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第三十四話 いざ、敵地へと


 森の奥にある大きな門を構える古びた屋敷。

 外観からも歴史を感じさせる様相だが、庭園があったと思われる場所には青々とした雑草が茂っており、長らく手入れされていないということが一目で見て取れた。

 その屋敷がある森も、麓から奥に進めば進むほど野営できるような拓けた場所もなく、草木は成長し放題であった。


 言うなれば、文字通りの無法地帯。


 こんなところに生徒たちを集めて模擬訓練などできるはずがないだろう、というのが、門を前にして立つディアーヌのお怒りポイントであった。


「ディアーヌ、大丈夫?」


 隣に立ったリュカに軽く顔を覗き込まれ、ディアーヌは笑顔で返す。


「ええ、気分は最高ですわ。腹立たしくて暴れ回りたいくらい」


 朝早くから公爵家を出発し、山の麓で二人だけ馬に乗り換え、昼前に到着した。森に入ってからは道も悪かったが、疲れを感じさせないほどにディアーヌは爽快な笑顔である。

 彼女のその様子にリュカはふっと笑って、艶めく金色の髪に軽いキスを贈った。


「生徒思いの君が俺は好きだよ」

「こんなところで口説かないでくださいませ」

「調子に乗っていいそうだし。それにほら、効果は抜群みたいだよ」


 にっこりと笑うリュカが指さした先。

 屋敷の二階の窓からこちらを睨むのは、サミュエルだった。


 しばらく目を合わせていたディアーヌだったが、サミュエルが先に視線を逸らし、部屋の奥へと消えていく。


「まだ動ける状態ではあるみたいだね」

「縛り付けられているかと思っておりましたが……やることがぬるいですわね」

「どっちが悪役か分からない台詞になってるよ」

「あら、私は悪役令嬢ですもの。相応しい台詞ですけれど」

「それもそっか。じゃあお招きされてるみたいだし、行こうか」

「ええ、参りましょう」


 門前には、二人の他に人は誰もいない。


 リュカが門を片手で押し開け、ディアーヌをエスコートする。彼の腕をしっかりと掴み、二人は揃った足取りで歩を進めた。

 コツコツと鳴るヒールの音は、それだけでディアーヌの自信と強さを感じさせる。



 今ここに、負けず嫌いの悪役令嬢と異世界勇者の戦いが幕を開けたのである。



 蔦の生えたドアを開けると玄関ホールがあり、奥の正面には二階に通じる階段がある。壁に絵などは飾っておらず、建物内に入ってもロクな手入れはされていないな、という印象を受けた。

 照明も多くはないため、窓からの明かりでまかなっているような状態だ。


 その玄関ホールの真ん中に、シェンセローア学園の制服を着たロランがいた。


 模擬訓練の名目でここにいるのだから制服なのは納得もできるが、とてもじゃないが訓練に参加できる状態ではなさそうだった。

 なにせその顔には濃い隈ができており、顔色も悪い。弟の変わり様にディアーヌの姉心は痛む。しかしロランからは親の仇を見るかのように睨まれているため、痛む心はディアーヌの中でだけ消化した。


「久しぶりね、ロラン。顔色が良くないわ。寝不足なのではなくて?」

「……姉上のせいですよ」

「私の? 私が何かしたかしら?」


 とぼけたディアーヌに、一気に怒りが爆発したかのようにロランが叫んだ。


「そんな得体のしれない男をいつまでもそばにおいて! 公爵家の娘として恥ずかしくないのですか!」

「あら、リュカ様のことはお父様もお母様も認めているわ。認めていないのはロランだけよ」

「……そういうことを言っているのではありません! 姉上は……姉上は、サミュエル殿下をお慕いしていたではありませんか! それなのに、そんな不法侵入者の色を纏うなんて、気が触れたとしか思えませんよ!!」


 ディアーヌが癇癪を起こした時と同じような動作で、ロランは怒りを口にする。

 弟の言葉に、ディアーヌは自身の纏うドレスへと目をやった。


 視界を彩るのは、紫紺一色。


 その色にディアーヌは胸を張って、素敵でしょう? と微笑む。


 上半身はハイネックから半袖にかけて繊細なレースに包まれており、胸元の切り替え部分はハートカットで可愛らしさもありながら、シルクサテンのロングドレスが大人びた雰囲気を醸し出している。リュカの横に立てば、どこからどう見てもディアーヌの望むパートナーはリュカであると言っているようなものだった。

