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フォーチュンサイダー

作者: 鈴女亜生

 何となく。ただ何となく。

 そう、最初は別に、何か深い理由があったわけではなかった。多分、皆もやっているからとか、そのくらいの理由だったと思う。


 そのくらいの理由で始めたものだった。小学生一年生の春のことだ。


 最初は純粋に楽しかった。多分、それは自分に限った話ではない。同時期に始めた多くの同級生が同じ感想だったと思う。

 良くも悪くも何も知らない、真っ白な状態だったから、全てが新しく、どんなことでも楽しいと思えていた。


 しかし、それも永遠ではなかった。


 少しずつ慣れてくると、楽しいの裏に隠れていた辛い部分を、より強く感じるようになって、最初の頃の無邪気で純粋な気持ちは、次第に薄れていた。

 その頃には、同時期に始めた同級生の半数が辞めてしまっていた。


 自分も辞めようかと考えている時期はあった。別にプロになりたいわけではない。何となく始めたことなのだから、何となく辞めてしまっても構わない。

 何なら、楽しいという気持ちが薄れ、辛いという気持ちが生まれてきた今、始めた理由よりも辞める理由の方がはっきりとあるようにさえ思えてくる。


 そうは考え、どうしようかと思う時もあったが、これも結局は何となく、それまでの時間が無駄になるようだからとか、それくらいの理由で辞める決断は下せなかった。


 そのまま小学校から中学校に上がり、学校に部活としてあったから、やらない理由も特にはないだろうと、チームメイトであり、クラスメイトである友人に誘われるまま、中学でも何となく同じことを始めていた。


 とはいえ、そこから始まる練習の日々は、それまでに経験していたものよりも、圧倒的に辛さの方が大きかった。楽しいという気持ちは気のせいかと思うほどに薄れ、毎日、学校に通うことすら嫌になるほど、辛い日々が続くことになった。


 それでも不思議なことに、辞めようとはもう思わなくなっていた。

 続けようと決意したのか、辞めるという発想がなくなるほどに辛かったのか、その部分は分からない。


 だが、三年間は全うしようという気持ちだけは確かにあったことだった。


 日々の辛い練習を耐え、少しずつ成長を実感し、そのことに小さな喜びを得る。その繰り返しで、中学生活の大半は過ぎていくことになった。


 そして、迎えた中学最後の年。そこに至って、ようやく自分はどうするべきなのかという考えが、頭の中に生まれた。


 もうすぐしたら、高校が見えてくる。高校に入ってまで、同じことを繰り返すのか。小学生の頃から続けているとはいえ、プロになる道を考えていないのなら、どこかで辞めると決める必要があるのではないか。

 そうであるなら、それは今ではないか。そう思った。


 だから、ひっそりと心の中で決意したことがあった。


 中学最後の大会。全国にまで行ければ、そこで結果を残せれば、高校も続けよう。


 それがもし無理だったのなら、ここできっぱりと終わりにしよう。


 そう決めて、望んだ最後の大会だった。


 それが今日、終わった。全国には届くことがなく、終わってしまっていた。



   ○o。. ○o。.  .。o○ .。o○



 決めていたことだ――と、そう思いながらも、項垂れる頭は上がらなかった。


 最後の大会は終わった。目標に届くことなく、ここまで続いた日常に終わりを告げる時がやってきたのだ。

 これからは将来を見据えて、また違った生活を送ることになる。


 高校生からはまた違ったことを――そう考えれば考えるほど、項垂れた頭は押さえつけられたように、どんどんと下がっていく。


 何を迷っているのだと、自分自身に問い質したい気持ちになる。


 そう決めたのだから、ここは素直に、男らしく、ビシッと辞めるべきなのだ。高校生になってからも、とか、そんな風に考えてはいけない。

 いつまで続けても仕方ないのなら、ここで辞めてしまった方がいい。方向転換は早い方が、自由に道を選べるはずだ。


 そう考え、そう理解し、そうしようと――そうしようと、思っているはずだった。


 それなのに、どうしても頭を持ち上げられない自分がいた。


 どうして――と、自分自身で掴み切れない気持ちを不思議に思っていると、項垂れた頭の上から声が落ちてきた。


「何をそんなに悩んでるの?」


 その声に顔を上げる。

 そこにはルカが立っていた。小学生よりも前、幼稚園に通っている頃から付き合いのある幼馴染だ。


「お疲れさま」


 そう言って、彼女は一本のペットボトルを差し出してきた。サイダーの入ったペットボトル。それを小さくお礼を口にしながら受け取る。


「ありがとう」

「惜しかったね。もう少しだった」


 ルカは隣に座りながら、そう言った。本当にそうだと思いながら、小さく頷く。


 もしも、その少しを掴めていたら、今頃は悩む必要もなかったのだろう。


 ――いや、違う。そもそも悩む必要はないはずだ。


 そう気づいたところで、隣から声が飛んでくる。


「辞めるの?」


 その一言に驚き、思わず顔を上げていた。決めていたことは何も、誰にも話していない。家族はもちろんのこと、ルカにも何も言っていない。


「ああ、やっぱり、そうなんだ。何となく、そんな気がした。ずっと思いつめた表情してたし」


 何も言わずとも、表情だけで伝わったのか、ルカがそう言ってきた。それを否定することなく、再び視線を落とす。項垂れるように頭を下げながら、手に持ったペットボトルを見つめる。


