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第二話 優しい弟と頼れる幼馴染とのひととき


 ブローチを贈ってくれた残る二人は、サミュエルに向ける愛情とはまた違う種類の愛情を抱く二人であった。



 その一人が、家族としての愛情を向ける一歳下の弟、ロラン・バトン。


 父親に似た丸いアーモンド型で目力の強いディアーヌとは対照的に、母親似の少しタレ目気味で優しい目元が特徴のロランは、ディアーヌより少し暗い金髪と彼女と同じ緑色の瞳を持った心優しい弟だった。


 ディアーヌは相当の負けず嫌いであるし、すぐに対抗意識を燃やすが、基本的に人に対しては寛容な方である。何事も努力はすべきだという考えではあるが、それを口に出して強要することはない。

 だから弟にも優しく接し、あれをしろこれをしろとは言ったことがなかった。


 しかしながら、弟は負けず嫌いの姉の背中を見てきているので、本人もそれなりに負けず嫌いに育ち、常に姉に対抗意識は燃やしていた。

 それは攻撃的なものではなく、とにかくお互いに励まし合って上を上を、というもので姉弟仲は非常に良かった。



 とある日、王太子妃教育で分からない部分を残したまま帰ってきたディアーヌは、夕食もそこそこに部屋に引きこもり、一人机に向かって様々な本を広げていた。

 なぜ理解できないのか。自分が理解できていない部分はどこなのか。

 必死になっているディアーヌは、ひたすらに本を読み漁っていた。


 そんな時に、いつも彼女に温かい紅茶を持ってきてくれるのはロランだった。


 この日も、夜になってトントントン、と軽いノックの音がディアーヌの部屋に響く。その音に顔を上げて返事をすれば、少しだけ開けたドアの隙間からロランが顔を出した。


「姉上、眠る前にお茶を一緒に飲んでください」


 もう夜着に着替えていたロランが、温かな紅茶を持ってきてくれたのだ。


「……ごめんね。また気を遣わせてしまったわね」

「いいえ、これは僕のわがままです。どんなことにでも全力で取り組める姉上は僕の自慢ですから、気にやまないでください」


 ロランは後ろに控えた侍女へと紅茶を淹れる指示を出し、侍女がディアーヌの前に運んでくれたところで二人にお礼を言った。

 深呼吸すればふわりと優しい香りがディアーヌを包み込む。まだ一口も飲んでいないけれど、胸を温かくしてくれる存在にディアーヌは深く息を吐きだした。


「すごく良い香りだわ」

「リラックス効果があると人気の茶葉だそうです。これを飲んだら頭もスッキリして、姉上の悩みも解決するんじゃないかと思って」


 勧められるままに飲んでみれば、フルーツの爽やかな味わいがした。


「ありがとう。おかげで肩の力が抜けたわ」

「それなら良かった。僕も良い夢が見られそうです」


 ロランの上手いところは、ディアーヌを止めることはせず切羽詰まった彼女に息抜きをさせてあげるところだろう。

 これは、止めたところでディアーヌが止まらないということをよく理解しているという部分もあるが、ロラン自身も自分が姉の立場であれば止めてほしくないからだ。


「姉上、僕は本当に姉上を尊敬しています。僕も姉上のようにどんなことでも突き詰められる人間になりたいです。けれど、体調には十分に気をつけてくださいね」

「ええ、ありがとう。これが終わったらちゃんと眠るわね」

「明日の朝は一緒に食べましょうね」

「ええ、約束」


 穏やかに笑うディアーヌに安心したようにロランも微笑む。


 負けず嫌いを発揮して夜遅くまで机に向かうことの多いディアーヌが大きく体調を崩さずにいられたのは、ロランの存在が大きかった。

 体調管理は王太子妃になるために間違いなく必要なことだが、ロランがタイミング良く諭してくれるおかげで、その意識が常にあった。当たり前だが、忘れがちで蔑ろにしがちなところだ。


