恐るべき異能
星薫の勝利は確実だと篠原が思った時だった。
「我が許婚に危害を加える者は許しませんよ」
無堂と呼ばれた男の声が聞こえた。
「む?」
薫は咄嗟に天音から離れ、身構えた。破壊された扉の向こうから、無堂が現れた。
「ほお。流石ですね。星一族の長の娘だけの事はあります。危機管理能力が、そちらの方とは段違い」
無堂はトランクス一枚で拘束されている篠原を嘲笑った。
「うるせえ!」
篠原は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「それは同意だ」
薫はあっさり篠原を切り捨てた。
(そりゃないよ、薫ちゃん)
篠原は思わず涙ぐんでしまった。
「やってくれたね、クズ星の女」
天音は首をさすって薫を睨みつけた。
「我が一族を愚弄するな。それにその程度の挑発では、私は動じないぞ」
薫は天音を睨み返した。
「無堂、この女は私の獲物だ。手出しするな」
天音は薫を睨んだままで言った。
「わかりました。静観しましょう」
無堂は肩をすくめて部屋の隅に移動した。
(さっきみたいにとばっちりが来るのは願い下げだぜ)
篠原は生唾を呑み込んだ。
葵達は情報収集を続けていた。
「付近の防犯カメラの映像を集めてもらったのですが、篠原さんが映っているのはあれだけでした。足取りは追えない状態です」
美咲がパソコンの画面から顔を上げた。
「情報屋からその後のメールは?」
葵は溜息を吐いて尋ねた。
「ありません。鑑さんと篠原さんが会っていたカフェは特定できましたが、その周辺では何も掴めていません。篠原さんも鑑さんも、カメラを避けるように移動したと思われます」
美咲は決まりが悪そうな顔をした。葵は茜を見て、
「大原君の方はどう?」
茜はスマホを操作しながら、
「Nシステムの方も調べてくれたのですが、映っていません。拉致した連中は着替えたのかも知れませんし、女は変装していたのかも知れません」
葵を恐れながら告げた。
「でも、あれ程でかい胸を隠し切れないと思うから、それを追えないかしら? 歩容認証とか使って」
葵はまだ天音の巨乳に敵意を抱いていた。茜は苦笑いをして、
「歩容認証はある程度の距離と広さがないと使えないので、追跡は難しいと思います」
葵は腕組みをして、
「それなら、行くのは嫌だけど、あいつのマンションに行ってみるしかないわね」
「篠原さんのですか? 私、知らないのですが」
美咲は茜と顔を見合わせた。
「あいつに無理やり渡された合鍵があるの」
葵は机の引き出しからカードキーを取り出した。
「わあお」
茜がつい冷やかしの声をあげてしまい、アッとなった。
「行くわよ」
葵は茜を一瞥してそれだけ言うと、立ち上がった。
「はい」
美咲と茜も立ち上がって応じた。
薫と天音の睨み合いが続いている。篠原は緊張感で呼吸を忘れそうだ。
(さっきの事から考えると、確実に薫ちゃんに分があるはずだけど、どうして動かないんだ?)
薫は何故か天音を睨んだまま、微動だにしない。天音は余裕の笑みを浮かべて、薫を見ている。
(葵とあれだけの戦いをした薫ちゃんだから、何かを感じて探っているのか? あのおっぱい姉ちゃんに秘策があるのか?)
篠原は天音を見た。
(天一族は、異能の集団だと聞いた事がある。それか? おっぱい姉ちゃん、どんな異能を持っているんだ?)
篠原は天音の巨乳を見つめた。
(ああ、いや、そんな事を考えている場合ではない。今、あいつらは薫ちゃんに集中している。俺は俺で、できる事をする)
篠原は枷を抜ける方法を考えた。
「本気を出す必要があるな」
薫はフッと笑った。天音はニヤリとして、
「さっきも本気だっただろう、クズ星。強がるんじゃないよ」
薫を挑発した。
「バカを相手にするのは疲れるので、一瞬で片付けるぞ、篠原」
薫は天音を見たままで、篠原に告げた。
「え? あ?」
不意に呼びかけられて、篠原は動揺した。
(何だ、今のはどういうフリ?)
