第三十三話 魔王と悪役令嬢……と勇者
エクレールは隣においてあった短剣をディアーヌへと渡し、座るよう促した。
ディアーヌが短剣を使いやすいよう配慮してくれたのは、これより前の会話を聞いていたからなのだろう。ということはディアーヌの人となりはある程度知った上で、呼びかけに応じてくれたということだ。
促されるままに人一人分を空けてソファに座り、エクレールとは反対側に短剣を置いて、話を始めた。
「初めましてと言いましたが、リュカ様と同じだけお会いしておりますか?」
「うん。お兄さんの中でずっと見てたよ」
「リュカ様のお話では、五歳くらいのお姿だったと……今はもう少し大きいように思えますが」
「たぶん十五に近いんじゃないかな。でもやっぱりお兄さんの体だから変な感じがする」
そう言って苦笑した顔はリュカである。
なんとも不思議な光景なのにディアーヌは驚くことなくそれを受け入れられている自分に安心していた。
ほんの少しだけ、魔王に対する恐怖を感じるのではという懸念があった。そしてそれを少年は感じ取ってしまうだろうと思っていたが、今のところ、その心配はなさそうである。
やはり見た目がリュカというところが大きいのかもしれない。
ディアーヌはエクレールの隣に座り、早速ですが、と話を始めた。
「リュカ様をこちらに転移してくれたのは、あなたですよね?」
「そうだよ。まさかお姉さんの方が先に気づくとは思わなかったな」
「自分のことは気づきづらいものですわ」
「魔力の気配は消してたけど……お姉さんは鋭いね」
ありがとうございます、とディアーヌが言うと、エクレールはにこりと笑う。お礼を言わなければならないことはまだあるので、ディアーヌは遠慮なく言葉を続けた。
「こうして自然とお話しできるのも、あなたのおかげですね。とても助けられておりますわ。いつもありがとうございます」
頭を下げたディアーヌに、ぱたぱたと手を振って、やめてよ、と言うエクレール。
「お兄さんの中からだと魔石を使ってもこれぐらいしかできなかったんだ。巻き込まれたお姉さんにずっと申し訳なくて……」
言うなり眉を下げたエクレールに、感情がそのまま出たような豊かな表情をするリュカを重ねる。ディアーヌはリュカが時折彼女にしてくれるように、励ましの意味を込めて彼の肩に手を添えた。
「巻き込まれたのではなく、私が事態を悪化させたのではないですか? だからここまでこじれてしまったのだと思っていますけど」
「……そうとも言える、かも」
極力、ディアーヌを傷つけまいと気遣ってくれた答えがありがたい。
けれども、やはり、というか。
ディアーヌを追い詰めたこの事態を招いたのは、他の誰でもない、ディアーヌ自身だったのである。
「……学園長が何者かまでは分かりませんでしたが、学園長は元々、あちらの世界でも闇魔法について研究をしていたのではないでしょうか。その中で魔族を生み出す魔法なども作り出していた。一人でそこまで……と考えると難しそうですから、共同研究者か、一族がそうだったか……ある程度の年月は闇魔法について調べていて、豊富な知識があった」
伏し目がちになったエクレールは、ディアーヌの仮説に頷く。
「悪運か強運か……その学園長が、リュカ様の魔石と同じタイミングでこちらの世界に飛ばされた。そしてこの世界で企んだのは、世界征服。魔法のない世界では簡単にそれが叶うと思ったのでしょう。その初手として、まずはこの国の中枢に入り込み、国を自分のものにしようとした」
エクレールが小さくため息をつく。それを肯定ととり、話を続ける。
「一番の狙いはサミュエル殿下。殿下を手中に収めることができれば、自ずとその周辺や民はついてくる。その手段として学園長になりすまし、自身の魔力から作り出したモニクを学生の中に潜り込ませたけれど……私がなかなか、言うことをきかなかった」
リュカが最初に教えてくれた人を操る魔法の条件の一つ。
──術者に名を呼ばれて返事をすること。
思い返せば、ディアーヌは学園長の話に快く賛同することはなかった。モニクの時は断りを入れ、生徒会ではだいぶ渋った。だから学園長の魔法の条件がディアーヌに対しては整わなかったのだ。
「モニクの役割は、本当は私の立場を奪うこと。モニクを王太子妃……将来の王妃にして、裏で操るつもりだったけれど、上手くいかなかったから計画を変更した。恐らく変更したのはロランの入学あたり……学園長の当初の計画では、その頃にはモニクが殿下の婚約者になっているはずだったのではないかと思います」
そこまで話して、ディアーヌはベッドへと目線をやる。
枕元には二つに割れた魔石が置いてあった。
