園で広めたのは誰だ? 君か? ヴァンズィと名乗った男か?」

「……ヴァンズィ、が……私は否定するな、とだけ……」


 見たこともないほど苦々しい顔をしたサミュエルは大きなため息を吐き、その音を聞いただけでマチルドの肩が大きく跳ねる。しかしサミュエルは自身の怒りを溜め込んだ拳をどうすることはなく、ただただ握りしめるだけであった。

 そうして絞り出したのは、変えようのない現実。


 ここを出たら、彼は完全無欠な王太子であり……学園での支持を覆すことなく、相思相愛の二人でなくてはならないのだ。


「……そう簡単に婚約解消はできないということだな」

「……え?」


 サミュエルの言葉にゆっくりと顔を上げたマチルドだが、サミュエルはもうマチルドを見ていなかった。

 彼が見つめているのはディアーヌだ。

 その視線に答えるように、ディアーヌは小さく頷いてから口を開く。


「婚約解消については、実は前々から話が上がっていたことにするそうですわ。学園に入学後、私の体調が優れないことが多く、数人の医師にかかるも原因は不明。今後、回復の見込みもないために王太子妃になるのは無理だと判断が下り、私とサミュエル殿下の婚約は解消。新たな婚約者には献身的に殿下を支えてきたマチルドが適任である、と数日後には発表されますわ。しかしその発表の前に、マチルドの公務を代理する方との面談を行い、必要あらばその方を側室にすることも検討していくとのことです」

「側、室」


 その単語に反応したのはマチルドだったが、サミュエルはディアーヌの話を当然のように聞き入れて次の質問をしてくる。


「代理候補は誰が?」

「侯爵家の三女の方です。私たちより三歳上の方で、今は宰相のもとで働いております」

「宰相の……彼女は非常に優秀ではあるが、婚約を結びたがらないと周りが嘆いていたな。側室には了承する見込みが?」

「ご本人は仕事が続けられるなら立場はいかようでも構わない、とおっしゃっているとのことです。けれどやはり、ご両親は日陰者だと軽んじられることを心配されているそうですわ」


 淡々と進むディアーヌとサミュエルの会話にマチルドは呆然とし、会話の途中でリュカは役目を終えたとばかりにディアーヌの隣に帰ってきた。

 リュカを目だけで追いながらも、サミュエルは今後についてディアーヌと話を続ける。


「かと言って側室は無理だろう。こんな状況では支持が得られない」

「ええ、私もそう思います。ですから、特別な役職をもたせるべきでは、と進言させていただきました」

「……ありがとう、ディアーヌ。君の抜けた穴は大きいが、何があっても私が責任を持ってやり遂げる。それと……これまで本当にすまなかった」

「こちらこそ、もっと早くお救いできず、申し訳ございませんでした」


 腰を折って深々と謝罪の礼をしたディアーヌに、頭を上げてくれ、とサミュエルは声をかける。


 頭を上げた後、見つめ合った視線は昔のものとは異なっていた。けれど昔と変わらず、信頼している部分を取り戻せたようにも思う。

 サミュエルの言葉と態度に傷ついた事実は記憶として残っている。けれど魔法が解けた今の彼を見れば、今後の国のために自分がどうすべきかを瞬時に導き出す判断力と決断力は、やはりサミュエルがこの国の王となるに相応しい男であると思わせた。


 ……だから正しく、お別れをせねばならない。


「サミュエル殿下、私への感謝と謝罪はこの場限りとしてください」

「……ああ、分かっている」


 ディアーヌは悪役令嬢だ。

 真実の愛を手に入れたサミュエルとマチルドの枷となる者。


 だから綺麗に身を引いて、心に残ることをしてはならない。


「サミュエル殿下をお支えするという目標を掲げてきたからこそ、此度は異次元なる力に立ち向かえました。どうかこの先、この国をより豊かな国へと発展させ、賢王として世界にその名を知らしめてくださいませ」

「約束しよう。私は必ず、立派な王となる」


 王太子妃教育で身につけたカーテシーをするディアーヌを、サミュエルは一度も瞬きをせず見つめ続けた。

 その奥に激しい葛藤と後悔と、消えることのない愛情があろうとも、一人の元婚約者との別れは潔く終わらせる。

 それがサミュエルにできる償いであり、誇りだった。


 ……しかし、いくら悔やもうと消えない想いが涙となって彼の頬を濡らす。


「……泣かないでくださいませ、サミュエル殿下」

「……すまない」


 声を漏らすことなく俯いて静かに泣くサミュエルを、ディアーヌもリュカも、マチルドも、見守ることしかできなかった。

 誰も何も言わない中で、少し乱暴に涙を拭ったサミュエルは、顔を上げてディアーヌとリュカへと向かい合う。


「リュカ殿……少しだけ、ディアーヌを抱きしめさせてもらっても良いだろうか?」

「それは愛情からですか? 友情からですか?」

「……最後の愛情と、これから旅立つ仲間への友愛と激励だ。私にとって彼女は最高のライバルでもあった。その感謝も込めたい」

「盛りだくさんですね。俺が許可できるものでもありませんけど、ディアーヌが良いと言うのであればどうぞ」

「ディアーヌ、君はもうただの公爵家の令嬢だ。王太子である私の命令には逆らえないな?」

「なんとも横暴ですわね。こんなあなたには民がついてくると思えませんけれど」

「この場限りだ。ここを出れば、私はまた完璧なる王太子となる」


 ふ、と笑ったサミュエルに、ディアーヌも口元に笑みを浮かべる。サミュエルが歩いてくる間に、ディアーヌはそっと目を閉じた。足音が止まり、宝物に触れるかのように優しく腕を回されてディアーヌの目元にもじわりと涙が浮かぶ。


 手を回すことはしない。殿下の背に触れられる立場ではなくなったのだから、このまま受け止めるだけだ。


「……すまなかった。本当に、君を愛していた。君と結婚し、歳を重ね……国の未来を思い、君と共に生きていたかった」

「身に余るお言葉、恐悦至極にございます。心の支えとなりますわ」

「どうか、幸せであってくれ。いつも笑って前を向き、何者にも負けずにいてほしい」

「ええ、それはもちろん。負けず嫌いは世界を渡っても変わることはありませんから」

「それなら安心だ。君の幸せを、心から願っている」


 体が離れるのに合わせて、瞼を上げる。

 視界に広がるのは、ディアーヌがずっとライバル視してきた王太子殿下だった。


「私も殿下には負けまいと、自身を奮い立たせますわ」

「ああ、私もだ。これまで以上に自己研鑽に励み、二度とこのようなことを起こさせはしない」

「よろしくお願いいたします」


 握手をして、二人は離れた。

 ちらりと横にいるリュカを見上げれば、彼も満足しているというように笑っていて、ディアーヌは一つ息を吐く。



 そうして、ディアーヌは一歩を踏み出した。

 サミュエルの横を抜け、項垂れる背中に声をかける。


「立ちなさい、マチルド」


 その声は親友に向けられたものの中で、最も温度のない、非情な音として響いた。



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