第十八話 勇者の独白
用意されたディアーヌの隣の部屋は、使用人の部屋にしては大きなベッドに豪華な家具が備え付けられていた。
これはどう考えても家人用じゃ……と思ったが、ディアーヌが楽しそうに説明してくれたのでありがたく使わせてもらうこととなった。
冒険者として始めた旅はもう十年を超える。そして魔王を討伐してからは二年だ。
魔王討伐の勇者として各地で手厚い歓迎を受けてきたと思っていたが、十七歳のご令嬢一人に衣食住すべて用意されたのは初めてだった。
何もかも年下の女の子に与えられて恥ずかしくないのか、と問われそうな状況だが、荷物なし無一文の転移なのだから仕方なしだと思いたい。
これもまたディアーヌの指示で淹れてもらった紅茶を飲みながら、リュカは窓の外を見やった。
すっかりと暗くなった外には、見える範囲で護衛が二人。気配だけでいえば五人。
皆が警戒し……特に木や屋根の上を厳重に確認しているのは、リュカの登場あってのことだろう。少しだけ申し訳なく思う。
この世界では弱くはない彼らだろうが、今の見回りしている面々の実力は、リュカからすれば準備運動になるぐらいだろう。ウェーナーは実力者だが、それでも自分とは大きな差がある。
よほどの人でない限りは、“普通の”人間相手なら自分はまず負けることはない。そこには安心も自信もあった。
ただ、今回、想定している敵は“魔法を使える異世界人”だ。
その魔法使いがどの程度動けるかは分からないが、今のリュカは元の世界から比べると魔法も魔力探知も戦闘の役に立つほどのものはない。これで攻撃魔法をバンバン使ってくるような相手だったら戦況は不利だな、とも思うが……
恐らく、相手は攻撃魔法はほとんど使えないだろう、というのがリュカの考えであった。
それというのも昔、闇魔法について仲間の僧侶にどんなものなのか聞いた際、『闇魔法は相当に特殊だから使おうと思うなら他の魔法は諦めろ』と言われたことがある。
僧侶なのに使用を禁止するのではなく、他を諦めろというのはいかがなものか、と当時は思ったが、僧侶がそこまで言うのであれば、こちらにいる人物も闇魔法を使っている間は他の魔法はほぼ使えないだろう。
ディアーヌの話からしても、攻撃魔法を使った場面はなさそうだった。
攻撃魔法をさほど使ってこない相手ならば勝機はある。
ここまで考えて、リュカはカップに残った紅茶を一気に飲み干し、元の位置に戻した。
リラックス効果のある香りの茶葉でディアーヌのお気に入りだと紹介された紅茶は、後味も残り香もお上品で普段のリュカならばちょっと物足りないぐらいなのに、今はこれがちょうど良かった。
「…………いやぁ〜よく耐えたよ、俺」
自身を労うような言い方になったのは、この際やむなしである。
護衛たちの配置もある程度頭に入れたのでやることもなくなり、大きなベッドへと背中から倒れ込んだ。
スプリングの弾みがベッドの上質さをダイレクトに伝えてきて、しばらくその揺れにただよってみる。
天蓋ベッドの天井はディアーヌの部屋とは色が違うんだな、と考えて、うぐ、と一人で呻いてしまった。
……よく耐えた、というのは、ディアーヌと出会ってからの約二日間で
「この一件が片付いたら、俺と一緒にあちらの世界に来る気はない?」
と彼女に尋ねることである。
リュカがその言葉を堪えたのは、ディアーヌから『魔王を“救った”勇者』と言われた時が一回目だった。
いや、むしろあれは決定打になったぐらいで、本当はそれより前からディアーヌのことは何度も良いなと思っていた。
なんと言っても、あの負けず嫌いなところがとても良い。
クッションを叩き始めた時なんて、魔王討伐を果たした魔法使いに負けることを、魔法のない世界のディアーヌがここまで悔しがれるのは本当にすごいことだと思った。彼女の行動に引く者もいるかもしれないが、リュカは純粋に素晴らしいことだと受け止めた。
それは偏に勇者である自分も、そして仲間たちもディアーヌと同じく負けず嫌いだから共感する部分があったのだ。