 そういう部分を、ロランが支えてくれていた。

 ディアーヌは必ず王妃になる。王妃になれば、姉は国や民のために悩むことも多いだろう。その時の心労を、きっとロランは分けてもらえない。

 だから一緒にいられる時間は、姉の負担を少しでも自分が請け負いたい。そんなふうに考えている節がロランにはあった。


 ロランのその考えはディアーヌにも伝わっていて、弟への家族愛と同じだけ、彼には感謝の気持ちを抱いている。


「ロランが私の弟でいてくれて、私は本当に幸せ者ね」

「それは僕の方ですよ」


 また明日、とおやすみ、を言い合って、ロランはディアーヌの部屋から出ていく。


 優しい弟とのこの時間は、ディアーヌの負けず嫌いがまったく出ない唯一の時間であった。



 ◇



 ブローチをくれた最後の一人は、ディアーヌの幼馴染であるマチルド・ルイ伯爵令嬢だ。


 出会った頃から発育が良く、常に平均身長を上回っていたマチルド。切れ長の目はディアーヌよりも濃い緑色で、唇が薄く、肩にかかるくらいの茶色の髪は貴族の令嬢としては短い方だったため、幼い頃は黙っていると男の子に間違えられることもある活発な少女だった。


 マチルドは、彼女の叔父が現王国騎士団の団長で、ディアーヌと出会う前から剣の鍛錬を始めていた。

 その話を聞いた五歳のディアーヌが受けた衝撃たるや。


 自分はまだぼんやりとした未来しか描いておらず、ただ目の前の貴族教育に打ち込んでいた中で、同い年の女の子が騎士になるという夢のために体を鍛えているなんて……! と、衝撃とともに感銘を受けた。


 そんなマチルドに近づきたくて、負けたくなくて、ディアーヌはすぐさま自分も同じく体を鍛えたいと両親を説得した。

 父は困り顔で、母は完全に明後日の方向を向いていたが、ディアーヌは二人が頷くまで自分の意志を曲げなかった。

 マチルドからも、ディアーヌが一緒にやってくれるなら嬉しい、と言葉を引き出し、これを聞いた両親は最終的には押し負けて、ディアーヌはマチルドと共に剣の稽古も始めることとなった。


