第三十八話 もう十分
愉悦極まりないといったヴァンズィの笑い声にディアーヌの心は完全に折れて、体からは力が抜けきってしまった。早くこの時間を終わらせたいと願いながら瞳は光を失っていく。
両の翠眼からは静かに涙が流れていた。
ヴァンズィはひとしきり笑った後、それにしても、と話を続けた。
「サミュエル君に目をつけ、君を監視対象とした私の考えは間違っていなかったな。君は最後まで足掻き、私の予定を狂わせてばかりだったが良いデータが取れた。おまけに勇者まで仲間に引き入れるとは、恐れ入ったよ」
虚無の眼差しで遠くを見つめ、反論の言葉を口にするような気力の残っていないディアーヌは、ヴァンズィからすれば面白みのない人間だろう。鼻で笑うと、やれやれと首を横に振った。
「今の君では、魔王など夢のまた夢。衰弱するだけの無能な村人と変わらない価値だ。とは言っても、ここまで私を楽しませてくれたお礼をしなければならないからな。君も勇者と同じように、完全に私の支配下においてあげよう」
「あ……ディ、ディアーヌ」
ヴァンズィは、右の手のひらをディアーヌへと掲げる。
聞こえるか聞こえないかというか細い声で、マチルドがディアーヌを呼んだが、何も変わらなかった。
「ディアーヌ・バトン、君にもまだまだ使い道はある。私が世界をこの手に収めた時には、君も魔族として生まれ変わらせてあげよう」
そう言って魔法詠唱に入るだろうと思われた、瞬間。
「……救いようがありませんわね。リュカ様、もう十分ですわ」
「遅すぎるよ」
──ザンッ。
音にすればそんな音だった。
「……は?」
「……っ! きゃあぁぁぁ!」
「ぎゃああぁぁぁっ!!」
叫び声を聞きながら痛む体も止まらぬ涙もそのままに目を閉じていたディアーヌは、体がふわりと浮くのを感じた。
そして即座に小さな声で唱えられたのは、回復の魔法。
やんわりと暖かな光に包まれ、みるみるうちに痛みはなくなり、目尻には別の温かくて柔らかな感触がした。その感触が離れてから目を開けると、ディアーヌよりずっと辛そうな表情をしたリュカが、ディアーヌを横抱きにして立っている。
二人から離れたところで、血まみれになった右腕を押さえながら、ヴァンズィが信じられないというようにリュカを見ていた。
その視線にディアーヌが気づくくらいなのだからリュカも気づいているだろうが、彼はヴァンズィに目をくれることなく、ディアーヌの顔中にキスをしながら何度もごめん、と謝ってくる。
「謝らない約束でしょう? それに動きは派手でしたけど、ほとんど痛くはありませんでしたわ」
「それでも謝らずにいられないって。本当に、奥様に合わせる顔がないよ……」
「ここで加減するなんてありえませんわ。完膚なきまでに、容赦なく、ですもの。謝るよりも上手くいったことを褒めていただきたいですわ」
「すごく勇敢で惚れ直した」
「リュカ様の演技も素晴らしかったですわ。本気でゾクッとしてしまいました」
「……演技?」
呆然と呟いたのはマチルドだ。
彼女の足元のあたりまで逃げたヴァンズィは、激しい痛みに襲われているだろうに回復魔法を使う様子がない。これはリュカの予想通り、闇魔法以外は今は使えない状態なのだろう。
そう予想した上で斬っているのだから、リュカの怒りは凄まじいものだったということだ。
「まぁ……悪役は悪事を偉業のように語りたがると言いますし。一芝居打ったというだけですわ」
そう言ってディアーヌはリュカにおろしてほしいとお願いする。非常に離したくはありません、といった様子ではあるが、リュカは渋々ディアーヌをおろしてはくれた。
しかし腰に手を回され、半身は密着している状態ではあるが。
「それではお話を、と言いたいところですが……」
話をしようにも、まだまだ叫ぶヴァンズィに、今度はディアーヌから無慈悲な判断が下された。
「リュカ様、うるさいので一旦黙らせましょう」
「そうだね」
