第二十五話 母と勇者の秘密の約束
ディアーヌがソランジュへとすべてを話した夜、ディアーヌはもじもじと照れながら、ソランジュに一緒に寝ていいかと尋ねた。とにかく母に甘えたい気持ちが大きく、素直にそれを口にしたのだが、ソランジュは快く了承した。
リュカは二人に安心して過ごしてほしく、ソランジュの部屋の前で夜警備にあたることにした。ディアーヌからは自室で休んでいいと言われたが、疲れてないから大丈夫、と断って扉の前に立つ。
二人が部屋に入ってから、穏やかな時間が流れていた。
今晩はロランも出てこず、他の護衛もそれぞれの持ち場を守っているようだ。
このままディアーヌがゆっくりと休める時間が過ぎていきますように、と願っていたリュカだったが……
夜半を過ぎた頃、扉の向こうにソランジュの気配がした。
どうしたのかと耳を澄ませると、リュカさん、と声をかけられたため、すぐに返事をする。
するとカチャリと音がして、ゆっくりとドアが内側から開けられた。
え、と尻込みしたリュカだったが、隙間から見えたソランジュは寝るだけにしてはしっかりと着込んでおり、リュカの様子を小さく笑った後に、お入りください、と彼を部屋に招き入れた。
しかし、中にはディアーヌが……とためらうリュカに、
「ベッドはカーテンを閉めて見えないようにしておりますわ。ぐっすりと眠っておりますから大丈夫でしょう」
「……失礼します」
少し気まずさはあるものの、入室すると促されるままベッドからは離れた位置にあるソファへと座った。その正面にソランジュは座る。
歩き方、座り方一つを取っても、ソランジュの所作は美しかった。ディアーヌも何をさせても綺麗な子だと思っていたが、ソランジュはさらに優雅さや偉大さのようなものを感じさせる。
ディアーヌが歳を重ねたらこんな女性になるのかな、と想像するとその成長過程をすぐ近くで見ていたいとも思ったし、そんな彼女の隣にいるのに恥ずかしくない程度には歩き方も身に着けなければと一人で考えていた。
「……こんな夜中に申し訳ございません。実はリュカさんにはもう一つ、お約束いただきたいことがありますの」
気づかぬうちに、座ってから視線はベッドの方へといっていたリュカは、話しかけられたことでソランジュへと顔を向けた。
目の前の彼女は、ディアーヌが起きていた時よりずっと母親の顔をしているように思う。
「どうか、この一件が終わりましたら、ディアーヌをあなたの世界へと連れて行ってください」
「……しかし、それは……」
「ええ、もちろんディアーヌが望めば、ですが。それでも私は、その方があの子は幸せになれると思うのです」
「……奥様のお考えを聞かせていただいてもよろしいですか?」
ソランジュは目を伏せると、小さくため息を吐き出した。それは彼女自身も巻き込まれた側である苦労が重々に伝わるものであった。
「……殿下の新たな婚約者は、正式にはまだ発表されておりません。それは王妃陛下が情報の公開を止めておいでだからです」
「王妃陛下が……」
「今回の婚約破棄は、国王陛下と殿下、そして夫であるロッドマンが強引に押し進めて決まりました。王妃陛下もその周辺も止めてくださったようですが、あの方々は一切聞く耳を持たず……それでもどうにか発表だけは留めておりますが、学園内ではもう話が広まっているそうですね?」
「はい。俺が聞いた限りでも、先生方は半信半疑といった様子でしたが、生徒たちは信じていたと思います」
「……それが答えです」
喉から絞り出したような声は、彼女の憤りや悔しさが滲み、リュカはソランジュが胸の内に秘めている苛烈なまでの怒りを感じ取った。
今の今までそれを隠しきっていたことにも驚いたが、ディアーヌの負けず嫌いさはソランジュからきたものなのだなとも思う。
「ディアーヌはこれまで、能力以上のことを求められる立場におりました。あの子は決して才能がある方ではありません。頭の回転ならばロランの方が早いでしょうし、殿下と比べれば歴然とした差がありました。ですが、生まれ持った負けず嫌いな性格と、たゆまぬ努力でその差を埋めてきましたわ」
膝の上に綺麗に置かれたソランジュの両手は震えていた。
そこ以外は、淑やかに座る公爵夫人のままである。
「そんなディアーヌの努力は踏みにじられ、学園内では孤立し、悪役令嬢なんてひどい呼び名まで付けられた。その上で婚約破棄されてしまったことは、あの子をひどく傷つけたことでしょう。経歴としても傷がついたのは間違いありません。これがすべて未知の力によるもので不可抗力だったのだから許せと言われても、私はとても許せそうにありません」
