第十六話 強くなろうとする者、強くあろうとする者
ディアーヌはリュカがシャルダイム王国の歴史書にあった年表を眺めている間に起きてきた。
昼食まで寝るかと思ってた、と言って短すぎではないかとリュカは心配したが、ぱっちりとした彼女の目を見て苦笑はしつつも、それならば話をしようかと二人はソファに移動した。
「じゃあ、まずは魔法についてからでいいかな?」
「はい、お願いします」
向かい合わせで、一人掛けのソファに座ったディアーヌは机を自身の方へと引き寄せていた。その机の上には、リュカの話を書き留めるためにペンと紙を用意してある。
紙の端に日付を書き、上部には魔法について、と一際大きく書いておいた。
リュカは三人掛けのソファの真ん中、ディアーヌの正面に足を開いて座る。その姿勢からもリラックスした様子は伝わってくるので、気兼ねなく話ができそうだとディアーヌは思った。
「話してる途中でも気になることは訊いていいからね。えーっと……魔法というものは──」
そこでディアーヌは、ざっくりとした魔法の基礎を教わった。
リュカの世界では生まれながらに皆が魔力を有し、その魔力を消費して魔法を発動させる。
魔法の発動には、その魔法固有の詠唱があり、魔法と詠唱の意味を正しく理解し、正確に唱えられなければ魔法は発動しない。専門的または強力な魔法になるほど詠唱は複雑化し、それらの魔法は専門の機関に所属していなければ教えてもらえない。
そして魔法には炎・水・風・土・雷・光・闇の七属性があるが、闇魔法だけは使用を禁じられている。今回、使われているであろう洗脳や魅了といった精神系の魔法は、闇魔法に属するのだという。
「闇魔法に関しては厳重に取り締まられてはいるけど、何においても禁忌を犯す奴はいるということだね」
「闇魔法が禁止なのは、危険性が高いからですか?」
「そうだと言われてる。けど、それについては魔王の誕生と関連があるから、また後から詳しく説明するよ」
「分かりました。それで……もしもこちらで闇魔法が使われていた場合、光魔法で回復させる以外で魔法を解く方法はあるのでしょうか?」
「かけている術者に解かせるか、だね。今回は人数も多そうだし、術者本人を潰した方がいいかなと思ってる」
「なるほどですね。それともう一つ……闇魔法の効果はどのくらい継続するものですか?」
「魔石を使えば、一度かけると魔石が粉々になるまで、だったと思う。術者の魔力も一回分の消費で済むはず……ごめん、ここら辺は俺もあんまり詳しくないんだ」
「いえ、十分ですわ。ありがとうございます」
それでは闇魔法を使ったのは誰か、というのはまだ掘り下げず、魔法全般に対していくつかディアーヌから質問をしていたところでリュカが殊更申し訳なさそうに謝ってくる。
「本当なら実際に魔法を見せられれば良いんだけど……どうも向こうにいる時の半分も使えないみたいなんだ。一応、緊急時に備えてここでは使わないでいいかな?」
「かまいませんわ。最初に私の髪を乾かそうとして風を起こしてくださったのが魔法ですよね? オアウア、みたいな口の動きをされていた……」
「え、そんな動きに見えてた?」
「はい。そんな動きでした」
「んー……もしかすると、この世界に魔法は存在しないから、詠唱自体が聞き取れないか、理解できないものになっているのかもしれないね」
なるほど、と頷いたディアーヌ。要努力、とこっそりとメモに残し、魔力に関して気になることをリュカに尋ねる。
「リュカ様の魔力は、あちらでは多い方だったのですか?」
「普通よりは多いけど、魔法使いとかに比べると全然。魔力は体力と違って、鍛えたから増えるというものではないんだ。使った分は回復するけど、本人の魔力量は生まれた時点で決まっている」
「そうなのですね。例えばですが、魔法をたくさん使って魔力を消費した場合と、たくさん走るなどして体力を使った場合と、疲れ方の違いなどはあるのですか?」
「良い質問だね。魔力を使いきった時も、走った後に似たような疲労感があるよ。でも、魔力の方がやっかい」
「やっかい?」
「魔力は使いきってしまうと、意識を失ってしばらく目覚められなくなるんだ。一度、仲間の魔法使いが無茶をした時は一週間目覚めなかった」
