第二十四話 勇者の理想の妻
ディアーヌとソランジュ、二人からの視線を集めながら、リュカは少し黙り込んだ。その間、彼の瞳は床へと向けられていて、意思を読み取れずにディアーヌの中の不安が大きくなる。
しかし次に目線を上げたリュカは、真剣な面持ちとなってソランジュを見つめると、はきはきとした口振りで話し始めた。
「先に謝ります。これから言うことは、さらに突拍子もないことなので」
「何を言われてもかまいません。包み隠さず、お話しいただければ」
「そうですよね。それでこそ、ディアーヌの母上だ」
どこかにソランジュとディアーヌの共通点を見つけたのか、リュカはそう言うと、俺は、と彼の考えを示した。
「この一件を片付けて、元の世界に帰ります」
「ええ、それはディアーヌの望みでもありますね」
「はい。その時に、ディアーヌに俺と一緒に来てほしいと思っています」
「…………一緒に?」
ぽつり、と呟いたディアーヌの言葉をリュカは拾ったらしい。ディアーヌに向かってにこりと笑い、ディアーヌ、とあまりにも柔らかい音を紡いだ。
「ディアーヌさえ良ければ、俺と結婚してほしい」
「け……っこん……」
うん、と頷いたリュカは、これまで見せたことのない、男性としてのリュカを表に出した。
その眼差しはどこか切なげで熱っぽくて、直視してしまったディアーヌは驚きとは別の胸の高鳴りを覚える。
「ディアーヌと結婚したい理由に、打算的な部分がないといえば嘘になります。ディアーヌが一緒に帰ってくれたら俺への無茶な求婚も減りますし、より世界も平和になると思うので」
「無茶な求婚?」
ソランジュが問えば、リュカはこれまでにあったことを話した。それこそ包み隠さずに。
話し終わる頃には、ソランジュもディアーヌもどこかげっそりとした様子になったことにリュカはつい笑ってしまう。
「……娘とのことは一旦おいておくにしても……相当に苦労をされてきたのですね。王家が相手ともなりますと、対応も難しかったでしょう。王族であれば勇者を望むのは分かりますが……その手段があまりにも……」
「……夜着を……脱いで……」
ソランジュは眉間に皺を寄せて複雑な表情をしており、ディアーヌは二つ目のエピソードを話す前から放心状態だった。
「気遣っていただき、ありがとうございます。ここ二年がそんなことばっかりだったので、少し前に仲間内で集まった際に、俺の伴侶について色々と話したんです。その時にどんな女性が理想なのかと意見を出しました」
「ディアーヌがそれに当てはまったと?」
「当てはまったどころではありません。理想像まんまがディアーヌです。あ、いや、理想よりもっと素晴らしい女性だと俺は思っていますけど。特に負けず嫌いなところなんて、この数日で何度も良いなと思いました」
理想像の話あたりで意識を取り戻したディアーヌ。
リュカが経験してきたことを聞くだけで赤面ものだが、ここはちゃんと聞いておきたくて、覚えておきたくて、必死に冷静さを取り戻すために深呼吸を繰り返した。
「だから、何もせずにディアーヌと別れれば、俺は一生後悔すると思います。ディアーヌのことは一生忘れられない。これまで恋愛や結婚についてはよく考えてきませんでしたが、これが好きだということなら、俺は間違いなくディアーヌが好きです。他の女性には、こんなことを思ったことはありません」
好き、とディアーヌに告げたリュカは本気だった。紫の瞳は強い光を放ち、ディアーヌを離しはしないという意志を感じさせた。
リュカのことをそんなふうに見たことのなかったディアーヌだが、心臓は早鐘を打つかのようにバクバクしている。顔だってもうずっと真っ赤だ。
それなのにリュカからは目を逸らせない。
紅潮した顔は情けないものだろう。しかし彼はそんなディアーヌを本当に愛おしい相手かのように見つめてくるのだ。
じっと固まってリュカを見つめ返すディアーヌの横で、ソランジュは娘の様子を見やりながらも、リュカを認めることはしなかった。
