03 面白いから Side.啓祐
『……何ふざけたこと言ってんの?』
久しぶりに聞いた声は、とても彼女らしくて。
啓祐は思わず笑ってしまった。
*****
「白水先生が空手の有段者だというのは知ってたけど、剣道も?」
放課後の職員室。声をかけてきたのは、剣道部の顧問をしている小林先生。
この学校内で知っている人はいなかったはずだ。けれど、小林先生は確信を持っているらしく、その目がとても期待に満ちている。……啓祐にとってはあまりよろしくない兆候だった。
「はい、友人の家が剣道の道場なので」
元々、実家の空手の道場にその友人が来ていたのが始まりだった。親友と言っても良いくらい仲が良くて、誘われるままに剣道を始めた。高校二年まで続けた結果、それなりに楽しくてそれなりに上達はしたけれど、空手ほど上手くならなかった。それなりに、程度のものだったから。
「なら、話が早い!」
展開は予想できる。本当は、来るなら空手の方だと思っていたのである意味予想外でもあったけど。
「俺、剣道部の顧問やってるけど、実際剣道なんてできねぇんだよ。コーチがくるのは週に1回だし、部員達がちょっとかわいそうでさ。時々でいいからさ」
「剣道部に顔を出すって事ですか?」
「そう、ほかの先生とかには内緒で。頼む」
頼むって。小林先生は教師歴二十年近い。大して啓祐はまだ教師になって三年が過ぎたばかり。断れない。というか、拒否権なんてあってないようなものだと思った。……まぁ、実際に断っても小林先生は嫌な顔はしないだろうが。
「いいですよ、僕でよければ。あまり頻繁にはこれませんが」
こうして、啓祐は臨時で剣道部のコーチもどきをする事になった。
けれど剣道部のコーチもどきを了承してからすぐ、三者面談のことで慌しくなってしまったため、結局剣道部に顔を出せたのは、約束をしてから一ヶ月近く後。
正直気乗りしない。ただ働きだし、有段者だからといって決して教えるのがうまいわけではない。剣道からは長いことご無沙汰だったし、最近は体を動かすことすらほとんどしていない。
これから教えに行くのに、否定的なことばかりをつらつらと考えていたからか、道場までの道のりは遠く感じたけれど、それでもあっという間に着いてしまった。時間的には、ほとんどの部員が集まっているだろう。
「あれ? 啓ちゃん? 何でここにいんの?」
道場へ顔を出してすぐに不思議そうな声がした。
啓祐の事を啓ちゃんなんていう呼び方をするのは、担任を持ったクラスの生徒くらい。だからこの声もきっとそうだろう。
「臨時のコーチもどき」
後ろから聞こえた声に答えて振り向けば、立っていたのは磯谷悠。
こいつを見ると、二週間近く前の陽太とのやり取りを思い出す。そして、三者面談も。
「磯谷か。そいういうお前は何してる? 帰宅部だった気がするけど」
「俺は臨時の助っ人部員。今度の他校との合同練習会に参加してくれって」
「……剣道の有段者?」
「うん、初段もってる。あと柔道も初段持ってるよ。こういうの、好きだから」
更衣室はこっち、と言って悠は道場に入っていった。
啓祐は、言われた方向にあった更衣室へ入る。そこには先客がいた。
「あ、先生、今日はよろしくお願いします」
そういってきたのは、部長の高永。確か、今度の大会で引退のはずだ。
「頻繁にはこれないけど、出来る限り協力するから。頑張れ」
「ありがとうございます!」
高永はそれはそれは嬉しそうに礼を言って、更衣室から出て行った。その様子を見て、自分には空手に対してあんなに情熱をもてなかった事を思い出す。
ただ、家が道場だったから。父親も兄も空手をやっていたから、やらなくちゃいけないような気がしたから。そんな義務感からだった。
「高永は剣道が好きなんだろうな」
思わず呟いてしまった。青春時代に何かに夢中になるのはいいことだと思う。啓祐には、そこまで熱中できることは無かった。素直にうらやましいと思う。
そうして思い出すのは、幼少期の井上理紗。啓祐には持てなかった情熱を持って、それは楽しそうに空手を習っていた。
*****
最後の三社面談を終えて、電気を消して、そのまま教室を出ようとしていた啓祐に、背後から声がかかる。
「ちょっと、話があるんですけど、よろしいですか?」
陽太を先に帰した理紗が、一言一言にものすごい力を込めながら啓祐を教室内に留めた。
その言葉に、この後の楽しいだろう理紗とのやり取りを想像して、内心笑いながら、先ほどまで面談をしていた席についた。
そうして理沙の顔を見る。その地獄に堕ちろと言わんばかりの形相に、思わず噴き出しそうになったのは、本人には隠し通した。夕日を背にしていてよかった、と思った。
「僕にですか? 構いませんよ。何のお話でしょう?」
