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第十話 私は、負けない


 舞踏会以降、ディアーヌの評判は地に落ちたかのように、彼女の周囲では悪意に満ちた言動で彼女を傷つける人間が増えていた。

 学園内で何か不都合があるとすべて彼女が悪いと決めつけられ、先生には叱られることが増え、生徒会メンバーからも注意を受けた。廊下を歩けばそこかしこから向けられる敵意ある眼差しに、日々、精神力は確実に削られていった。


 ──来たわ、悪役令嬢よ。


 クスクスと笑う声を聞こえないフリをしてやり過ごす。

 痛みに立ち止まっていては、さらに悪化するだろうことは分かっていたのでやるべきことをやるしかなかった。

 誰の声も聞きたくなくて、人を避けるようになり始めたディアーヌは、俯いて歩き、時間が空けば逃げるように生徒会室にこもるようになった。



 そんなある日のこと。

 ディアーヌが放課後、生徒会室に向かっている途中で三人の女子生徒が行く道を塞いだ。

 これからとある場所についてきてほしい、というので断ることなくついていくと、中庭の手前で三人は止まり、その奥にサミュエルとマチルドが立ち話をしているのか、笑い合っているのが見えた。


「……あれが何か?」

「自分は相応しくないと思わないのですか?」

「相応しくない……とは、どの立場のことを?」

「婚約者であることです! 見てください、あんなにも仲睦まじいお二人を! あれこそ真実の愛ですわ。それなのに、ディアーヌ様はお二人の邪魔ばかりをしています! いい加減、その立場をお譲りになってはどうなのです?」


 怒りのままに問い詰められるが、その怒りを買う気にもならなかった。


「婚約については王命であり、私がどうであろうと決断は陛下にあることですから」


 その回答に、三人はぎっと音がしそうなほどディアーヌを睨みつける。


「あなたには殿下への愛情はないのですか? 陛下が決めたことだから、婚約者でいると?」

「貴族の結婚はそういうものでしょう?」

「なんて非情な……! やはり悪役令嬢と呼ばれるようなあなたに、殿下の婚約者なんて務まりませんわ!」

「貴族の結婚、それも王族との結婚に政略的な部分がなく、愛情だけで決まるなどという夢物語を信じるべきではありませんわ。それに私の立場は、愛情だけでできるものではございせん。けれど勘違いしないでくださいませ。それはそれ。私はちゃんと、サミュエル様を心よりお慕いしておりますわ」

「なっ……!?」


 ディアーヌがお慕いしている、と言いきったことに驚いたのか。三人は次なる言葉を失ったようだった。

 自分は一体、彼女たちにどう見られていたのか気になったが、とりあえずは自分のことだけを伝えておくことにした。


「……お慕いしていなければ、ここまでやれませんもの」


 少しだけ語尾が涙ぐんだようになってしまったが、すぐに元の調子に戻す。


「私の気持ちをあなた方がどう想像したのかは分かりませんが、私はこうやって誰の前でもあの方をお慕いしていると言えるぐらいには、ちゃんと、愛情を持ってサミュエル様を想っておりますわ」


