02 プリントの行方 Side.鈴木
三者面談の案内がある。なぜか、キッチンのゴミ箱の中に。
配布日は今日から二日前。
先生は、こういった書類をきちんと保管する人だ。だから、きっと捨てたのは陽太君だろう。なんとなくその気持ちもわかる気がする。今年の担任は、去年と同じらしいから。
苦笑いをしながら、鈴木はごみ箱からプリントを救出した。
去年と言われて思い出すのは、やはりというか三者面談。後日、先生から聞いた話だったけれど、陽太君と担任は先生のことで言い争いをしたらしい。陽太君の気持ちを知っている鈴木としては、ちょっと微笑ましかったのだが、その仲裁をする羽目になった先生は散々な目にあったようだ。
その案内に書かれた予定日は、期間の最終日の一番最後。
先生はたぶん知らない。ちなみに鈴木は、先生が予定日の希望調査書に記入した日付を知っている。たまたま原稿を受け取りに来ていたから。
初日の一番最初。
その希望日とぜんぜん違った日にちに書かれた、陽太君の名前。
最悪なことに、先生の締め切り一日前。
「……何ふざけたこと言ってんの?」
リビングでパソコンと向き合っている先生の、不自然なほど淡々とした声が聞こえた。どうやら電話らしい。……一瞬、僕に言われたのかとビクッとしたのは内緒だ。
先生は電話を肩と耳に挟みながらパチパチとキーボードを叩く。その顔は険しい。険しいから、余計に冷静かつ落ち着いた声が怖い。話の内容があまりよくは無いのだろう事は簡単にわかった。
「意味がわからんない。何のための希望日調査だ」
『~~~……』
「だから、無理。締め切り前だっての」
(あぁ、三者面談の内容だな)
相手の声は聞こえなかったけれど、さっきのプリントを見ていた事と、先生の反応からすぐにわかった。
鈴木はは何も言わずにキッチンから出て、所望されていたココアと一緒に、そっと捨てられていた案内を置いた。
先生は、軽くその案内に目を通すと、イライラとまたキーボードを叩く。
「あんたはちょっと強引すぎ。どこに保護者の予定をガン無視する担任がいんの。わざわざ希望日聞いといて」
『ここにいるだろ』
あ、今のは聞こえた。
この返しは先生の苛立ちを増幅させると分かっていて、なおかつそれを楽しんでいる雰囲気がした。
確信犯というやつか。
「……っ、いい加減にしろ、啓祐。 二度と電話かけてくんな」
『電話をかけなくても、三者面談で会うこ――ブツッッ』
キレても声だけは冷静なのがすごい。ただ、ケータイは必要以上の力で電源ボタンを押されていた。……ちょっと哀れだ。
「あんの屁理屈大王め……忌々しい」
「わーっっ!! 先生! だめです! ケータイ投げないで! ……あぁぁぁーっっ」
ガツーンッ
鈴木の制止も聞かず、勢いよく宙を舞った哀れなケータイは、いい音を立てて窓にぶつかり沈黙した。
慌てて拾い上げて、壊れてないことを確認。よかった。ホントに。三ヶ月前にも屁理屈大王こと、陽太くんの担任と同じようなやり取りで壊れて、変えたばかりだったし。
鈴木はそっと、パソコンの横にケータイを置いた。先生は、頭を抱えて突っ伏している。
「……最悪だ。あのくそ男……。……鈴木、悪夢の一週間弱の始まりだ」
「そうみたいですね。僕もさっきその案内を見ましたから」
「アンタんところの締め切り、面談の次の日なんだけど。死ぬ気でやっても終わる気しないんだけど」
「……とりあえず、一度休憩で」
「できるわけ無いでしょ。悪夢の一週間弱は今始まったんだから」
「はい! すいません!」
先生の鋭すぎる眼光(声は相変わらず冷静だけど)に、思わず土下座する勢いで謝罪をした。
……こういうところが、鈴木をへタレといわしめる所以なのかもしれない。
「ちょっと真面目に執筆するから」
「頑張って下さい。僕は社に戻ります」
「あ、鈴木」
「はい?」
