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第十二話 公爵令嬢と勇者の大芝居


 翌朝は昨夜の雷雲が遠くへと移動したのか、爽やかな朝の陽光が降り注ぎ、木の葉から落ちる雫が煌めいて見えた。

 轟音とともに落ちたであろう雷を心配し庭園へと出てきたが、家への被害はなさそうである。もしかすると領地のどこかに、とも思ったが、邸内は普段と変わらぬ様子なのでその可能性も低そうだ。


 日常と呼べる朝を迎えられたことに安心しながら、ディアーヌは邸内でも一番大きな木の前で立ち止まった。


 この木はディアーヌが幼い頃から植えられており、何度か木登りをして母や使用人をヒヤヒヤとさせてきた思い出のある木だ。その頃から大木という印象だが、彼女が成長したところでその印象は変わらない。

 むしろどっしりとした幹に手を添えると少し元気が湧いてくるような気分にすらなれた。


「落雷の影響はどこにもなさそうね、良かったわ」


 誰に言うでもなく彼女がそう口にした後……



 ドサッ、と。



 ディアーヌと木を挟んで反対側に何かが落ちてきた音がした。


「まぁ! なにごと!?」


 驚きながらも木を回り込んだディアーヌは、紫紺の髪の青年が地面に倒れているのを発見する。


「な……っ!? 誰かっ……! ミエラ! ミエラ、来てちょうだい!」


 青年へと駆け寄りながらディアーヌは使用人の中でも医療方面に強い侍女のミエラを呼んだ。

 ミエラとは朝に廊下ですれ違っており、その時に庭園の木を見てくるということも伝えてあるので、場所はそれなりに見当がつくはずだ。


 ディアーヌの声は邸にまで届いており、すぐに参ります! と少し遠くから返事が聞こえた。


「怪我をしているかもしれないわ! 手当できる準備を!」


 誰が、ということは言わず、その場から大声で指示を出すディアーヌにまた返事があった。

 ディアーヌはうつ伏せに倒れた青年を慎重に仰向けへと体勢を変えると、その顔を覗き込む。


「顔色は悪くないわね。申し訳ございません、少し触りますね」


 言うなり青年の手首から脈を測りだし、その後に顔も少し触わって呼吸の確認や怪我の程度を真剣に見始めた。



  ……何もここまで、とは横たわる青年ことリュカが思うことだ。


 朝から一芝居打ちましょう、というディアーヌの作戦に乗ったのは確かにリュカ自身だが、まさかここまで気合を入れたものになるとは予想もしていなかった。


 昨夜、リュカがディアーヌから言われたのは、バトン公爵家の中でも一番高い木から落ちてきてほしい、ということと、目覚めた後でいくつか台詞を言うだけ、であった。

 そのぐらいなら、と頷いたが、積極的に使用人も巻き込むとは聞いていない。

 彼女の声を聞きつけ、既に何人かの気配がこちらに近づいており、その気配を敏感に察してしまう自分がこの時ばかりは憎らしかった。


 そんな彼とディアーヌのもうすぐそこまで迫ってきた足音は三人分。

 耳を頼りにするならば、おそらく二人は女性で一人は男性だろう、と予測を立てる。


「お嬢様、どうされましたか!?」


 焦った声とともに一番に駆けてきたのは女性だった。バレない程度に薄目を開けて見たところ、二十代後半ぐらいの侍女である。

 この人が先程ディアーヌが呼んだミエラだろうか、と思いながら、長いこと薄目をしていられないので、大人しく目を閉じて黙ったまま考えるリュカの横で、ディアーヌがその声の主に答えを返す。


「この方が突然、木の上から落ちてきたの」


 ちゃんと困惑した声色で答えたディアーヌの言葉に反応したのは、初老の男性であった。


「木の上から? まさかどこかからの刺客では!?」

「刺客の者にしては、武器は何も身につけてはいないようよ。それよりも打ちどころが悪かったのかもしれないわ。脈はしっかりと確認できて顔色も悪くないけれど、目を覚まさないの」