「全国に行けなかったら辞めるって決めてたんだ」

「でも、悩んでる? 迷ってるの?」

「そこまで……分かるよな……」


 この姿を見たら、誰でも分かるだろうと、それくらいのことは自分でも分かった。辞めると決めていたのに、どうしてか踏ん切りがつかないことを説明すると、当然のようにルカは言う。


「辞めるの辞めればいいのに」

「それはいかないよ。いつまでも続けられるものでもないし」

「でも、別に無理に辞める必要もないよ。高校で続けている人は一杯いるよ。その全員がプロになるわけでもないし、続けたいなら続けるべきだよ」


 そう背中を押されても、素直に頷く気持ちにはなれなかった。


 そう決めていたから。その事実が、ずっとあちら側に引っ張ってくる。


「あっ、じゃあさ。こうしない?」


 そう言って、ルカはさっき手渡されたペットボトルを指差した。


「それを開けて、中に入ってるサイダーが吹き出したら当たり。このまま高校も続ける。吹き出さなかったら外れ。ここできっぱり辞める。どう?」

「どうって……」


 どういう賭けだと不思議に思いながら、ペットボトルを見つめた。普通に考えて、何もしていなければ中身が吹き出すことはない。


 辞める後押しをしてくれようとしているのかと思ってから、別の可能性に気づいて、聞かれた問いかけに答えることなく、反対に質問を投げかける。


「もしかして、振って渡した?」

「いやいや、流石にそんなことしないよ。それだと当たりも外れもないし」

「いや、だとしたら、中身が吹き出すことなんてないでしょ?」

「いーや、それがそうでもないんだなー」


 勿体ぶった言い方をしてから、ルカは不意にどこかを指差した。指の向く方に目を向ければ、そこには自動販売機が立っている。


「知ってる? あの自販機が何て呼ばれているか?」

「いや、知らない」

「ガチャ」

「ガチャ?」

「そう。あそこで炭酸飲料を買うと、一定の確率で中身が吹き出すんだって」

「え? これって?」

「あそこで買った」


 あっけらかんと言ってのけるルカに、ついつい唖然としていた。もう少しで何も知らず、何の警戒をすることもなく、ペットボトルの蓋を開けて、サイダーを頭から被っていたかもしれないと思うと、手渡されたものは優しさではなく、悪意だったのかもしれないとすら思えてくる。


「因みに、確率は5%らしいよ」


 両手を開いて言ってくるルカに、それでは十になってしまうと言おうかと思ったが、その必要もないかと湧いてきた言葉は飲み込んだ。


 5%。そう聞くと、確かに続ける選択肢としてはちょうどいいのかもしれない。それでも引くのなら、それはもう続けなさいと言われているようなものだ。


「で、どうする?」


 そう問われ、自然と手はペットボトルの蓋を握っていた。


「分かった。乗ってみる」


 そう答えると、ルカはさっと立ち上がって、少し離れたところまで移動する。


「何で離れるの?」

「だって、もし吹き出したら、服が汚れちゃうから」

「でも、俺は開けるんだよ?」

「ビールかけみたいだね」


 笑顔でそう言ったルカに苦笑を浮かべてから、今度こそ、蓋を開けようとペットボトルを見つめる。こんなことでもしないと、決断したことを実行できないのかと思ってしまう気持ちもあるが、確率を考えたら、吹き出さなくて当然だ。


 辞めるための儀式。そのくらいに思うことにして、掴んだ蓋を一気に捻った。


 そして――


 目の前に虹がかかった。何が起きたのか、一瞬、分からなかったが、すぐにペットボトルからサイダーが溢れているのだと気づく。


「えっ……?」


 思わずそう呟いてしまった前で、吹き出すサイダーを眺めたルカが微笑みながら呟く。


「綺麗」


 そんな暢気なことを言っている場合では――と思っていた時には遅く、吹き出したサイダーは弧を描いて、自分の頭の上に降りかかっていた。



   ○o。. ○o。.  .。o○ .。o○



「ハハハ。ごめんね」


 自分が拭くと言って、手からタオルを奪ったルカが、頭をガシガシと拭きながら、そう謝ってきた。サイダーが吹き出したことよりも、拭き方が雑であることの方が気にして欲しいのだが、そちらは一向に変わる気配がない。


「でも、これで決まりだね」


 そう言ってきたルカの言葉に何も言うことなく、何もすることなく、ただタオルの下で、黙って自身の掌を見つめていた。そこに捨てようとしていた物が収まっているように、頭の中で考えながら、ゆっくりと状況を咀嚼する。


 もう少しだけ――そう思う気持ちが心の中に芽生えて、気づいた時には開いていた手を、ぎゅっと握り締めていた。


 もう少しだけ、続けてみよう。


 そう決意したこの頃はまだ知らなかった。ルカの言った5%が、自分の認識と、真逆の確率だった事実を。

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