第三十五話 吹っ飛ばせ
そこにいるだけで気品漂う雰囲気はさすがだと思う。
舞踏会で見た真っ白なスーツは、窓からの光を反射でもしているかのように彼を神々しくさせる。
この男性こそが国の頂点に立つに相応しい。そんなオーラすら纏って、彼は一音一音を優雅に奏でる。
ディアーヌたちが室内に踏み込んで部屋の中央部ぐらいまで進むと、男性は演奏を止めて楽器をおろした。
「……やあ、ディアーヌ。待っていたよ」
「見事な演奏でしたわね、サミュエル殿下」
仄暗く笑うサミュエルは、リュカなど目に映っていないかのように、視線をディアーヌに固定している。
舞踏会の時に着ていた服装そのままのサミュエルは、ヴァイオリンを近くのテーブルに置くと一歩、二歩、とディアーヌへと近づいてくる。
「この曲を君と最後まで踊れなかったのが心残りでね。思い出しては弾いてしまうんだ」
「その節は失礼いたしました。ところで、倒れた私を運んてくださったのは殿下ですか?」
「いや、私はあの場に残らなければならなかったから、騎士に頼んで運んでもらったな」
「そうでしたか。それで、一度も私の様子を確認に来ることもなく、舞踏会を終えたのですね? 私が起き上がれるようになった時には誰もいらっしゃいませんでしたもの」
コツ、コツ、とゆっくりとした足取りで近づくサミュエルを前に、ディアーヌは引くことはしない。
隣りにいるリュカと並び立ち、サミュエルと相対する。
「まるで私が心配をしていないという言い方ではないか?」
「その通りですけれど」
「誤解があるな。私ほど君を心配した男はいない」
言いながら伸ばされる手を、ディアーヌは早々に叩いて払った。
「今さらな心配も気遣いも不要ですわ。私は望んでおりません」
「……本当に、君は──」
そこで話すことをやめたサミュエルは、ディアーヌの背後へと目をやる。
するとまぁ、なんとも。
普段は国民の王子様をしている彼が、一人の男性として心から愛おしいと思う者へ向ける眼差しを、ディアーヌの後ろにいる人物へと注いでいる。それはこの十年共にいたからこそ明確に感じ取れるもので、おまけにとびきり恋い焦がれたような声で名前を呼ぶものだから。
なんだかもう、可笑しくなった。
「マチルド」
まるでディアーヌなどいないかのように、サミュエルは歩き出すと横を通り過ぎていく。
そんな彼の背中を追うように振り向いたディアーヌとリュカが見たのは、学園長にエスコートされて入室してきたマチルドと、彼女に歩み寄ったサミュエルの仲睦まじい姿だ。
サミュエルが学園長からマチルドの手を奪い、腰を引き寄せ頬にキスをする。想いの通じた者同士なら微笑ましいはずのそれも、マチルドは暗い表情で受け止めるだけで、サミュエルが気にする様子もない。
なんともちぐはぐな光景であるが、ディアーヌもリュカも何も言わずに三人を観察した。
今日のマチルドは、サミュエルと同じく舞踏会のドレスとイヤリングを着用している。サミュエルと隣に並べば、それこそパートナーであると宣言するかのような二人であった。
そして学園長はというと、学園で何度も見たスーツ姿だったが、ディアーヌの印象よりずっと陽気な笑みを浮かべこちらを見ている。
どうせろくなことを考えてはいないだろうと思ってはいるが、それを表には出さず、ディアーヌは淑女の礼をとった。
「学園長、ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ございません。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「待っていたよ、ディアーヌ君。今日は模擬訓練のためにわざわざ来てもらって悪かったね」
悪かった、なんて微塵も思っていない学園長に、ディアーヌは小さくため息をついた。しかしそんなディアーヌに構うことなく、サミュエルが話を進める。
「模擬訓練は夕方から開始だ。そろそろ学生たちも来る頃だろう。我々も準備に向かうとしよう」
「そうだな、サミュエル君。ロラン君は見えないようだが、迎え入れる準備を──」