薫は忍び装束を脱ぎ始めた。それを見て、篠原はドキッとしたが、天音と無堂は眉をひそめた。薫は脱いだ装束を床に落とした。下に着ているのは、伸縮自在のタイツだった。装束は鈍い音を立てて床に落ち、その衝撃で穴を開けた。
(おいおい、あれ、何か入っているな。薫ちゃん、そんな重りを付けてあの動きをしていたのか。以前、葵と戦った時もそうだったかな)
葵との激闘の時も、薫は重りを付けた装束を脱いだ事があった。
「何だ?」
天音はそれを訝しそうに見ていたが、
「はっ!」
その一瞬の隙をついて、薫は天音に襲いかかった。そのあまりの速さに無堂もギョッとしてしまい、動けなかった。
「はあっ!」
薫は天音の顔を鷲掴みにすると、壁に叩きつけた。天音の頭は壁にめり込み、血が流れた。
「げっ……」
篠原はそれを見て、天音が薫に殺されたと思った。ところが、薫は天音から飛び退き、警戒を解かないままで天音を睨んでいた。
「何だ?」
篠原は天音が生きているのを知り、何が起こっているのか考えたが、わからなかった。
「お前の異能はそれか? 天一族、聞きしに勝る異能の集まりだな」
薫は歯軋りしていた。天音は壁から離脱すると、
「流石に危なかったよ、クズ星。私の異能は瞬時に身体を鉄よりも硬くできるのだ。殴って来なかったのは、賢明だったな」
不敵な笑みを浮かべた。壁に着いたのは血糊のようだった。
「死んだと見せかけ、一気に形勢を逆転する。姑息な手段だ」
薫は冷静な顔になった。
「篠原、準備はいいか?」
薫は天音と無堂を見ながら訊いた。
「ああ、ありがとう、薫ちゃん」
篠原が言うと、
「薫ちゃんと呼ぶな。次に呼んだら殺す」
薫が睨みつけたので、
「悪かったよお、許してよ」
篠原は枷を抜け出していた。
「むっ!?」
天音は薫の行動が陽動だったのを知り、
「おのれ、謀ったか、クズ星!」
無堂に目配せをした。
「お許しが出たので、今度は私が相手です、星薫さん」
無堂が前に進み出た。
「お前の相手は、日を改めてじっくりしてやる」
薫はいきなり煙幕を張った。
「くっ!」
天音と無堂は視界を塞がれてしまった。
「天音様、危ない!」
無堂は天音の手を取り、部屋から脱出した。そこには薫に倒された天一族の者達がたくさん転がっていたが、無堂は構わず踏みつけて走った。
「ぐお!」
次の瞬間、篠原が捕らえられていた部屋にあった薫の忍び装束が爆発し、辺りは火の海となった。
「クズ星めェッ! 許さんぞ!」
天音は燃え落ちる邸を見上げて、叫んだ。
「星一族は月一族と違って、本当に手段を選びませんね」
炎を見つめて、無堂が呟いた。
「潰しがいがあります」
無堂は狡猾な笑みを浮かべた。
「大失態だな、天音。この責め、どう償う?」
そこに天音と瓜二つの女性が現れた。天音とは髪型が違い、肩上で切り揃えられている。着ているのは漆黒のスカートスーツである。
「月と星を滅ぼして、償います、お母様」
天音は目を潤ませてその女性を見た。お母様と呼ばれた女性は、
「それだけではダメだ。月と星の持っている情報網、コネクション、全て奪い取れ」
目を細めて告げた。そして無堂を見ると、
「お前には、月一族の水無月葵を側室として子をなす事を認める。そして、同時にあの篠原護の子種を入手しろ。奴の生死は関係なく」
天音は母の言葉に不服があるようだが、何も言わなかった。
「畏まりました、小夜様」
無堂は跪いて応じた。
「天音、お前は無類無双の者を産むのだ。必ず、我が一族の悲願、成し遂げよ」
小夜と呼ばれた女性は天音を見た。
「はい、お母様」
天音も跪いて応じた。小夜はフッと笑うと、
「すぐに取りかかれ。奴らに抵抗の隙を与えるな。日本の影は我が一族が牛耳るのだ」
二人に背を向けると、その場を歩き去った。
「では、早速」
無堂はニヤリとして姿を消した。天音は小夜の後を尾いて歩いた。