「……リュカさんの主張は分かりました。けれど、そのような曖昧なものでは娘を任せることはできません」
「……曖昧、ですよね。すみません。だけどこれが今の本音で……」
それも承知しておりますわ、と答えたソランジュは、続けてリュカへと質問を投げかけた。
「もしも今、あなたが何もせずともサミュエル殿下たちにかけられた魔法が解けたとしましょう。正気を取り戻した殿下が、またディアーヌを望まれたら、あなたはどうしますか?」
「……それは、ディアーヌが殿下を受け入れる前提ですか?」
「ええ、まずは受け入れたとして」
「受け入れたとして…………その時は、ものすごく落ち込みます……」
しょんぼり、と表現するのが相応しいぐらいに、リュカは先ほどとは一変して悲しみに満ちた表情になって背中を丸める。
「でも……すごく嫌ですけど、ディアーヌが望むなら……応援します」
「そうですか。でしたら、ディアーヌが望まない場合はどうされますか?」
「諦めてもらうよう、最初は話し合いを試みますが、だめなら実力行使で納得させます」
「そうですか……」
つい先程まで萎れて丸まってのに、もうしゃんと座っている。
……相変わらず、緩急のすごい人だ、とディアーヌは思った。
そしていくら恋愛においては恥ずかしがり屋のディアーヌでも、この違いはさすがに分かる。
リュカはちゃんと、ディアーヌのことが好きである。
さらにこれはディアーヌにしか分からないだろうが、ソランジュは今、必死に笑いを堪えている。あまりにも素直ながら鈍感な勇者の言動は、疲れたソランジュの心を癒しているであろう。
その証拠にほんの少しだけ目元が和らいだ母の変化に、断固拒否の姿勢はなさそうだとホッとした。
「リュカさん、素直なお気持ちをお聞かせいただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。門前払いでなかったことに驚いています」
「少なくとも、今ディアーヌがこうやってやる気に満ちているのはあなたのおかげですから」
「いや……それはディアーヌ自身の力です。俺がこちらの世界に来た時点で、ディアーヌは自分自身を取り戻していました」
「それでもこの子が学園に通えたのも、私の元に駆けてきてくれたのも、何があろうとあなたが守ってくださると信じているからでしょう。本当に、ありがとうございます」
座ったままではあるが、伸ばした背筋はまっすぐに腰を深く折って、ソランジュはリュカへと礼を述べた。
その所作はあまりに美しく、ディアーヌは見惚れてしまう。
リュカも言葉を失ったが、すぐに慌てて頭を下げ、こちらこそ、とそんなことを返す。
「ですが、やはり今のままでは認められません」
「……はい。どうすれば、認めていただけますか?」
認める、ということが何を指すのか。
こちらで行動を共にすることか、ディアーヌをあちらの世界に連れて帰りたいということか、それとも結婚したいということか。
あるいはそのすべてか。
ディアーヌも緊張の眼差しでソランジュを見つめた。
元の姿勢へと居住まいを正したソランジュは、リュカさん、と優しい声でリュカを呼んだ。
「この一件が解決した時に、二人共が無事であること。そしてもう一つ。あなたもディアーヌも、心からお互いを望むようになっているのならば、私は認めましょう」
リュカは小さな声でソランジュの言葉を復唱し、
「ありがとうございます。ディアーヌを必ず守りきり、奥様に認めていただけるよう、真剣に自分と向き合います」
「ええ、必ずお守りください」
「はい」
「お母様、私も絶対に無事でおりますわ!」
「それは当然のことよ。無事であるのは絶対。そして……あなたは必ず勝ちなさい」
「はい!」
その夜、ディアーヌはソランジュと夕食を共にした。
リュカは二人をにこにこと機嫌よく見守った後、使用人や護衛たちと食べた。
ロッドマンとロランは三人の前に姿を現すことはなかった。