「あんた、車の免許持ってたよね」
「はい、ここまで車で来ましたし」
「ならよかった」
玄関に向かおうとしたところで呼び止められた。
その声のニュアンスから、なんとなく嫌な予感を感じたのは、先生との付き合いの長さのなせる業か。
「悪いんだけど、面談の二日前に来てくれない?」
「……たぶん大丈夫ですけど……何か?」
「私の原稿がもし、本当に締め切りまでに間に合わなさそうなら」
「終わらなさそうだったら」
「向こうには話をつけておくから」
一体誰になんの話をつけるというのか。
次にくるだろう爆弾を回避できない鈴木としては、その爆弾が出来る限り小さいものであることを願うしかない。
「私の父か母を連れてきて。私の変わりに三者面談行ってもらうから」
「……はい」
面談に出ろ、と言われないだけましだったかもしれない。先生のご両親が栃木県に住んでいて、ここが神奈川県だったとしても。
でも、出来ることなら原稿が何とかなりそうなことを祈るばかりだ。
「陽太の奴、なんでバレるってわかってんのにプリント渡さず捨てるかな」
「……たぶん、先生に見せたくなかったのでは?」
「見せなきゃしょうがないでしょ? 保護者として面談に行くのは私なんだから」
それはそうだが。
あの担任に合わせたくない、という思いから来る小さくて可愛らしい抵抗だ。
それを伝えようかとも思ったが、陽太君は気持ちを隠しているようなので、言わずにいた。
「……陽太のせいで、単純に面談だけでよかったのに必要ない電話まで……」
「そういえば、担任の方と先生はお知り合いだったんですね」
「知り合いも何も、私が幼少期から通ってた空手の道場の息子だから」
「あ、そうだったんですか」
(……陽太君は知っているのかな?)
鈴木の頭にまず浮かんだことはそれだった。知らないなら教えるべきか、あえて教えずにいた方がいいのか。
「あいつ、電話で開口一番に、三者面談のプリント、見てないだろう? とかいうから、こっちも聞かなくちゃなんないし……あーもー、面倒くさい!」
そう言って、またパソコンに向かった。
その担任にも、陽太君の恋心はばれているのか。それとも、ほかにも理由があるのか。それは分からないけれど、開口一番にそう言えるだけの根拠を持つようなことがあったんだろう。
隠しているらしい恋心がこれほど周囲にオープンなのは、本人に隠していても意味が無い、と感じるのはどうしてだろうか。
「先生、他にも何かありますか?」
「ないよ。会社戻るんでしょ? 早く戻りな」
「はい、失礼します。頑張ってくださいね」
「ん、お疲れ」
そう言って、先生の家を後にした。
車に乗って、エンジンをかける。
世間は狭いんだなぁ、と思った。
先生と担任の思わぬ接点。しかも、予想以上に付き合いが長い。
先生は、たぶんその事を陽太君には教えないつもりなんだと思った。
「……面倒くさい、か」
車を運転しながら、呟いた。
面倒くさいから、知っていながらそれをかわし続ける先生は何を考えているのだろうか。
今はまだ、陽太君がそれを知らないからいいけれど、知ってしまったら。
「でもまぁ、確かに面倒くさいのかも」
鈴木は苦笑する。
だって、ねえ? 猪並みの直球しか知らなさそうな陽太君は隠しているらしい恋心をそのまま直球でアピールしてくる。それをかわす先生は、その直球さゆえに非常に苦労しているみたいだから。更にはあの、ちょっとSっぽい担任までいるんだから。
なんだか面白くなりそうな予感に、鈴木は鼻歌を歌った。
先生から受け取った原稿を先生の家に忘れていった事に気づかなかった。
「お前は何をやってんだ?」
先輩にあきれられつつ、一度会社に戻ったのに、また先生の家へと向かった。
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