「……しかし、何者か分からない以上、危険でございます。離れてください」

「いいえ、私が見つけたのだから、目覚めてお話しができるようになるまで、彼の処置は続けるわ」

「お嬢様、ですが──」

「お父様に何と言われようと、この方は私が見つけたの。ここで捨て置くなんてことはしない。罰なら後でいくらでも受けるから、彼を部屋に運んでちょうだい」


 罰!? と一番驚いたのはリュカだっただろうが、ここで太ももの横あたりを押される。これは目を覚ます時の合図だったと思い出し、彼はゆっくりと目を開いた。


「お嬢様、目を覚ましました!」


 そう言ったのは、手に救急箱のようなものを抱えた女性の使用人。この人がおそらくはミエラだ、と認識して、リュカは与えられた台詞を口にする。


「……ここは……?」

「お目覚めになられたのですね、良かった。起き上がれますか?」


 うう、と体のどこかが痛そうに見える演技をしながら、リュカは上半身を起こした。彼の背中には、ディアーヌの手がしっかりと添えられている。

 どうやらディアーヌの芝居につられ、リュカもそれなりに演技できているようで、三人いる使用人たちは皆がリュカを警戒しながらも怪我の様子を伺っていた。


「失礼いたします。少々、怪我がないか確認させていただきます」


 そう言って初老の男性に救急箱を預けた侍女がディアーヌの隣に並び、リュカに触診を始める。

 その侍女とディアーヌを交互に見ていたリュカに、ディアーヌは柔らかく微笑むと、ご安心ください、とよそ行きの声で言った。


「この者は親族に医師がおり、医療知識に長けておりますので。私も医師を呼ぶ前に彼女に診てもらうこともありますから」

「……わざわざありがとうございます」

「どこか痛いところはございませんか?」

「ええ、どこも」


 間違いなくどこも怪我をしていないリュカが答えると、侍女も手を引き、大丈夫そうです、とディアーヌへと報告をした。


「ありがとう、ミエラ」


 侍女へとお礼を言ったディアーヌが、これまたよそ行きの表情でリュカへと向き合う。



 ……この時、リュカはこの世界に来て初めて、ディアーヌとの距離を感じた。


 それは今、初対面同士の演技中だから仕方がないことなのだが、よくよく考えてみれば距離を感じずにいたことの方がおかしな話ではあるのだ。


 出会ってまだ半日程度。

 彼女(ディアーヌ)は、事情はあるにせよ自分の本名も教えていない相手だ。

 おまけに一度は勘違いから殺気まで飛ばしている。


 それなのに。

 ディアーヌのリュカと距離を取った表情は、なんとなく、嫌だなと思ってしまった。



 そしてリュカは、自身が思っているよりずっと、頭と体が直結していたようで──


「……あら?」


 思わず、というか。

 気づけば、というか。


 無意識に、ディアーヌの手を握っていたのである。


 パチパチ、と音がしそうに瞬きをしたディアーヌ。

 彼女の斜め後ろにいる初老の、おそらく執事だろう男性はギョッとしてリュカを見る。いや、男性だけでなく、ミエラともう一人いた侍女もだ。


 彼がすべきだったのは、ここはどこですか、と再度ディアーヌに問うことだった。

 けれどそれを言う前に、リュカはディアーヌの手を握ってしまい、彼女のシナリオからは外れた行動を取ってしまったのだが……彼女の手を握る自分の手の上に、さらに重なる手があった。


 え、と思いながらも、重ねられた細くて白い手はディアーヌのもので……


「知らぬ場所で不安があると思いますが、大丈夫ですよ。私はあなたに危害を加えたりはいたしませんわ」


 声も微笑みも、たった半日だけれどともに過ごした彼女らしいものに変わっていた。

 ディアーヌがリュカの行動をどう取ったのかは分からなかったが、少なくともこの状況下のリュカを安心させるための言葉であることは伝わってきた。


「私はディアーヌ・バトンと申します。あなたのことを教えていただいてもよろしいですか?」


 小さく首を傾げたディアーヌに、朝日が角度を変えて当たる。それは小さなスポットライトかのように彼女を光らせ、リュカの目に輝きを届けるようだった。


「…………ごめん。今の俺のことは、あまり覚えていないんだ」

「今の?」

「……この家の主は、君かな? 話をさせてもらいたい」


 リュカの言葉に、すんなりとディアーヌの言葉が返ってこないのは当然のことであった。

 なぜならば最後の発言は、彼女から与えられた台詞とは少しニュアンスを変えたからだ。おや? とディアーヌがリュカにしか分からない程度に疑問符を浮かべると、その隙をついてジルと名乗った執事の男性が返答してきた。


「この邸の主人は我が主、ロッドマン・バトン公爵です。この方は、主人のご息女で居られるディアーヌ様です」

「そうだったのですね、ありがとうございます。ロッドマン様にお会いすることは?」


 ディアーヌの手は離さぬままで執事へと目をやり、リュカは彼女の父に会いたい旨を伝えた。ディアーヌの指先が徐々に温かくなっている気がしたが、離す気にはなれなかった。

 そんな彼を見ながら困惑と警戒と、他にも負の感情を隠そうとしない執事が断りの言葉を告げようとする。


「……失礼ですが、素性も分からぬ方を邸内に入れる訳には──」

「ジル、この方は私の客人としてお招きするわ」


 ここで凛とした声を響かせたのは、もちろん。


「ディアーヌお嬢様、ですが……」

「言い方を変えるわね。私のお友達として、お招きするの。ほら、手を繋いでいるのだもの。とても仲が良いでしょう?」


 繋いだ手を執事へと見せるように上げたディアーヌの顔を、リュカは斜め後ろから見る。

 堂々とした態度とは裏腹にその耳は若干赤く、そういえば彼女は照れ屋だったな、とこの時に思い出して、のんきにも可愛いなと思ってしまうリュカであった。



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