ソランジュの話を聞きながら、リュカは自身の認識が甘かったことを自覚した。
ディアーヌがあまりにあっけらかんとして話すから、というのはただの言い訳だ。彼女は同情されたくなかっただろうし、謝っても必要ないと言われるだろうが、朝や昼のサミュエルたちとの対面にはもっと慎重になるべきだったと反省する。
そんなリュカをおいて、ソランジュの話は続いた。
「それに、この一件が解決したとしても、王家は真実を公表しないでしょうから、あの子が受けた苦しみを人々は知らないままです」
「……公表しないのはなぜですか?」
「できない、と言った方が正しいかもしれませんね。私たちにとって魔法は想像上のものです。事実として起こったことだとしても、学園以外の人々には無関係な話……とても信じてはもらえないでしょう。もしも信じられたとしても、対処法のない私たちはただただ、恐怖に苛まれるだけになります」
「だから、何もなかったことにすると?」
「王家が記録として残すでしょうが、秘密裏に保管されると思います。真実を話せないとなれば、もう一度婚約を結び直すこともできません。それにディアーヌ自身も、人々を不安にさせると分かっていてありのままを話してまで、また王子妃になりたいとは言わないはずです」
このままディアーヌは、世間には自分だけを悪者として終わらせるのか。負けず嫌いの彼女ならば嫌がりそうなことだが、ディアーヌの人々の幸せを願う気持ちは相当強い。
自分か国民か、と問われればしかるべき人から謝罪されるのであれば、自分一人が痛みを負うことになってもいいと結論づけてしまいそうだ。
そうなると、彼女の今後はどうなるのか。
リュカはそのことを、まともに考えてこなかった。
いや……リュカは既に、ディアーヌのことを連れて帰る気になっていたので、この世界に残る彼女の今後を具体的に考える必要はないと無意識に思っていたのだ。
なんとも身勝手な男である。
勇者と呼ぶにはあまりに自分本位だ。
しかし、ソランジュの願いとリュカの望みは一致している。
それならば、リュカが選ぶべき道は──
「……リュカさんは、娘を異世界へ連れて行けと言う私を非情だと思いますか?」
リュカが一人、自身の欲深さに気づいて考え込んでいると、ソランジュが寂しげな声色で尋ねてきて、慌てて彼女へと意識を向ける。
そんなことはない、と否定しようとしたが、その前にソランジュは深い深いため息をついた。
「卒業後、あの子がこの国にいては噂の的となることもあるでしょう。他国に行ったとしても、名を変えたとしても、人の口に戸は立てられません。その度にディアーヌが傷つくなんて……あってはなりませんわ」
そう言った後、少しの間をおいたソランジュはどこか諦めにも似た微笑を口元に見せた。
「それにあの子……どうもリュカさんの動きを目で追えないことが悔しくて堪らないようで……」
「え」
「それに魔法詠唱、でしたか? リュカさんが数回ほどディアーヌの前で見せたとのことですが……再現できないからなおさら悔しいと」
「再現できない? まさか……」
「夜な夜な、布団の中で口にしているそうですよ。もうあの子にとってもリュカさんは一生忘れられず、負けたくない相手になっていると思います」
とうとうソランジュは苦笑した。
ちょうどそのタイミングでディアーヌが寝返りを打ったのか、ううん、と唸る声と布が擦れる音がする。
ソランジュはそちらをちらりと見たが、リュカはあえて見ずにいた。何だか視線をやってはいけない気がしたのだ。
そんなリュカの動きに、ソランジュは二人で話しだしてから初めて、柔らかな笑みをリュカへと見せた。
「このタイミングであの子の前にあなたが現れたことで、あの子に生きる気力が湧いたことは確かです。それに……あの子は負けたくない相手ほど敬意を示し、自分にとって特別な人として愛情を深くします。あなたと過ごす時間が長くなるほど、あなたのことは忘れられなくなるでしょう」
ドクン、とリュカの心臓が一拍鳴った。
その後一気に顔に熱が集まる。無意識に膝を握る手に力がこもるが、その強さがこれは現実なのだとリュカに教えていた。
ソランジュの言い方では、ディアーヌはリュカが負けたくない相手であればあるほど彼のことを特別に想い、愛情を注ぐということだ。