軽く返事をしたリュカは、今度はディアーヌの頭にキスをしてから離れ、ヴァンズィへと歩み寄った。
床に這いつくばって呻きながら逃げようとするヴァンズィの腕を掴むと、回復魔法で適度に傷を治す。え、と呆気に取られているところを縄で縛り、首の後ろの服を引っ張り上げて、壁に短剣で突き刺せば完了だ。
すべてが早業すぎて多分こんな動きをした、ぐらいにしか認識できていないが、大きく外れてもいないから良しとしよう。
「な、なぜ……なぜ、私の魔法が……」
なぜ、を繰り返すヴァンズィにディアーヌが呆れていれば、戻ってきたリュカは迷うことなく彼女にまた寄り添った。
先ほどまでの冷徹なリュカの行動は、ディアーヌ自身が考えた作戦ではあったのだが、どうしても寂しいと感じてしまう部分はあったので安心できる今の距離に文句はない。
「歴代最高の闇魔法の使い手ともあろうお方が、過信するあまり一晩で考えた私たちの作戦を見抜けないとは。やはり悪巧みなどするものではありませんね」
心身ともに落ち着いたディアーヌは、努めて冷静にヴァンズィを見てから、まだ混乱している様子の男に問いかける。
「本当に、なぜリュカ様にあなたの闇魔法がきかなかったのか、分からないのですか?」
「何だ……なぜ……」
「歴代最高の名折れですわね。単純なことですわ。私が先にリュカ様に闇魔法をかけていただけですけれど」
「……は? 馬鹿な! お前には魔力なんて……!」
「ええ、私には魔力はありませんわ。けれどとあるお方の力を借りれば、かけることができましたの」
「誰のことだ! この世界には私と勇者の他に転移された者などいない!」
腕の痛みが引いたからか勢いづいて怒鳴るヴァンズィだが、まったく自分で考えようとしないあたり、頭の中は冷静ではないのだろう。
ヒントを与えて自分で考えさせてもいいが、こちらはこちらで早く終わらせてあげたいからネタバラシをする。
「転移された人は確かに二人ですわ。けれど、その魂……あなたの理論では魔力になりますけれど、リュカ様の中にはもう一人、別の方が溶け込んでいるのですよ」
ヴァンズィが言う『魔力の移植』を、ディアーヌは既に知っていた。ディアーヌは魂が溶け込んだと思っていたが、魔力とともに記憶が、というのならば確かにその通りのことが起きていた。
ならば、ヴァンズィはその魔法の唯一の使用者ではない。そのプライドごと尊大な考えをへし折ってやるべく、話を続ける。
「あなたは不思議に思いませんでしたか? リュカ様はリュカ様の姿のまま、こちらの世界に適応していること」
「……そんな、こと……っ!?」
ディアーヌの問いに、ヴァンズィは目を泳がせた。
「考えたこともなかった、というお顔ですね。では言いますけれど、リュカ様の中にはあなた方が魔王に仕立て上げた少年がいます」
「……は? あれは、討──」
ヴァンズィが言いきる前に、リュカが光の如き速さで駆け、ヴァンズィの喉を手で掴み締めていた。ディアーヌの怒りを正しく読み取っての行動である。
ディアーヌもリュカの隣へと移動し、壁に張り付けとなっている男を睨む。
「次にあの子のことを“あれ”などと呼んだら、話せなくしますから。魔王であったことは受け入れておりますけれど、モノのように呼ばれていいはずがありませんもの」
恐怖から瞳孔を開いているヴァンズィは、分かった、とか細い声で返事をした。それを聞いて、一旦リュカの腕をおろさせる。
「リュカ様の中にあの子がいると気づき、お話をしましたわ。そこで頼まれたのですよ。できるなら、あなたのことが知りたい、と」
「……私の、何を?」
「あなたが当時の国王の子孫であることを見抜いた上で、あなたがもしも無理矢理、このようなことをさせられているのなら力になりたい、と言っておりましたわ」
魔王──エクレールから頼まれたのは、昨晩のこと。
それが、前日の夜にどうしたいのかよく考えておくように言ったディアーヌへの答えだった。




