意外な救援
篠原は葵が狙われているのを知り、叫んだ。
「おや、よく見れば、あなたは確か、篠原護。水無月葵のストーカーでしたね?」
無堂は篠原を見下す目で言った。
「うるせえ! ストーカーじゃねえよ! 許婚だ!」
篠原は熱り立って反論したが、トランクス一枚なので、迫力に欠けていた。
「そうでしたか。それなら尚の事、水無月葵を孕ませるのが楽しみになって来ました。何でしたら、貴方の前で孕ませてあげましょうか?」
無堂はニヤニヤした。
「てめえ!」
篠原はもがいたが、手枷も足枷もびくともしない。
「無堂、いい加減にしなさいよ。貴方は私の許婚でしょう? 他の女、それも月一族の女とまぐわうなんて、許さないわよ」
天音は自分の事は棚に上げていた。無堂は肩をすくめて、
「はいはい、わかりましたよ。では、失礼、篠原さん」
篠原を蔑んだ目で見てから、部屋をフッと消えた。
(この部屋、窓も扉もない。どうやって出て行っているんだ?)
篠原には無堂の消え去り方が腑に落ちなかった。
「さて、衛様も興奮されて、血の巡りがよくなったでしょう? もう一度、試してみます?」
天音は再び篠原に近づくと、今度は右の頬を舐め上げた。
「ウヒ!」
篠原は悲鳴を上げた。
「今度は先程より時間をかけてみますね」
天音は篠原の耳元で告げた。篠原は全身総毛立った。その時だった。壁の一部に衝撃音が走った。
(何だ?)
篠原は音がした方を見た。天音の顔が鋭くなり、篠原から離れた。衝撃音は数回続き、やがて壁が歪んで一部に穴が開き、扉と思われるものがそのまま倒れて来た。
「何者だ?」
天音は声が低くなった。篠原は天音の顔と声が全然違ったので、目を見張った。
(これが本来のこの女の顔と声なのか?)
天音は低く身構えた。
(あれ、この雰囲気は?)
篠原は覚えがある闘気を感じて、侵入者が誰なのか見定めようとした。
「情けないぞ、篠原護。あのような古典的なハニートラップに引っかかるとは」
入って来たのは、星一族最強の星薫だった。忍び装束姿で、戦う気満々だ。
(薫ちゃん、助けに来てくれたのかな?)
篠原は一抹の不安を感じた。
「さすが、大原さんです! ありがとうございますう!」
茜は歓喜して礼を言うと、スマホを切った。
「今から防犯カメラの映像のデータが送られて来ます」
茜は大はしゃぎで美咲に告げた。
「どんな映像?」
葵が尋ねると、茜は苦笑いをして、
「所長、いえ、お姉さんは見ない方が……」
「どういう事よ? それと、二人共、『お姉さん』はやめて。今まで通り所長にして。照れ臭いから」
葵は顔を赤らめた。
「はい」
美咲と茜は顔を見合わせてから応じた。
「これね」
美咲は大原から送られて来たファイルを解凍して、映像を開いた。それはある大通りの防犯カメラの映像で、篠原と思われる男が映っていた。
「護?」
葵は目を凝らして映像を見た。まもなく、篠原のそばに白いワンピースの若い女性が近づいて来た。それは天音であるが、葵達はまだそれを知らない。だが、天音の巨乳を見て、途端に葵の闘気が爆発するのを美咲と茜は感じて顔を引きつらせた。
「え?」
篠原と女性は何か言葉をかわしたのだが、次の瞬間、篠原は意識を失い、その女性に抱き止められ、どこからともなく現れた黒いスーツの男達三人に担がれ、カメラの画角から消えた。天音も逆方向へと歩いて行った。
「情けない……」
葵は頭痛がして来た。美咲と茜は苦笑いをしている。
「見事なまでのハニートラップだわ。恥ずかしい……」
葵は頭を抱えた。
「拉致されたのは、一昨日の午前十時頃です。場所は市ヶ谷ですね」
美咲が告げると、葵は顔を上げて、
「市ヶ谷? 防衛省の近くであいつ、拉致されたの? 有給休暇は先週からでしょう? その間、何してたの一体?」
「その辺にヒントがあるかも知れません」
美咲は篠原が拉致された付近に活動拠点を持つ情報屋に一斉にメールを送信した。
「あのワンピースの女性が天一族の長の娘でしょうか?」
茜が言うと、葵はムッとして、
「あのおっぱい女、護をどこへ連れ去ったのかしら?」