そんなにも、と驚くディアーヌを前に、リュカは辛そうな表情になって言葉を紡いだ。
「彼女の魔法がなければ全滅していた場面だったから……感謝の気持ちは大きいけれど、二度とあんなことはしてほしくないよ。それがあって、俺たちの中では捨て身の攻撃は絶対にしないと約束事もできた。本当に一週間で目覚めたから良かったものの、同じ魔法を使って何十年も目を覚まさないという人もいるような魔法だったから」
当時を思い出してか、深いため息を吐いたリュカに、ディアーヌは何と言うべきなのか悩んだ。
簡単に同調できることでもなければ、それをしては失礼だと思ったのだ。
なので……言えたのは、率直なことだけだった。
「……リュカ様の今のご様子からも、魔法使い様の行動からも、本当に仲間思いな方々だということが伝わってきましたわ。その絆があったからこそ、魔王の討伐も果たせたのですね」
「……ありがとう。あんなことは二度とさせないとは思うけど、あれがなければここまで結束はできなかったとも思うよ。絶対にもうさせないけど」
そう言って柔らかく笑ったリュカにディアーヌも笑い返した。
ここで二人は紅茶で一息つくことにした。
ディアーヌはいつも通りにカップを持ち、口元へと運んだのだが、そんな彼女の所作を真似して音を立てずにカップを置こうとするも、失敗したリュカが小さく項垂れた。
「難しい」
「まだ教えたばかりですもの。すぐできるようになられては困りますわ」
「俺も一応あっちではお城で晩餐会なんてのにも参加してたのに」
「その時に、勇者様に完璧な所作を、なんて言う人がいらっしゃっいましたか?」
「いたにはいたけど……姫様と結婚させようとしてくる人たちばかりだったから聞き流してたね」
「ではきっと、こちらではすぐに上達しますわ」
「頑張るよ」
なんとも素直な勇者につい、ディアーヌはほっこりとした気持ちになった。癒されたというか、何というか。
……こんな時に思い出すのはサミュエルとのお茶会だ。
彼は最初から最後まで、完璧な振る舞いだった。それこそ、何をさせてもお手本となるような。
誰よりも尊敬し、負けたくない相手であった。
これから先の未来も彼と二人、国王と王妃として国を支えていけると信じていた。
そこには確かな愛情があった。
サミュエルから向けられる情熱的な眼差しに胸を高鳴らせ、繋いだ手の温かさは今でも思い出せる。好きだと言ってもらえ、自分も好きだと言える時間はなによりも幸福なひとときだった。
……しかしそれらは二度と戻りはしない時間だ。
既に懐かしさすら覚えるのは、彼への気持ちはもう残っていないということなのだろう。
十年間、積み重ねてきた想いがたった数日で崩れ落ちることなんてあるのかと驚く部分もありながら、それは自分が非情な人間だからだろうかと疑問に思う部分もある。
しかも彼の変化が魔法によるところなのだとしたら……サミュエルも同じく被害者で、魔法が解けた後の彼はきっと誠心誠意謝罪をして、やり直そうと言ってくれるはずだ。
……けれどディアーヌは、その言葉にはもう頷けない。
婚約破棄を言い渡されるまでは、気持ちがなくとも続けられると思っていた。しかしブローチを投げ、自分の中で一区切りつけてしまった今となっては無理な話である。
それよりも新たな目標の方がディアーヌの心を占めている。
……やはり自分は非情なのかもしれない。
なんてことをぼんやりと考えていたら、思いの外、一人の世界に入り込んでいたらしい。
「……アーヌ? ディアーヌ、大丈夫?」
リュカに何度か呼ばれていて、ハッとなって意識を戻した。
「申し訳ございません。ぼーっとしてしまって」
「いいよ、疲れたんじゃない? また寝てもいいんだよ?」
「いえ、大丈夫ですわ。ありがとうございます。それよりも次に進みましょう」
「……うん。そうしようか」
ディアーヌの態度に思うところはあるだろうが、リュカは聞かずにいてくれた。
彼の優しさをありがたく思いながら、二人は気持ちを新たに次の話題へと移る。
「次は魔王とか魔族のことがいいかと思うんだけど、いいかな?」
「はい、お願いします」
「じゃあ魔族のことからにしよう」
その言葉で、ディアーヌは魔族、と紙に書いた。