 一方、リュカは胸と腕部分にバトン公爵家の護衛用の鎧を装備し、腰にはウェーナーから託された剣を携えている。鎧の下は上下黒の装いで、隣に立つディアーヌを一際輝かせる色彩だ。


「初めて着たけれど、自分でもよく似合っていると思うわ」

「すごく綺麗でとっても可愛いよ」


 にこにことして返す二人の様子に、とうとうロランは激昂した。


「黙れ! 気狂いの姉上など、僕の姉ではない! お前なんて、仕事もできない無能で、何の才能もなく、すぐに好きな男を変えるふしだらな──」

「思ってもないことを言うべきではないわね、ロラン」



 ディアーヌが一言発した後、ロランは彼女の視界から消えていた。



「……は……?」


 耳が拾ったのは、呆然を口にしただけの一音。


 視線を落とせば、その一音を溢したロランが突き飛ばされて尻もちをついたような体勢となっていた。つい先ほどまで確かに立っていたはずなのに、なぜ自分がそうなったのか分からないといった表情だ。


 そんな彼の足の間に立ち、ロランの喉元に剣先を突きつけているのはもちろんリュカだ。

 リュカに見下されながらもロランは状況把握しようとしているようだが、腕も膝も震え、体は今にも床に崩れ落ちそうになっていた。



 動けば死ぬ。



 リュカから発せられる殺気を正しく感じとり、身動きできないでいるのだろう。ディアーヌも似たような経験があるが、あの時よりもっと鋭利だと思った。

 次の一手、一言を間違えれば、確実に自分の命はない。そう思わせるほどの圧は、目を見ていないディアーヌでも緊張感を伴った。

 けれどもなんともないといった姿勢で、ディアーヌは口元に笑みを浮かべ、硬直する弟へとゆったりと歩み寄る。


「よくしゃべるお口は塞がなければね」


 真っ青になったロランから向けられるのは、信じられない者を見るような目だった。


 生徒会時代にも似たようなものを向けられたけれど、その時はディアーヌへの侮蔑を込めた眼差しだった。それが今は、純粋な懇願だ。眉は下がり、瞳にじわりと涙が滲んでいる。

 止めてくれ、助けてくれ、という感情がありありと見て取れた。


 ……弟のその様子に、ディアーヌは心底ホッとする。


 リュカの腕に手を添えて、もう十分、と喉元から剣を離させる。


「恐怖までは支配されていませんね」


 そうだね、と返ってきて、ディアーヌはその場にしゃがみ、ロランと目線を合わせた。

 歯がぶつかりカチカチと音がするほどに震える弟を追い詰めたのは自分たちだが、その姿に辛い気持ちが込み上げる。けれども立ち止まっている時間はないので、用意していた小瓶を取り出し、ロランへと差し出した。


「ロラン、これを飲むなら先ほどの発言も、これまでの行いもすべて許してあげるわ」

「あ、姉上……」

「飲まないなら許さないけれど、どうする?」

「飲……飲みます。飲みます! から、命だけは……」

「それじゃあ、これを。苦いから、一息に飲みなさいね」

「……はい……こ……この、中身は……?」

「……少し眠たくなるだけのものよ。命には関わらないからそこは安心してちょうだい」


 ディアーヌの言葉に震えながらも頷き、小瓶を受け取ったロランは中に入った液体を一気に飲み干した。


「苦いっ……!」


 苦さで半泣きになるロランに口を開けさせ、小瓶も逆さにして全部飲んだことを確認する。

 そして……


「ゆっくりとおやすみ、ロラン」


 トン、とリュカが手刀を一発。

 ふらりと倒れ込んでくるロランを抱きしめ、ディアーヌはリュカを見上げた。


「これでしばらくは目覚めませんわね」


 言いながら、ロランをリュカへと預ける。


 ディアーヌがロランに飲ませたのは、合法な限りで最も睡眠効果が強く得られるよう配合した薬湯である。おまけに筋肉弛緩成分まで入れてもらったので、眠らなくても体は動かせなくなる。