「あら、学生は誰も来ませんわよ」
勝手に話を進める二人の会話を止めたのは、もちろんディアーヌだ。
くっと眉を寄せたサミュエルが、何だと? と尋ねてくるので顎に手を添えてそれに答えた。
「出しゃばったこととは思いながらも、模擬訓練選抜試験を実施しましたの。そうすると、合格者が誰一人としておらず。残念ながら、私とリュカ様だけの参加ですわ」
うふふ、と笑うディアーヌの横でうんうんと大きく頷くリュカ。今度こそ眉間のシワが深くなったサミュエルが、ディアーヌを睨みながら問う。
「何だそれは。これは我々が計画したものだ。誰がそんなことを許可した?」
「生徒会活動においては学園長と同等の承認権限を持つマルソー先生と、王妃陛下ですわ」
「……母上が?」
「ええ、サミュエル殿下も参加されるとなりますと、怪我をした際の責任について問われますでしょう? 生徒が罪を被ることになってはいけませんから、王妃陛下にあらかじめお話をしておいたのですよ。その際に、危険を伴うことなので参加希望者もふるいにかけるよう言われました。その試験については私に一任してくださるとのことでしたので、選抜試験を実施したということですわ」
顎を下げ、上目遣いでこちらを伺うようなマチルドの横で、怒りを前面に出すサミュエル。学園長は口元がピクピクと引き攣っていた。
「それでなぜ、誰も参加とならないんだ。一体、どんな試験を?」
「とても単純な試験でしたのよ?」
指を綺麗に揃えた手のひらを上に向け、リュカを紹介するように彼の胸元まで手を上げる。
「リュカ様の一振りに耐えられたら合格。ただそれだけですわ」
「……は?」
「……チッ」
「嘘……」
三者三様。
サミュエル、学園長、マチルドの順に言葉を漏らしたそれぞれの反応を見て、ディアーヌは声高らかにリュカを自慢したい気持ちが膨らむ。
「リュカ様はとってもお強いんですよ」
語尾に音符をつけて言えば、リュカがのんきにも、可愛いなぁと呟いたのが聞こえた。
◇
魔王との対話の翌日、そして模擬訓練の前日にもあたるこの日、ディアーヌは大忙しだった。
なにせモニクの一件の後に予定していたこともまとめて、すべてこなさなければならなかったからだ。
これは手分けするしかない、ということでディアーヌとリュカでないとだめものと、ミエラたちに頼むものと分け、物資調達などはミエラにお願いすることとなった。ロランを縛ったロープもここでお願いしたものである。
そしてディアーヌとリュカはといえば、朝一からサミュエルの母である王妃と面会し、サミュエルに無礼をはたらくことへの許可をもらった。その際、王妃からは丁重に謝られ、あなたを娘と呼ぶ日を楽しみにしていたと話をされた時には、ディアーヌは少し涙ぐんだ。
けれどまだ何も終わってはいないから、と王妃に協力を要請すれば、快く承諾してくれた。おまけに帰る間際には、敵は容赦なく叩き潰してこい、ということをとてもオブラートに包んで送り出されたのである。
さすが母の親友でもあり、ディアーヌのことを認めてくれていた方だ、と晴れやかな気持ちになるディアーヌに対し、この国の女性は強いな、と苦笑いのリュカであった。
王妃との面会が終われば、ディアーヌとリュカは学園へと向かった。学園では、勉強会に参加した三人にこっそりと声をかけ、模擬訓練の参加者を放課後集めてほしい、とお願いした。
ここに参加しない者は、当日は参加できないそうだ、とも言ってほしいとお願いして。
三人に拒否された場合のことも考えていたが、すんなりと了承された。なんでも勉強会の成果が即日発揮され感動したので、お礼をしたかったとのことだ。
おかげで無事に放課後、参加予定の二十人程が集まった。
その場でディアーヌはリュカと二人、いつもクラブ生が活動している鍛錬場の中心に立った。
皆には自分たちを囲むように集まってもらい、今日集まってもらった趣旨を説明する。
「早速ですが、明日の模擬訓練への参加をかけて、選抜試験を行います」
「……はぁ?」
不愉快な顔をして声を上げたのは、二年生の中でも剣技が非常に優秀だと名の通った伯爵子息だった。マチルドと同じクラスで仲が良かった記憶がある。
