第四十話 初めてのこと
そんなことできるはずがない、と言おうとしたが……ディアーヌには一つの可能性が思い浮かんだ。
それと同時に、リュカの体がそっと離れる。
「……エクレール様のお力を借りて?」
「うん。ディアーヌならできると思う」
「そうすれば……リュカ様が闇魔法をかけられても弾くことができますの?」
「たぶん大丈夫。とにかく使役でも暗示でも……ディアーヌを裏切らないもので。それなら君の計画に乗る」
予めディアーヌが闇魔法をかけておけば、リュカが相手に操られることはなくなる。
しかしそれによって、彼の意思がどこまで残るのかは分からない。ディアーヌが闇魔法をかけることで、リュカがサミュエルのようになってはほしくない。
使役、暗示、魅了……何をかければリュカはリュカらしく、行動できるかを考えて……
「……忠誠を誓っていただきましょう」
「忠誠?」
「忠誠を“誓わせる”ですわね、この場合。それならば私を裏切ることもなく、リュカ様もある程度は自由に動けるのではないでしょうか?」
「いいね、忠誠が出るなんてさすがだ」
「それでは、計画はまた明日の朝までに練りますわ。相手の出方次第では、最低でも私の腕を縛るとか動きを制限するとか、そのぐらいはしなければでしょうけど」
「……多少のことはしなきゃいけないとは思ってるけど、君が痛い思いをしたり傷ついたりすることは本当は反対だからね。力加減を間違えたら大怪我だってありうるんだから」
「リュカ様が間違うはずがありませんわ。それに、それらしく見せるには必要なことです。そんなの痛みに入りません。必要経費です」
「たくましすぎるなぁ……」
はぁ、と大きなため息の後、ディアーヌの頬を撫でたリュカは困った顔をしてディアーヌを見る。
「俺が魔法を使わせたら、あっちに無理矢理連れて帰るのと同じことになっちゃうね」
リュカにそんなことを言われて、大変心外であった。
昨日、リュカが自分を信じて身を委ねてくれた時から、彼と共にありたいと想ったのだ。強要もされていないし、流されてもいない。
そこにはディアーヌの意思がはっきりとある。
「それは違いますわ。私はちゃんとリュカ様のことをお慕いしておりますもの。無理矢理になんてなりません」
そう伝えはしたものの、リュカはまだ複雑そうできっとディアーヌの想いを完全に理解していない。ちゃんと分かってもらうためには、ディアーヌの内なる想いを口に出さないといけないのだ。
……それはなんと、ハードルの高いことか。
何と言えばいいか想像するだけで顔が茹で上がる。
しかし言わないことには、動かないことには伝わらない。
ディアーヌは覚悟を決め、勇気を出し、羞恥心には蓋をしてリュカに自分から抱きついた。彼の心音が聴こえるぐらいにくっつけば、リュカがそっと腕を回してくれる。
「……闇魔法をかけるのは、明日にします」
「どうして? 今すぐでもいいよ」
「今日は……リュカ様に私がちゃんとリュカ様のことを好きだと分かっていただくための時間にします」
「……うん」
「好きです、リュカ様。もう既に、リュカ様が女性の裸体を見たことに嫉妬してしまうぐらい、好きになっておりますわ」
「うん。嬉しい」
「……本当に、大好きですの。だからもっと、触れてほしいです。お守りなんかでは足りませんわ」
言いきった瞬間、ディアーヌはソファの上に横倒しにされていた。
え、と声も出ない速度での移動と体勢の変化に頭はついていかなかったが、真顔でディアーヌを見下ろすリュカが視界を塞ぐ。
「俺もディアーヌが好きだよ。君を知れば知るほど、俺のために生まれてきてくれたのかなって思っちゃうくらい好きになる」
「……リュカ様はやっぱり変わり者ですわね」
「変わり者だし欲丸出しでかっこ悪いんだけど、キスしていい?」