腕組みをした。茜は葵の「おっぱい女」にまた苦笑いをして、
「木曽でしょうか?」
天一族の本拠地を挙げた。
「いや、それは考えられない」
葵は即座に否定した。
「どうしてですかあ!?」
自分の発想を無下にされた茜が口を尖らせた。葵は茜を見て、
「防犯カメラがあるのを承知で拉致しているのがわからないの? これは意図的なものよ。わかってやっているのだとしたら、護がいるのは木曽じゃない。別のどこかよ」
「ああ……」
茜は自分の早合点に気づき、赤面した。
「篠原さんが何故市ヶ谷にいたのか、わかりました」
美咲は届いたメールを開いて葵に見せた。
「星姉妹が?」
葵は目を見開いた。
「薫が動いているの?」
葵は美咲に尋ねた。美咲は葵を見て、
「いいえ、情報屋さんが見たのは、妹です。おそらく、三女の鑑さんではないかと」
「まさか、あの姉妹も護を拉致しようとしていたの?」
葵はまた怒りに震えていた。美咲は苦笑いをして、
「それは違うと思います。別の情報屋さんから、篠原さんが鑑さんとカフェで会っているのを見たという情報が入りました」
「何ですって!?」
葵はますます激昂して立ち上がった。茜は恐れをなして、葵から離れた。今にも暴れ出しそうだからだ。
「それはいつの事なの?」
葵は何とか自分を落ち着かせて、ソファに戻った。
「先週ですから、篠原さんが有給休暇を取得する前ですね」
美咲はメールを読み進めて告げた。
「という事は、あいつ、星一族の里へ行くために有給休暇を取ったっていう事?」
葵は腕組みをした。美咲は次々に来るメールを開きながら、
「それはまだわかりませんが、その可能性はありますね。只、依然として、それから数日間、篠原さんが東京にいて、何をしていたのかはわかりません。もしかすると、薫さんが来るのを待っていたのかも……」
美咲はそこまで言って、葵がまた闘気を発しているのに気づき、言葉を止めた。
「あの色ボケ男が! 心配して損した! あんな奴、天一族の種馬にされて、野垂れ死ねばいいんだわ!」
葵は激怒して立ち上がった。茜は恐怖のあまり、給湯室へ逃げてしまった。
「落ち着いてください。篠原さんが所長に何の連絡もしないで動いていたのですから、そこに何か理由があるはずです。そして、星一族が接触して来たのも、何か理由があるはずです」
美咲は真顔で葵を宥めた。葵は大きな溜息を吐いて、
「貴女達に任せるとか言って、興奮してごめんなさい。そうね。護が黙って動くなんて、今までなかった。私、護を信じな過ぎよね」
涙ぐんだ。美咲は微笑んで、
「仕方ないですよ。もう少し、情報を収集してから、判断しましょう」
「わかった」
葵はソファに身体を沈めた。茜は葵が落ち着いたのを見て、戻って来た。
「お前は星一族の星薫か?」
天音は鋭い目を薫に向けた。薫はフッと笑って、
「お前が天一族の長の娘の天乃天音か。大きいのは胸だけではなく、態度もだな」
挑発した。篠原はいつも通りの薫に顔を引きつらせた。
(薫ちゃん、この女、強さが未知数だよ。あまり煽らないで)
篠原はとばっちりが来るのを恐れていた。
「そんな事で私を煽っても無駄だぞ、星薫。頭が悪いな」
天音も負けずに挑発し返した。
(怖いなあ、女は。葵が可愛く思える)
篠原はまた失礼な事を考えていた。
「そうか」
薫はフッと笑うと、姿を消した。
(げっ、見えない! 薫ちゃん、どこへ行った?)
天音も一瞬慌てていたが、
「そこか!」
天井を見上げて隠し持っていた苦無を投げつけた。確かに薫は天井に張り付いていたが、苦無を小刀で弾き飛ばした。
「わわっ!」
その苦無が篠原の脇のすぐそばに突き刺さった。薫はすぐさま天音に向かって飛びかかった。
「温い!」
天音はそれをかわすと、逆に薫に襲いかかり、右手に隠し持っていた短刀を薫に突き立てようとした。
「温いのはお前だ!」
薫は短刀を蹴り飛ばし、一足飛びに天音のそばに進み、彼女の首を右手で掴んだ。
「ぐう……」
天音は壁に叩きつけられ、身動きが取れなくなった。
(さっすが、星一族の一番手!)
篠原は薫の強さに感動していた。