第三十七話 明かされる、あの日の真実
なぜ。
なぜ、床がこんな近くに?
「ディ、ディアーヌ……」
「何が……痛っ、何を……!?」
マチルドの震える声が高い位置で聞こえる。
一体自分に何が起こり、今、自分はどんな体勢なのかを理解する前に両腕を掴まれ、その腕を後ろに回された。抵抗する間もなくがっちりと固定されて、あっという間に膝立ちで身動きが取れなくなっている。
……こんなことをディアーヌにしてくる人は、とその候補すら考えたくはなかった。
けれど思考は止めてはだめだと、首だけで後ろを振り向けば……
「リュカ様……!」
信じていたはずの勇者が、自分を拘束していた張本人だったことに驚きと絶望が押し寄せる。
リュカがこうなった原因は、魔法使いの唱えた闇魔法にかかったということしかありえない。
しかし闇魔法には色々と条件があり、リュカはその心得もあって、名を呼ばれて返事だってしていない。
なぜ、闇魔法に?
それにあの詠唱は何?
様々な疑問は浮かぶが、リュカの凍てつくような目が、態度がディアーヌへと向けられていて……喉の奥がグッと詰まり、思わず顔を背ける。
「床に倒れさせ、乗り上げろ。拘束は解くな」
「……う、ぐっ!」
絶望している場合ではない状況で、ドンと背中を乱暴に押され、地面に這いつくばるような体勢となった。そして腰辺りに座られると、何をしても体は動かない。
打ち付けた体は痛いが……それよりもずっと、心が痛かった。
「どうして!? あんなの魔法詠唱じゃあ……」
「ほう、君は魔法詠唱まで聞こえるようになったのか。やはり素晴らしい逸材だったのだな、ディアーヌ君は」
コツコツと近づいてくる足音がして、革靴が目前で止まった。
「大人しくしていたのならば、ここまでせずとも済んだのにな?」
「あぁぁ!」
その後に響いたのはディアーヌの悲鳴だ。
地面に平伏したディアーヌの前に魔法使いはやってきて、先ほどの言葉を溢すと、その背中を躊躇なく踏みつけたのである。
「ディアーヌ!」
泣きそうなマチルドの声が耳に届く。
それに何かを返す余裕などなく、何度か咳き込んだディアーヌは愉快そうに自分を踏みつける男を睨み上げた。
「ほう、まだそんな目を向ける余裕があるか」
「あなたのやり方は間違っています! 力で支配したところで、国は続かない! 余計な争いだけが生まれ、世界は崩壊していきますわ!」
「本当に威勢の良いお嬢さんだ。まったく惜しいものだな。君があちらの世界にいれば、第二の魔王となっただろうに」
そう言われ、ディアーヌは自身にすがりつくようにして震えていたエクレールを想った。彼を孤独にした者たちを許せることなど到底無理である。
だからどんな状態になろうとも、全力で対抗も反論もする。それが今のディアーヌにできる精一杯だった。
「ふざけないで! いくら魔王を作ったところで、あなたの手には負えないわ!」
「それが負えるように“なる”んだよ、ディアーヌ君」
分かるかい、と問いかけられながらぐりっと革靴の踵で背中を踏まれ、苦しさに声が漏れる。
しかし誰も、助けてはくれない。
視界の先、マチルドは両手で口元を覆い、恐怖で顔を引き攣らせていて、サミュエルは感情のない目を向けているだけだ。こちらに駆け寄る気配はなかった。
じわりと目元に涙が滲んだ。
それを見た魔法使いが、それはそれは面白いものを見たというように背中から足を移動させると、しゃがみこんでディアーヌの前髪を掴み、上へと引き上げる。
「うっ……!」
「何のために我々が闇魔法を研究してきたと思っている。君を捕らえている勇者も、我々の研究の成果によって得られた詠唱で操っているというのに」
髪を引っ張られる痛みに顔をしかめる。
しかし勇者の名を出されたら、そんな痛みも息苦しさも忘れ、魔法使いに咎めるような視線を投げる。
「リュカ様に一体何の魔法をかけましたの? 闇魔法にしても、サミュエル殿下やロランのように彼の中に意思を感じられませんわ」