 ディアーヌの発言に三人は目を泳がせていたが、結局、なんだかんだとディアーヌの悪いところを口々に言ってから去っていった。



 こんなところに取り残されても……と思いながら、生徒会室に帰るために踵を返そうとしたところで、ディアーヌの足が止まる。


 こちらの声は聞こえないくらいの距離にいる二人。それを覗き見している形であるのは、自分が悪いのだと理解している。


 でも、なぜか。


 どうしてだか、聞こえないはずの距離なのに。


 二人の会話が耳に届いたのだ。


「マチルド」

「サミュエル」


 やけに、切ない声。

 けれど熱のこもった声でもあった。


 その声が聞こえた直後、サミュエルとマチルドが抱きしめ合う姿を見て、冷静でいられるほどディアーヌは大人ではなかった。


「な……に……?」


 掠れきった声は、二人には届かない。



 …………でも、まだ。


 ……まだ、大丈夫。



 この期に及んで、ディアーヌはそう考えた。



 まだ、マチルドが躓いて、それをサミュエルが受け止めただけ。もしくは、何か相談事をしていて、元気づけるためにああしているだけ。

 そうだろう。きっとそうだ。そうであってほしい。

 だって、婚約者の自分ですら、あんなふうにサミュエルと抱きしめ合ったことなんてない。

 恥ずかしがるディアーヌの片手を取って、手の甲にキスをされたことは何度かある。それ以上に好きだと言ってくれていたし、プロポーズだってされているのだ。

 それにマチルドだって、ディアーヌがサミュエルを好きなことを知っている。彼がディアーヌを想ってくれていることも、また……よく、知っているのだ。


 自分が焦る必要など、何もない。


 けれどあんなふうに。

 愛情が溢れ出すみたいに名を呼び合い、抱きしめ合うなんて──



 動けなくなったディアーヌの視線の先。


 大好きな婚約者と。


 大好きは幼馴染は。


 互いに見つめ合い、どちらからともなく顔を寄せた。


「……愛してる、マチルド」

「私も愛しているわ、サミュエル。ねぇ……ディアーヌより、私の方が好き?」

「ああ、君を愛してる」


 それはそれは、目の前の相手が愛おしいというように口づけをかわした。



 その後のことは、正直なところ覚えていない。

 気づけば生徒会室の自分の席にいて。窓の外は暗くなっていたけれど、机に広げた書類は真っ白だった。

 今日やらなけらばならないことが何一つ終わっていない現実だけが目の前には広がっている。


 机上の書類を、ぐしゃりと握りしめた。


「いつから……? いつからなの? どうして何も言ってくれないの……?」


 ディアーヌは、何一つ、知らなかった。


 きっとロランやモニクは知っていて、また、自分だけが知らされていないのだろう。

 それだけでなく、三人の女子生徒がディアーヌをあの場所に案内したということは、学園生の間でも二人の仲は周知の事実なのだ。

 ディアーヌは無知をさらし、ただ無駄な告白をしただけの愚か者。これが愛のない政略結婚ならばどれだけ良かっただろう。友情のない師弟関係ならば楽に切り替えられただろうか。


「…………仕事を、しなければね……」


 まるで居場所を求めるように、ディアーヌは警備担当の先生が見回りに来るまで生徒会の机に向かい、ペンを走らせていた。



 翌日は、いつも通りだった。


「おはよう、ディアーヌ。あれ……元気ない? どうしたの?」


 朝一に廊下ですれ違い、ディアーヌにそう尋ねてきたのはマチルドだった。

 まさかあなたとサミュエルがキスをしているところを見た、なんて言えるはずもなく、曖昧に笑うしかできなかった。


「舞踏会でも倒れたし、体調が悪いんじゃない? サミュエル様も心配してたよ」

「…………そう。大丈夫、なんてことないわ」

「無理しないでね」


 ええ、と返事をしてマチルドとは別れた。

 クラスが違うはずの彼女がどうして自分たちのクラスから出てきたのかも考えられず、教室に入ればクラスメイトと談笑するサミュエルがいた。彼とも普段と変わらない挨拶をして、課題について話もした。


 何もかも普通の、当たり前の、平凡な日常だった。

 ディアーヌだけがギスギスとした心で作り笑いをしているが、それでも応えられているから良かった。


 どうせ何をしても、悪役令嬢だ、みすぼらしい、非情だと言われるのならば、何事もなくやり過ごせる方を選ぶ。それが心の安寧を保つ方法だった。


 その日の昼休みのこと。

 例に漏れず生徒会室に行くために教室を出ようと机と机の間を進んでいたディアーヌだったが、蓄積した寝不足の影響か、一瞬目眩がして足がもつれて躓いてしまった。


「あっ……!?」

「きゃあっ!」

「危ない!」


 倒れるディアーヌを見て小さな悲鳴が上がり、ディアーヌも咄嗟に手をつこうと腕を前に伸ばしたところで、彼女を助けた人物がいた。背後から伸びてきた手に、前のめりに倒れる体を後ろへと引っ張られる。

 その人物のおかげで、ディアーヌが手に持っていた筆記用具が床に落ちただけで、怪我もなく無事に済んだ。


「……ありがとうございます。私の不注意でお手数をおかけてして申し訳ございません」


 誰に助けられたのかは分からなかったが、息を整えてからまずはお礼と謝罪をする。

 ディアーヌ自身、無事でいられたことに安心したのだが、彼女を引き寄せた腕の主はなかなかその手を離そうとしない。


「……申し訳ございません。もう大丈夫ですので、手を……」

「本当に大丈夫なのか?」


 その声に分かりやすく体が強張った。


 緊張しながら恐る恐る振り向いて見上げれば、そこにいたのは案の定、サミュエルだ。


「舞踏会で倒れてからずっと顔色が悪い。それにだいぶ痩せてしまったんじゃないか?」


 彼の腕の温度を初めて知り、いつもより近くにその顔があるのに恥ずかしさなんて欠片も湧いてこなかった。言葉も出ないディアーヌの体は、サミュエルと正面で向き合うように回され、心配気に彼の片手がディアーヌの頬を撫でる。


 指先の温度がいつもより熱いと思うより先に、目の前にあった唇を認識したディアーヌの頭の中では、昨日のサミュエルとマチルドのキスシーンがフラッシュバックして──


「ディア──」

「いやぁっ!」


 添えられた手を思いっきり拒否して、ディアーヌはサミュエルの腕の中で暴れた。


「ディアーヌ……!?」


 あんなことを隠しておきながら、心配そうな雰囲気を出してくるサミュエルを、恐いと思った。これまで通り……いや、これまでよりずっと近い距離で触れ合って、想い合う婚約者のフリをする彼が、信じられなかった。