紫紺の髪の隙間、透き通った紫の瞳に宿っているのは、きっと様々な種類の愛情なのだと思った。あまりに強い眼差しにとらわれても、それが少しも嫌ではない。
返事をする代わりに、両手をリュカの首の後ろに回して自身へと引き寄せる。あっさりと近づいた顔に、羞恥心よりも喜びが勝った。
「……初めてですから、大切にしてくださいませ」
「俺もだよ」
そんな言葉を交わして小さく笑い合って、二人は大事に大事に初めて唇を重ね合わせた。
翌朝、ディアーヌの計画を話すとリュカは反対した。
それもそうだろう。
ある程度の会話をして、無理矢理させられている様子が感じられなければ煽るだけ煽る、というなんともハイリスクなものだったからだ。
「俺に反対されると分かって言ってるよね?」
「はい。それはもちろん」
「勝算はあるの?」
「よほどの訓練をされていなければ、戸惑いは目の動きや声色に表れます。王家の血を引く者といえど、ある程度なら見抜けると思いますわ。それにリュカ様と同じ世界から来られた方なら、リュカ様の存在も名前も知っているはずです。追い込まれていると思った時点で、リュカ様が懸念したように闇魔法に頼るかどうか。その時の表情や言動で見極めたいと思います」
ある意味、シャルダイム王国王太子の婚約者だった経験を最大限に活かす場である。これまでの努力の集大成。ここで発揮せずいつ発揮するというのか。
「……こんな作戦を立てさせてしまうなんて、奥様に合わせる顔がない」
「お母様ならよくやったと褒めてくださいますわ」
「かもしれないのがこわい。それじゃあ、ちゃんと合言葉を決めておこう。それを言ったら、俺はちゃんと君のもとに戻ってくる言葉」
「合言葉……でしたら、“もう十分”にしましょう。私はなかなか使わない言葉ですわ」
「そうなの?」
「もう十分、というと現状に満足しているということでしょう? 私の場合は──」
「負けず嫌いで色々と負けたくないことが出てきちゃう?」
「その通りです。一つに満足しても、また新たな課題が出てきてしまうのですから、人間とは欲深いものですわよね」
はぁ、とディアーヌが悩ましげなため息をつくと、リュカは声を出して笑った後に、さっとディアーヌの唇を奪っていった。
「怪しまれないような態度を取るから、少しの痛みは与えてしまうと思う。ごめん」
「謝らないでくださいませ。そこで手を抜いて、相手に見抜かれてはいけませんわ」
「絶対に無理はしないこと。極力耐えるけど……これ以上は危険だと判断したら止めるからね」
「はい。でも、できるだけやらせてください。エクレール様の思いを果たしたいんです」
「分かってる。俺も……あの子の力にはなりたいから」
リュカが両手を広げたので、その腕の中にそっと身を寄せた。優しく抱きしめられると勇気が湧いてくる。
「魔法をかけて、ディアーヌ」
はい、と返事をして、リュカの左胸に右手を添える。
「……勇者の中に宿りし、魔王の魂よ。我が声に応え、そなたの力を我が声に乗せ、勇者に忠誠を誓わせよ」
ぼわっと黒い光が右の手のひらから出て、リュカの胸から体の中に入っていくように消えていった。
「……成功、したのでしょうか?」
「うん。なんか、違うかんじがする」
「そういうのって、普通は感じられないのではないですか? 違うと分かったら闇魔法は成立しませんよね?」
「んーでも何か違うよ」
リュカはしれっと言ってのけたが、きっとその違いを感じ取れることこそが、彼が勇者たる所以なのだと思った。
「さすがリュカ様ですね。心強い事この上ないですわ」
そう言って微笑めば、これはお守りね、ともう一度唇が合わさる。
「……不安に思うことなどありませんよ」
「俺が渡したいから受け取って」
「それなら……」
私からも、と背伸びをして、忠誠を誓わせた勇者にお守りを贈るのだった。