「魔族と呼ばれるのは、魔王の魔力の欠片から生まれたものを指す。分裂はしなくて、魔王から魔力を与えられた時点で、その魔族の魔力量も決まる」
要所要所をメモに残しながら、ディアーヌは遠慮することなく質問をする。
「魔力で……となりますと見た目や体はどうなっているのですか? 勝手なイメージでは角が生えていたり、真っ黒だったりしていそうですけれど」
「体の作りとしては魔力体と呼ばれていて、全身、魔力で構成されているね。見た目はその個体が好きな姿を取るよ。大体がいくつかの動物が混ざったような見た目をしたヤツが多かったかな。人型もあれば、ただの球体だったりもしたけど。俺が戦ってきた魔族は圧倒的に獣型が多かったね。ちなみに魔王は黒い竜だったよ」
黒い竜、と呟いたディアーヌにペンを借り、リュカがスラスラと紙に竜の絵を描いた。鋭い爪や牙は絵でも恐ろしく、対比として描かれた人間の小ささに驚く。
またペンがディアーヌの元へと返ってきたので、ディアーヌは竜の横に『魔王(黒い竜)』と矢印とともに書き加えた。
「ほとんど人間と同じ見た目の魔族もいたけど、数は少なかったかな」
「人間に紛れてしまった方が魔族からすれば有利に戦えそうですけれど」
「そう思うよね。でも魔族としては人間の姿になるなんて、プライドが許さないんだよ」
「プライドが?」
「『人間は強くなろうとし、魔族は強くあろうとする』という、俺たちの世界では子供の時から教わる言葉があって」
なろうとする、と、あろうとする。
似ているようでも異なる真意に、人間と魔族の違いがある。
「魔族は魔王から切り離された瞬間から、自分こそが魔王の次に強い存在だと思うらしいんだ。そんな魔族にとって、自分より弱い、特に他者との共存を望むような人間の姿になるなんて情けないし恥ずかしい、みたいなものかな」
「すごいプライドですわね。万が一、魔族が目の前の相手に敵わないと思ってしまった場合はどうなるのですか?」
「弱体化するね。使える魔法も減るし、威力も格段に弱くなる。だから魔族は基本的に単独行動を取るんだ。でも、魔王の命令にだけは絶対に逆らえないから、魔王が命じて複数体が束になってきたこともあった。単体で来られた方がやっかいだったから、逆にラッキーだと思ったけど」
「命令ありきでも、自身が弱っていくかもしれない場には出たくなかったでしょうね。そもそもとして、どうして魔族は人間を襲うのですか? 共存は……」
とそこまで言って、ディアーヌはこれまでの話からその先の結論を自身で得ることができた。
「……無理ですわね。魔王の次に強いのは自分で、それ以外を許さないとなると他者との共存はできませんわ。まるで究極の負けず嫌い……」
「そんな言い方もあったか。それにしても、ディアーヌは飲み込みが早いね。君は要領が悪いと自分で言ってたけど、俺にはそう感じられないよ」
「聞きながらメモをして話をする、というのは生徒会でやってきましたから。慣れているだけで、最初はなかなかポイントもまとめられませんでしたわ」
「それだけディアーヌは、その仕事に誠実に向き合ってきたんだね」
最後のリュカの言葉に、ディアーヌはほんの少し固まった。
「ごめん、嫌なこと思い出させたかな」
いくら褒め言葉でも生徒会の話はデリカシーがなかったかとリュカが謝ったところで、ディアーヌは謝る必要はない、と言って照れたようにはにかむ。
「私、頑張りましたの。その成果がここで出せて嬉しいです」
それはまるで、子供が大人に褒められた時のような無邪気な笑顔だった。
彼女がいつも見せる、大人びた微笑みや悔しそうな表情とはまた違い、リュカがぽつりと溢す。
「……可愛いな」
その声はディアーヌには届いていない。
聞こえないように声量は絞っていたからだが、聞こえても良かったかもしれないとひっそりとリュカが思ったことを彼女は知らない。
「ディアーヌはずっと頑張っていたってことだね」
「ありがとうございます。ふふ、気分が良いですわ。さて、私ばかり良い思いをしてもいけませんから。続きをお聞かせくださいませ」
「そうだね。じゃあ次は魔石について。魔王については最後に話すね」
「ええ、お願いします」
気を取り直して。
ディアーヌは紙の空いたスペースに『魔石について』と書き、聴く姿勢を整えた。