 ……しかしながら、ここでもディアーヌは平凡で、マチルドからは随分と身体能力も劣っていた。走ればおいていかれ、体力にも大いに差があった。

 転けて体を打ちつけ青あざを作ったり、擦り傷を作ることも多かった。そんな彼女に母親はいつもハラハラとした様子で見守り、あざだらけにならないか常に心配していた。


 それでもディアーヌはディアーヌだった。

 彼女は一度だって痛いから嫌だと言わず、もうやめるとも言い出さなかった。サミュエルの婚約者になってからも、マチルドとの関係は続いた。


「ディアーヌは変わってるよね。せっかく可愛いドレスも着られるのに、こんなにあざを作ることをするなんて」


 マチルドにはよく言われたことだが、ディアーヌにとっては可愛いドレスを着れることより、あざが徐々に少なくなっていくことの方が誉れ高いことのように思えていた。


「可愛いドレスも好きだけど、マチルドとこうやっている時間が好きなんだもの。楽しいからいいの」

「私も好きだけど。もったいないなぁと思っちゃう。それにサミュエル殿下も可愛いディアーヌのことを好きになるんじゃない?」

「サミュエル様は、可愛いだけでは良しとしないと思う。今はとにかく、何でも挑もうとする私を面白いと思ってると思うわ」

「そうなのかなぁ? でもディアーヌに向ける笑顔はすごく優しいけど……」

「ライバルの登場が楽しいのよ。あのお方はずっと国のためにと努力されているから、私も負けないようにしなきゃ!」


 二人で微笑みあって、頑張ろう、と手を取り合う時間がディアーヌは好きだった。


 そのうちにロランも仲間入りし、ディアーヌの怪我も減っていった。

 練習用の木剣を安定して素振りできる様になる頃には、サミュエルも手合わせに参加するようになった。


 残念ながら、ディアーヌは手合わせを禁止されていた。

 王太子妃になる人間がいつまでも擦り傷等を作るべきではない、と教育係や両親からとうとう言われてしまったのである。

 怪我はディアーヌ自身の実力不足であるため、そう言われるのは不服だったが、断って怪我をすれば鍛錬すら止められると分かっていたので、ここは大人しく従った。


 一方で、サミュエルとマチルドが手合わせする姿は見応えがあり、ディアーヌは二人の戦いに憧れながらキラキラとした目で見守っていた。



 そうして四人は仲の良いまま成長し、ディアーヌたちの入学式があと一ヶ月と迫った頃。


 その日はマチルドと二人だけで会う日だったが、鍛錬ではなくディアーヌの部屋でお茶会をすることになった。


 いつもはズボンでくるマチルドが、この日はドレスでやって来たからである。


 登場するなり、似合わないよね、と眉を下げる親友にディアーヌは全力で彼女を褒めた。もちろん本心からであったし、マチルドはかっこよくて可愛いのだから恥ずかしがる必要なんてどこにもないと思ってのことだ。


「本当に可愛いわ。すごく素敵。マチルドには濃い色が似合うと思っていたけれど、淡い色も似合うなんて最強だわ」


 今日マチルドが身につけていたのは、淡い緑色のスレンダーラインのドレスである。腰のところにドレスよりも濃い色のリボンが巻かれていることで、彼女の体の線の美しさや足の長さを際立たせながらも可愛らしさを演出している。

 それにマチルドはいつも自身の髪色を、平凡な色、と揶揄するけれど、茶色の髪もドレスの緑色と組み合わさると爽やかな新緑を連想させて、自然の中にいる安心感のようなものも感じられた。


 とにもかくにもすごく似合っていて、ずっと見ていたい。そんなことをディアーヌはマチルドに熱弁した。

 するとマチルドは照れくさそうに笑って、ありがとう、と口にする。


「褒めすぎだよ。青色もあったけど、それはディアーヌとサミュエル殿下の色だと思ったから、この色にしてみたの。でもディアーヌに比べたら全然。ドレスに着られてるってかんじ。髪も最近伸ばしてみてるけど、華やかに見えるようになるには足りなかったな」


 ディアーヌはこの日、青色のドレスを着ていた。

 彼女が持っているドレスは青系統が多いが、これはサミュエルの瞳の色からくるものである。青いドレスを着ると、分かりやすくサミュエルが喜ぶので、つい、選んでしまうというところはあった。


「私と比べる必要なんてないわ。それにマチルドならどんな色でも似合うということが証明されてしまったわね。こんなに綺麗なマチルドを見たらあなたのファンが増えてしまいそうだわ」

「ファンなんていないよ」

「私が第一号。二号はロラン。サミュエル様も三号。もう三人もいる。それに、この前お呼ばれしたお茶会でも、私がマチルドと仲が良いと知っているご令嬢方から、自分たちももっと仲良くなりたいと願い出られたのよ。大人気だわ」

