三つ巴
「え?」
渦中の人である篠原護は、薄暗い部屋で目を覚ました。
(俺、どうしたんだっけ? 黒髪ロングの綺麗な女性に道を訊かれて、その後……)
そこからの記憶が全くない。
(どこだ、ここは?)
護は起き上がろうとしたが、身体が動かせなかった。
「ええ!?」
改めて自分の状態を見ると、冷たいステンレス製の寝台に寝かされていて、手首と足首、腰を枷で留められていた。しかも、服を脱がされ、トランクス一枚の状態である。
「ようやくお目覚めですの、護様」
若い女の声が聞こえた。篠原は声の主を見ようと唯一動かせる首を回した。
「あ、あんたは……!」
篠原はその女の顔に見覚えがあった。道を尋ねて来た女だ。その時は白のワンピースだったが、今は何故か白のブラジャーとショーツだけを身に着けている。
(でかい……)
篠原は女の胸の大きさに目を奪われた。ブラジャーがはち切れそうな程豊満な胸である。
「一体これはどういう事だ? あんたは何者だ?」
護はその胸を凝視したままで、女に叫んだ。女はフッと笑って、
「私の名は天音。天乃天音。貴方の妻となる者です」
顔を篠原に近づけた。
「妻ァッ!?」
篠原は天音と名乗る女がイカれていると思い、目を見開いた。
「もう少し付け足しましょうか。私は平安の世より続く忍びの一族である天一族の長の娘です。月一族の手練れである貴方の子種を頂き、一族最強の忍びを産み育てる所存」
天音は篠原の鼻の頭を舌で舐めた。
「ひっ!」
その突拍子もない行動に篠原は小さく悲鳴をあげてしまった。
(天一族? 聞いた事があるな。これは非常にやばいんじゃないの?)
篠原の額に汗が滲んだ。
「それではよろしくお願い致します」
天音はにこやかに言うと、ブラを外した。
「おおお!」
篠原は自分の置かれている状況を忘れて、雄叫びをあげてしまった。
「護が監禁されている場所、見当がついているの?」
葵は帰り際の玄内に尋ねた。玄内は振り返らずに、
「全然わからない。お前達で何とかしてくれ」
それだけ告げると、事務所を出て行ってしまった。
「はあ!?」
葵は怒りに震えて追いかけようとしたが、
「お嬢様、我らも手を尽くしました。それでもわからなかったので、ここへ来たのです」
美月が立ち塞がった。
「そうなのですか?」
葵は美月と紅には一目置いているので、怒りを収めた。
「玄内様はあのような態度を取られていますが、事の発端がご自分にあるのをとても悔いていらっしゃるのです。どうか、お察しください」
紅が言い添えた。葵は腕組みをして、
「わかりました。全力を尽くして、護を探し出します。そして、天一族には、それ相応の罰を与えます」
篠原が今何をされているのか知らずに真剣な顔で応じた。
「それから、星も護さんを狙って動いているとの情報も得ています。お気をつけください」
美月が言った。
「え? 薫さん達が?」
茜はギョッとして美月を見た。葵もハッとした。
「以前、薫が冗談めかしながら、護に星一族に来いと言っていた事があったわね」
美咲は頷いて、
「あれ、冗談ではなかったのですね」
茜が、
「篠原さん、モテモテですね、所長。強がっている場合ではないですよ?」
ニヤニヤして言った。
「うるさいわね! ボーナス、要らないようね、茜は」
葵が伝家の宝刀を抜いてみせたので、
「ええ!? それはないですよお」
茜は涙ぐんだ。
「今のは茜が悪い。お嬢様、ボーナスはゼロでよろしいかと」
紅までが非情な事を言い放った。
「お母さんまで酷いわよお」
茜は泣きべそを掻いた。美咲はそれを見て、笑いを噛み殺していた。
「では、失礼します」
美月と紅は玄内を追って事務所を出て行った。
「はあ」
葵は大きな溜息を吐くと、ソファに戻った。
「取り敢えずは、どうしましょうか?」
ドアを閉じながら美咲が尋ねた。葵は美咲を見て、
「無駄とは思うけど、護の勤務先に確認して。無断欠勤になっているだろうから」
「わかりました」
美咲はすぐにパソコンを操作し始めた。