「ロランに魔法をかけたあたりで、リュカ様の魔石について情報を入手したのでしょう。あの魔石が私にどう影響していたかは分かりませんが、学園長からすると魔石を持っていること自体が気に食わなかった」
次にため息をついたのはディアーヌだ。考えれば考える程……学園長の私情がすごい。
リュカが初日に言っていたのはなんとも的を得ていたな、と思う。
「容易に進むと思っていた計画は、私が言うことをきかないばかりに遅れ、自身が持っていた魔石もどんどんと数を減らしていた。それなのに私は立派な魔石を持っていていつまでも抗うものだから、鬱憤が溜まっていたのでしょう。どうせなら、私を起点にして魔石を暴走させ……魔王のように力に取り込ませようとした。モニクに魔法をかけられている限り、私がどんな存在になろうと自分には逆らえないと踏んで」
「……すごいね、お姉さん。どうしてそこまで考えられるの?」
「戦いではリュカ様にひっついているだけでしたから。こういう頭を使うところで少しは役に立てないと、ただのお荷物になってしまうでしょう? だからたくさん、考えてみましたわ」
「お兄さんはどんなお姉さんでもお荷物になんて思わないよ」
「それは完全に贔屓目ですわね。もっと私に厳しくしていただきませんと」
「…………はは。それは無理、だって」
「あら、会話ができるのですか?」
「うん、どうやらそうみたい。お姉さんのことが心配すぎて、何かしたらまた地に伏すからなってずっと脅してくるんだけど」
「まぁ。あなたを抱きしめた話の時は、あんなにも優しい目をしていたのに」
「十五歳は許さないらしい。失敗したな、五歳って言っておけば良かった」
はぁーと分かりやすく口に出して背もたれに体を預けたエクレールは、あの時は五歳だったんだって、とリュカに言い訳をしていた。本当は会話になっているのだけど、ディアーヌからするとエクレールの独り言である。
しばらくその独り言を見守っていたが、どうにか決着はついたみたいで、エクレールはディアーヌとの話に戻ってきた。
「僕の見立ても、ほとんどお姉さんと一緒。少しだけ、僕の話をしてもいい?」
「ええ、もちろん。聞かせてください」
エクレールは天井を見上げ、僕はね、と話し出す。その声色は少しばかり寂しさを纏っていて、ディアーヌは自身の目元にキュッと力が入るのが分かった。
「お兄さんが最後に抱きしめてくれた後、地獄に落ちるんだと思ってた。でも……気づいたらお兄さんの中にいた」
「気づいたのはいつ頃なのですか?」
「お姫様が全裸になる直前。あれはびっくりした。あんな愛情もあるんだって知って、ちょっと怖かった」
そのエピソードに、ディアーヌの片頬がぴきぴきっと引き攣った。エクレールには見えていなかったし、以前にも聞いた話ではあるが、今回引き攣ったのは王族の行動として、というよりも女性にそんなことをされたリュカに対して思うところがあったからであるが……今はそこは無にして、話に集中する。
「それからお兄さんの中で、色んな愛情の形を見てきた……けど、どれもすごく一方的だった。愛されてても、お兄さんは全然幸せそうじゃないから、人を愛して愛されるって難しいんだなって思うようになった」
……愛されたいと願った少年は、勇者の中でたくさんの愛の形を知った。そこからなぜ、ディアーヌに繋がったのか。
「僕みたいなやつも抱きしめてくれたお兄さんには、絶対に幸せになってほしかったんだ。だからお兄さんが本当に愛する人と一緒になるまでは、お兄さんの中にいたいと思ってたんだけど……」
そこからエクレールは立ち上がると、ベッドまで歩いて魔石を手に取った。
短剣を取ってきたリュカのように魔石を持って戻ってくると、こいつとね、と魔石をディアーヌへと見せる。
「ある時突然、魔力を通じて繋がった感覚があった。そうしたら、こっちのことを感じ取れるようになって、お姉さんのことも、こっちの世界のことも知った」
……魔石は元は魔族。その魔族は、魔王の魔力から作られるもの。だから魔力の質でいえば同じものだ。
それが共鳴……のような現象となったのだろうか、とディアーヌは予測を立てながら頷く。
「お兄さんにはお姉さんが必要だと思った。それと……ちゃんと終わらせないといけないから、僕は勇者の中にいたんだとも思った」
「終わらせる? それは……」
「モニクの魔力で気づいたけど、学園長に成りすましている男は、僕を戦場に放り込んだ国王の子孫だよ」
その真実に、ディアーヌは息を呑んだ。
そうしてまた頭の中で繋がりが生まれていく。
「……殿下が好戦的になっていたのも、その影響ですか?」