「あはは。それは光栄だね。でもサミュエル殿下は私のファンにはならないよ。何においても、あのお方の一番はディアーヌだもん」


 マチルドから笑いながら言われ、ディアーヌは分かりやすく頬を赤くした。


「ディアーヌは本当にこの手の話題になると弱いね。そこが可愛いんだけど」

「……なんだか悔しい」


 もう、と言って、ディアーヌはマチルドの頬をつつく。


「私が照れると分かっているのだから、意地悪なことを言わないで」

「ふふ、ごめんごめん。そのうち、こんな可愛いディアーヌもサミュエル殿下に取られちゃうと思うと私だって悔しいんだもん」


 ディアーヌの手を取ったマチルドの手には、普通の令嬢にはないマメがある。それは毎日剣を握り、素振りをしているからで、マチルドは時折そのことを悲観する。

 しかしこれは彼女が積み重ねてきたからこそできたものだ。ディアーヌはその手に触れるたび、彼女の努力はすごいものだと思ってきた。


 だから何となく、今のマチルドの発言には二人の間に距離ができるような気がして不安になった。


「私はサミュエル様とどんな関係になろうとも、マチルドとはずっと仲良くしていたいわ」

「それはもちろんだよ。でも、ディアーヌを一番に守るのは私じゃなくなっちゃう」


 少しだけ寂し気に言ったマチルドに、ディアーヌは繋がれていた手に自身の片手を重ねた。

 負けず嫌いである自分を嫌な顔せず受け入れてくれて、それからずっと自分と共にいてくれる。サミュエルより出会いは前で、既に彼女のことは家族のようにも思っているのだ。


 それなのに、まるで離れていくかのような口振りに寂しくなったのはディアーヌである。


「マチルド……何を考えているの?」


 自分から出たとは思えない弱々しい声で尋ねると、そんなディアーヌの不安を払拭するかのようにマチルドは快活な声で告げた。


「ディアーヌ、私ね、二人を守る騎士になりたいの。ディアーヌもサミュエル殿下も、二人が剣を抜かなくてもいいように、私が守る。その時は、私はあなたの盾となるの」


 その眼差しは力強く、未来を見据えて宣言するマチルドはとても頼もしかった。けれどディアーヌには、切なさがこみ上げてくる。


「……それはとても心強いけれど、でも、そうなる時はマチルドが危険ということよ。私はマチルドに危ない立場にいてほしくないわ」

「……二人に剣と命を捧ぐって言ったら、怒る?」

「怒るし泣くわ。大泣きする。大泣きして認めない。命だけは捧げないで。生きていてほしいもの」

「分かった。じゃあ、剣を捧げて、危ない時は一緒に逃げる。それならいい?」

「…………ぎりぎり」

「ディアーヌはもっと非情にならないとね。でも、そんなディアーヌが私は好きだよ」

「私もマチルドのこと大好きよ」


 言いながら顔を見合わせて二人が笑っていると、ディアーヌの背後から、失礼します、というロランの声がした。


「ロラン? と、サミュエル様がどうしてここに?」


 扉を開けたところにいたのは、気まずそうな顔をしたロランと難しい顔をしたサミュエルだった。サミュエルとは会う約束もしていないのにどうしたのかと思えば、時間ができてディアーヌに会いたくなったから来たのだという。


「まさか目の前で婚約者を口説かれるとはな」

「やきもちですか、殿下?」

「この状況で妬くなという方が無理では?」

「私たちのこれは、友愛と親愛と姉妹愛のようなものですから。ね、ディアーヌ?」

「それと師弟愛もありますわね」

「ディアーヌ、君はどちらの味方なんだ?」


 そう言って始まる会話は楽しく、サミュエルとマチルドがいかにディアーヌの可愛いところを知っているかを言い合ってディアーヌが赤くなる中、こそっと隣に並んだロランがディアーヌへと教えてくれたのは。


「サミュエル殿下は、姉上の繊細なところにもすごく惹かれるんだとおっしゃっていましたよ」

「そう? それは嬉しいわ」

「でも、自分よりも多く大好きだと言われるマチルド様が許せない、とも。後で姉上の素直な気持ちを殿下にもお伝えできればいいですね」

「そ、それは恥ずかしいじゃない……!」


 気恥ずかしさから縮こまったディアーヌが顔を両手で包むと、言い合いをしていた二人が今度はロランへとその矛先を変えた。


 立場や責任が変わっても、ずっとこんなふうに言いたいことを言って、心から笑い合える関係でいられたらいいな、とディアーヌは思っていた。



 ◇



 ……そんなふうに、四人で幸せな時間を過ごしてきたはずだったのだ。



 それなのに。

 ディアーヌは今や、独りとなってしまったのである。



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