黒幕の躍動
数日後の事である。
浅田虎治郎はキングサイズのベッドで快適な睡眠をし、朝日に照らされて目を覚ました。
「ネズミ一匹入れないんじゃなかったの?」
声が聞こえた。
「何?」
浅田はギョッとして声のした方に顔を向けた。そこには忍び装束を着た葵、美咲、茜が立っていた。
「だ、誰だ?」
浅田はベッドから起き上がると、葵達から離れるように反対側へ飛び退いた。
「たかが探偵如きよ、虎治郎じいちゃん」
葵は音もなくベッドに上がると、一気に浅田に詰め寄った。
「何だと!? 一体どうやって? 庭にはドーベルマンが十頭放し飼いになっていて、邸の周囲には何十人もの屈強な警備員がいるんだぞ! どうやって入った!?」
すると茜がニコッとして、
「ワンちゃんに暴力は振るいたくなかったので、高級肉でおとなしくなってもらいましたよ、おじいちゃん」
浅田は茜を見て、
「そんなはずはない! あの犬共は訓練を受けておるんだ! 餌に釣られるような間抜けではない!」
反論した。
「厳しい訓練をこなすのは、結局美味しいごはんを食べられるからでしょう? あの子達、お腹ぺこぺこだったみたいですよ」
茜はニコニコしたままである。浅田は唖然としたが、すぐに気を取り直して、
「警備員はどうした? アメリカの海兵隊出身の猛者揃いだぞ? お前達のような小娘が太刀打ちできるはずがない!」
葵、美咲、茜を指差した。
「アメリカの海兵隊? ホント、それ? 全然大した事なかったわよ。おじいちゃん、偽者に騙されたんじゃないの?」
葵は浅田をせせら笑った。浅田は激昂して、
「そんな訳があるか! 私は大統領に直接会って、海兵隊の人間を紹介してもらったんだぞ! 偽者の訳がなかろう!」
葵は浅田の唾が飛んで来たのをかわしながら、
「じゃあ、海兵隊が大した事ないのよ。一人五秒もかからなかったわよ」
ドヤ顔で応じた。
「な、何だと!?」
浅田は目を見開き、口をあんぐりと開けてしまった。
「ね、美咲?」
葵はニンマリして美咲を見た。美咲は頷いて、
「はい。このお屋敷の正面にある門扉をバラバラに引きちぎって、全員肋骨を折りました。そして、その門扉の一本一本で、手錠を造り、後ろ手に拘束しました」
身振り手振りを交えて解説した。浅田は声も出ない程驚いていた。そして、
「あ、あの総額五千万もかかった門扉をバラバラにしただと!? トラックが突っ込んでもびくともしないと言われたのに、どうやって引きちぎったんだ?」
我に返って美咲に怒鳴った。
「どうやってって、こうやってですけど」
美咲はそばにあったゴルフバッグからアイアンを取り出して、ぐにゃりと曲げると飴細工のようにくるくるねじってみせた。
「ひいい!」
自慢の門扉が二目と見られない状態になった事を悟った浅田は悲鳴を発した。しかも、高級クラブも二度と使えない状態にされたのを見て、泣き面になった。
「もう降参しなさい、おじいちゃん。どう頑張っても、貴方は詰んでるのよ」
葵は浅田に詰め寄り、襟首を捻じ上げた。
「降参? 何を言っているんだ? ここまでコケにされたのに、降参などするものか!」
浅田は葵の手を振り解いた。
「まだ抵抗するの、おじいちゃん?」
葵は肩をすくめた。浅田はフッと笑って、
「私にはまだ切り札がある。天一族から仕込まれた無敵の戦士がいるのだ。お前達がどれほど強くても、あいつらには敵わない」
葵はハッとした。
「まさか、炎堂が……?」
美咲と茜もギョッとして浅田を見た。
「こいつらを排除しろ!」
浅田が叫ぶと、壁がずれて、その向こうに隠し部屋が現れ、その中から五人の男が出て来た。
「この気は……」
葵は男達が放つ独特の気を感じ、蒼ざめた。それは紛れもなく、あの炎堂が修得した羅刹の気だったのだ。
(すでに炎堂は羅刹の気を使って自分と同じ存在を生み出していたっていうの? 紛い物ではない事は、この気からわかる……)