「勇者にかけたものは闇魔法の中でも思考のすべてを奪うものだ。君が信じきっていた勇者は、私の傀儡となったんだよ」
「なんて最低なことを……! そのような魔法を考え出せるなら、どうしてもっと人々の役に立つ魔法の研究をしないのですか! それに、”我々“と言いましたわね! こんなくだらない魔法の研究を続けてきただなんて、あなたも、あなたのお仲間も愚かとしか言えませんわ!」
バチンッと乾いた音がした。
噛みつかん勢いで吠えるディアーヌを、魔法使いが平手打ちしたのである。それでも顔を戻してぎっと睨むディアーヌを魔法使いは鼻で笑った。
「ちょうど良い。魔王の過去の話もどうせ聞いているのだろう? それならば教えてあげよう。あの日の真実とともに、我々崇高なる一族の歴史を」
学園長の殻を被った侵略者は、恍惚とした表情となった。
ごくりと、ディアーヌの喉が鳴る。
怒りからくる興奮とこれから聞くであろう真実に対して冷静であらねばという自制心と、どうかあの子が傷つきませんようにと願う気持ちが入り混じる。
そんなディアーヌの内なる思いなど知りもせず、魔法使いの口から”あの日“の真実が語られる。
「魔王誕生の日。それは魔王となった子供が村に帰った時だが……村人が子供を歓迎しなかったのは、そこに村人の意思などなかったからだよ」
「意思が……なかった?」
「村人が皆、子供から怯え逃げたのは、我々一族が村人に闇魔法をかけていたからだ」
「そんな……!?」
「そこにも歴史があるんだがね? 今よりずっと戦乱激しい世に、当時の国王……我が先祖は国のために子供を戦場へと連れて行った。それはあくまでも国のためだ。力ある者を正しく使おうとした、ただそれだけのこと。だというのに、その親や村人は攫われただなんだと言って反発ばかりしていた。いくら外の争いがなくなったところで、国内にそんな者たちがいれば国はまとまらないだろう?」
同意を求められても、首を縦に振るなんてありえないことだった。
エクレールが心から両親にも村人にも愛されていた事実だけはディアーヌにとって良いことであったが、続く話は不快なんてものじゃなかった。
「そこで国王は国の反乱分子の排除と戦力増加を見込んで、とある実験を始めた。それが村の人間たちの精神を闇魔法で一度壊し、また作り直すというものだ。そうすれば魔王と同じ環境で生まれ変わることとなり、あのような特殊体質が現れるかもしれない、と考えてね。しかし実験はやればやるほど失敗ばかりで、あらゆる魔法をかけてみたが結局、中途半端に中身の壊れた人間となっただけだった。魔力も上がらず、まるでその反動かのように力に怯えるようになった」
ディアーヌの背中に冷たい汗が流れた。
喉がやけに渇く。罵倒してやりたいほどの相手なのに、どうしてこうも堂々と話せるのか、その神経が理解ができずいっそ恐怖すら感じていた。
「金も時間もかけたというのに大した成果も得られず、衰弱ばかりしていく弱者が出来上がったわけだが。ここでディアーヌ君、一つ問題を出そう」
そう言って、魔法使いは目を弧にして笑う。
「あの子供の魔力暴走。あれは、逃げ惑う親や村人に絶望しただけで起きたことだと思うかい?」
「……まさか……魔法を?」
「その通り。感情を昂らせた状態で幻惑をかければ、逃げる者たちを敵だと思い込み一掃できるだろうと考えたそうだ。しかし魔法をかけた後で子供の魔力が暴走し、結果としては魔王が生まれるに至った、ということだ」
はっはっは、と天を仰いで笑う魔法使いは、魔法は本当に奥が深い、としみじみと呟く。誰に聞かせるでもない独り言なのに、それはやけに部屋に響いた。
「思惑とは外れたが、かける相手とタイミングによっては圧倒的な力を生み出せる。それが分かったことは何よりの成果だった。魔王の誕生によって一族の半数以上はいなくなってしまったそうだが、我々の情熱は消えなかった。なにせこの研究さえ成功すれば、世界を我々一族のものにできるのだから」