 もがくようにしてその腕の中から抜け出すと、呼び止める声を振り切って必死に走り、生徒会室に駆け込んで内側から鍵をかけた。


 それ以上、中へと進む気力すらなく、ディアーヌはドアの前でへたり込んでサミュエルに抱きしめられた部分を擦り、彼の温度を忘れようと必死になった。



 ……どのくらい、一人でいたのか。


 ディアーヌの弱々しい息遣いしか聞こえなかった生徒会室に、コンコンコン、とノックの音が響く。


「姉上」


 ドア越しに彼女を呼んだのはロランだった。

 それはここ最近、聞いていなかったとても優しい声だ。


 王太子妃教育をがむしゃらにしていた時期に、自分を気遣って声をかけてくれていた弟を思い出し、ディアーヌは掠れた声でロラン、と名前を呼ぶ。


「姉上、開けてください」

「……ごめんなさい、ロラン。それは……」

「僕しかいませんから、大丈夫ですよ」


 ロランしかいない。そして今のロランは優しくなっている。

 ……それなら大丈夫かもしれない。

 ディアーヌの心の傷を聞いてくれるだけでいい。慰められたいとは思わない。僕も知りませんでした、だけでいい。

 愛がなくとも、サミュエルとの婚約も続けられる。貴族とはそういうものだ。

 だから今は、動揺したんですね、と理解してほしい。


 震える手で鍵を開けた。


 ……その時に、周囲の気配を伺うべきだったと、ディアーヌは絶望も後悔もした。


「……な……んで……?」


 解錠するとすぐに、外側から少し乱暴に開かれたドアの向こう。


 そこにはディアーヌを睨む無数の目が存在していた。

 先頭にはロラン。その後ろにはサミュエル。マチルドとモニクもいて、昨日の女子生徒たちも、他にも、たくさん。


 皆が憎き者を見る目で、ディアーヌを睨みつけていた。


「姉上……! あなたはどれだけサミュエル様や僕たちに迷惑をかけるおつもりですか!」


 騙されたと思いながら聞くその言葉は、暴力でしかなかった。


「先ほどもサミュエル様が助けてくれたというのに、ろくに感謝もせず突き飛ばして走り去るなど……婚約者としても一生徒としてもありえません! あなたは公爵家の名すら地に落とす気でいるのですか! サミュエル様がどれだけ姉上のためを思って──」

「ロラン、そのぐらいでいい」

「サミュエル様! ですが……!」

「ディアーヌも気が動転したのだろう。私は心配になって後を追っただけなのだから、そんなに怒らないであげてくれ」


 耳障りの良い言葉に、皆を納得させるだけの微笑みを浮かべて、サミュエルはディアーヌに向けて手を差し出した。


「ディアーヌ、私はすべてを許すから出てくるといい」


 自分(サミュエル)の手を取れ、ということだろう。


 ……しかし昨日、サミュエルは、マチルドを抱きしめていた。

 長年の婚約者であるディアーヌよりも、彼女を愛していると言って、ためらうことなく口づけを交わしていた。


 愛している、なんてディアーヌは言われたことがないのに。


 けれどそれがどれだけ不義理なことであろうと、真実の愛で結ばれた二人を応援する者たちにとっては、悪役令嬢である自分こそが不要な存在なのだ。早々に消え去ることを望まれている。

 それにこんなにも多くの生徒から睨まれ、疎まれ、嫌われているようなディアーヌが何かを言ったところで、所詮負け犬の遠吠えでしかなく──



「…………誰が、”負け“犬ですって?」



 やけに低い声だな、とまるで他人事かのように思った直後に、ぐらりと視界が揺れる。


「私が……負ける?」


 また、ぐらりと。

 今度は視界ではなく、頭の中が揺れた。


「……ありえないわ」


 その否定は、過去の自分の行動に対してだった。


 書類のミスを責められた時も、悪役令嬢だと笑われた時も、二人の逢瀬を見た時もディアーヌは簡単に主張を引っ込め、自身が納得するまで戦い抜くことなく、早々に諦めていた。

 しかし今になってみれば、あれだけ時間を費やして作った書類に関して、指摘をされたような凡ミスをしたとはやっぱり思えないし、悪役令嬢だと笑われる謂れもない。二人の逢瀬に関しては互いの立場を考えなさいと思う。


 サミュエルとの婚約は、愛情だけで務まるものではない。

 たまたま、ディアーヌとサミュエルは想い合えていただけ。


 それがなくなったとしても、今この瞬間に、自分よりも王太子妃になるに相応しい実力がある者はいない。


 たとえ元は出来の悪い人間だったとしても、少しずつ、周囲から認められる力をつけてきた。


 その誇りと自信と、十年間の努力をかけて。



「私は、負けないわ」



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