ディアーヌには直接言うことはないが、剣術など体を動かすこと──特に戦闘面に関して、彼女がリュカに勝つことはない。絶対にない。天変地異で世界がひっくり返るぐらいしなければありえない。
しかもまだまだ体も鍛えていくつもりでいるし、魔法ももっと色々と身につけたいとも思っている。
ということは、だ。
「……俺はディアーヌに永遠に愛され続ける……!?」
「…………さすがにそこまで口にされると反応に困りますね」
「すみません。浮かれました」
その眼差しからソランジュに呆れられたと分かったが、リュカは上がる口角を抑えられなかった。
せめても、と口元を手で覆ってはみたが、ソランジュからの視線は何も変わらず。むしろもっと呆れられた気がしたが、それも気にならないくらいに自身の頭の中は浮かれきっている。
嬉しい。
彼女に特別に愛されるかもしれないと思えば、その言葉しか出てこない。
今まで女性から向けられてきた愛情は困惑するだけだった。どんな美人や可愛い人が迫ってきても抱きしめたいだなんて思ったことはなかった。
けれど今はどうだ。
今すぐ抱きしめて、俺と一緒にいて、と言いたい。
俺はこれからも強くあり続けるから、思う存分、俺を好きになって、とお願いしたい。
だって自分はもう──
「……なんだ。俺はもう、ディアーヌのことが好きだったんだ」
口に出すことでしっくりと収まった感情の置き場にリュカは一人で満足した。
正面に座るソランジュはなんとなく遠い目になった気がしなくもないが、結果として彼女が約束してほしいといった未来には一歩も二歩も近づいている。
理想の女性だからではなく、ディアーヌのことが好きだから、一緒に来て欲しいのだ。
そしてそれが、母親公認となるのならこれ以上の最良の環境はない。
自身の気持ちをちゃんと理解したリュカは、晴れやかな表情となってソランジュへと宣言した。
「ディアーヌは必ず、俺が守ります。そしてディアーヌが俺と来たいと言ってくれるぐらい、俺を好きになってもらいます」
「ありがとうございます。お約束もしていただけて、安心しましたわ」
「こちらこそ」
お互いに頭を下げあって、それじゃあここら辺で、となってリュカは腰を上げる。
そこで、一つソランジュにお願いしたかったことを思い出し、奥様、と声をかけた。
「ディアーヌの学園にいるアダルベルト・ボーデ学園長と、モニク・ダマーズというご令嬢のことはご存知ですか?」
「ええ、話は伺っております。お会いしたことはありませんが」
「すみませんが、奥様の人脈を使って、その二人についてできるかぎり内密に情報収集をお願いできませんか?」
「もちろん、協力いたしますわ。そうですわね……三日……いえ、二日以内には情報を集めましょう」
「そんなに早く!?」
「娘の一大事ですもの。それに、学園長については少しばかり既に動いておりますの。新たにモニクさんというご令嬢も含め、協力してくれる友人にも話をしますが、よろしいですね?」
公爵夫人の友人兼協力者。
それは新たな婚約者の公表を留めているその人で間違いないないだろう。
「ありがとうございます。心強いです」
「そちらはお任せください。くれぐれもディアーヌをお願いいたします」
「はい」
今度こそ話を終えて、リュカは退室した。
一人になり、ドアの横の壁に背中を預け、天井を見上げて長く息を吐き出した。
ソランジュのすごさを知りつつ、ディアーヌへの自身の想いもはっきりとして、頭の中はスッキリしていた。
自分ができることはすべて、最善最速でやろう。
そうすれば自然とディアーヌとソランジュ、どちらともからの信頼を得られるだろう。
……それにしても。
「……本当に魔法が使えるようになったら……」
語尾が上がりそうになるのを堪え、誰に見られるでもないのに再び手で口元を覆った。
品行方正とはかけ離れた勇者が顔を出す。
ディアーヌが魔法を使えるようになれば、それだけで彼女をあちらの世界に連れて帰る理由になる。この世界に魔法はあってはならない力だ。
本当は自分に惚れ込んでついてきて欲しいが、打てる手は取っておくに限る。
罠は何重にも張れ、とは弓使いが言っていた言葉だ。
「姑息だなぁ、俺」
だけど、止められない。
彼女がどこまでやるのか見てみたい。
先ほどの独り言がソランジュには聞こえていませんように、と思いながら、夜は静かに更けていった。