 もちろん特別配合で、これを作ってもらうために薬師の元を訪れたのだ。

 他にも色々と準備はしてきたが、ロランの場合は攻撃的な性格になっているだけで行動に現れなかったので、てっとり早く眠らせるだけにしておいた。


 ロランが起きた時にはすべて終わっていてほしいと願いながら、リュカがロランをギチギチに縛る様子を眺める。


「玄関先で回収だったね……って、もういるんだ。早いな」

「さすがですわね」

「二人来てるね。ウェーナーさんと同じくらい強そうだ」


 ロランの回収は、王妃陛下お抱えの特殊部隊である“影”が行う。隠密行動を主とする彼らに迅速かつ穏便に引き取ってもらい、屋敷から離れたところで待機するウェーナーに託す手筈となっているのだ。

 その影が二人、既に近くにいるなら、計画は滞りなく進んでいるという証拠だ。


 リュカがひょいとロランを担ぎ、玄関の前にそっと下ろす。

 ディアーヌも後ろからついていき、玄関の壁にもたれかかるようにして眠るロランの横にしゃがみこんだ。

 まだ口の中に苦みが残っているからか、しかめっ面で眠る弟の前髪をひと撫でして、首元のタイだけ緩める。


 小さく、おやすみ、とだけ言うとリュカの手を借りて立ち上がった。


「それでは、私たちは先に進みましょう」

「そうだね。三人は二階に集まってるよ」


 屋敷の中には学園長とサミュエル、そしてマチルドの三人がいる。集まっているということは、待ち構えられているということ。

 それなりに警戒はされているのだな、と思い、二階に繋がる階段の手前まで来た時だった。


 かすかに、二階からヴァイオリンの音が聞こえてきた。


「……何だろう、この曲」

「これは……」


 ある意味では、思い出の一曲である。


「舞踏会で使用した曲ですわ。私はこの曲の途中で倒れましたの。どうやら学園長は、人の神経を逆撫でするのがお得意なようですわね」


 くだらない、と言って階段を上がる。

 二階に到着すると、一部屋だけ中途半端にドアが開き、他の部屋は閉め切られていた。

 どうやら演奏は、開いたドアの隙間から流れてきているようだった。


 一部屋だけドアの開いている部屋は、恐らく、ドアの大きさから察するに屋敷内では大きめの部屋になっているのだろう。もしかすると食堂や、小さなパーティーをする際に使用される部屋かもしれない。


 ディアーヌは部屋から数歩手前で立ち止まるとリュカを見上げた。


 ……何となく、この部屋ですべてが決する気がしたのである。


 それはリュカも同じだったようで、優しく微笑む彼と目が合い、同じ感覚でいられることが嬉しくもあり、頼もしくもあった。

 ディアーヌも微笑み返すと、リュカが彼女の頬を撫でる。それに頬ずりするように顔を傾けたディアーヌに、リュカの瞳がより一層愛情を蓄えて彼女を見つめた。


「リュカ様とはまだダンスを練習しておりませんでしたね」

「抱き上げて回ればいいんじゃない?」

「それも素敵ですけれど。向こうに行きましたら、一緒に練習しましょうね。国ごとに違うものですから、踊れるようになれば楽しいですよ」

「踊れなくてもディアーヌがいるなら楽しいよ」


 頬を撫でていた手が、ディアーヌの髪を後ろに流す。

 その動作は慣れていないようで、どことなくぎこちない動きに思わずディアーヌはふふ、と笑った。


「何か変なところがあった?」

「いえ……珍しくぎこちないな、と思って」

「女の人の髪をこんなふうに触ることが初めてだから緊張するよ。普段の俺がどれだけ気合いを入れてかっこつけてるか分かった?」

「リュカ様がかっこ悪かったことなんてありませんよ」

「じゃあ俺の努力は大成功の大正解だ」


 今度は二人で軽く笑うと、肩の力が幾分か抜けて身軽になったように思う。


「何があっても俺は君を守るためにいるからね。俺を利用することを忘れないで」

「……ありがとうございます。私、絶対に負けませんわ」



 前を向くのも、同時。



 開きかけのドアの取っ手を掴み、引き寄せたのは二人の手で。


 少し重めのドアが完全に開くと……部屋の奥に、優雅にヴァイオリンを演奏する一人の男性がディアーヌとリュカを待っていた。



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