「たぶん、あいつの魔力の影響だと思う。あいつは……あいつらはずっと、力で世界を自分のものにすることしか考えていない。僕が魔王になった後も、僕を飼いならす気でいたみたいだったからね」
「それは……無理でしょう。そんなことも分からずに?」
「力がすべてだと思ってる人たちだから。闇魔法の失敗うんぬんの話を広めたのも、たぶんあいつら一族だよ。証拠はないけど、他の人たちの闇魔法を禁じて自分たちだけが使えるようにしていたら、いつかまた、僕みたいなので僕よりも扱いやすいものが作れると思っていたんだろうね」
聞けば聞くほど……反吐が出る。なんて身勝手な国王とその一族だ。人の命を、気持ちをなんだと思っているんだと憤りを覚える。
膝に置いていた手に力がこもって、ディアーヌは下唇を噛んだ。
「あいつと、この魔石がこっちに来たのは本当に偶然なんだ。僕の攻撃魔法と、お兄さんたちの攻撃がぶつかってその衝撃が大きすぎて、時空を歪めてしまったみたい」
「そうだったのですね。偶然に偶然が重なって……それでも許せることは何一つありませんわね」
ディアーヌはエクレールへと顔を向けて、その目をまっすぐに見つめた。
「あくまでもこれは私たちの見解ですわ。明後日、本人に聞けば真相は分かるでしょう。その時に、あなたがどうしたいのか、よく考えておいてくださいませ」
え……と溢したエクレールに、ディアーヌは一度ゆっくりと瞬きをして、自身の決意を口にした。
「私は学園長を許すつもりはありませんし、正しく報いを受けさせます。そしてマチルドと話をして、けじめをつけます」
「……ディアーヌお姉さんは強いね。僕も、お姉さんみたいにちゃんと考えるよ」
「ええ、リュカ様の中で考えてください。明日は一日、準備にあてますし」
「……そこなんだけど、えっと、殿下とか弟とか、それこそマチルド……があいつの家にいるのに、早く行こうとは言わないんだね」
「お母様と完膚なきまでに叩きのめすと約束しましたからね。そのための準備を怠らないようにとも言われました。それに相手の方から日をあけてきたのだから、そこは利用させてもらいますわ」
極度の負けず嫌いに喧嘩を売ったことを、夢に見るほど後悔させてやろうと密かに決めているディアーヌの強い眼差しに、エクレールは笑うしかなかった。
「……僕もお姉さんみたいな人とそばにいられたら良かったのにな」
その呟きが耳に届き、ディアーヌはそっとエクレールを抱きしめる。エクレールの肩がビクリと跳ね、手はどうしていいのか分からないように上がったり下がったりしていた。
だからディアーヌは、わざと抱きしめる力を強くする。
「これからですわ。あなたは、これから」
「……でも、僕は……」
「何年、何百年、何千年かかっても、罪を償い、反省してから生まれ変われば良いのですよ。そうすればあなたはもう二度と間違いはおかさないし、私がおこさせませんわ」
「お姉さんが?」
「私のそばにいたいのでしょう? それならば、ちゃんと私の生まれ変わりの近くに生まれ変わってきてくださいね。待ってますし探しますから」
ゆっくりと、震える腕がディアーヌの背に回される。
そこから縋るように抱きしめられて、ディアーヌはエクレールの頭を撫でた。
「……許されるなら、お姉さんの家族がいい」
「ええ、大歓迎ですわ」
スン、と鼻をかんだ後、エクレールが小さく笑い始める。
「……ふふ……お兄さんがめちゃくちゃ葛藤してる」
「あら、どういったことを?」
「自分だってまだお姉さんから抱きしめられたことが少ないのに、だって。でも、俺たち夫婦の子供として生まれ変わるのなら許すって」
「……そうですわね。リュカ様もいてくださったら、あなたももっと安心して過ごせますものね」
「うん。って、うわっ! ちょっと、うるさい。なに、まだ嫌だよ」
ディアーヌを放ってまた独り言が始まった。それでも抱擁したままだから、なんとも愉快な状況だな、と思う。
そこでふと、エクレールの肩越しにリュカのベッドへと目がいく。周辺の家具やクローゼットなど、ほとんどディアーヌの部屋と同じもので同じ配置だ。
しかしどこかスッキリとした印象を受けたのは、彼の荷物の少なさだろう。必要最低限の荷物は綺麗に仕舞われていて、カバン一つなくなれば、リュカの存在も元からいなかったものとなりそうだと思い……静かに胸が痛んだ。
……終わりが、近づいている。
そう意識してしまうと寂しくなって、ディアーヌは目を閉じた。まだ勇者と魔王は可愛らしい言い争いをしているが、この腕がどちらのものかなんて、今は考えずにいよう。
どちらにせよ、ディアーヌは確かに今、安心できて幸せになる未来を思い浮かべられている。
その事実さえあれば、満足だった。




