第二十八話 忘れない
外に控えていたウェーナーとジャコブと合流し、途中で別の店にも寄って、必要物品を買い集める。
馬車は少し遠くに停めており、そこまでは歩きでの移動だ。
ウェーナーとリュカが決闘のことを話し、それを皆で聞きながら、ところどころジャコブが質問を挟む形で会話は進んだ。ウェーナーも実力者だとはリュカが言っていたが、会話からもそれは感じられる。二人の会話についていけないところがあるジャコブは、所々悔しそうにしているので、きっと彼はこれから力をつけるのだろうという頼もしさもあった。
そうして、あと一つ角を曲がれば馬車につく、というあたりで彼らの話が落ち着いたので次の目的地の道順を確認していると、突然、リュカがディアーヌを横抱きにして持ち上げる。
「……リュカ様?」
近くにあるリュカの顔を見上げると、彼は少し離れた位置を睨むようにしており、緊急事態だとすぐに察した。ディアーヌがそう思ったタイミングには既にウェーナーは動き出している。
「ウェーナーさん、ジャコブさん、ミエラさんを連れてここから離れてください!」
はっ! という声とともに、ウェーナーが剣を構え、その背にジャコブとミエラを守る。そしてジャコブはミエラを支えながら、来た道を帰る方向に走り出していた。
そんな彼らを確認している間にも、ディアーヌはリュカの首に腕を回して離れないようにしがみつく。
一体何が起こるのか、と思った瞬間、ビキビキビキと音がすると同時にリュカが飛び上がった。
「舌噛むから口は閉じてて」
冷静な声が耳に届き、ディアーヌは振り落とされないようにさらにリュカへと体を密着させる。そうして下を見れば、先ほどまでディアーヌたちがいた場所には氷の柱ができており、その柱の下にはどこからか伸びた氷の道が一筋あった。
ミエラたちは離れた場所に移動している途中だったが、氷が彼らを追う様子はない。
……あの氷は、どう考えてもこの世界にはない力だ。つまり、魔法である。となると、学園長が近くに……!?
「ディアーヌ、しばらくこのままで」
屋根に着地したリュカは、ディアーヌを抱えた状態で周囲を見渡す。腰に剣をつけてはいるが、抜く気配はなかった。
「……いた。ちょっと追いかけるから、掴まってて」
呟くなり、リュカはダンッと音がするほど屋根を踏み込み、再び飛び上がった。一方、ディアーヌは空気抵抗の強さに目を開けていられず、きつく目を閉じてどこかに向けてビュンビュンと移動するリュカから絶対に離れまいと服を掴む。
リュカも強く抱きしめてくれていたので落ちるとは思わなかったが、あまりにも非現実的なスピード感に思考能力はついていかず、息を詰めて言われたことをただ守るのに必死だった。
それからどのくらい移動したのか。最後の着地は信じられないぐらいに静かな動きだった。
「動くな」
いつもよりずっと低い声で誰かにそう言ったリュカは怒りをまとっていたが、相手が何も答えないからか、降ろすね、という一声があってディアーヌは地面へと降ろされる。
その手つきはひどく優しく、ほんの少しだけ上手く呼吸ができるようになった。ディアーヌが目を開けると、道の先が行き止まりになっている狭い路地裏にいた。
昼間だというのに周りは少し薄暗く、人通りはない。完全に自分たちしかいない空間だった。
リュカの背中に守られるように立ったディアーヌは、彼が追い詰めたモノをその背中越しに覗き見る。
それが何なのか、ディアーヌには初め分からなかった。
例えるなら、人の影が立体的になっているような黒い物体。
髪の毛も目も鼻も口もない真っ黒な人型の何かが、ぬらりと佇んでいる。
そこでディアーヌの頭はフル回転を始める。この異質な存在は、リュカから教えてもらったものに当てはまった。
「あれが……魔族、ですか?」
「そう。だいぶ力は弱いね」
「で、ですが……魔族は魔王からしか生まれないのでは?」
「そのはずだったんだけど……何にせよ、放っておくわけには──」
「ひっ、何……!?」
まだリュカが言いきる前に、黒い人型の魔族は頭を抱えるようにしてぐにゃぐにゃと折り曲がり始めた。
その動きはまるで何かにもがき苦しんでいるかのようで、しかし動きは人間ができるようなものでもなく、気味の悪さにディアーヌの身体は竦む。
「……なるほど。そうか、お前が……」
何がなるほどなのかさっぱり分からないが、ディアーヌは落ち着きを取り戻したくてリュカの背にへばりついた。
とにかく安心したかった故の行動であったが、ぶつかるようにしてくっついたのにリュカは少しもよろけることなく、ディアーヌに、大丈夫だよ、と声をかけてくる。
「ディアーヌ、恐いだろうけど出ておいで」
「え……でも……」
「大丈夫。俺がいるから、ね?」