自分たちはこれまで、心が折れるほど力の差があろうとも血反吐を吐いてでも立ち向かい、強敵に挑んできた。そのぐらい心が強く、負けることを悔しがって立ち上がれなければ、昇りつめることのできない世界で戦ってきたのだ。
そんな自分たちと比べても、彼女の負けず嫌いは引けを取らないレベルだ。
ディアーヌから過去の話を聞く前にも思ったが、ディアーヌがリュカの世界にいたのならば、間違いなく彼女は人々に希望を与える存在になっていただろう。
きっと仲間たちがここにいれば、皆が自分の意見に同意するし、なんだったら彼女を弟子にしたいと言う者も出てきそうだ。
そういった点で、とにかくディアーヌの性格も言動も、リュカの琴線に触れていたというのに……
負けず嫌いだけじゃなく、彼女は会ったこともないリュカの世界の民を思って涙を流せる繊細さや、魔王の過去に心を痛め、少年の寂しさに寄り添う優しさまで持ち合わせていたのだ。
おまけに行動力でいえばリュカも圧されるほど。
「理想的すぎるんだよなぁ」
また呟いて、両手で顔を覆った。
口から出た深い深いため息は、手のひらの壁によって生温い空気を顔面に戻してくる。
こんなため息、元の世界では出たことがないというのに。
それもこれも、まさかここまで理想的な女性に出会えるとは思ってもいなかったからだ。
その理想というのは、勇者である自分の伴侶となるのに、という前提のもとで挙げられる理想である。決して純粋な恋愛感情だけからくるものだけではなく、相当に打算的な部分もあるので、とてもじゃないがディアーヌには言えないのだが。
魔王を討伐してからの二年間で、リュカと仲間たちは各国で開かれる祝賀会や晩餐会、舞踏会などありとあらゆるパーティーに招待された。
勇者一行でまとめて招かれることが多かったが、単体で呼ばれる場合は、圧倒的に勇者の自分が多い。
そういう時は決まって、その国の姫との見合いの話をされた。
中でも一番衝撃を受けたのは、初めて一人で招かれた国でのことだ。
祝賀会でやけに強いお酒を勧められるな、と思いながらも招待客と談笑を交えて旅や魔王の話をし、夜は用意されたゲストルームで体を休めていた。
真夜中になって人の気配がするから起きてみれば、鍵をかけたはずの部屋に姫が忍び込んできて、ほぼ下着姿だった夜着をするりと脱ぎ、全裸になってリュカのベッドに乗り上げてきたのである。
これには唖然としつつも、問答無用で布団で包んで縛り上げ、簀巻きのまま使用人に引き渡した。姫は大泣きで、王はお怒りだったが、マスターキーで侵入され襲われかけたリュカの方が泣きたいし怒りたかった。
これが一番ではあるが、その後も城に行けば勝手に結婚式の日程を組まれていたり、既成事実を作ろうと媚薬を盛られたり、一人が不満なら三人をもらってくれと押しつけられそうになったり。
姫が直接会いに来た場合は結婚してくれなければ国に帰れないと泣きつかれたり、他国の姫と結婚するならその国を滅ぼすと脅しをかけられたりと……
仲間たちもそれなりだったが、勇者かつ仲間内ではリーダーとして動いていたリュカは殊更、そういった目に遭いやすく、仲間の皆で集まった際に近況報告をすればいつもものすごく哀れまれた。
しかし、パーティーへの参加を止める者もやめる者もいなかった。毎回面倒くさいことになるかもと思いながらもパーティーに参加するのは、魔王となった少年の話を知ってもらうためである。
それに参加者の中には心から勇者たちを尊敬し、話を聞かせてほしいと言ってくれる人たちもいる。むしろそんな人の方が多いので、上の者たちの暴走があるからといって無碍にできなかった。
そんな経緯もあって、実は転移されるほんの五日前、仲間の皆で集合して夕食をともにした際、本気でリュカの伴侶探しをするかという話が上がったばかりであった。
そこで話し合われたのは、どんな女性なら“勇者の妻”としてやっていけるか、という点だ。
まず第一に、結婚しても各国への影響が極力少ない人、だった。
どこの誰を好きになるかはリュカの自由だが、その人の出身国によっては周辺国との関係が……なんて政治的な心配をしなければならず、寄ってくる姫や貴族は基本的にお帰り願いたい対象だということでまとまった。