厭味ったらしく言った啓祐に、理紗の口元がピクリ、と引き攣るのがわかる。啓祐からは、そんな理沙の反応が面白いくらいによくわかる。
「これは何の真似? あんたなめてんの?」
そう言って突き出してきたのは、三者面談の予定表。理紗の希望日を完全無視で作成したものだ。
別になめてはいない。だけど、いちいち啓祐のすることに目くじらを立ててイライラと突っ掛かってくる理紗が愉快だった。……なんというか、自分で言うのもなんだがお近づきになりたくない性格だ。
「なめてないよ。ただ、そうすれば面白いから」
その答えに、理紗は一瞬いらっとした表情を浮かべたけれど、すぐ諦めたような顔でため息を吐いた。
「……その性格、昔から変わんない」
そうだ。昔からこんな性格だった。
空手の道場に通っていた理紗。その道場の息子で、同じくそこに通っていた啓祐。なぜか自然と仲良くなった。が、啓祐の性格がその友情を一方的なものにした。
面白いから、を理由に理紗にちょっかいを出しまくったのである。そして、もともと気の強かった理紗がそれに応戦し、ますます面白がった啓祐がさらにちょっかいを出す、という悪循環。
最終的には年下の理紗が涙し、それを見た啓祐の母親がすっ飛んでくる、とい構図が出来上がっていた。
いつしか、理紗は啓祐を毛嫌いし、それをますます面白がって以下略。これはもう鬼畜と表現してもいいかもしれない。もしくは変態。
「そう、俺は昔から変わんないよ」
「……なんであんたとの付き合いが切れてないのか不思議なんだけど」
「なぜって、俺の興味が尽きてないから」
「……あんたのクラスの生徒が可哀そうだ」
「失礼な。僕はすごく良い先生だよ?」
「その猫撫で声やめて。気持ち悪い」
女生徒からそこそこの人気を得ている温和な白水先生も、理紗の前では気持ち悪い。啓祐はますます面白くなる。
(そうやって反応するから、こっちはいじめたくなるんだよ)
別に理紗の事を異性として好きなわけではない。だけど、友人程度には好意を抱いているのだろう。じゃなければ、ここまでからかおうとは思わないから。
「言いたかったことがあるんだけど」
理沙が改めて啓祐に言った。その言いたい事、というのは想像がついた。
「私のことで、必要以上に陽太に絡むのはやめてほしい」
「どうして?」
「わかってるだろう? その後の陽太が面倒なことになる」
「気づいてるのに、知らないふりをしてるんだな」
「そのほうが楽だから」
心底疲れた、という表情でこちらを見る。
内心、陽太に同情した。この女、女として終わってるのではなかろうか。前にもそう思って、実際に言った事もある。当時は失礼だ! と憤慨していたが。
(もし今聞いたら肯定するんじゃないのか?)
「それから、私と啓祐が知り合いだったということも、絶対に言うな」
こちらの考えを遮るように、ついでに言ったら命令するかのような尊大さで理紗がいう。ちょっといらっとしないでもないが、まぁ、いいさ。こちらが優位に立っているから。それくらいは許してやろう。
席を立った理紗が、教室の扉へと向かう。もう帰るようだ。
「言わないよ。……たぶんね」
少し間をおいてから返した言葉に、理紗は一度足を止めた。そのままこちらに振り返るようなそぶりを見せたが、結局はそれをしなかった。
「なんであんたはそうやって引っ掻き回そうとするんだか……」
その独り言のような問いには答えなかった。ただ、笑っておく。
その気配を感じ取ったのか、理紗は心底嫌そうなため息を吐いた。
「それから、電話も。あんたの声聞くと、イラッとするんだよね」
そう言って、理紗は今度こそ本当に教室を出て行った。
*****
「啓ちゃーん、いつまで着替えてんだよ」
つい先日のことを思い出していた啓祐は、入ってきた悠の声に我に返った。
「ごめん。久しぶりにきるものだから、なんだか感慨深くてね」
心にもないことを言いながら、苦笑を浮かべる。
悠は、早く来てくれよ、とだけ言ってまた出て行った。
悠といえば、おそらく陽太の気持ちを知っていて、いろいろな相談を受けているんだろう。
啓祐は、決して陽太の恋路を邪魔しようとは思っていない。むしろ応援すらしている。ただ、好奇心のほうが勝るのだ。
それに、面倒くさがりで、タコのようにぬるぬるとすり抜けるような理紗を捕まえるには、自分くらい厄介な人間がいたほうがうまくいくような気もする。
(今度、磯谷とはゆっくり話してみるのもいいかもしれない)
次はどうやって引っ掻き回そうか。
知らずに笑みを浮かべながら、啓祐は更衣室を後にした。
『なんであんたはそうやって引っ掻き回そうとするんだか……』
決まってるだろう。
面白いからだよ。
その密やかな笑い声は、誰もいない更衣室に溶けて消えた。
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