肩越しに振り返ったリュカがあまりにも勇者然とした精悍な顔つきをしているものだから、リュカの手に導かれるようにしておずおずと彼の隣に並ぶ。
でもやはり、得体のしれないモノへの恐怖はあり、今度は横からしがみつくようにして立つのが精一杯だった。
そんなディアーヌを安心させるために、リュカは片手をディアーヌの肩に回して自身の方へ引き寄せる。
「あいつは一度、君に負けてる。だから君の前では形を保っていられなくなってるんだ」
「私に!? 私、魔族を相手に戦ったことなんて……」
ぐねぐねぐにゃぐにゃ。
さっきよりも動きは激しくなっていて、リュカの服を掴む手に力がこもる。
「……俺の予想では、あれはモニク・ダマーズだったもの、だ」
「モニク様!?」
そうディアーヌが叫んだ瞬間、魔族の体が一気に収縮して黒い球体となり、宙に浮かんだまま小刻みに震えだした。周辺は暗がりとなっていても、その球体の黒はとびきり深い。
「どうやら確定のようだね。それと、ディアーヌに闇魔法をかけていたのもあいつで間違いない」
「モニク様が……? 負けた、というのは私が目覚めた? 時のことですか?」
「うん。あの時に君はあいつの魔法を打ち破ってる。だからそれ以降、君の前には出てこれなかったんだよ」
「……でも、魔王はもういないのに、どうやって魔族が…………まさか、学園長が?」
「その可能性が高いね。というより、ほぼほぼそうなんだろうけど。とりあえず……終わらせようか」
リュカは片手に剣を持ち、黒い物体へとその剣先を向けた。
「ここまで弱まっていれば、この剣でも耐えられるかな。ディアーヌ、ちょっとだけ離れるね」
「……ええ、大丈夫です」
「動かずにいてね。それじゃあ……我が身に宿りし純然たる力よ。我が声に応え──」
「……え?」
今、聞こえたのは……?
ディアーヌがそれを理解するより早く、リュカは球体の向こうへと駆け抜けていた。まさにそれは、紫の雷が一閃したように鮮やかな線だけを残し、瞬きの間に消える。
直後、小さな石が転がるようなコロンコロンとした音がディアーヌの耳には届いた。
何が起こって、何が終わったのか。
まだディアーヌは正しく理解できていなかった。
しかし剣を鞘へと収めたリュカが、転がったものを拾い、彼女の元へと帰ってくる。
彼の手の中にある、小さな黒い石。
……魔石だ、と認識したと同時に、ディアーヌの手は水を救うような形でリュカの方へと伸びていた。
「あの……魔石を触らせていただいても、よろしいですか?」
「……うん」
どこか渋るような、戸惑うような様子だが、リュカはディアーヌの手のひらに、その魔石を乗せる。
リュカ持っていたものより小さいそれは、先ほどまでいた魔族の結晶。顔も何もない真っ黒な人型をほとんど保てず、球体となって浮かんでいたもの。
けれど……
一時は切磋琢磨しながら、共に過ごした同級生。
仲良くなれたし、ライバルでもあったと思っていたはずの、友人。
彼女の笑顔が、脳裏を過った。
「…………モニク、様……」
小さな呟きとともに、魔石にぽたりと涙が落ちる。
それが自分の目から溢れたものだと認識するよりも早く、リュカに思いっきり抱きしめられて、ディアーヌは魔石が見えなくなった。
この涙が何の涙なのかは、まだ説明ができない。やるせないし、切ないし、悔しいし、悲しい。
「ごめん、ディアーヌ。俺が無神経だった」
「謝ら、ないで……!」
ディアーヌは右手にモニクだった魔石を握りしめ、リュカを思いっきり抱きしめ返した。唇を噛み締め、声を押し殺して泣く。
そんなディアーヌをリュカは世界から隠すように包み込んだ。
……モニクに会わない間、その可能性を考えたこともあった。けれどそうだと決めきれなかったのは、彼女と過ごした確かな日々があったからだ。
非情にならなければとも思うけれど、ここで悲しみを感じられない自分ではありたくなかった。
深い悲しみに嗚咽を漏らしていれば、段々と、許せないという怒りが大きくなっていく。
人の命も気持ちも何とも思っていないようなやり方で、ディアーヌから大事な人たちを取り上げただけでなく、思い出まで踏みにじって、指示を出したであろう本人は隠れて姿を現さない。
そんな卑怯者のやることすべてが、許せなかった。
悲しみを乗り越えて、怒りを原動力にしてディアーヌは進まなければならない。
その道を選んだのは自分だ。後悔はしない。絶対に、後悔なんてしない。してたまるものか。
噛み締めすぎた唇からは、血の味がした。
ディアーヌは一生、この味を忘れはしない。
「負けたくない……! こんな卑劣な手を使う者に、私は負けない! 絶対に負けない!!」
泣きながら叫んだディアーヌに応えるように、リュカは再び、ディアーヌを強く抱きしめた。