「私は大原さんに頼んでみます」
茜はスマホを開いた。
「まあ、そっちも無駄かも知れないけどね」
葵は肩をすくめた。
「頑張りますので、ボーナスゼロは勘弁してください。買いたいものがたくさんあるので」
茜は揉み手をして葵に媚びを売った。
「見つけたら、考えるわ」
葵は苦笑いをして応じた。
「わっかりましたあ!」
茜は通話に応じた恋人の大原統に事情を説明した。
「大原さん、警察組織の威信にかけて篠原さんを見つけてくれるそうです!」
茜は目を輝かせて告げた。
「ああ、そう」
葵は、茜が甘えた声で大原に伝えているのを聞いていたので、半ば呆れていた。
「所長、篠原さんは有給休暇を取得して、先週から休んでいるそうです」
美咲が深刻そうな顔で告げた。
「そうなの。それは問題ね」
葵はソファで脚と腕を組んだ。
「護が休暇を取るのを知っていたのかしら?」
葵は眉をひそめた。
「所長はご存じなかったのですか?」
美咲が訊いた。葵はギクッとして、
「知ってる訳ないでしょ?」
それ以上詮索するなという顔で美咲を睨みつけた。
「はい……」
美咲は苦笑いをして応じた。すると葵は大きな溜息を吐いて、
「貴女達は私の妹だとわかったし、今更隠しても仕方ないから、言うわね」
美咲と茜は葵の口調が真剣そのものなので、居住まいを正して彼女を見た。
「人生で、これ程動揺しているの、初めてなの。認めたくはないけど、私、護が危険な目に遭っていると思うだけで、手の震えが止まらなくなる」
葵は両手を掲げてみせた。美咲と茜は葵から一メートル以上離れているが、葵の手の震えははっきりわかる程だった。いつもならからかう茜も何も言わない。美咲に至っては、涙ぐんでいた。
(所長、やっと本音を言ってくれた)
美咲は感動していた。
「所長、いえ、お姉さん、今回は私達に任せて、事務所で待機してください。その方がいいです」
美咲が進言した。茜はそれに大きく頷いた。
「ありがとう。確かに今回は私は足手まといかもね。美咲の言う通りにする」
葵は涙を流して二人を見た。それを見て、茜は号泣した。
「絶対に篠原さんを見つけ出します。だから、安心して待っていてください」
茜は葵のそばに行き、その手を握りしめた。
「ありがとう、茜」
葵は茜の頭を撫でた。美咲はそれを見て涙を流した。
(はああ……)
篠原は落ち込んでいた。
「如何されましたか、護様? お元気ありませんでしたね」
天音は下着を着けながら、篠原を見て微笑んだ。
(何て事だ。何故、ダメだった?)
葵が知れば、激怒しそうな状態だった。篠原は天音に挑まれたのだが、役に立たなかったのだ。
(俺、EDになったのか?)
篠原は男としての自信がなくなりかけていた。
(あれ程の美女に挑まれて、その気にならないなんて、俺、葵に呪われてるのか?)
篠原の頭の中で鬼の形相の葵がこちらを睨んでいたのだ。
(あんな顔を見たら、全然ダメだよ)
篠原は途中から考えている事がおかしくなっていた。葵に対して申し訳ない気持ちが全くない。むしろ、邪魔をされたと思っているのだ。
(この男、意図的に自分のものを操れるのか? あれ程いろいろしたのに、結局ダメだった)
天音は自分の持てる技術を全て使って、篠原の男を奮い立たせようとしたのだが、うまくいかなかったのだ。
(薬も使っているのに、効き目が見られない。どういう事だ?)
天音は篠原の忍びとしての実力だと思っていたが、真相は違う。只の「葵恐怖症」なのだ。
「どうですか、お嬢様? うまくいきましたか?」
そこへ白装束の男が入って来た。黒髪を総髪にしている長身痩躯。ほとんどの女性がメロメロになってしまいそうなくらいの男前だ。
(俺の方が上だけどな)
篠原はこんな時にも負けず嫌いを発揮していた。
「ダメだったわ、無堂」
天音は肩をすくめた。すると無堂と呼ばれた男はフッと笑い、
「ならば、私が水無月葵を孕ませ、最強の忍びを産ませましょう」
「何だと!?」
篠原は聞き捨てならない事を言われ、怒鳴った。