第二十七話 学ぶべきこと
ディアーヌの人生では二度目の仮病を使って、翌日は学園には行かず、朝からリュカとミエラ、ウェーナーと護衛をもう一人、若手のジャコブを引き連れてディアーヌは物資の調達のため外に繰り出すこととなった。
バトン公爵領だけでなく、いくつかの領地を巡って必要物資を揃える予定だ。
「お嬢様、本日はご同行させていただき、ありがとうございます」
恭しく頭を下げたのはウェーナーである。
それと、ウェーナーを崇拝しているジャコブも同じく深々と礼をする。
「こちらこそ。忙しいだろうに付き合わせてしまって申し訳ないわ」
「いえ、リュカさんとはお話をしたいと思っておりましたので」
「あまり時間はとれないかもしれないけれど、隙を見て自由に声をかけてかまわないから」
「ありがとうございます」
「……お嬢様、オレもお話を伺ってよろしいですか?」
「ええ、もちろんよ。ジャコブもあの日は見ていたわよね? 彼の動きが目で追えた?」
「いえ……すべては……」
「すべては、ということは見えてはいたのね。すごいわ、私は全然だったもの」
悔しい、と口にしたディアーヌに、護衛二人は苦笑する。
人差し指で頬をかきながら、でもですね、と言ったのはジャコブだ。
「ウェーナーさんは見えてはいても動けなかったそうじゃないですか。オレも見えたと言っても全然だったし……ここでお嬢様に見えていたらオレたちの立場が……」
「あら、強い人は多い方が良いじゃない。私だって剣を振っていた時もあるのだから、そうなりたいと思うのは悪いことではないわ。練習用の木剣だけど」
「懐かしいですね。また鍛錬を再開するおつもりは?」
その当時を思い出して微笑ましく思っているのか、目尻を下げたウェーナーがディアーヌに問う。
ディアーヌは間髪あけず、もちろん、と返した。
「今すぐにでも始め──」
「だめですよ、ウェーナーさん。奥様からディアーヌに剣を握らせるなと、それはそれはキツーく言付かっておりますから」
ディアーヌの背後から現れたリュカが、彼女の両肩にポンと手を乗せる。
「それは失礼しました」
と、謝りつつも笑いを含んでいるウェーナー。
ディアーヌが斜め後ろを振り向くと、珍しく責めるような眼差しを向けられており、ディアーヌもだめでしょ、と直接注意をされてしまった。
「一緒に聞いたよね? 怒られるのは俺なんだから」
「聞きましたけど、お母様はリュカ様に『くれぐれもお願いしますよ』と言っていただけで、私は止められていませんわ。それにその点においてはもう諦めもついておりますでしょうし」
「そんなに可愛い笑顔で言わないの。ほら、準備もできたから乗り込もう。ミエラさんももう来るよ」
「かっ……分かりましたわ。それじゃあ、ウェーナー、ジャコブ、よろしくね」
可愛いと言われたことは聞き流して、護衛の二人にそう言って笑いかければ、快い返事をした二人は一礼し、それぞれが持ち場についた。
ウェーナーは御者の隣、ジャコブは馬車内に乗り込む組である。
「リュカさん、本日はよろしくお願いします」
「俺の方こそ、よろしくお願いします。ジャコブさんはミエラさんから離れないようにしてください」
「承知しました」
二人が握手を交わしたところで、邸内からミエラが走ってくるのが見えた。彼女はそれなりの大きさの鞄を抱えていたので、ジャコブがすぐに走り寄って荷物を受け取る。
時間通り全員が集まったということで、意気揚々と馬車へと乗り込んだ。
馬車の中ではミエラ指導のもと、包帯の巻き方など怪我に対する応急処置の方法を学んでいた。
「ディアーヌ、そっちじゃないよ。こっち」
「あら……すみません、もう一度、最初からいいですか?」
「うん、もちろん」
リュカは頭から腕から、なんなら全身を差し出してディアーヌの実験台になってくれている。
彼は彼で巻かれ慣れているというのか、ミエラが説明した後で細かな指摘をするのはリュカの役割となっていた。
「……リュカさんは何があっても動じないのですね」
「動かないでと言われていますし」
ジャコブはどこか呆然としたふうで、リュカはどこか楽しそうである。
二人の会話を聞きながら、ディアーヌはリュカの肩に包帯を巻く練習中だ。しかしながら、馬車の中ということもあって揺れて手元がズレてしまい、もう何度目かの巻き直しとなっていた。
次の部位に早く移りたいのに、と焦る気持ちを抑えつつ、ミエラに教えられたポイントをなぞって丁寧に巻いていく。
「お嬢様もどんどん慣れていきますね」
「さすがお嬢様です」
次はミエラが参戦して褒めてくれたので、お礼を言いたいがあと少し。これさえ巻ければ、というところで。
「本当に、ここまで真剣に取り組めるところがディアーヌの良いところで、真剣な顔つきも可愛いですよね」
「分かります」
賛同してくれるミエラはありがたいが。
いらぬ発言をかますリュカに、つい。
「ぐ……ちょっとディアーヌ、いきなり締めないでよ」
「余計な一言を添えるからですわ」
「余計じゃないよ。現にミエラさんは同意してくれてる」
「昔からお嬢様はいつも全力で、そのお姿を見た私たち使用人も活気づいておりました」
「分かりますよ、ミエラさん。自分もちゃんとしなきゃって思えるんですよね。って、どうしてまた締めるの」