葵の額を汗が流れ落ちた。美咲と茜は顔を見合わせてから葵を見た。
(天音姉さんと薫がいても、あそこまで苦戦した羅刹。しかも、五人とも炎堂と全く同じ気を放っている。勝てない)
葵は美咲と茜に目配せした。逃げる、と。美咲と茜は小さく頷いて応じた。
「出直すわ!」
葵は屈辱に塗れて、浅田の寝室を飛び出した。
「殺せ!」
浅田は憎しみに満ちた目で命じた。五人の男達はすぐに葵達を追いかけた。
「葵お姉さん、逃げ切れますか?」
美咲が問いかけたが、
「とにかく走って!」
葵は拘束されて寝転がっている元海兵隊員達を飛び越えながら応えた。
「ひゃあ!」
茜は後方を確認して、男達が警備員達を容赦なく踏みつけて追いかけて来るのを見ると、悲鳴をあげた。
「茜、全速力で逃げなさい! 捕まったら、ボーナスなしよ!」
葵が告げると、
「それだけは嫌です!」
茜は速度を上げ、葵を追い抜いた。
(それ程ボーナス欲しいのね、茜ちゃん)
美咲は笑いそうになったが、男達が距離を詰めて来たので、茜を追いかけた。
(ここは私が囮になって食い止める!)
葵は二人を逃がして自分がなんとかしようと考えた。
「おっと、そんないい役回り、独り占めにしたらダメだぜ、葵」
そこにフワッと篠原護が現れた。
「護、いつの間に?」
ずっと後を尾けていたんだよ。わからなかったのか?」
篠原はフッと笑った。
「あんた、役に立たないから、どこかへ行きなさいよ!」
葵は精一杯の強がりを言い、篠原を逃がそうと考えた。
「そうでもないぜ。あの後、薫ちゃんにすごい事をしてもらったんだからさ」
篠原が気取って言うと、
「何をよ!?」
あらぬ事を妄想した葵が顔を真っ赤にして詰め寄ろうとした。
「その話は後!」
篠原は不意に気を高めると、男達に向かった。
「ちょっと!」
葵も鬼の行を頂点まで高めると、篠原を追いかけた。
(護、まさか、薫と?)
葵の妄想はまだ続いていた。怒りが沸騰し、葵は更に闘気を強くした。
「む?」
男達は葵の闘気に身じろぎ、立ち止まった。
「やはりな」
篠原は謎の呟きをすると、自分も気を高めた。
(一体どうしたの? 羅刹男がたじろいだように見えたんだけど?)
葵も男達の異変に気づいた。
「わかったか、葵? 奴らは炎堂と違って、お前の鬼の行の気を吸っていないから、すでに人でなくなっているんだよ。だから、本能的に自分達を弱くする鬼の行の気を恐れるんだ」
篠原が言った。葵は合点がいった。
「そういう事なの……」
そこまで考えて、葵はハッとなった。
「それ、もしかして、薫から聞いたの!?」
もしそうなら、薫に遅れを取った事になる。葵はそれが癪だった。
「そうだよ。それを俺に教えるためにわざわざ来てくれたんだよ。感謝しなくちゃな」
篠原がにやけたので、
「何をしたのよ、あんた達は!?」
葵の妄想は止め処なかった。
「何って、羅刹対策を教えてもらったんだよ。薫ちゃん、すでに鬼の行をある程度まで修得していたぜ。すげえよな」
篠原は男達を威嚇しながら告げた。
「ええ!?」
葵は更にショックを受けた。
(薫が鬼の行を……?)
ますます薫に差をつけられた。そう思うと、葵は落ち込みかけた。
「薫ちゃんは自分にも玄内のオヤジ殿の血が流れているのを知って、鬼の行をできるのではないかと考えたんだよ。落ち込む必要はない。彼女もまた、水無月宗家の者でもあるんだからな」
篠原の言葉に葵はピクンとした。
「どうしてそんな事をするのか、わかるか?」
男達は葵の発する気を警戒しつつ、間合いを詰めようとしている。
「え?」
葵には篠原の問いかけの真意がわからなかった。
「姉である葵に追いつくためだよ」
篠原は葵の肩を抱いた。
「ええ?」
葵は薫の思いを知り、目を見張った。篠原は葵に大きく頷いてみせた。




