第十四話 勇者の実力
まだ朝食前だというのに、ディアーヌとリュカ、そして数人の護衛と使用人がバトン公爵邸の鍛錬場にいた。
これはリュカの自己紹介を聞いたロッドマンが、勇者だったという証拠を見せろ、と言い出したからだ。
それにリュカが即了承した後、意識を取り戻したディアーヌが追加で条件を出した。その条件は、リュカと護衛の一人が決闘をしてその強さを証明できれば、彼をディアーヌの護衛として雇うということと、彼への命令権はディアーヌだけが持つ、というもの。
後者の方は何か言われるかとも思ったが、ハナからリュカが勝つと思っていないロッドマンはその条件を特に否定することなく受け入れた。
ディアーヌとしては決闘は一番手っ取り早い方法でありがたい話ではあったが、勝手に決闘を組まれた護衛には申し訳ないと思いつつ、リュカと護衛の二人が準備運動をしている様子を少し離れた場所から見守っていた。
リュカの決闘相手としてロッドマンが指名したのはウェーナーという三十代前半の公爵家に勤める騎士である。
ウェーナーの一族は代々バトン公爵家に勤めてくれており、また彼自身はこの国でも優れた騎士だと有名で、王国騎士団に所属していれば団長候補になれたであろう実力者だ。
ロッドマンもウェーナーのことは最も信頼する護衛であるからこそ、相手に指名したのだ。周りに控える護衛たちもまさかウェーナーが負けるなんて思っておらず、どことなく余裕が感じられる。
しかしながら、たとえウェーナーが相手だろうと、リュカが負けることはないとディアーヌは確信していた。
一方で、もしかするとウェーナー相手ならば多少は本気のリュカが見れるかも? なんて期待も寄せる。
ただ、実力を示せ、と言っておきながらこの場にロッドマンの姿はない。けれどその代わりのように邸内の部屋の中からこちらを見つめてくる者の存在をディアーヌは認識していた。
その視線の主はロランで、彼は二階の部屋から窓際に立ってディアーヌたちを観察していたが、ディアーヌはロランを長く見ることをしなかった。
目が合ったところで睨まれるか逸らされるか。
どちらにせよ、気分が上がるものではない。
そう思って再び視線をリュカたちの方へ戻すと、リュカは片足を曲げ、もう一方を伸ばすストレッチをしていて……
──最愛の妻。
「……んんっ!」
せっかく忘れていたのにまたその単語が過ぎり、虫を払うかのように頭の上で両手をブンブンと振った。近くにいる使用人がディアーヌを怪しんでいるが、この行動も鍛錬場に来てから三度目なのでいい加減慣れてほしいし、自分も慣れたい。
……ディアーヌの計画では、彼女の前世は魔王だとしていたのにリュカによって彼の妻となってしまった。しかしながら、共にいるのが監視目的か護衛目的かの違いなのでそこを気にしていてはいけないのだ。
「ふー……まったくもう」
最愛だなんて設定にしては言い過ぎなリュカは後で注意するとして、まずこの決闘で彼の住処と食事は確保できそうだと安心する。
何を思ってディアーヌを妻になんて言ったのかは分からないが、彼は彼なりにディアーヌを守ろうとしてくれてのことだ。決闘にだって、嫌な顔一つせず笑顔で受けて立つと承諾してくれた。
……本当に、優しい人だ。
そう、優しいのだ、とても。
優しいのだけど…………
「…………それでも最愛って何!?」
両手で顔を覆って俯き、吐き出せずにはいられない照れくささを手のひらから地面に向けてぶつけた。
今の行動で何人に引かれていたとしても構わない。溜めておく方が体に悪い。
またもや深く息を吐き出して顔を上げようとしたところで、ディアーヌ、と頭上から自身の名を呼ぶ声がした。
昨晩会ったばかりなのに、もう安心感を与えられているという不思議な気持ちを抱えてディアーヌは表情を落ち着かせ、声の主であるリュカに向かい合った。
「何とも言えない顔をしてるけど大丈夫?」
「……意地悪な勇者様のおかげで大丈夫じゃなくなりそうでしたわ」
「本当に照れ屋なんだね」
「分かっているならなぜあのように……!」
ディアーヌの反応にリュカは愉快そうに笑う。
二人の動向は常に監視されているため、ものすごく小声で、かつディアーヌもほぼ無表情での会話である。
「俺は最善策をとったまでだよ。魔王なんて言って、君に剣を向けなければならない日がくるなんてごめんだからね」