「一旦お口を閉じてくださいませ」
ミエラにも褒められているというのに、リュカからの言葉はなんとなくむず痒い。ミエラのは普通に嬉しいのに。
何なのだろう、この違いは……と思っていた時に、外のウェーナーから、段差を越えますので気をつけてください、と声がしてこれまでの中では一番大きく馬車が揺れた。
「きゃっ!」
ミエラの短い悲鳴が上がり、すぐにジャコブがミエラを支えてくれたのが視界に入る。
ディアーヌは想像より揺れなかった。しかしながら、なぜか耳にはトクントクンと誰かの心音が聞こえていて……
「大丈夫、ディアーヌ?」
馬車が揺れた、とディアーヌが認識するより早くリュカの腕が伸びきてきており、ディアーヌはちゃっかり抱き寄せられていた。しかも今回は体勢が良かったのか悪かったのか、リュカの胸に耳を当てる姿勢で落ち着いてしまっている。
……なんだかもう、である。
馬車はすぐに通常運転に戻ったので、平静を装いお礼を言ってリュカから離れた。
「……支えてくださり、ありがとうございました」
「ううん。またあるといいね」
「…………はいとは言えませんけれど。さ、肩を差し出してください。まだ途中……って、リュカ様! ズレまくっているではありませんか!」
「こればっかりは仕方ない。ディアーヌ最優先だったから」
「あの程度でこんなにズレるのもいけませんわよね。もう少しキツめに……いえ、もっと間隔を狭めるべき? でもそうすると……」
「色々試してみようよ。到着までもう少しかかるんでしょ?」
「そうですね。では、失礼します」
「はいはーい」
リュカの肩に包帯を巻きながら、ディアーヌは考える。
ディアーヌはまだ、リュカから向けられる好意を真正面から受け止める準備ができていない。
そもそも、少し前までちゃんと好きな人がいたのに、こんなにもすぐ別の人を……なんて。そんなことが許されるのか。
いやでも現状、ディアーヌは自由の身なのだから誰に惚れようと自由……のはず。しかし世間的に見てどうなのか。あまりにも軽すぎはしないか。
それにリュカをそう見るのは、彼が自分を好意的に見ているから、ということはないだろうか。傷心のところを流されて……なんてこともあるのかも……など、既に悶々とこんなことを考えている時点で、自分の気持ちの行く末は決まりつつあるようなものだとは思うのだけれど。
しかし、その道を選ぶとなるとあちらの世界に行くことになって……あちらの世界ということは、学びはいくらでもあるだろうけれど、母たちとももう会えなくなって…………
と色々と連想するように考えていれば、ふと目が合ったリュカににこりと笑いかけられて、小さくディアーヌの心臓が跳ねる。
……この気持ちに名前がつくのは、自分がこの国を去る決意を固めた時だ。
ディアーヌがどう思っていようとも、時は流れる。のんびりと考え事をして止まってなどいられない。
この先……自分がどう思うかなんて分からないけれど、せっかく母にも背中を押してもらっているのならば、目の前のことに全力でぶつかっていきたい。そのためにも、今身につけるべきことを少しでも早く自分のものにしなければ。
ふぅ、と一息吐き出して、ディアーヌは包帯を巻く手に意識を集中した。
この日、ディアーヌたちが訪れたのは、二つ隣の領地にある薬屋だった。そこは国でも有名な薬師がおり、薬を買うのはもちろん、薬草についても教えてもらおうと思って訪れたのである。
店内にはディアーヌとミエラ、リュカの三人で入った。
「すごいね。種類が豊富だ」
「ここは品揃えも国一番ですから。他の領地にある薬屋はここの半分くらいですよ」
「それでも多い気がする。やっぱり回復の仕方の違いかな」
確かに、魔法があれば不要だと思う人もいそうだな、とディアーヌは思いながらお目当てのものを厳選していく。
途中、有名な薬師に相談をしながらいくつかは調合してもらい、たんまりと薬も薬草も購入することができた。
「こんなにたくさん買い込まれる方は、お嬢さんが初めてかもしれません」
そう言って笑う薬師に、お手数をおかけしました、と詫びる。
「とんでもございません。お嬢さん方お二人共、とてもよく勉強されておりますね。話の理解も早いし、ついつい私も話しすぎちゃって」
「ありがとうございます。大変勉強になるお話ばかりでした。薬草などについて、私は彼女に習いましたの」
「私は家族に医師がおり、薬草の大切さはいつも説かれておりました」
「そうでしたか。今日は私もすごく楽しかったです。そうだ、これ、おまけにどうぞ」
「よろしいのですか?」
「ええ、ぜひ。あなた方ならきっと綺麗な花を咲かせられるでしょうから」
おまけにもらったのは花の種だ。小分け袋に名前が書かれてあったが、その花は育て方が少し難しいが、花を咲かせばすごく香りが良いと有名なものだった。
「自分で育てた花はまた格別に良い香に思えて、癒し効果抜群ですよ」
「ありがとうございます。大切に育てますわ」
「こちらこそ、ありがとうございました」
二袋もらったそれを、ミエラと一つずつ手に持って薬師にお礼を言う。薬師からは笑顔でまたいつでもどうぞ〜と手を振られ、店を出た。