「……しかし、魔王がいる間は鳴りを潜めていただなんて、とんだ小心者軍団ですわ」
「……君が小心者だという我々一族の研究によってここまで追い詰められているというのに、まだそんなことを言えるのか。本当に君は気が強い」
「褒められていませんわね。人を騙して優位に立ったつもりでいる卑怯者から褒められたところで、不愉快極まりないだけですけど」
バシン、ともう一度頬に痛みがきたが、心の痛みの方が大きいディアーヌには何にもならなかった。ディアーヌの変わらぬ態度を前に、魔法使いの声色にほんの少し怒気が混じる。
「我々一族は崇高なる存在だ。決して、何の力もない小娘が嘲笑っていいものではない」
魔法使いがパッと手を離し、ディアーヌの上半身は床に落ちる。
そんな彼女を虫を見るような目で見下ろす魔法使いだったが、その場で立ち上がると、なおも彼女の両腕を拘束する勇者に満足気に頷いた。
「我々の闇魔法を駆使して、魔王を誕生させ、我が一族が世界を手中に収める。そのためにここまでやってきた。そして勇者が魔王を討伐したタイミングで私がこの世界に転移され、ここでは私を邪魔する者はいない。これはつまり、この世界から始めよという思し召しだ。なにせ私は一族の中でも歴代最高の頭脳と魔法の実力がある。魔法をかけられる人数、種類は歴代最高数。加えて魔族の生成までできるのだから」
「……モニク」
「ああ、そうだ。魔王がやっていた魔族の生成。あれは一種の闇魔法なのだよ。駒を増やすために作ったが、あれはなかなかの出来だっただろう? 完全な効き目とは程遠いが、あれの近くにいるだけで学園の者は皆、魅了状態となった。あの学園は本当に、素晴らしい実験場だったよ」
「……本物の学園長はどこにいるのですか? あなたはアダルベルト・ボーデ学園長ではない。学園長とお呼びすることすら学園長への侮辱となりますわ」
「ああ、それを言い忘れていたか。それこそ、私が歴代最高と言われる所以でもあるというのに。自分のことはついおろそかにしてしまうものだな」
両手を広げて天井を見上げて笑う男からは高揚感が漂い、自己陶酔ともいえる発言ばかりが飛び出す。それらを聞けば聞くほど、ディアーヌは抵抗する気力が削がれていくようだった。
最後の希望、という気持ちで尋ねた学園長の行方。
しかし一際高らかな声で返ってきたのは、冷酷無残な結末。
「この私、ヴァンズィ・シュレヒッタが生み出した最高傑作! それが”魔力の移植“だ! 魔法の中でも他の追随を許さない、完璧な魔法! 魔力を移植することでその中に込められた記憶も埋め込める。つまり、アダルベルト・ボーデの体に私の魔力を移植したことで、この世界に適応した一族の叡智が詰まった至高の存在が出来上がったのだ!」
「…………」
「使えるのが一度きりという制約と、長いこと魔力回復に時間がかかるという問題はあったが、この世界では何の問題もなかった。むしろ環境を整えるのに好都合だっただけだ」
「学園長の意識は……もうないということ?」
「完全に魔力がこの体に移った時点でそんなものは抹消したに決まっているだろう。魔法の知識もないアダルベルトの意識など、あっても邪魔なだけだ」
「……っ! あなたは! 人をなんだと思っているのですか……! 人の命を、感情を、思い出を……っ、一体、なんだと!」
「世界を手に入れるために多少の犠牲は必要なのだよ。むしろ私に選ばれたことを誇りに思うと良い。それにアダルベルトの記憶は私が有効に活用してやっている。まぁ元のアダルベルトはこの見た目しか残っていないが、ここまで使いこなせている私が、いかに素晴らしいのかが分かるだろう?」
ははははは! と高笑いする魔法使い──ヴァンズィの声は、屋敷内に反響していた。