そう言って、キザっぽくディアーヌの片手を持ち上げたリュカは、そのまま彼女の指先へと軽い口づけを落とした。
「んんっ……!」
恥ずかしすぎる状況にディアーヌは口をハクハクとさせ、手を引き抜こうとするも、全然リュカが手を離してくれない。
「ちょっ……やりすぎですわ」
「そんなことないって。不法侵入までするぐらいの熱烈さをアピールしておかないと」
人の悪い笑みを浮かべた勇者に、ディアーヌの心臓は暴れ回る。なにをどうしてこんなにも甘い雰囲気を出してくるのか。
これが勇者の余裕か。いや、大人の余裕か。
ぎりりと歯ぎしりしそうになったところで、リュカの背後にこちらを伺うようなウェーナーが目に止まった。
その瞬間に、ディアーヌは冷静さを取り戻す。
リュカの言動は彼女の脚本から外れてはいるが、目指す先は変わっていない。リュカがディアーヌを前世の妻だと宣言したのだから、自分はそれに応えなければならない。
そしてなにより。
ここまでリュカにやられっぱなしなのもいただけない。
本来の負けず嫌いな自分が顔を出して、やり返せ! と背中を押されている気分になりながら、ディアーヌもリュカの手を握り返した。
「お」
「……リュカ様、くれぐれも怪我はしないでくださいませ」
落ち着いて目を合わせれば、リュカは至って自然体だ。
そんは彼にディアーヌの心も平穏を取り戻し、段々と自分らしさが復活してきていた。
「約束するよ」
「それと……修復可能な程度になら、暴れてもかまわないので」
「いいの?」
「ええ、実力差を見せつけないとですもの」
ディアーヌは目線だけで邸内の一室を指した。そこは二階の、弟の部屋である。
「彼は?」
「弟ですわ。お父様に言われて見ているのでしょうね」
リュカの方も、窓際からこちらを見つめる若い男がいるのには気づいていたために、あれが噂の弟か、とすんなりと納得する。
「派手さはないけど、実力差は見せつけてこようかな」
「派手にしてくださいませ」
「それは、また今度ね」
そう言うと、リュカはがらりと雰囲気を変えた。
その目つきはあの魔石を拾った時に近いものになって、護衛の何人かがバッとこちらに顔を向ける。
「楽しみにしてて」
言葉とは正反対のぞくりとするような笑みに、ディアーヌは思わず息をのんだ。けれどそれは恐怖などではなく、こんなにも強い人が自分のそばにいるために戦ってくれるということへの喜びからだった。
一つ頷いたディアーヌに、それじゃあ行ってくるね、とリュカは鍛錬場の中央、ウェーナーの待つ位置へと歩みだした。
リュカが一歩進むたびに、静寂に包まれていく。
二人が相対した時には、鳥のさえずりだけが聞こえていた。
正面に向かい合って立った二人。
リュカはただ微笑んでいるだけ。そしてウェーナーはリュカの全身を探るように上から下へと視線を動かしているが……
明らかに余裕が違った。
国内でも実力者であるはずのウェーナーでも、彼を前にしてはその存在は小さく見える。
「……こんなにも差が出るのね」
それだけリュカは命をかけた戦いをしてきたということだ。
曽祖父の代から国同士の争いもなくなったこの国の護衛とは、剣を握る覚悟が違う。
「何としてでも、彼を早く帰さなくちゃ」
ディアーヌがそう呟いた数拍後、決闘開始の号令があった。
それから、勝負は一瞬。
立ち姿だけで、どちらが勝者かは一目瞭然だった。
向かい合っていたはずなのにリュカとウェーナーの立ち位置が変わり、背中合わせで立つ二人。
リュカの背筋は伸びているのに対して、ウェーナーは前かがみに丸まり、彼の剣は地面に落ちて手首から先が小刻みに震えていた。
「……すごいわ。全然見えなかった。あの動きをいつか追えるようになるのかしら?」
ウェーナーの立ち位置は変わっていないので、号令の直後にリュカが回り込んだのだろう。その時に手刀でもして剣を落とさせたか。
そう分析したディアーヌは、目線だけを動かして周囲の反応を伺った。
普段は空いた時間に鍛錬をする護衛たちの声が聞こえてくる鍛錬場は、静寂に包まれている。それもひりつくような緊張感を伴って。
……今、皆の中にあるのは、ウェーナーが指先一つ動かせなかったことへの驚愕と、謎の侵入者であるリュカの強さへの恐れだろう。