次に、何よりも精神的に強い女性でなければ無理だろう、というのが共通意見だった。
勇者を欲するあまり、伴侶を利用しようと悪意を持って近づいてくる人間は絶対にいる。そんな悪意から守ることはリュカの役目ではあるが、伴侶自身も決して振り回されることのない、意志の強さが必要である。
この他にも、勇者の伴侶となれば注目を浴びるだろうから人前に出ても物怖じしない人、だったり。伴侶同伴で、と呼ばれる舞踏会等にも対応できる人であれば姫たちも諦めるだろう、だったり。
そもそもの前提条件として、個性の強い仲間たちをまるっと受け入れる度量の大きさもほしい、というのもあったり……
あげるとキリがなかったが、最初の二つの時点で相当難しいだろうということで、とりあえずもう少し勇者人気が落ち着くのを待ってからにして、それまでは姫の突撃はかわせ、との話だった。
それがまさか。
ディアーヌは、自分たちが列挙した理想そのものだった。
まず、異世界人の時点で各国への影響なんてものは皆無だ。
それに精神的な強さについては、魔石で勘違いしたリュカの殺気に耐え、権力ある父親を前にしても堂々と立ち振舞っている時点で証明されたようなものだ。闇魔法を自力で解いたのならば、精神面では間違いなく仲間を含めて自分たちよりも強い。
王子の元婚約者ということで人前も舞踏会もかかってこいぐらいのものだろうし、所作については教えてもらってすらいる。
この時点で申し分ないというのに、個人的に好感度が上がったのは二人きりの部屋で眠るのに『はしたないと思わないで』と言われたことだ。
自ら脱いでくる王族を何人か見た後だから余計に、恥じらう様が非常に可愛らしいと思った。
考えれば考えるほど、ディアーヌは理想的だった。
しかしながら、これは純粋なる恋心ではない。理想云々を掲げてはいてもそれは”リュカ個人の“ではなく、”勇者としての“である。
……ディアーヌがサミュエルを想っていたような気持ちとは違う。彼女のもとにあったのは、無垢な恋心と深い愛情だった。
自分のものとは違うし、もちろん彼女から自分に向けられているものともまったく違う。
そう思うとチクリと胸が痛んで、右手で胸のあたりをさすった。
その手を胸から離して、目の前に掲げてみる。
マメだらけ傷だらけの手は、きっとサミュエルと比べたら綺麗な手とは言えないだろう。この手を伸ばして彼女に触れる時、実はいつも少しばかり緊張している。
サミュエルと比べられるのでは、と思うことはないが、恐がられないか、嫌がられないか、と。
「……もしもこの手を掴んでくれるなら」
絶対に離さないのに、と思う。
彼女の台本を変えてまで最愛の妻と言って、そう見えるように振る舞ったのは、心の奥で本当に妻になってくれたらいいのにという願望があったからだ。
ディアーヌにはああいうのに慣れた男に映ったかもしれないが、自ら手を取って指先に口づけたのなんてディアーヌが初めてだった。
なにせ強くなることばかりで、恋愛なんてものに重きをおいてきていない。戦いが終わった後も、復興と歴史を覆してでも伝えなければならない少年の真実を周知していくことに尽力していたし、各国が自分を求めるのは”勇者の名“欲しさだと分かっていたから、結婚を迫られても逃げるだけだった。
そう考えると、自分には色々と経験が足りない。だからもう少し、時間が必要だ。
悠長にはしていられないが、人一人の人生を変えてほしいと口に出すほどの愛情が、欲望が、自分の中に生まれるかどうか。
「人間は難しいな」
魔族の方が、よっぽど単純だと思った。
はぁ、と分かりやすくため息を吐いたリュカは、ゆっくりと上半身を起き上がらせる。
見つめるのは自室となった部屋のドア。
「聞き耳立てるぐらいなら入ってきていいですよ」
少し大きめの声で話しかけるが、ドアの向こうからは何の応答もない。
けれども少し前から男が一人、ドアに張り付いているのには気づいている。敢えて野放しにしてあちらの出方を待ったが、一向に何もしてこないのでこちらから声をかけたというわけである。