「あんたにそんなことを指図される謂れはない」
「あら、ありますわよ。この模擬訓練は生徒会がとりまとめるクラブ活動の一環ですもの。副会長の私にも平等に、口を出す権利はありますわ」
「何が副会長だ。一度だって見に来たこともなくて、会長やマチルドに失敗を尻拭いさせてるだけだっただろう」
「そうですわね、見学に来る時間すら私にはありませんでしたわ。なにせ、他の生徒会メンバーのすべき事務仕事のほとんどをせねばならなかったので。それはご理解いただいているかしら?」
ディアーヌのこの発言には、全敵意が彼女に向いた。言い訳がましく聞こえたのだろう。
それでもディアーヌは真っ直ぐに立ち、微笑んでいる。
「喧嘩を売る相手とタイミングはちゃんと見極めてくださいませ。あなたの発言一つで腹を立てた私が、生徒会権限を使って、今すぐに全員不参加にもできますのよ? 残念ながら、あなた方を守ってくださる殿下もマチルドも学園にはおりませんから。いくらだって何だってやりたい放題ですわ」
盛大な舌打ちが何人かから上がった後、怒れる伯爵子息を周囲がなだめ、とりあえずディアーヌの話を聞く体勢は整った。
整ったところで、全員不参加にはなるのだが。
「それでは試験の内容を説明しますわね。皆様は、その場で動かずに耐えられたら合格です」
「…………は?」
「リュカ様が一度だけ、剣を振ります。それにその場で耐えてください」
「耐える?」
「一歩も動かずいられたら、合格です」
「おい! さっきから聞いていれば、何だその試験は! 俺たちのことを舐めてるのか!」
伯爵子息を押し退けて前に出てきた男子生徒が抗議の声を上げながら、ディアーヌの肩あたりを掴もうと手を伸ばした……
「へ?」
が、肩を掴む前にリュカに腕を取られ、男子生徒はポーンと遠くへと投げ飛ばされる。
へ、と声を出したのは伯爵子息とその周りにいた数人だ。
ドシン、と落ちた学生には悪いが、相手を見極められない方がもっと悪いと責任転嫁し、ディアーヌはにっこりと笑う。
「相手とタイミングは見極めろと言いましたわよね、私」
それまでディアーヌを睨んでいただけの学生たちの視線の中に、警戒が混じったことを感じ取り、ディアーヌは全体をぐるりと見渡して声をかけた。
「悪感情のままに手を出せば痛い目をみることもある。良い教訓になりましたわね。それと騎士を目指すのならば、相手の強さは正しく見極めてくださいませ。何にせよ、時間もありませんから始めますわよ」
準備はよろしいですか、と問えば、集まった学生たちの目が真剣なものになった。
「ではリュカ様、お願いします」
「うん。ディアーヌ、掴まって。スカートの裾は押さえててね」
返事をしてからリュカの左半身にくっついて、右手はリュカの背中の服を掴み、左手はスカートを押さえる。リュカは慣れた手つきでディアーヌを自身に引き寄せ、右手に剣を構えた。
いくよ、の掛け声に合わせて目を閉じた直後、ヒュンッと音がすると同時に突風が吹いた。こうなることを予想して髪をひとまとめにしていたが、ぶわっと前髪が浮く。
そしてドサドサとかズザザとか、そんな音がして目を開けると、二人の周りにいた学生は皆が離れた位置にいた。立っている者、尻もちをついている者は様々だが、最初から位置を変えずにいれた者は誰一人としていなかった。
皆、信じられないといった顔でディアーヌとリュカを見ている。
そんな彼らに対し、ディアーヌはにっこりと笑いかける。
「皆様、不合格ですわね。それでは明日の模擬訓練への参加はなしということで。各々、充実したお休みをお過ごしください」
ふふふ、と笑うディアーヌに誰かが、悪魔……と呟いた。
耳聡く聞き逃さなかったディアーヌは、声のした方に顔を向けて不機嫌に返す。
「悪魔とは失礼ですわね。私を悪役令嬢にしたのは皆様ですのに」
「吹っ飛ばしたのは俺だから、悪魔は俺の方じゃない?」
「リュカ様が悪魔なんてありえませんわ」
そんなことを話しながら、ディアーヌとリュカは鍛錬場をあとにした。