皆が言葉を失う理由は多々あるが、特に分かりやすいのは護衛たちだった。口を開けている者、目を見開いている者、と色々だが、皆の顔色はよろしくない。
日常的に鍛えている彼らだからこそ分かる強さがリュカにはあるのだ。
さて、ではここで起こったことをどう父に説明しようかと考えていれば、鍛錬場から視線を感じた。
ん? とそちらへと意識を向ければ、リュカがこちらをじっと見つめている。
「何かしら? んー……ど、う、し、よ、う?」
あっさりと勝ったリュカの方が困っている様子なので読唇してみれば、この状況でそれをディアーヌに訊くか、と思うことだった。
きっと親切な勇者のことなので、何が起きたのか分かっていないウェーナーに動きを説明するか、さっさとこの場を去るかで悩んでいるのだろう。
リュカに助け舟を出すため、ディアーヌは彼らのもとへと歩き出した。
彼女が二人のすぐそばに来た時、リュカは眉を下げ、ウェーナーはまだ立ち直れていない様子であった。決闘前よりずっと顔色の悪いウェーナーには申し訳ないが、ディアーヌははっきりと、負けを認めるわね? と彼に声をかける。
その問いに力なく頷くしかないウェーナーを見て、父にはこの姿を見てもらうのが一番だと判断したディアーヌは、その横顔に向かって冷酷なまでのお願いをする。
「父にはあなたから、今あったことをありのままお伝えしてくれるかしら?」
「……は、はい」
「それと、彼は”私の”護衛としてそばにいてもらいます。そこを強調してほしいの」
「はい」
「ありがとう。巻き込んでしまって申し訳なかったわ」
「……いえ」
「それじゃあ、一旦私たちは部屋に戻るわね」
すい、と差し出されたリュカの腕に自身の手を添え、エスコートされながらディアーヌは呆然と自分たちを見てくる使用人や護衛の中を歩く。
その途中、ジルと並んで立ち見をしていたミエラが、恐る恐るといったようにディアーヌへと声をかけた。
「あの……ディアーヌお嬢様、朝食は……」
「部屋でとるわ。この方の分も合わせて二人分、部屋に運んでくれる?」
「かしこまりました」
「それと……ウェーナーがもしも彼と話したいと言うのであれば時間を作るから、いつでも言ってきて、と伝えておいて」
再度、かしこまりました、と返事をしたミエラに、お願いね、と返してディアーヌはリュカとともにまた歩き始めた。
リュカにエスコートされて進むこと、数十歩。
「……やりすぎたかな?」
ぼそり、と溢したリュカに、いいえ、と返す。
「さっきは本気でしたの?」
「いや、全然。でもウェーナーさんはちゃんと強いね」
「本気を出すとどうなりますか?」
「うーん……あの鍛錬場くらいなら、一振りで木っ端微塵にできるかな」
「なるほど。あまりにも腹が立つことがあったら跡形もなく吹き飛ばしてもらいましょう」
「ディアーヌの生まれた家は吹き飛ばせないよ」
「それでしたら、生徒会室をお願いしましょうか」
「そんなことをしたら俺が怒られるやつだね」
「いざという時の話ですから。ご安心なさって」
物騒な話をしながらも和やかな雰囲気で進む二人に、公爵家の護衛や使用人はディアーヌがとんでもない拾いものをしたと思うと同時に、先ほどの見えもしなかったリュカの動作をどうやって公爵に伝えるか頭を悩ませた。
◇
ウェーナーとリュカの一戦を見ていたロランは、謎の男の想定外な行動に驚愕するととともに、その男に既に心を許している姉を見て、もやもやとしたものが腹の底に溜まる感覚を味わっていた。
「何をしているのですか、姉上……!」
ぎり、と歯軋りしながら、姉が笑いかける男を睨む。
ロランからすれば、こんなのはありえない状況だった。
昨日、姉は婚約破棄されたばかりなのだ。
それも幼い頃から、一途に目標とし、ずっと好きだった相手からの破棄だったというのに。
なぜああも笑っていられる?
それにあの男は誰だ。
父から見極めろと言われ窓から伺っていたが、見極めるも何も瞬きをした間にすべてが終わっていた。
何なんだ、あの男は。
そしてどうしてあんなにも、姉はあの男を信頼している……!?
「……皆に報告しないとだな」
今日、明日と学園は休みのために、学園で報告していると明後日になる。
それでは遅いかもしれない。
「集まっていただくしかないか……」
窓の向こうにはもう二人の姿はない。
ロランは急ぎサミュエルの空いている時間を確保すべく手紙を書くのだった。