ここまで気配を隠せないとなると、護衛ではなさそうだと考えながら物音を立てずにドアの前へと移動する。
コンコンコン、とこちらからノックをして一言。
「俺の部屋に聞き耳を立てるのは別に良いけど、ディアーヌの部屋に同じことをしたら、手足縛って窓からぶん投げるからね」
ガタガタッと音がした後、それなりに大きな足音を立てて盗み聞き犯は走って行った。
ドアを開けてその後ろ姿を確認すれば、弟君だった。
わざわざ自分で来たのか、と思っていると、隣のドアがゆっくりと開く気配がする。
「…………今、誰か走って行きませんでした?」
ほんの少ししか開けていないドアの隙間から、ディアーヌが顔を出した。
彼女の方は室内を暗くしているのだろう。その背後、部屋の奥は何も見えず、暗い中でぽわっと薄明かりに照らされるディアーヌの肌の白さが際立った。
「お腹でも痛くなったんじゃない?」
「私はてっきり、リュカ様に何かして返り討ちにあったのかと思ったのですけれど」
「俺?」
「護衛があんなにも騒々しく走っていくなんて今までありませんでしたし……リュカ様が何か言って、怯えて逃げたのかと」
「ははは。そんなこと」
さすがに弟君がドアの前にいて走って逃げた、なんて言えば不安にさせるかと思い、はぐらかそうとしたのだが、ディアーヌにはまったくの無意味であった。
「ありますのね?」
答えを確信している問いに苦笑しつつ、うん、と素直に頷く。
「護衛じゃなくて弟君だったよ」
「ロランが? 何をしてましたの?」
「俺の部屋の前で聞き耳を立てていたようだから、ちょっとご挨拶を」
「まぁ、それは大変失礼なことを……申し訳ございませんでした」
「いいよ。それよりも、どうしてそれだけしか顔を見せてくれないの?」
ここまでの会話で、リュカは部屋から出てディアーヌの部屋の前にいるというのに、彼女は薄く開いたドア越しにしか話をしようとしなかった。
そのことをリュカは話題を変えてまで尋ねておきながら、彼女がそうする理由は分かっている。しかし直接ディアーヌの口から聞きたいということもあり、質問をした。
どうして? とわざと分からないフリをして再び問うリュカに、ディアーヌはじとっとした目つきを向けてくる。
「……また意地悪な勇者様のお顔ですわ」
「嘘? 顔に出てたか。照れるところが見たくて訊いたんだけど失敗したな」
「今さらですけれど、一応は公爵家の娘として恥じらいは持っておかないとですから。湯浴み後の姿を大っぴらに見せることはできませんわ」
「一応じゃなくて、立派な貴族のお嬢様だと思うよ」
「ありがとうございます。それにしても、ロランが失礼なことをしてしまいましたね。そちらの部屋で安心して眠れますか?」
「眠れないって言ったら添い寝してくれる?」
「目隠しで簀巻きにしてソファで寝ていただきますけれど、それでもよろしければ」
彼女の答えに、ディアーヌなら本当にやってしまうだろうな、と想像がついて思わず吹き出した。
「ははは! やっぱりいいなぁ、ディアーヌは」
「やっぱり?」
「最高の妻だよ」
「それはどうも。おやすみなさいませ」
最愛の、と言ったらさすがに警戒されるかと思って最高の、としてみたが、これはこれで照れてしまうらしい。
早口の割に静かに閉まったドアに、育ちの良さが出ている気がした。
……それにしても。
「やっぱりいいなぁ」
リュカなりに気を遣ってはぐらかそうとしたが、状況分析をした上であっさりと見抜かれてしまった。
その後にはリュカの心配もちゃんとしてくれて、本人は貴族令嬢の矜持を保とうともしている。
いやはやなんとも。
リュカのツボにはまるし、理想が上乗せされるみたいだ。
大人しく自室に戻ったリュカは、またベッドへと寝転がり天井を見上げた。
「俺も頑張らないと」
頑張る、の中には色々な意味が含まれているが。
明日からの行動計画を頭で練りながら、少しでも早くディアーヌが安心して過ごせる世界にしないとな、と思うリュカであった。




